旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

夢の果て

2005年07月31日 | Around the world 2005-2007
中国はどこに行っても建設ラッシュだが、
その中でも上海の勢いは凄いものがある。
前を見ても、後ろ見ても、右、左、どこを見ても、四方八方に建設現場がある。
交通渋滞、人の多さも加わって、
町中にスモッグが立ちこみ、息苦しさを感じるほどだ。
 
 霞んで先が見えない。

ところで、高層ビルが立ち並ぶ一画にぽつんと廃墟と化した建物が残っていたり、
あたりの家は壊されている区画にまだ人が住んでいたりと、
地上げが行われていた雰囲気がある。
 
 住んでいる気配が。
 
 浦東地区の一画にぽつんと。

私が好きな映画のひとつに故伊丹十三監督作の「マルサの女」があるが、
その続編は日本のバブル期に行われていた地上げの凄まじさを題材のひとつにしたものだった。
体面的には社会主義国家である中国において、
地上げという概念があるかどうかはわからないが、
いずれにせよ相当強引な区画整理があったことは確かなようだ。
確かに高度成長期にはそういった行政による強引な都市計画は、
どこの国においてもあることかもしれないが。
それにしても中国の国内格差の大きさには驚きを通り過ぎて、心配すらしてしまう。
町の小さな範囲の中に、片や快適なアーバンライフを送っている人々がおり、
片やスイカの切れ端を1元で売るなどして、少ない現金収入で生計を立てている人々がいる。
現在のような高度成長期には、それでもパイの分配が多かれ少なかれあり、
また、豊かな生活へのビジョンは貧困層に対して、モチベージョンを提供しているかもしれない。
しかし、中国バブルの崩壊が囁かれて久しい昨今、
本当に崩壊した時には限られたパイをめぐる争い、
そして、そのわずかな希望すら閉ざされてしまった人々の怒り、憎しみは
大きな社会不安になりそうだ。

ある雑誌の記事によれば、上海のマンションは多くが投機対象になっており、
人が住んでいないという。
確かに、言われてみれば、オフィスビルもあまり灯りがついていない。
短期間にこれだけ大量のビルを供給して、
それに応じる需要が同時に存在するとは、ちょっと私には想像できない。
五輪、万博後、砂上の楼閣はどうなるだろうか。
 
 
 夜の外難。

 
 あんまり灯りついていないような。

 
 光が強ければ、また影も強いもの。

泰山 その2

2005年07月23日 | Around the world 2005-2007
御来光見るために深夜3時起床。
ベストポジションを確保するために日の出の一時間前から張り込む。
が、なんだー、この濃霧は。
1m先が霞んでいる・・・。
そして何より真冬のように寒い。

 

これは見れないだろうなと、半ば諦めつつも日の出の時間まで待ってみる。
予想通り日は昇らなかった。
けど、霧の中の山というのは雰囲気がいい。
これはこれでなかなかいいものが見れた。
明日の上海行きのチケットを取るために9時ごろには山を下り始めた。
下りは下りで足に負担が大きくかかるために結構つらい。
膝がぷるぷるしている。
休み休みゆっくり4時間かけて下山をした。

 
  晴れていればここから御来光が。

泰山 その1

2005年07月22日 | Around the world 2005-2007
大同から太源、済南を経由し、中国一の名山を讃えられる泰山の麓の町、泰安にきた。
この町で中国ビザの延長も済ませ、今日は泰山に登る。
バス、ロープウェイで山頂付近まで一気に行くことも可能だが、
もちろん自分の足で登る。

 
  ここから9kmの道のり。

 
  最初のうちは多少の勾配はあるものの気持ちのいい林道が続く。

 
  山中のところどころに廟が。

 
 
  崖に文字が彫りこまれている。
  どうやって彫ったのだろう。

 
 
  途中からだんだん勾配が急に。
  その急な石段で荷物を運ぶ人が。

 
  かなり急な石段が見える・・・。

 
  いよいよ十八盤、800mで1600段あるそうで。

 
  乳酸でまくり、太腿が悲鳴を上げています。

 
 
  やっと登りきった。
  昼食、昼寝を入れて約8時間かかりました。

今日は山頂付近にある天街で1泊。
明日は御来光が見れますように。

大同 その2

2005年07月19日 | Around the world 2005-2007
石窟寺院にはインドのエローラに行ったことがあるが、
外が暑くても、寺院内に入ると空気がひんやりしていて、気持ちよく、
またそのことが何か静謐な気持ちにさせる。
好きなジャンルの遺跡だ。

