旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

ダルツェンド その3

2005年11月30日 | Around the world 2005-2007
街のすぐ近くにある跑馬山に登ることに。
山を見上げるとそれなりの勾配がある。
毎度のことだが登り始めると激しく息切れをする。
たまらず休み休み登っていくことに。
しかし、一部の山道は完全に凍りきっており、私の靴では歩くこともままならない。
仕方なく山道を離れ、その脇の松林を歩いていく。
落ちた松の葉や松ぼっくりが敷き詰められた上を歩いているとちょっとしたハイキング気分になってくる。

 
 入り口付近のゴンパから。

 
 山道の途中から。

頂上にたどり着くと観光客は2、3組しかいなかった。
が、ここも観光地化を目指しているようで麓からロープウェイが通じており、
真新しい建物が建ち、その工事は続けられていた。
頂上から見える景色は良いが、
どうも気乗りせず、そこにあったデントォ・ゴンパにも入らず頂上に一時間ほど滞在して下山することに。

 
 デントォ・ゴンパ吉祥禅院。

 
 頂上から見た景色。

街に戻るがこれといってやることがあるわけでもない
少し退屈だ。
少しごろごろとした後に何をするわけでもなく街をぶらつく。
夜になっても街はにぎやかだ。
スーパーの前にある広場では夜ではみんなで音にあわせて踊っている。
全員が同じ動きをしているのを見ていると妙におかしくなってくる。
しかし、一人でずっと見ているのにも疲れ、飽きてくる。
街はまだ動き回っていたが宿に戻り、明日の移動に備えて荷造りをすることにした。

 
 音楽に合わせて踊るダルツェンド市民。なんかコミカルです。

 
 それを見ているチベタン家族、少し唖然としています…。

 
 宿近くの食堂の従業員、主な仕事は食堂なのに客引きです。
 出稼ぎでダルツェンドに出てきているようだった。

ダルツェンド その2

2005年11月29日 | Around the world 2005-2007
 
 ダルツェンドの街角から。

谷間にあり、平地があまりないこの街にある程度発展しているのは
ここが交通の要衝として機能しているためのようだ。
中国の西部大開発の号令の下、この街には多くの金が流れ込んでいるようで、
街の中心を貫くように流れている川に沿って、新しい5、6階建てのビルが多く建っている。
ホテルや劇場、スーパー、携帯ショップ、そして地下街まである。
きれいに整備された道にはタクシーが多く走っており、ミニバスらしきものもある。
リタンから来ると都会という印象を強く与えられる。
ここの人口がどの程度か知らないが、人の数に比例しているのだろうかと思うほど多くの食堂がある。
その一つで食事を取った後、乗り合いタクシーを捕まえ、近くあるという温泉に入りに行く。
街を少し離れるとすぐ民家もまばらになり、川沿いの道を10分も走ると二道橋温泉に到着。
こちらの温泉はどういうスタイルで入るのか知らなかったが、個室しかないようだ。
システムがよくわからず、言われるがままに15元支払い、温泉へ。
ふぅ~、やっと風呂に入れる。
お湯は少々ぬるいが約半年ぶりにつかる湯船は最高だ。
一時間の入浴時間をフルに使って、体にこびりついている垢を落とした。
ぬるま湯に長時間つかっていたために、あがっても体が芯から温かい。
ここから市街地までの距離は4kmほどのようだが、
帰りは歩きで戻ることにした。
(と、ここまでの写真はすべて紛失です…。)

ダルツェンドの街は一見すれば無機質な人工都市という印象を受けるが、
街を歩き回っていると、多くの店を見ることができるし、働いている人の姿も多く見ることができ、それなりに楽しめる。
しかし、街が狭すぎて、市街地散歩といっても1、2時間程度で終わってしまう。
といっても、宿の環境がよいこともあり、この街に特に不満があるわけでもない。
ここにもう何泊かすることにした。

