バスがターミナルに到着したとき、ローマの空は曇りだった。そこから地下鉄に乗って、ローマの中央駅、テルミニ駅から地上に出たときにはもう雨が降り出していた。
南仏の気候そのまま、さらに南に下るのだから、もっと暖かくなるだろうと思っていたのに雨のローマは暗くて寒い冬のヨーロッパを思い出させるような天気だった。せっかくのイタリアなのに、ローマなのに…。
イタリア、イタリアと呟いてみる、それだけでわくわくしてくる国。ブランド物にも特別な興味はないし、古代ローマ帝国の歴史に関する本は何冊か読んだことがあるので、関心はあるけど、強烈に惹きつけられるほどではない。イタリアといえば料理が有名だけど、自分は食通などではなく、3食腹いっぱい喰えればいいと思っている人間だ。それでもイタリアは何か自分にとって特別な国だ。ただし、フェラーリに関しては見るだけでため息が出てくるけど…。
コロッセオ前の通りから。
白バイとパトカー。イタ車好きの自分はフィアットのただのコンパクトですらかっこいいと思ったり。
バイクはBMW(ドイツ製)だが、イタリアンカラーなのでよしとする。
到着した日はそんな天気だったが、翌日からローマの街には夏を思わせるような青空が広がった。その陽気に誘われつつ、いつものように気ままに散歩をしては、気に入った場所に陣取って街の風景を眺めた。
太陽に雲がかかると少し肌寒かったが、雲が晴れると強い日差しが降り注ぐ。その太陽がたまらなく気持ちよくて、座っているといつの間にかうとうとと眠りに落ちてしまう。ある時はスペイン広場で、サンピエトロ広場で、そして名もわからないような教会の前や広場でことあるごとに昼寝をした。
南欧のラテン国家、イタリア、スペイン、ポルトガルなどではシエスタと呼ばれる長い昼休憩が取られる。暑い昼を避け、その分、夜遅くまで活動するための習慣だ。大都市部や観光地ではシエスタを取る店も少なくなっているらしいが、それでも個人商店や教会などはその時間帯は開いてないこともある。旅行者にとっては不便な習慣だけど、だったらそれに習ってこちらも昼寝をしてしまえばいい。
もちろんそういう訳ではなく、単に眠いから寝ていたに過ぎないのだけれども、ローマは、イタリアは外で昼寝するにはなぜだか適した土地だった。
スペイン広場。寝るときは荷物をしっかり抱えて寝ましょう。
バチカンに近い広場で。
そんな風に眠ってばかりいたけど、決してローマが退屈だったからではない。
ローマの街は本当に素晴らしかった。
大体の目的地を決めて、通りを歩いていく。でも、わざと迷うように途中から路地へと入っていった。路地は複雑に、そして一見、無秩序に曲がりくねっている。
ヨーロッパの一般的な建築を見て、これはゴシック様式、これはルネッサンス様式、アールヌーボー様式といわれても区別もつかないし、もう特別な関心も感動も覚えないけど、そんな建物に囲まれた石畳の道を穏やかな気候の中で歩くのは本当に気持ちが良かった。
さらにそんな路地を歩いていくと突然、目の前に広場が広がる。広場の広さは大小様々だが、そこには噴水やローマ帝国時代の遺跡があったりして、大低の場合、オープンカフェが並んでいた。
カフェだけでなくて、腰をかける場所もたくさんあって、みな思い思い方法でくつろいでいる。自分も少し歩いては広場の一角に腰をかけ、フィルタータバコより圧倒的に安い巻きタバコを自分で巻いて、一服しつつ、広場の風景を眺める。ローマは特別な観光地に出向かなくても、そんな至福の時を与えてくれる。
遺跡の前やちょっとした路地、いたるところにあるローマのカフェ。
ローマの街は素晴らしい、でもいよいよ本格的に前々から聞いていた西欧の物価の壁が悩まされた。今までも節約できるところはしてきた。でもヨーロッパ圏に入ってからも自炊をしたり、安い食堂を見つけたりして、いつでもそれなりに食べることはできた。
けど、私の泊まったイタリアのホステルには自炊施設がなかった。さらに外食はとても高かった。ここでは一食まともに食べようと思ったら、10ユーロはかかる。今のレートで1600円。
今までも節約できるところはしてきたけど、そこまで極端にけちけちすることは無かった。欲しいものや食べたいものがあったらそれなりの金は払ってきたつもりだ。でも、これはとてもじゃないが払える金額じゃなかった。西欧で計算しないで過ごしていたら、特別なことをしなくてもあっという間に一日で40~50ユーロは使ってしまう。
金が無くなったら帰ればいい、そう思って始めた旅だったけれど、実際には金が無くなることを極端に恐れている自分がいる。自分で言うのも変だけど節約強迫症だった。
1日25ユーロと決めて過ごそうとするが、宿代で最低でも15ユーロ程度、高いときは20ユーロ、残りの金で遺跡や美術館に入ろうものなら、もうまともに食事もできなくなってしまう。こうなるともう、食事はファーストフードかスーパーに行くしかない。