 

 
  市街地にある寺院にて

大同 その1

2005年07月18日 | Around the world 2005-2007
1週間いた北京を後にし、石窟寺院があるという大同に向かう。
前日に大同行きのバスを調べたら、1時間に一本程度の割合であると言われ、
安心して乗り場に行ったら、今日は14時の一本だけだと言われる。
なんだそりゃ、訳がわからん。
乗り場付近の屋台のおばちゃんからアイスをおごってもらったり、
そのバスを仲介しているオヤジからご飯をごちそうになったりしながら、
4時間近く待つことに。
大同までは約6時間、106元。
大同は田舎だと聞いていたので静かな町並みを想像していたが、
それなりに発展した町で、逆にがっかりしてしまった。
しかし、これだけ人口がいる中国ではこのぐらいの規模の町は田舎の分類に入るのかもしれない。
この日は駅前のホテルのドミトリーに宿をとった。

個人かツアーか、自由と責任 in万里の長城

2005年07月15日 | Around the world 2005-2007
万里の長城に行くために泊まっているユースのあったツアーに参加するか、
それとも個人で路線バスで行くか考えていたが、
個人で行くことにした。
バスは徳勝門付近から出ている919路。
宿からバス、地下鉄を乗り継ぎ西直門で下車。
そこから歩いて徳勝門に行き、バスを探すが、
919路自体はあるものの、長城まで行くのが見つからない。
辺りをグルグルと周り、何とか見つけ出す。
片道12元、約1時間で万里の長城、八達嶺長城に到着。
走っている途中から長城は見え始めた時に小さな感動が。
遺跡を見て、久々に胸が高まってきた。
降車場所から10分ほど歩いて、入場口に。
料金は60元、故宮同様、ここも高い。
それにしてもこれも同様に凄い人の量だ。
旗を振ったツアコンに連れられてお揃いの帽子をかぶった中国人観光客がわんさかいる。

 
  
ゲートをくぐり、とりあえず左方向に進んでみる。
石段はかなり急で、所々で休憩しないとつらい。
汗をだらだらとかきながら、最高地点に着くものの、
夥しい人の量にさらに奥に進む。
多くの人がここから元の場所に引き返すようでだいぶ人が減った。
ゆっくりゆっくり歩いて長城を満喫する。
行き止まりまで着き、日陰で大好きな遺跡の中での昼寝をここでもした。
最高だ。

 

その後、一旦入り口付近に戻り、喫茶店兼土産物屋で休憩をしていると、
日本語を話す店員が寄ってくる。
当然何も買う気はないが、あちらも私のような個人旅行者は
何も買わないことを知っているようで、勉強中の日本語を話したいようだった。
彼女は最近、日本人の観光者が少なく、せっかく覚えた日本語が全然話せないと嘆いていた。
そして、日本人はやさしい、私は本当に大好きだと言っていた。
所詮、最近の反日暴動など、
中共およびその教育を受けた一部の人間によるものに過ぎないのだと私は思う。
そんなものに怖がってないで行きたいところにがんがん行きましょう、皆さん。

 
  いったいどこまで続いているんだ。

休憩を終え、今度は右側へと進む。
こちらは勾配が緩やかで楽に進めるものの、やはり人、人、人・・・。
それを避けるために所々に在る砦に腰をかけ、しばし佇んでみる。
山の稜線に沿って長城はどこまでも続く。
彼方が霞み、その先が見えなくなるまで。
夥しい人並みだが、その風景を眺めていると、
ツアーに参加せず、来た甲斐があったと思う。
ツアーの流れを気にせず、帰りのバスの時間も自分で決めることができる。
逆にそれらを自分で手配しなければいけないということでもあるのだが。
そして、それは何も観光に限った事ではない。

自由は決して無償ではない。
必ず責任を伴う。
やりたいことをやるのならば、そのリスクも一緒に背負わなければ。
自由と責任、権利と義務は常に表裏一体だ。
でも、その覚悟をするにはとても勇気がいるけれど。

ところで「覚悟」と言う言葉は凄い意味を含んでいると思う。
「悟り」を「覚える」と書いて「覚悟」。
悟りを開くことなど早々できることではない
だとしたら、覚悟はあるなどとも簡単には言えない。
それぐらい揺ぎ無い気持ちを持ち、続けていくことができるだろうか。