 
 散歩中に話しかけられたチベタン男性、みんな好んで民族衣装を着ている。

ダルツェンド

2005年11月28日 | Around the world 2005-2007
深夜4時半目覚め、パッキングをする。
高山病も大丈夫なようで体調は問題ない。
この先どのようなルートをとるか漠然としか決めていないが、
とりあえずはダルツェンド康定に行くしかないようだ。
とはいっても、ここからいける場所は限られているが。
ダルツェンドまではリタンのバスターミナルから
ローカルバスで6時発、料金は77元だった。
しかし、6時いうと、前述の通り、北京が標準時の中国でだいぶ西に位置するリタンでは
まだ深夜といえる時間だ。
実際、朝?バスターミナルに向かう時はまだ満点の星空、月もきれいに輝いていた。
そして、バスの中は極寒!!
厚手の靴下を2枚はいているがバスが走り出すとまもなく指先の感覚がなくなっていく。
その痺れに似た感覚を和らげようと指を動かそうとするがうまく動かない。
早く太陽よ昇ってくれ、と思わずつぶやいてしまうような状況だ。
ダルツェンドまでの道の多くは尾根や山麓を走っていく。
ちょうど山中の草原でトイレ休憩があり、その時が日の出の時間だった。
その瞬間の素晴らしさといったら。
思わず「すげぇ」と叫んでいる自分がいた。
しばらくは寒さとの戦いは続いたが、
午後、日が昇りきってからはポカポカ陽気に。
ジャケットを脱ぎ、その下のフリースを脱いでもまだ暑い。
Tシャツでも大丈夫なくらいだ。
ゾンシャプ新都橋を過ぎた辺りから道には農閑期の畑が広がり、
そこではヤクや馬、ヤギが刈りとられた後に残っている草を食んでいる。
そして、再び峠道へ。
辺りに斜面を白くした山が並ぶ中、あたりに際立って高い山がないために7556mのミニヤコンカがよく見える。
しばらくはその壮大な景色の中をバスは走り続けていった。
峠を越え、山を下り始めると、辺りを濃い霧が覆いつくしていた。
その霧を抜けると景色から雪山が減り始め、荒涼とした山が多く目に付くようになった。
そして、そんな景色をずっと眺めていると、
チベット人の親子が、あるいは遊牧民なのかもしれないが、どこからともなく歩いてくる。
登ってもそこには峠があるだけだ。
降っていってもしばらく人が住んでいるような建物はなかった。
ギェルタン~リタン間でも似たような場景をみたが、
彼らは現代の日本人だったら考えられないような距離を歩いている。
およそ交通機関がなければこられないような場所でも歩いていく。
バスは山を下り続ける中、さっきの親子の家がずっと気になっていた。

 
 途中、前方で事故があり停車中の車内から。

ダルツェンドに着いたのは時計が16時を回ったころだった。
標高がだいぶ下がった分、多少は暖かくなると思っていたが、
バスターミナルを出るとそこには冷たい風が吹き抜けていた。
そして、辺りを山に囲まれているために日があまり当たらず、加えて曇っている。
体感温度はリタンより寒い。
持っているネックウォーマーやニット帽を総動員し、宿探しを。
ガイドブックによると街の中心部に宿が集まっているようだが、
バスターミナル付近を見回してみるとそこら中に宿はある。
さらにバスから降りた客を狙っている宿の客引きたちがたくさんいる。
特別泊まりたい所があったわけでもないので客引きの一人についていく。
最初に連れて行かれた部屋は40元のシングル、共同だがホットシャワーがあり、
そこにとまりたい気持ちもあったが、40元は高すぎる。
値引き交渉をするが30元にしかならない。
それじゃだめだと言うと、かなり立腹しているご様子で声を荒げている。
この客引きは漢族だが、一体こいつらはなぜここまで怒りっぽいのだろう。
一瞬こちらもなんだその態度はとやり返してやろうかしたが、
毎度のことだと思い、そこを後にした。
するとなぜかその客引きもまた後をつけてくる。
部屋があったビルの1階まで降りた所でここに泊まれとまた言ってくる。
試しに部屋をのぞくと、20元のシングルで電気毛布にTV付き、そして部屋にホットシャワーがついている。
実を言えば、一週間風呂に入っていない…。
もう少し安く泊まりたいという気持ちもあったがここ泊まることにした。
中国内陸部に入ってからTVをじっくり見る機会がなかったが、
見てみるとチャンネル数の多さに驚く。
スポーツ専門チャンネルなどもあり、なかなか楽しめる。
そして、久々にシャワーを浴びるが、洗濯でお湯を使いすぎてしまったようでやがて水になっていった。
結局まともに浴びることができず、がたがた震えながら体を拭くはめに。
シャワーを浴びかけたことで体からは汚れが浮き出てきて少し臭い…。
仕方なく寝袋に包まり、TVを見ながら眠ることにした。

番外編 高山病

2005年11月28日 | Around the world 2005-2007
チベットで売られている高山病に効くという薬、紅景天。
怖いもの見たさでどんなものか一回経験してみたいと思っていましたが、
もういやです。
症状には個人差があるようですが、私の場合は、
朝起きると顔がひどくむくんでいました。
その時点では頭痛などなし。
その日、知り合ったチベット人たちとお茶をしている際に、
こちらの習慣であるタバコを回りに勧める行為を受けているうちにかなりの本数を吸い、
その夕方から激しい頭痛が。
一日我慢しましたが、次の日は食欲もなく吐き気が。
毎日、食事をしていた食堂のおばちゃんが苦しんでいる私を見て、
頭痛薬をくれたので、紅景天が効いたのかどうかわかりませんが、
いずれにせよ、高山病恐るべし。

