旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

微笑みの国から その2 プノンペン

2005年08月31日 | Around the world 2005-2007
プノンペンから約50kmほどのところにある、
ウドンにバイクを借りて行くことに。
町から少し離れると、道の周りには見渡す限り
水田、畑や川しか見えない。
こちらではヘルメットをかぶる必要も無いので、
風を全身に受けて気持ちのいいドライブだった。
その広大な平地にぽつんと小高い丘が見えてくる。



 
 ウドンにあるパゴダ。
 新しいものだが彫刻は細密でなかなかのもの。



 
 丘の上から見た景色。
 雄大そのものです。



 



 
 丘に上にいた物売りの少女たち。
 カメラを向けると恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑ってくれた。



 
 こちらも物売りの少女たち。
 観光客はあまり来ないようだったが、
 たまに来る客に皆で競争でもするように走りよっていた。
 仕事を楽しみながらしているようだった。


プノンペン郊外にある、プラサット・ノコール・???(名前を忘れてしまった)
にも帰りに立ち寄る。
途中から舗装されていない悪路を15Kmほど走る。
埃まみれなりながらもたどり着いた寺院には、
クメール彫刻が美しく施されている。
 
 



 




 




 

微笑の国から プノンペン

2005年08月27日 | Around the world 2005-2007
 


ニャチャンからの旅の道連れ、
某和尚と国境を越え、カンボジアに。
この国に来るのは今回で3回目だ。

ところで皆さんはカンボジアと聞いて何を連想するだろう。
地雷、かつての内戦、ポル・ポト、ドラッグ、そして売春。
観光といったらアンコール遺跡ぐらいで
はっきり言ってあまり良いイメージはないと思う。
確かに夜のプノンペンは
まだまだ旅行者が一人で安心して歩ける状況ではないと思う。
実際に犯罪に巻き込まれた人も
一人や二人ではないだろう。
それも間違いなくこの国の一面だ。

隣の国、タイを呼ぶときに
「微笑みの国」と前置きを付けることがよくある。
実際、彼らはよく笑っているし、
タイの人々の柔和な顔つきには笑顔がよく似合う。
これは東南アジアの人々すべてに当てはまることかもしれないが、
その中でも私はカンボジアという国には
「微笑み」という形容詞が似合うと思っている。

今回、カンボジアを、
そしてプノンペンを旅して、感じたことは、
ここの人々は陽気で、ひょうきんで、やさしくて、
だから笑顔がとてもよく似合うということ。
そして同時にこの国はやはりまだまだ貧しいということ。
それでも彼らが笑っているのは…、
日本人の私には、もはや、分からないのかもしれない。


 
 
 オルセーマーケット近くにいたストリートチルドレン。
 カメラをぶら下げていた私に、 撮ってくれといってきた。
 眼の下にくまがあり、 ほほもこけている。
 撮り終えると何も言わず去っていった。


 
 
 オルセーマーケットにて。
 彼女たちが遊んでいるところを見ていると、あちらの方から近寄ってきた。
 カメラに強い興味を示し、貸してあげると、大喜び。
 何回も何回もシャッターを切っていた。
 私がレンズを向けると様々なポーズを決めるおませさんだった。


 
 



 




 
 上の女の子の仲間たち。



 
 遊んでいる子供たちがいる中で、働いている子供もたくさんいる。



 
 国立博物館前にて。
 撮らせてくれと頼むと快諾。
 ポーズまで決めてくれた。


 
 
 通称「大山 橋男」、泊まっていたGHのスタッフ。
 ちょっと、商売っ気が強すぎるが、いつでもひょうきんで、
 憎めないタイプだった。



 
 バイタクドライバーたち。
 1日中、路上でだべっていては、
 見かける旅行者に片っ端から声をかけている。
 正直、しつこいと感じるときもあるが、やはり彼らもなんとなく憎めないタイプ。

 
 
 

ホーチミン

2005年08月24日 | Around the world 2005-2007
5日間いたニャチャンを後にし、
ベトナム最大の都市、ホーチミンへと向かう。
今回も夜行バスでの移動。
一日分の宿代は浮くものの、
風景をじっくり見れない。
ちょっと残念だ。
今回の移動はニャチャンで知り合った、
日本人二人と一緒。
出会って間もないが、二人とも話していて面白い、いい奴等だ。
特に、同い年の方は今後の日程が似ていることもあり、
しばらくは一緒にいそうな気がする。