目一杯楽しみ、バス停に戻るが、帰りのバスは長城の向こう側だと言われる。
終バスの時間がやばい。
向こう側まで連れて行くという白タクを振り切るようにして、バス停へと走った。
何とか間に合いバスに乗り込む。
帰りはエアコンなし各駅停車で7元。
長城付近は食事の値段が高く、食べていないせいもあって、
少々熱射病気味で気持ち悪い。
でも、大満足の一日だった。

 
  かなり急な階段も、下を見るのが怖いぐらい。

 

衛兵たち

2005年07月14日 | Around the world 2005-2007
故宮の壮大さは確かに凄い。
しかし、私がそれ以上に目を奪われたのは、
天安門を警備する衛兵たちの姿だ。
常に崩さぬ姿勢で周りを睥睨するように監視している。
凄い威圧感。
交代時の一糸乱れぬ動きなど一見の価値ありです。

 

 

 

そして、19時頃(7月現在)に故宮入場口付近で訓練が行われていた。
未確認ですが、どうやらこれは毎日行われている模様。
訓練の後に訓練場から天安門を通り、天安門広場へと行進していく姿は圧巻ものです。

 
 
 

 

 

 

 

故宮

2005年07月13日 | Around the world 2005-2007
故宮(紫禁城)に行こうと思い、朝早く起きるものの、
洗濯をしたり、食事を取ったりと、ゆっくり行動していたら、
結局は昼前の到着となってしまった。
そして恐れていたとおり、大量の人波。
けど、ここまできて入らない訳にはいかない。
入館料は60元、高い。
中国の世界遺産級の遺跡、名所はどこもこれぐらいの料金のようだ。

 
  前日、夕方に撮影。

 
  当日の様子…。

さすがに中国歴代皇帝の住居、その規模たるや凄いものがある。
が、あまり人ごみが好きでない私には少々きついものがある。
とりあえずベンチで昼寝を。
その後、宮内を散策するが、どこに行っても、ぎゃあぎゃあとうるさい中国人がいたり、
所々にある宝物も中がよく見えず、気分が乗らない。
いつもだったら、こういった所に入ったら半日は平気で過ごすが、
今日は3時間ほどで早々に出てしまった。
その後、故宮付近にある北京の下町的な所を歩いてみた。
町並みは面白いのだ、少し体が重い。
疲れが溜まっているのだろうか。
そろそろ、一日完全オフの日が必要そうです。

 
  故宮、景山公園側から。

 
  朝の景山公園、太極拳をしています。

 
  故宮内部、とにかくでかいです。
  清の皇帝は奥さんが700人いたとか。
  むしろうらやましくない。

北京

2005年07月12日 | Around the world 2005-2007
大通り沿いに歩けば、新しいビルが立ち並び、
まったくの近代都市という感じの北京だが、
一歩裏通りへと足を運べば、人々の生活の場がある。

 

 

 
  まだまだ自転車が主役です。

中国の朝

2005年07月11日 | Around the world 2005-2007
今は移動したい気持ちのほうが強い。
瀋陽を後にし、北京へと向かう。
中国の鉄道に当日に乗るのはかなり難しいらしい。
昨日泊めてもらった韓国人によると、
バスだと大体、日本円で2000円ぐらいだというのでバスで行くことにした。
いったん路線バスで駅まで向かう。
朝の通りはまさに絵に書いたような中国の風景だ。
歩道には人々々・・・、車道には車々々・・・。
そして、自転車が歩道だろうが、車道だろうが、
お構いなしに縦横無尽に走り回っている。
彼らにしてみれば一定のルールが存在しているのかもしれないが、
日本人の私からしてみれば無秩序だ。
特に信号のない交差点では、そこらじゅうでチキンレースが展開されている。

駅に到着し、両替をしようと、銀行によったが
外国人は中国銀行でなければいけないという。
知らなかった・・・。
駅についてから、北京に行くと言うと、
ずっとついてくる客引きのおばちゃんと
筆談でコミュニケーションを図り、中国銀行へ。
両替は無事に済んだものの、しかし、行員が無愛想だ。
おそらくここに限った事ではなく、
中国ではこれが当たり前なのだろうが、
わざわざ物を投げてよこすなと言いたくなる。

もはや毎度のことになってしまったが、バスの時間がせまっている。
急かされ、瀋陽の街はわずかな時間しか見れなかったが,
近代的なビルが立ち並び、そこかしこに建設中のビルがある。
旧満州国、奉天駅をそのまま利用している審陽駅を眺めながら出発となった。