 
 紅景天ドリンクタイプ、10本入り50元です。
 味は子供用のシロップのような味、嫌いじゃなかったりして…。


リタン その4

2005年11月27日 | Around the world 2005-2007
街を歩く、ただそれだけのことをしているだけでも多くの人々に話しかけられる。
もしかしたら、それはただ好奇心のおもむくままに外国人である私に話しかけているだけなのかもしれない。
しかし、人柄の良さというか、素朴なチベット人たちと触れ合っていると、
観光や散歩がままならないほど呼び止められているにもかかわらず、
こちらも気構えることもなく、なぜか話してしまう。
チベット人たちの民族性に対するイメージは他の旅行者から良いとも聞いていたし、
自分自身のイメージもいいものだったが、まさにその通りという感じだ。
ギェルタンはもはや漢族の町という感じだった。
そのため、リタンの街、そして人々は私にとって初めて訪れたチベット、そして初めて触れ合うチベット人たちだ。
もちろんその雄大な景色やゴンパもここのすばらしさだが、
チベット人たちとコミュニケーションをとるのもリタンでの楽しみの一つだった。
リタンで出会った多くの人たちの写真です。


 
 ゴンパに行く途中で。


     
 ゴンパに一緒に行った家族。


     
 子供も大人もスペシャルデイのためかきれいな格好をしています。


     
 ゴンパの中で。


     
 強い日差しに打たれて子供たちの頬は日焼けでかさぶたのようになっている。

     
 説法終了後、ゴンパから出る門の前で。右の男性がつけているのはダシューという髪飾り。カムの男たちにはダシューををつけている人が多い。


 
 子供たちはカメラを向けると喜んでポーズを撮り、笑ってくれる。
 が、 男の子は一枚じゃ飽き足らず何回も何回も撮ってくれとせがんでくることが多い。
 他の物を撮ろうとするとそこに入ってきたり・・・。
 何枚も撮ったうちの一枚です。


 
 帰り道、友達、妹と手をつないで一緒に。


 
 人がいないゴンパの正門近く。強烈な日差しに現地民である小坊主も顔をしかめています。


     
 街中のゴンパで。
 公園的な存在のこのゴンパは子供たちの遊び場にもなっている様子。

 
 逆ナン?女の子です。

リタン その3

2005年11月26日 | Around the world 2005-2007
PCはラサで受け取ることになった。
というのも姉が正月休暇を利用して、ラサを旅行することになったからだ。
何も正月休暇でチベットに、それも冬にとも思うが、
私としては安全な方法で荷物の受け取りができ、ありがたい。
前々から漠然と正月はラサと思っていたが、
これで何が何でも正月にラサに行かなければならなくなった。
そのために漠然と決めた予定から逆算して日程を考えるとリタンに滞在できる時間も限られてくる。
本来なら訪問都市数を減らして、一つの都市、町に長く滞在することのほうが好きだが、
チベット、カム地方では予定内で多くの町を見よう、そう決めた。
滞在日数が限られるならそうそうのんびりもしていられない。
寝袋の中にいたい気持ちを振り切って、午前中から積極的に動き回る。
こういう危機感というかモチベーションがあると簡単に起きれるもんだなぁ…。
なんとなくチベット人集落を通って、高台へと向かう。

 
 雪山をバックに。牛飼いに追われるわけでもなく、牛たちが高台へと通じる道を歩いていた。

 
 リタンの街並み。

 
 高台で。リタン・ゴンパ全景。

頂上に見えるタルチョを目指して登っていくが、やはり坂道が異常につらい。
そして、リタンの日中は朝晩とは逆に暑いぐらいの陽気だ。
ぜいぜい言いながら頂上に向かう。

 
 ゴンパが見渡せる高台で。生地を織っているチベタン女性。厚い黒い布は遊牧民のテント用らしい。

 
 織物をしているお母さんの所に来た子供たち。
 
ゴンパとリタンの街、そして、周辺を囲むようにそびえる雪山が見えるその高台でしばらく腰を下ろすことにした。
寝転がり、本を読んでいると、その本の先に見える空があまりにも青すぎることに気づく。
本と空のコントラストが強烈過ぎて、
まるでなにかよくできた合成写真を見せられているような気分になる。
いわゆる空色ではなく、濃い青色をした空の下で横になっていると次第に眠りに落ちていった。
汗をかくほどの暑さで目を覚ました。
乾燥と相まってのどが渇く。
高山病対策のためにも大量の水を飲まないと。
少しの間そこにたたずみ、再びゴンパの周りを歩くことにした。