ホーチミンには夜も明けきらぬうちに到着。
ビザの関係で3日間しかここにはいれない。
カンボジビザの取得のために寝ずに行動する。
ちょっと疲れた。


 


今回泊まった宿には、ベトナムを中心に活動を続けている
フォトジャーナリスト、Mさんが長期滞在をしていた。
最初、会った時は、夜中の街で宿に案内されたために
怪しく思ったが、早朝に散歩をするのは
Mさんなりの取材活動のようだった。
色々と話を聞く。
自分が好きだと思う対象を撮る、
そこに具体的な理由など必要ないし、
好きということに元々理由などないはずだ、
ただただ、自信を持ってやるだけだ。
Mサンはそう言った。
もちろん色々と葛藤あるのだろうが、
そう言うそぶりを見せず、常に明るいMさんを見て、
ちょっと打ちひしがれる。
強い人だと思った。
自分が本当に好きだと思う対象、
そこに思想やイデオロギーなどが入り込まず、
ふとした瞬間に好きだと思える対象。
何かあるだろうかとしばらく考え込んでしまう。
いかんいかん、人と一緒にいても
すぐに自分の殻に閉じこもり、考え込んでしまう癖がある。
しかし、心の底がポッと熱くなる、
そんなものが私にはあるのだろうか。
もう既に持っているのか、
それとも、まだ見つけていないか。
探して、探して、
きっと多くの人は見つからずに終わるのだろうけど…。


 

ニャチャン

2005年08月22日 | Around the world 2005-2007
 


あぁ、海があるところにくると、
どうも脳ミソがゆるゆるになってしまう。
あ、石垣と一緒だ…。
という訳で、いや言い訳か、何もしない贅沢な日々です。


うん、短すぎる。
ので、実用情報。
ニャチャンに行く方、
各カフェ(shin cafe、T・M brothers、etc…)が行っている
ボートトリップはお奨めです。
私は6ドルでT・Mのに参加しましたが、かなり楽しめました。
内容はシュノーケル、ボートの上からの飛び込み、
オプションでパラセールも。
そして、昼食、デザート、海の中での飲み放題のワインなどなど。
良心的な値段設定だと思います。
是非是非。
回し者みたいだな。


 


旅すること 感じること ホイアン

2005年08月18日 | Around the world 2005-2007
一気にホイアンまで行くはずだったが、
ついに恐れていたことが。
カメラの充電器をフエの宿に忘れてしまった…。
出発前に充電していると、いつか忘れると思っておきながら。
今回利用した旅行会社のスタッフに相談すると、
ここで一泊すれば、明日の便で運んぶとのこと。
仕方がない、ホイアンで1泊することに。
地名すら知らないところだったが、
いざ街歩きをしてみると、
古い街が有名なようで、それなりに楽しめる。
しかし、観光名所はどこでも同じように、
土産物屋が多く、テーマパーク化しているが。


 


 
 こんな感じの町並みが。


近くに、ミーソンという遺跡があるようだったが、
バイタクドライバーに写真を見せてもらった限り、
どうも、アンコール遺跡を想像してしまう。
高い金を払って、がっかりしたくないので、
行かないことにした。
少し好奇心が磨耗している。
様々な所を回りながら旅をしていると、
どうしても、今いる場所を他の場所と比較してしまう。
前はこういったところが良かったから、
悪かったから、今回もと、
相対的な行動をしている自分に気づく。
土地土地を渡り歩き、それらを比較すること自体は悪いことではない。
しかし、その場その場の絶対性を感じていない自分がいる。
写真もそうだ。
最近、同じ構図ばかりを撮っている。
ともすればガイドブックに載っているような、
あるいは、どこかで見たことがあるようなものを。
旅を楽しみ、自分の写真を撮りたいのなら、
今、ここにいる、ここにしかない、意味を知る、考える。
すなわち、絶対性を持つ。
そういう思いを持ちながら、進んでいきたい。


 
 