まずはマクドナルド、セットで6~7ユーロする。はっきりいってマックにそんな金は払えない、却下。
トルコはもちろんドイツでよく食べた値段の割にはボリュームがあるケバブ屋を探す。ドイツやその影響が強い地域ではトルコ人移民が多い関係で当たり前のようにケバブ屋があったのが、ローマでは見つけることができなかった。
街角によくあるサンドイッチ屋やピザ屋。量り売りをしてくれるので、少量でも食べられるのだが、100グラムで2ユーロとかする。100グラムなんて手のひらにちょこんと乗ってしまうぐらいの大きさだから実際には結構高い。平凡な店のピザでも思わずほころんでしまうぐらいうまかったが、逆にそれが災いして、100、200グラム食べると逆に空腹がまして、その後、よだれが止まらなくなった。
そう、最大の不幸はイタリアでは大抵の食べ物がうまいということだった。街を歩くとそこら中にうまそうなものが並んでいる。ピザ、サンドイッチ、オープンカフェで出ているパスタなどのイタリア料理、そしてジェラート屋。
結局、パスタを食べたのは一回だけだったが、一番安いただのポモドーロだったにもかかわらず、今までの人生で食べたパスタの中で一番うまいものだった。素材などの詳しいことはわからないが、とにかくゆで方が絶妙だ。これぞアルデンテという歯ごたえを残したパスタは食べ終わった後もしばらくよだれが出っ放しだった…。
昼と夜のローマで。
最終的に基本的な食事の友はスーパーだった。スーパーでバゲットと生ハム、チーズを買う。ただのスーパーの食材だけど、目の前で薄く切られる量り売りの生ハムは、今まで食べたことのある生ハムは生ハムじゃないと思わせるほどうまかった。単独で食べ始めると止まらなくなってしまう。
それらを適当な場所まで持っていき、自分で挟んで食べる。ローマ最終日の夜はこのメニューをバチカン市国、サンピエトロ広場で食べた。夜のバチカンは昼の観光地的な俗物の顔から打って変わって、ひっそりとゆっくりとした空気の流れるカトリックの総本山としての顔がくっきりと見える。
こんなシュチュエーションで食べるディナーはとても豪華じゃないか、実際この3点セットのサンドイッチはめちゃくちゃうまいんだ。といっても、やっぱり負け惜しみ…、ピザが、パスタが喰いたいなぁ。。。
テレベ川からのバチカン。
フィレンツェに向かう途中で。
ナポリなどの南イタリアやアドリア海沿岸地域など行きたいところは無数にあったが、ローマを後にし、フィレンツェへ向かうことにした。
イタリアでの国内移動は列車を使った。ドイツを発つ際に買ったユーロラインズパスは基本的には国家間移動にしか使えないので国内での移動は別途、料金を払うことになる。大抵はバスのほうが安いことが多いけれど、イタリアの場合は列車のほうがアクセスもいいし、料金も食事やクオリティの割には高い宿代に比べれば安く感じる。特急ではなく普通列車に乗れば東欧の料金に毛が生えた程度で済む。
フィレンツェもローマに負けず劣らずいい街だ。「街全体が美術館」と形容されるだけあって、教会の装飾や貴族のかつての屋敷だけじゃなく、街並みも丘から見下ろす景色もなんか全てが絵になる。それは自分のイタリア贔屓の思い込みから来るものかもしれない。けど、何よりローマに引き続き、半袖姿でも歩けそうな天気が嬉しい。
昼寝ポイント、ミケランジェロの丘で。
フィレンツェのランドマーク的存在、…って名前忘れちゃった。。。
ともかくフィレンツェの大貴族メディチ家が巨額を投じて作らせた教会です。
大理石の外壁には細かい彫刻施されていて、
一目でとんでもない費用がかかっていることがわかりまする。
ここのドゥオーモ(教会の塔)は辻仁成と江國かおりの共作、「冷静と情熱の間」の舞台で、
この小説は映画化もされている。
ということでドゥオーモの上に上がるための入り口は…、
そうです、日本人だらけなのです。あえなく撤収、少し上りたかったけど。
正面から。
左:こんな彫刻が全面に施されている。
右:内部で。
ただ、少し散歩がしづらかった。フィレンツェはローマと違って路地にも車の交通量が多かった。車などない時代から出来上がった街だから路地の道に歩行者専用道というものはない。あっても申し訳程度に細いものがあるだけだった。車が頻繁に走る道だから細い車道をむやみに歩くわけにも行かず、一人歩くのがやっとの幅の歩道を歩くことになる。だから前を歩いている人を追い越したいと思うと後ろを確認してからでないと危なくて車道に出られない。気ままな散歩をするには少しストレスを感じてしまう。
フィレンツェのあれこれ。
フィレンツェの次はベネチア(ベニス)に向かった。
水上都市ベネチアは訪ねたかった場所のひとつだ。世界遺産の本やグーグルアースなどで見るとよくわかるが、ベネチアは本当に海の上にぽっかりと浮いている都市だ。初めて上空からのその姿を写真で見た時、自分は思わず声を上げてしまった。海の上に浮いた不思議な形の都市には昔から現在に至るまで実際に人が住み、そこに無数の運河が走り、迷宮のような路地がある。想像するだけでも楽しくなってくる。