 
 リタン・ゴンパの塀から。小さいチョルテンが立ち並んでいる。

 
 リタン・ゴンの門付近に建つチョルテン。
 チベタンたちは隣にあるマニ塚も含め、その回りをコルラしている。

 
 隣のマニ塚。平べったい石にチベット語でマントラ(真言)が彫られ、
 それが無数に積み上がり、ひとつの塚を形作っている。

 
 太陽が強く輝く午後、丸太の上で一休み。



そして別のチベット人集落を通り、市街地へと向かっていった。
人影は少ないが、きれいに舗装された道路とは対照的に人々はこの寒い中、
川の水を利用して洗濯などをしている。
そして頬をこげ茶色にした子供たちがいたるところで遊び、
お年寄りたちはマニ塚やチョルテンの周りをコルラしたり、マニ車を回しながら日のあたる場所で談笑にふけっていたりする。
その日常的な風景を見ながら、進んでいくと街中に小さなゴンパを見つけた。
中に入ると大勢のチベット人がその建物周りや外周に取り付けてあるマニ車を回しながら、
一心にコルラをしている。

  
 ちょっと一休み。

 
 ここにもチョルテンが。

コルラにも決まった回数があるようで彼らは一回コルラして終わりではなく、
何回も同じルートを歩いている。
しかし、その速度は歩くというにはあまりにも速すぎ、
私がその列に加わって歩いていると、どんどんと抜かれていってしまう。
だんだん追い立てられるような気分になり、歩く速度を速め、何回かその行為を行った後に
写真を撮っていると例のごとくまず子供たちが私に興味を示し、
次第に大人も私に話しかけてきたりする。
一休みしようと辺りに腰をかけ休んでいると、
近くにいた学生らしき一団に声をかけられる。
彼女たちの食べているひまわりの種をもらい、漢字の筆談で話しをするが中国語そのものは理解できない。
相手が書いた漢字そのものの意味から大体の質問を憶測し答える。
何度も質問の意図とは違う答えをしていたようでお互い首をひねりあっていたが、
どこからきたのか?歳は?仕事は?なぜここにきた?など色々と質問を受け、
私が答えるたびに驚いたり、笑ったり、皆で何かを話したりしている。

 
 夕方近く、ゴンパをコルラする人々。

 
 逆ナンされました。おぉ、足を閉じて緊張している・・・。

そんなことをしながら大量にあった種をあらかた食べつくしたころにはもう時計は5時近くになっていた。
彼女たちも帰り始めたため、私も一緒に町の中心部に向かって歩くことに。
日も傾き、少し肌寒さを感じる時間になってくると昨日の夕方に感じた頭痛が再びぶり返してきた。
彼女たちと別れ、宿に一旦戻る。
ベッドに体半分だけ横にして休んでいるとますます頭痛がひどくなってくる。
う~、これが高山病か…、きつい…。
無理やり食事をしようと思うが、吐き気がし食べられない。
薬も飲んだがこれは体が順応してくれるのを待つしかない。
もう一晩寝れば大丈夫だろう。
明日はダルツェンド康定に移動するにした。

リタン その2

2005年11月25日 | Around the world 2005-2007
昨日知り合ったチベット人が10時に待ち合わせをし、
リタンを案内してやるとのことだったので、待つが来ない。
30分ほど待ったが、やってこないので仕方なく一人で街をぶらつくことに。
とりあえず、リタン・ゴンパに行ってみることに。

 

途中、チベット人集落近くを歩いていると、チベット人の家族に出会う。
まず、子供たちが私に興味を示し、私が「タシデレ」(こんにちは、Helloと同じ)と挨拶すると、
彼らも「タシデレ」とほほえんでくれた。

 
 チベタンの家族。
 この後も多くの家族連れを見たが気のせいか父親がいないことが多い。
 もっと言えば成人男性の姿が少ない。なぜだろう?

 
 ゴンパに塀沿いで。

行く先は同様にゴンパ。
特に会話もしていないが一緒に歩いていくと、私が門を通り過ぎてしまった時に
声をかけてくれ、そのまま一緒に本殿?に入っていた。
中には大量の人がおり、前方ではどうやら高位の僧が説法を行っている。
一緒に来た家族は開いている場所を見つけ、腰を下ろすと私にここに座れと隣を指差した。
こういう宗教的行事で写真を撮るのはまずいかなと思い、バックにカメラをしまう。
しかし、しばらくすると同行してきた家族が私にとればという感じでシャッターを押すしぐさをしてきた。
それなら遠慮なく…。

 
 本殿内の様子。
 後で英語を話すチベタンに聞いたところ、
 今日(11月25日)はチベットにとって特別な日であるらしい。

 
 溢れんばかりの人並みです。

ちょうど正午頃に終了。
皆持参してきた弁当、といってもツァンパとバター茶を食べ始めた。
家族ともはぐれ再びあたりをぶらぶら、するとまた別のチベット人に声をかけられる。
お茶でも飲んでいけといわれ、初めてのバター茶を飲んだ。
んん…、正直うまいものではない…。
お茶を飲み終えると次はシナモンのような粉末を鼻から吸引している。
勧められたものは基本的には断らないたち、思い切り吸い込むと…、
ぐわぁ!!何じゃこりゃ!!すさまじい刺激、涙がこぼれ、鼻水が大量にでてひどい有様に。
皆爆笑している。
どうやら酩酊作用のあるものらしく次第に頭がボーっとしてきた。
少し経つと皆再び本殿へ、午後の説法があるようだ。