世界遺産の意義

2005年08月17日 | Around the world 2005-2007
古都フエ。
そして、その王宮は世界遺産に登録されていることは知っていた。
しかし、実際に見てみると…。
ベトナムの紫禁城(故宮)と言われているようだが、
北京の紫禁城を見てきた私にははっきりいって物足りない。
加えて、この国が中国文化の影響を受けてきた国とはいえ、
ベトナムにきてまで、中国的なものを見たくはないと言う思いから、
写真を撮る気が起きなかった。

しかし、以前から思っていたが、
世界遺産の登録数は多すぎではないだろうか。
当初は世界的に重要と思われる遺跡や街並、自然、風俗を
世界的な取り組みで持って保護していこうという理念の下に発足したものだと思う。
しかし、こう毎年、新たに登録されてしまっては、
一体何が重要なのかわからなくなってくる。
将来的に何百何千の登録がなされた時、
本当に実質的な保護活動ができるのだろうか。
いまや「世界遺産」ブランドは大きな意味を持っている。
いったん登録されれば、観光業の振興にとって、またとない起爆剤になるだろう。
それだけに現状に利権の臭いを感じてしまうのだが。

何はともあれ、失礼ながらフエには少し拍子抜けをしてしまった。
再び、予定を切り上げ、1泊でフエを離れ、
ビーチリゾート、ニャチャンでゆっくりすることに。

ハノイ その2

2005年08月15日 | Around the world 2005-2007
 
 ハノイに来ました。

 
 
 市内の中心部を所狭しと走り回っているシクロ。
 一見、運転は簡単そうに見えますが、
 後日、運転させてもらったところ、結構難しい。
 交通事故を起こしそうになりました。


 

 
 


 
 
 
正直なところを言えば、
ハノイの町は騒がしすぎて、あまり好きになれなかった。
四六時中鳴らされている、車、バイクのクラクション。
立ち込める排ガスの臭い。
東南アジア的だが、気の強過ぎる人々。
加えて、ゲストハウスでのちょっとしたいざこざ。
しかし、こういった喧騒こそがアジアの魅力のひとつなのだけど。
ここにきて、若干、旅の疲れが出ているのかもしれない。
予定を一日切り上げて、フエに向かうことにした。


ハノイ その1

2005年08月13日 | Around the world 2005-2007
当初、ハーロンの次はハノイによらずに、
南下をしようと思っていたが、
一地方に過ぎないハーロンからは
他の地方都市へのバスはあまりないようだった。
しかし、考えようによっては首都を見ないのは勿体無い。
ハノイに行けば次の移動も楽になるだろうと、
考えを変えて、ハノイに向かうことにした。
ハーロンのローカルバス乗り場から35,000ドン。

走り出すとすぐに前回と同じようにのどかな水田の風景が見えてくる。
ゆったりとした景色に加え、
やや曇りがちな空からは柔らかな日差しが車内に差し込んでくる。
荒れた路面から伝わる振動が逆に気持ちよく、
そのまま眠りに落ちてしまった。
ハノイには約3時間ほどで到着。
到着直前まで寝ていたために、相当寝ぼけた状態で下車。
すると例によって、バイタクドライバーに囲まれる。
眠いなかで、周りからぎゃぁぎゃぁ言われ、何か腹立たしさを覚えてしまう。
一人のバイタクと安宿までで10,000ドンで交渉成立。
しかし、実際到着すると、もう1ドルよこせと訳の分からないことを行ってくる。
当然そんないわれのない金を払う気はないので、
無視をして歩き出すが、しつこくついてくる。
しかも、逆ギレ気味で。
最初から覚えていた苛立ちがここで爆発した。
日本語で思いっきり怒鳴りつけると、効果的面、黙って去っていった。
気を取り直して、宿探しをする。
2、3軒に値段を聞いてみると、大体6ドルぐらい。
意外に高いと思いつつ、次の宿にあたると4ドルとのこと。
部屋を見せてもらうと外に面した窓がない。
いい環境ではないが、背に腹かえられない。
3泊の予定でここに宿とることにした。

ハーロン湾

2005年08月12日 | Around the world 2005-2007
 

 
 ハーロンの鍾乳洞とその景色。
 自然の奇跡ですな。

 
 
 ベトナムの女性は働き者ばかり。
 対して、男は…バイクに乗ってぶらぶらしてばかりいる気が。
 
 
 
 アジアの市場はどこに行っても活気すごい。


 
 カメラをぶら下げていると、
 結構、撮ってくれとせがまれます。

 
 