さらにこの街を作り上げたベネチア人はかつて、たった人口20万人の独立国家であり、地中海世界の貿易を支配していた大国でもあった。こんなに小さい国土と人口で当時、強大な軍事力でイスラム世界はもちろんヨーロッパ世界をもその勢力下に置きつつあったオスマントルコ帝国と地中海の制海権をめぐって真っ向から対決をしていた。貿易を通じて発達した情報通信網を利用して、世界初の新聞を発行したり、銀行システム作り上げたりし、当時の最先端を国でもある。
今は国ではなくなったが、それを受け継いでいるベネチアの街はきっとすごい所に違いない。
そんな色々な幻想を抱いてやってきたベネチアだったが、その気持ちは既に列車の中で打ち砕かれていた。というのも時期が悪すぎた。いや逆に良過ぎた。この時期(2月中旬~下旬)のベネチアでは仮装行列のカーニバルが開かれていて、それを目当てに夥しい量の観光客がここを訪れる。まぁ、実際問題、自分もその中の一人なんだが…。列車の中もラッシュ時のような混雑、さらに一歩駅を出るとそれ以上に人がいて呆然としてしまった。
ベネチアの内部には車は入りこめないが、その代わりに道をいう道に人が溢れかえっていた。いたるところ人の渋滞で全く前に進めない。全く自分勝手だけど、重いバックパックを背負った状態でこんな群衆の中を牛のようなペースで歩いていると一気に不愉快になっていく。
さらに事前に他の旅行者から聞いていた話と違って、宿はフル、もしくはかなり値上げされていて、ただでさえ迷宮のようなベネチアの街を四苦八苦しながら宿探しをする羽目になった。まぁ、予約をしなかった自分が悪い…。
仮面をつけた人が街中にいる。
仮面をつければ誰でも参加できるお祭り。
しかし、言ってしまえばそれだけのことで…。カーニバルっぽくは無いです。
サンマルコ広場から見るサンマルコ大聖堂。
大運河沿いの道。なんだこの人の量は…。本当に前に進みません、死にそう。。。
滞在期間中、サンマルコ広場、リカルト橋など有名スポット周辺は常に大勢の人で賑わっていた。それを避けるために好んで、中心部から離れた場所を歩いた。
街の隅々まで張り巡らされた運河網、それに沿って形作られるおそらくベネチア共和国時代から変わらないであろう街並み。ある方向に行こうと思っても運河に阻まれて、大きく迂回しなければならないことが多いから、気が付けば激しく道に迷う迷宮都市は、奥に行けば行くほど、人影もまばらになって、間違いなく自分好みの街なのに最後まで本質的にこの街に魅せられてしまうことはなかった。
楽しみにしていたベネチアの運河と迷宮の街並み、どうしてこんなに何も感じないのだろう。
仮装行列以外にもミュージシャンや大道芸人が広場でパフォーマンスをしている。
迷宮都市ベネチア。運河だらけで思うようには歩けない。それがまた面白い。
ガイドブックの地図は細かすぎる路地とその位置関係を把握できていないため、
肝心なところで役に立たなかった。
まぁ、この町はスラムや治安の悪い地区はないのでどんどん迷いましょう。
運河は道だけでなく、家屋にも面していて、玄関をでて、そのままボートに乗り込むなんてことある様子。
夕暮れのベネチア。
カーニバル最終日、道に迷っていると期せずしてサンマルコ広場に出ていた。中央にはステージが設けられ、そこでは仮装をした人々の表彰のようなものが行われていた。別段、興味は無かった。けれど、写真を撮っておこうかなと思い、近くの街灯によじ登ってカメラを構える。でも、次の瞬間、違うと思う。違う、自分はこういうものが見たくて旅に出たわけじゃない。祭りや遺跡や絶景を義務的に、受身に見るために旅に出たんじゃない。
ここにいる理由は本質的には何ひとつもなかった。ただイベントごとだから?有名だから?人が集まっているから?珍しいから?違う、自分は、俺は、自分が本当に震えるものが見たかったんだ。だから自分の内面を、心を。ベネチアは素晴らしいところだ。でも、今の自分を震わせてくれるものはここには無い。
翌日の朝、ベネチアからは一気にフランスを通り越してスペインのバルセロナまで向かうことにした。途中にあるモナコは行ってみたい所ひとつだったけれど、今の自分には必要はない。今はもうこのユーラシア陸路横断の旅を終わらせる時がきたのだと思う。
ローマでもフィレンツェでも、思い返せばそれ以前からしばらく自分は常にうたた寝をしているような時を過ごしていた。観光地にいって一通りそれらを眺め、景色でも眺めながらのんびりと過ごす。路地裏を当ても無くふらふらと歩き回る。確かにそれもよかった。でも、ここでそういう時は終わらせよう。
午睡の時は、終わった。
バルセロナに着けばもうユーラシアの果てはそう遠くはない。