 
 午前の部?終了。お坊さんも上着を脱ぎ置き昼食です。

 
 昼食の風景。

 
 帽子はきつねの皮製。しかし、チベタンは不思議とみんな帽子が似合う。

腰を下ろし待っていると、僧たちがこねられたツァンパを配りだした。
教えられるがままにそれを手で握りつぶし、顔に触れさしてから僧に渡す。
その後、ほのかに香りのする水を玉串の様なものであたりにまいている。
相当なご利益のあるものらしく、皆必死になって、こっちにもまいてくれとせがんでいる。
まき方も上品なものではなく、それこそぶちまけるという感じ。
あるチベット人はちょうど振り向きざまに水をかけられ、びしょぬれになっていた。
しかし、水をかけられたその男性は嬉しそうにそこに立っていた。
それらの儀式が終わると再び先ほどの高僧が説法を始めた。
失礼ながら何を言っているのかさっぱりわからない。
だからといってそこで席をはずしたり、あたりをうろうろしたりするのは失礼と思い、じっと座っていることに。
しかし、よく周りを見てみると皆、結構適当に聴いている。
マニ車をくるくる回しながら真剣に聴き入っているようには見えないじいちゃん、ばあちゃん。
携帯をいじったり、何やら話したりしている若者。
あたりを飛び回っている子供。
元々が遊牧の民、皆自由人ですな。
何でもありかと思い、写真とっていいと聞くと、うなずいてくれ、あの高僧も撮れと指を刺している。
なんか拍子抜けし、こっちが気後れしてしまう。

 
 マニ車を回しながら。日差しが強いここではサングラスをかけることは当たり前。

 
 演壇近くに座る僧たち。
 鮮やかなエンジ色の僧衣がそこを埋め尽くしていた。

 
 一心に五体投地礼キャンチャを繰り返す老僧。

 
 中央演壇で法を説く高僧?

説法も終わり、お経がスピーカーから大音量の割れた音でがなりたてるように鳴り出すと、
大半の人たちがぞろぞろと帰りだした。
そして、そこにはおびただしい量のごみが…。
日本的な考えではありえない光景だ。
きっと宗教というものは神妙な非日常的行為ではなく、
チベット人にとっての宗教とは日常的行為、まさに生活の一部なのだろう。


ゴンパから街中に戻る道はちょうど南に向かって歩くことになる。
西日が前を見て歩けないぐらい強い。
リタンは4000m近い土地だが太陽光線の強さにしても高度の影響というものは本当に強いものだ。
夜になると昼間の陽気が嘘のように寒くなる。
夜の街をうろつく気にもなれず、さっさと寝ることに。
これからもこういう生活が続きそうだ。

リタン

2005年11月24日 | Around the world 2005-2007
ギェルタンも決して悪い所ではないが、
朝晩の冷え込みが厳しく、日中もはっきりと晴れないためにのんびりするという気持ちになれない。
主な見所も見たことだし、次の目的地、リタン理塘に向けてこの日移動することにした。
リタンへは一気にいけないのでまずチャンテン郷城に向かう。
ローカルバスで91元、9時間の道のり。
7:30に出発した満員のバスはすぐに山道へと入っていった。
時計はもう8時を指そうとしていたが、あたりはまだまだ暗い。
北京が標準時の中国において、だいぶ西に位置するこの地域ではまだ明け方といえる時間だ。
日の差さない車内はそこら中から吹くすきま風も手伝って、身も凍るほどの寒さだ。
暑い地域では満員のバスが疎ましかったがここでは寒さを少しでも和らげてくれ、ありがたく感じてしまう。
予定通り約9時間でチャンテンに到着。
ギェルタンのバスターミナルで知り合った英語を話すチベット人と一旦、宿を取った。
そして、すぐに彼は街へと出て、リタン行きの乗り合いタクシーと交渉をしだした。
リタンへ行くほかのチベット人を集め、一人45元で交渉成立。
チャンテンはわずか一時間の滞在だった。
チャンテンからリタンへは地図によると202km、バスなら約5時間とのこと。
車が走り出し、少し経つと、あたりは暗くなり始め、景色を見ることもできなくなる。
考え事でもしようと目を閉じると気のせいか頭痛がする。
もしかしたら高山病の初期症状かもしれない。
とりあえず深呼吸を繰り返すが、
こちらでは公共の交通機関だろうがなんだろうが車内でタバコを吸うのは当たり前。
そして皆ひっきりなしに吸う。
私もタバコを吸うが、少し息苦しさを感じているためにその煙たさに閉口してしまった。
気にすれば気にする程、頭痛と煙が気になる。
気温も下がり続け、足の感覚がなくなってきた。
早くつけと念じ続け、約4.5時間でリタンに。
チベット人の紹介してくれた宿に落ち着いたときには時計は10時を回っていた。
約14時間の移動、今日はほんとに疲れた。

