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真の健康は、精神的、情緒的、社会的な健康状態を言います。そんな健康を目指す生活行動の決め手に太極功があります。

歩いても太極拳になる

2005-10-16 | Weblog
少年の頃、貧乏育ちだから良く歩いた、歩かされたが正しい表現でしょうね。
親父が淡路の生まれで、帰省時は必ず付き纏って着いて行った。
小学1年の夏の夜、明石渡しで岩屋に着いたのは良いが、木炭バスが故障で運行中止、仕方なく志都の浜まで其処から山路を大町についた頃は、鶏の鳴き声が出迎えてくれた、僕は泣きべそを掻いていたそうです。

そんな体験が、山歩きの魅力を知る事になり、青年期はよく歩きました。
独り歩いていると「我思うゆえに我あり」の心境に嵌まり込み世間の思惑から脱落して、妄想に耽る楽しみが味わえて疲れが出ないのでたのしいですね。
一定のリズムで歩き続けると「哲学の道」でなくとも思考が湧いて出るので不思議ですね。

 歩きながら、アイデアに恵まれ研究のヒントを発見成功した学者は枚挙にいとまがありませんね、みなさんも体感されてあると思います。
昔の小学教育科目に「校外進出」が体育科目でなく、隊列を組んで神社、仏閣めぐり、みんなリックサックを背負って、水筒と手ぬぐい姿でハイキングです。
今の学童は、目的地まで観光バス、ホンの数キロ歩いて、「ハイキング」だそうです。

 歩行の訓練とは、10キロは歩かねば訓練になりません、と僕は思います。
江戸時代の人達は、歩行術を必然的に修練していたと推察できますね、普通には1日27キロ、幕末の竜馬や松蔭は60キロぐらい歩いたそうです、旅籠賃を節約と書かれてあるが、あながちそうとばかりは言えない、鍛錬すれば歩けるのです。

 太極拳のさわりを、書いてみますので検証してみてください。
足の裏の外側(踵から小指側)に重心を掛けて、少し幅広く歩く、後脚で地を蹴る感じに歩を進めます、常に前脚に重心を託するようにしますと早く歩けます。
重心が常に動いていますので、重力が足腰に強く掛からない利点があります。
若い人、ウオキングのとき試してみてください。

閑話休題
 人間の膝には、歩行時、体重の三倍、階段の上り下り時は体重の七倍の重力が加わります、それでも歩き続けられるのは、筋肉が頑張ってくれているからなのですね、筋肉の持久力を養い鍛えるのが太極拳がもっともふさわしいのです。

太極拳未病(注)の手当てとしてチョットだけかきましょうね。
㋑ 膝を曲げた時、膝こぶしの外側に丸くでばった骨が、指先に感じたらそのすぐ  下の窪みを指の平で揉み押す(陽稜泉)
㋺ 同じく、膝をまげて内側の折り目線の端膝こぶしの少し下辺りにへこみを探れ  たら(曲泉)です、そこを軽く押し揉む。
 時々遣ると良いです、遣る前に必ず手を擦って暖めてやってくださいね。

 さて、本題に戻ります。
人間は、原始の時代から歩き続けてせ生存して来ました、書籍の「一万年の旅路」ポーフ、アンダーウッドの著作がありますが、読むまでもなく誰でも知っているね海洋を航路として、渡り歩いた民族も当然ありましょう(彼らは、入り江に住み着いたようです、当然魚業で生存の歴史を築いてきただろう)
 先に書きました、淡路島の山間に、志都の漁民が、米と物々交換をしていた
風景が今も懐かしく想いだされます。

 何ゆえに歩(あゆみ)が太極拳にかかわるかをに稿をすすめます。
ゆったりとした反復動作が、精神の安定に深く関係をもたらすのだそうです、セロトン神経系の不安定(すぐに、カァーと脳内が赤一色になってしまうセロトン)を防止できるかも知れない。

 一定のリズム感を常習する歩行運動が、脳内神経を活性化するのです、太極拳の歩行は少し技能が要りますが、その分完璧に近い優れものと自負しています。
尚、セレトン神経が軟弱になれば、改善に10年掛かるので生き地獄を彷徨う始末になりますので、おおらかに自粛自戒に努力して、チョトした我慢が幸せの人生に好転することを太極拳を通じて自覚していただきたく思います。
世界で一つの自分を大切に、明るく元気で生活をエンジョイしていきたいものです。

(注)未病と言うのは、病気でない状態で予防のことを言うそうです。
   東洋医学は病気を患う前に病気を予知して、予防治療することが
   病気を治すという意味で「未病」というそうです(鍼灸、漢方の
   範疇)病を患ってしまったら、きちんと然るべき病院で治療を受
   けてください。