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真の健康は、精神的、情緒的、社会的な健康状態を言います。そんな健康を目指す生活行動の決め手に太極功があります。

人類の平和

2010-09-12 | Weblog
サンスクリット語では、平和の事を「シャンティ」と呼ぶそうな!
宗教のコアってシンプルだが難しい、思考を停止して説教に染まるのだが、同情は完全に無駄だと思う。本気で正しい自覚を悟りとして宗教を考えなければ、弥陀を感ずる事にはならない。

始めに、自分の生存の意義を自覚する。世界の人類が全てに、この真理に目覚める知識と智慧を学習しなければそして、自分が自分である事の確立を認識しなければ生存の意義が茫洋として掴めなくなる。

真理への追求に衒学は許されない。常に原義(自然の使命感を抱いて生かされている)にもとずく言及を怠ってはならない。役割を忘れず働く義務を追行せよ。

変化は宇宙の働きだ、人間が恐れる次元の問題ではないだろう。

人類の倫理に正しければ不安は無いはず、リァリティのない知識や言葉は無意味な虚像であることを知って欲しいね!

人間は集団生活をする動物であった。個人は生活の多くを組織に依存、組織は個々の力を集めて活用する事で発展的に文化を高め個々の利を満たしあって歴史を摘むんで来た。
今は如何だろう奇麗事の虚実で自己の存在をアピールしなければ不安に苛まされる、哀れにもウツ症候群の社会的因子となっている。

何でもない、個人は組織を通して自己の理想を追求し、組織は個人を正しく利用して共同目標を達成する!意義を申し立てする基本的な無知が蔓延るので平和の文字もかすれる!

さて、社会組織に混合統一して競争と対立事態を知的に避ける取り組みが、リーダー始め全ての指導者的立場を担う人々の常識への努力と智慧にあることは常識。

素質と能力すなはち、誠意と計画の策定が正しく発展へと進展させなければ、平和の実現は難しい。

序ながら、信仰とは「見えるから信じる、見えないから信じない」とした論理的因果ではないと思います。表面的な理性の判断ではなく、深層の意識の発動、感情的センスだから「汝我を見て信じたり、見ずして信ずるものは幸いなり」(正義公儀から)

拝金享楽主義に仏性は無い!如来は即ち真実なり、そして仏性なり、よって、見るをもって即ち安住する。
平等とは、分け隔てなく人々が交わることに互いが違和感を抱かぬことなのだがしかし、実質的には、人類は環境と養育によっては平等ではないともいえる、難題だが此処から解決する努力がなさなければ平和はない!過去5千年建設と破壊を繰り返してきたわれわれはさて?