ギェルタン その2

2005年11月23日 | Around the world 2005-2007
朝、ゴンパ(僧院、つまり寺)に行くために目覚めるが、寒い!!
まるで冷蔵庫の中にいるような冷たさ。
それもそのはず目覚まし時計についている温度計は5度を差していた。
さっさと街に出ようと思うが、思わず躊躇してしまう。
意を決し、寝袋から出て、洗面所に行くと、
窓のない部屋だったためにわからなかったが、外は雪が降っていた。
街の様子も完全に冬だ。
人々は厚手の服を着、マフラーを首にではなく、顔に巻きつけている。
朝食のために入った食堂では木炭が燃やされている。
その日に当たりながらほのかにミルクの味がするスープを飲んでいると、
その暖かさに思わずほっとし、ほほえんでしまう。
ギェルタンの見所のひとつであるスンツェリン・ゴンパへは3路バスで行った。
市街地を離れ、農地へと入っていくと、いたるところにタルチョがはためいている。
いわゆるチベット的な風景に思わず目を凝らす。
バスは10分ほどで到着。
初めてのチベット寺院を目の前にし、小さな感動を覚える。

 
 スンツェリン・ゴンパ、参拝料は10元。

 
 正面の階段を登るチベタンたち。

 
 本殿前から。

寺院内にはチベット人よりも観光できている漢族のほうが多く目につく。
しかし、民族衣装をまとったチベット人たちもおり、
手を顔や胸の前で合わせ、ひざまずき、手と顔を地面つける祈りを数度繰り返していた。
いきなりそれをまねするのも本気で信仰していないにもかかわらず、
逆に失礼な気がした。
何より気恥ずかしい…。
日本でやっているように手を合わせ、深くお辞儀をするにとどめた。
私が訪れたときはちょうど昼食の前だったようで、院内では多くの僧たちが座っていた。
鐘が一つ鳴らされると幼い小坊主たちが競争でもするように走り出していった。
やがて桶に入った食事を持ってきて、それをおわんについで回っていく。
僧侶とはいえまだ子供、仲間としゃべりながら食事を楽しんでいる様子だった。
だが、時折度が過ぎるのだろうか、監視役のような僧もおり、
あたりを睥睨するように歩いている。

その後、院内を回っているといたるところで僧侶たちに声をかけられる。
チベット人は気さくな人が多いのだろうか。
途中、たき火を囲んでいる僧侶たちがいた。
近くを通ると、こっちで火に当たっていけというかんじで手招きしてくる。
例によって言葉はまるで通じないので会話にならないが、
そんなことは意に介さないで色々と話しかけてくる。
ところで、若い僧たちの多くは携帯電話を持っていた。
そんなものを持つ収入があるのかと首をかしげると同時に、
僧衣に携帯という姿に何か不思議か感じを覚える。
まぁ、これが現代の僧のスタイルなのだろう。
ゴンンパ近くにあるタルチョはためくチョルテンでは
チベット人たちがコルラ(寺院、あるいは信仰の対象となるものの周りを時計回りに回ること)をしていた。
収穫が終わり何もない畑、曇り空で時折雪が舞う天気が
逆にイメージしていたチベットの旅と重なり、気分が高揚してくる。

 
 ゴンパ付近にあるチョルテン。

 
 巡礼者が重ねるようにタルチョを張っていったために、
 擦り切れ、色あせたものから真新しいものまで
 幾重にもこれでもかというほどに張り巡らされている。

 
 チベタンたちはゴンパを中心とした巡礼路をコルラ、時計回りに巡っている。


 牛の姿が目立つようになってきました。

バス停近くに行くと再び食品を扱っている商店の女性から火に当たっていけと手招きされ、
お茶をふるまわれる。
こんなことがこれからも度々あるのかと思うと、嬉しくなり、わくわくしてきた。
子供にトランプをしようとせがまれ、
ルールもわからずに相手している間にすっかり長居してしまった。
バスで市街地に戻り、ぶらぶら散歩をしていると、
小高い丘の上に寺らしきものがある。
登っていくとすぐに激しく息切れしてしまう。
体力が落ちているのかもしれないが、高い標高の影響もあるに違いない。
ここはもう3400mの土地だ。
頂上にたどり着き、寺に入ろうとすると番犬が激しく吠え出した。
躊躇し、あたりを一周、また正面に行くと再び吠え出す。
入れないなとあきらめかけていると管理人らしき男性がでてきて案内をしてくれる。
寺は小規模なもので参拝はすぐに終わった。
しかし、その男性は当たり前だといわんばかりに部屋へと私を案内してくれた。
再びお茶とお菓子をご馳走になり、火に当たらしてもらう。
幸せな一時。
お礼をいい、出て行く時、あちらの方からも「謝々」といってきた。
旅先で触れる人の優しさ、何よりも暖かい。