ベトナムへ

2005年08月11日 | Around the world 2005-2007
香港、マカオは入国審査があるとはいえ、
やはり中国の一部なので、国境越えという感覚は薄かったが、
ベトナムは完全に違う国。
久々の国境越えに少し胸が高まる。

 
 中国としばしのお別れ。
 
 
 東興~モンカイのボーダー。
 この白赤の線一本で国が違うというのは、
 やはり島国育ちの日本人にとってはロマンを感じてしまいますな~
 
 
 ベトナム側、「VIET NAM」以外、何かいてあるかさっぱりわからん。
 
とは言っても、特に何事もなくさくさくと無事入国完了。
そして、建物を出ると、人の顔つきがぜんぜん違う。
当たり前だが、一気に東南アジア人の顔ばかりになっている。
不思議な感覚に襲われる。
中国のこういった僻地への漢民族移住政策の結果だろうか。
さて、とりあえず両替をしようかと歩き出した瞬間に
大量のバイタクドライバーに囲まれる。
しかも、全然あきらめない。
どこまででもついてくる。
結局、銀行がどこにあるのか見当がつかないので、一人ドライバーと交渉を始めた。
銀行によって、バスターミナルまでで、料金は10USドルだと言ってきた。
距離はどれぐらい?と聞くと、4kmとのこと。
う~ん、明らかにぼってる。
1ドルなら乗る、と言うと、あっさりOK。
一体、最初の料金は何なんだ。
しかし、よく考えたら、1ドルでも高いな…。
銀行にいき、両替を済ますが、
一万円のT/Cで1,394,000ドンって…、なんか無意味に大きい桁数だ。
はっきり言って解りづらい、デノミしてください。
また、最初にUSドルにするかどうかを尋ねられる。
発展途上国にはよくあることだろうが、
他国の通貨が一般的に流通しているということは、
自国通貨が信用されいないということ。
何か人事ながら悲しいことだ。
バスターミナルについたが、まだどこに行くかを決めかねている。
ドライバーと話すと、
それなら、ハーロン湾に行け、ベトナムで最も美しいところだ、と言われる。
手持ちの世界地図を見ると、世界遺産との表記、
しかも、どこに行くにも遠回りとなることはない。
あっさりその意見を受け入れ、ハーロン湾へ行くことにする。
ハーロンまでは50,000ドン。
バスに乗り込み、流れる風景を眺める。
ところどころに小規模な水田があり、水牛がいる。
そういう東南アジア的な風景に何かほっとしてしまう。
途中によったバスターミナルでは、三角帽をかぶった女性がフルーツなどを売っている。
目がチラッと見える程度のその姿がすごいかわいらしい。
風景を見たり、そんなことを考えていたりするうちに、うとうとしてくる。
すると、何かすっぱい臭いが。
ああ、隣の人が吐いている。
と思ったら、そこらじゅうで吐いている…。
ベトナム人は乗り物に弱いのだろうか。

ハーロンには約4時間で到着。
対岸への渡し舟がある船着場で降ろされ、どうしようかと考えていると、
好奇心を抑えられないといった感じでベトナム人がわさわさ寄ってくる。
言葉がまるで通じないので会話にならないが、
おそらく国を聞かれているのだろうと思い、
バックパックにつけている日の丸のピンバッジを見せると、
建設中の対岸とをつなぐ大きな吊橋を指差し、
「Japan,Japan」と微笑みながら、握手を求められる。
ODAが地元の人に役立ち、喜んでもらえていると思うと、素直にうれしくなってくる。
身振り手振りでホテルを探していると伝えると、
対岸に行けと言われ、渡し舟に乗る。
料金は、人は無料。
おお、社会主義を実践されてる。
 
 こんな感じの渡し舟が。

対岸の船着場から少し離れたところにあるホテル街で声をかけられた
宿の料金は6USドル、物価水準から考えれば高い。
その宿のオーナーは、どこもこんなもものでうちは安いほうだと言う。
試しにあたりの宿に片っ端から料金を聞いてみるが、どこも大体同じ。
おい、ぐるになってぼってないか。
まあ、リゾート地だし、しょうがないかと自分自身を納得させ、
そこに泊まることに。
清潔な室内にダブルベット、ここのところずっと臭い枕に悩まされていたため、
その日は久々に快適な眠りにつくことができた。