 
 管理人の男性、夫婦でここの管理をするために住み込んでいる。

日が暮れると寒さはさらに増してくる。
厳しい寒さに肩をすくめ歩くが、これからのチベットの旅が楽しみで
軽い足取りで宿に戻っていった。

 
 市街地丘の上にあるゴンパから見たギェルタンの街並み。

ギェルタン

2005年11月22日 | Around the world 2005-2007
前日にそろそろ移動をしようかと考えた今日の朝、
早起きをし、日の出前の街を散歩してみることにした。
朝露に濡れた石畳には昇り始めたばかりの太陽と街灯が柔らかく映っている。
まだまだ夜明け前だが、街中の所々から水煙が登っている。
朝の街の散歩は本当に気持ちいい、できれば毎日したいものだが…、
起きられないのだからしゃーない…。

 
 夜明け前の街。

どこで日の出を見ようか迷いながらもなんとなく坂を登り、万古楼のほうへ。
と、やはり早朝でも入場料を取る。
んん、しょうがない、ここまできてそこらをうろうろしているうちに見られなかったじゃもったいない。
再び15元払い中へと。

 
 朝靄と水煙の中で目覚めていく街。

 

朝の冷え込みがきつくなり、起きるのが億劫になってきたが、
その苦労の甲斐があってかきれいな夜明けの風景を見ることができた。
そして、朝ごはん。
寒い朝に小龍包とお粥の朝食は手軽で体も芯から温まる。
食後、真っ白な息を吐きながら辺りを散歩しているうちに
ギェルタン香格里拉に移動する決心がついた。
事前に調べておいた昼のバスに乗ろうと思うが、時間までにはまだだいぶある。
ゆっくりと荷造りをし、宿の中庭で読書などをしているうちにバスの時間になった。
宿を出ると、日は昇りきっており、
バックパックを背負った私にはTシャツでも十分なくらいの日差しが降り注いでいる。
バスは旧市街の南西にあるバスターミナルから予定通り12:00に出発、値段は30元。
持っているガイドブック「チベット」(旅行人社)によれば、
ギェルタン香格里拉(中国名はシャングリラと読む、ん~、凄い当て字。小説「失われた地平線」の舞台である理想郷、つまりシャングリラはここであると主張して地名を変えたらしい、ご苦労なことで…。)からはチベット文化圏ということになっている。
(ブログ内でもここからチベット名と中国名を最初だけ併記します。2回目以降はチベット名だけとします。)
いよいよチベットに入っていく。
麗江市街地を抜けるとバスは山道へと入っていき、再び農村の風景が車窓から見える。
国境から昆明、そして大理、麗江と通じる道と比べても大した変化はなかった。
しかし、谷間を川沿いに走る道をしばらく進み、そこを抜けた辺りから、
タルチョやチョルテン、チベット風の家屋が目に付くようになった。
麗江ではあれだけ晴れ渡っていた空にも厚い雲が覆いかぶさり、
その雲の隙間からは強い太陽の光が何本もの線を描いている。
その光線と高原に広がる収穫が終わり荒涼としている畑を同時に眺めているうちに
バスは市街地らしき所に入っていった。
バスは4時間かけて16:00にギェルタンに到着。
相変わらず曇ったままの空の中、バスを降りると、上着を着ているにもかかわらず、
寒さに震え上がる。
この気温の中、宿を求めて歩く気にもなれず、バスターミナルに来ていた客引きにそのままついていくことにした。
付いていった先はシングルで20元、共同シャワーもなし。
シャワーがないのはどうやらチベット圏の安宿では当たり前のことのようだ。
その代わりというわけではないのだろうが、ベッドには電気毛布が敷いてあった。
ほかに探すのも面倒なのでここに泊まることに。
早速、街に出ようとフロントを通りすぎようとすると、
一見怪しげなひげ面のおっさんに声をかけられる。
どうも私のことを日本人だと思い声をかけてきたようだが、
火鉢の前に座り、話し始めると私の手をすりすりと触ってくる。
そして、どうやら日本人のことが好きだ、見たいな事を言っている。
このおっさんは松茸の輸出関係の仕事をしているようだ。
有名な産地であるギェルタンには多くの日本人が仕事で訪れ、
イトーヨーカ堂だとか聞いた事がない会社の名をあげ、おっさんはそこと取引しているという。
その説明を聞いている間にもなぜかずっとその分厚い手と握手をしながら。
で、今はここで食えるの?と聞くと、収穫が終わったからもうあまりないらしい。
しかも高いと…。
正直、安く食べられるならと少しは楽しみにしていたが、
高いんじゃしょうがない、あきらめましょう。

街を歩き始めると所々にチベットの民族衣装を扱っている店があるのに気づく。
レストランなどにも「TIBETAN」の看板がちらほら見える。
そんな街の様子やエンジ色の僧衣をまとったチベット僧を見ながら旧市街のほうへと向かっていった。
しかし、そこには大理、麗江で見たような街並みがまた広がっていた。
しかも、こちらのは最近になり観光のために作りましたという感じで、
すぐ横では新築工事も行われていたりする。
少々うんざりしてしまい、気乗りしない。
とはいっても、もうまもなく日も暮れる。
さらに出歩くわけにも行かず、周辺を歩き、その後で30分離れた宿に戻ることにした。
帰りに立ち寄った食堂にはチベット僧が食事をしていた。
勝手なイメージで僧がこんな所で食事をしていると何か変な感じがする。
彼の背中を見ながら、ぐつぐつと長い時間泡を立てている土鍋をつつき、
明日はゴンパに行こうと思った。

麗江 その4

2005年11月21日 | Around the world 2005-2007
 
 水路沿いにあるベンチで日向ぼっこ。

     
 市場の近くで遊ぶ子供たち。鼻水全開です。

 
 ナシ族のおばあちゃんたち。

 
 黒龍譚公園の近くで。


 この街も裏の路地を歩けば生活の場が。

麗江 その3

2005年11月20日 | Around the world 2005-2007
 
 万古楼に登りました。入場料15元

 
 麗江郊外にそびえる玉龍雪山

 
 街並みを切り取って見るとこんな感じです。

 
 万古楼反対サイドから。

     
 少し開けた場所なら街中からも玉龍雪山は見えます。

麗江 その2

2005年11月20日 | Around the world 2005-2007
    
 町の中心部に四方街で。
 自主的に踊っているのかそれとも観光のためにやっているのかわからないが、
 頻繁にそこかしこの広場で踊っている。

    
 同じく四方街にいる民族衣装をまとったおじちゃん。
 時間いくらかわかりませんが、馬に乗せてくれます。

 
 夕日が石畳に濃い人影を。

 
 夜になると、民族衣装を着た女の子が灯篭を売っています。
 結構、好評なようで水路には何個もぷかぷかと灯篭が流れている。
 その後、人影のなくなった水路で小さい子供が流れてきた灯篭をキャッチ、
 う~ん、ちゃんとシステム化されとりますな。

 
 夜の街、バーやカフェもたくさん。

麗江

2005年11月18日 | Around the world 2005-2007
 
 夜明け前の街。

大理には予定よりも長く滞在してしまった。
正月をラサで迎えるためにはもうのんびりしていられない。
しかし、一週間、同じ所にいると色々な人と出会い、
なじみの店、お気に入りの場所ができる。
今日の朝はお気に入りの城壁の上で日の出を見、
なじみになりつつあった店で小龍包とお粥の朝食を食べた。
いい朝だ。
宿に戻り、荷物をまとめ、その後一度行ったことのある喫茶店にバスまでの時間立ち寄った。
そこを経営している老夫婦は私のことを覚えており、
私が背負ってきた大きな荷物に驚いた様子だった。

 
 朝の大理。

 
 朝日に照らされた山と空が本当にきれい。

 
 朝、城壁の上から。

麗江(リージャン)までは30元。
山道ではあるが、しっかりと舗装されており、何の問題もなくバスは走っていく。
そしてここにきてまた風景に変化が現れた。
あるいは昆明~大理間も同様であったかも知れないが、
山から背の高い木がなくなりつつあった。
チベット高原が近づいている…。
予定通り約3時間で到着。
リージャンの町は新旧で分かれているが、新の方は何でも売っていそうな都会、
対して旧のほうには古い町並みが残っており、
またそれが世界遺産にも登録されているために観光地になっている。

 
 旧市街の中心、四方街。

が、こちらも大理同様テーマパーク化している。
大理以上に人、人、人…。
街の感じは大理が碁盤の目のように整備されているのに対し、
リージャンはまるで迷路のように入り組んでいる。
何も考えずに歩いたら迷子になりそうだ。
迷子…、散歩好きにはたまらない響きだ。
歩いている時にふと思いつきで路地に入る。
路地に入ったその先でも気の向くままに角を曲がっていく。
そんなことを繰り返しているうちにいつの間にか方向感覚は失われ、
どちらの方向から来たのかもわからなくなってしまう。
日中、そんな歩き方をするのが楽しい街かもしれない。

 
 大理に似ているかも・・・。