 

 
  おばちゃん、ありがとさん

北京まで150元、10時間で走るバスは
やはり雨漏りがするもののリクライニングも付いているしっかりしたもので、
高速も昨日同様整備された道だ。
郊外に出ると一面に農地が広がっている。
時折、パーキングエリアがあるものの、
どこも似たような構造のため同じ場所を繰り返し通っているような錯覚を覚えてしまう。
のどかな田園風景がずっと続いていく・・・。

 
  以外にも快適なバスの旅。

予定より早く、8時間で北京に到着。
バスを降りた場所に待ち構えていた三輪タクシーに乗り、ユースホステルへ。
この一泊40元のドミトリーを拠点に北京の街を周る

遼島半島上陸作戦

2005年07月10日 | Around the world 2005-2007
船は渤海を通り、営口へ向かっていく。
進行方向右側には遼東半島が見えるはずだが、
空は晴れているものの、すぐ先が霞んで見えない。
着岸30分ほど前になり、ようやく陸が見え始め、
それが港だということがわかった。

いよいよ中国に上陸。
船を降り、イミグレーションまでバスに乗せられる。
韓国と違い、表記が漢字なので、
その場所が何なのか、何を意味しているのか、
大体の意味がありがたい。
入国審査の列に並ぶ。
ちなみにビザは事前に取得していない。
日本人が中国に入国する際に15日間ビザ不要になってから、
2年近く経っているが、当初は地方ではまだまだその認識がなく、
揉めるケースもあったと聞く。
地方都市とはいえ、国際港そんなことはないと思うが・・・。
私の順番が回ってきた。
日本人がこの国境を使うこと自体珍しいのだろうか。
まずは表紙、顔写真をまじまじと見られる。
そして、今までの入国スタンプ、ビザを丹念に見ていく。
なにやら係官が3人集まってきてなにやら話している。
おいおい、大丈夫か。
話し合った後に、無事スタンプは押され、
前の人の5倍近く、時間はかかったものの、入国を果たした。

続いて税関。
荷物を全部出せといわれる。
一つ一つ出していくとPCを出したところで、すかさずチェックが入る。
X線で目星をつけていたのだろうか。
中国語で質問を受けるがもちろん解らない。
近くを通った韓国人が通訳に入るがハングルだって解らない。
日本人だと言うと、ゲッという顔をして、
もういいという感じで、手を振られた。
ラッキー、日本人で得をした。

待合室まで出て行き、両替所を探すがない。
今日は日曜日、街中に出て行ってもだめだろう。
仕方がない、また闇チェンするしかない。
とりあえず売店のおばちゃんに話しかける。
とはいっても日本語はもちろん、英語も理解してもらえない。
米ドルを見せ、筆談を試みていると、近くにいた韓国人が加わってくる。
この人は少しだけ日本語ができ、交渉をし、レートに納得すると、
近くに中国人が、よっしゃ任せとけ、という感じで外に出て行き、
すぐに金を持って戻ってきた。
20米ドル+4000ウォンで200元を手に入れた。
これで2、3日は大丈夫だ。

船の中で聞いた所によると、営口からの長距離移動は難しいらしい。
そして、先ほどの韓国人に聞くと、地元の中国人に聞いてくれ、
それならいったん瀋陽に行ったほうがいいと言われる。
バスターミナルの場所もまったくわからない。
タクシーとの交渉もやってくれ、ターミナルに行くことができた。
バスを待つ間に食事に取ろうと食堂に入る。
昨日は慌しかったため乗船前に食事を取れず、
船の中でもカップめんとお菓子しか食べていない。
しっかりと食べたいと思い、
目に付いた、麻婆豆腐8元と炒飯5元を頼む。
すると、信じられないくらいの量が出てきた。
特に麻婆豆腐のほうは日本だったら5~6人前はありそうな量だ。
かといって、量が多いだけでなく、味のほうも良い。
炒飯は米同士がくっついてなく、さらさらしており、食感が良い。
しかし、さすがに食べきれない。
大半を残してしまった。すいません。

バスが出発して、あたりを見回すとあちこちでビルを建てている。
地方でもこうなのだから、大都市部はどんなことになっているのだろう。
そして、バスは高速に入る。
正直、多少の悪路を想像していたのだが、
びっくりするぐらい整備された道だった。
バスは雨漏りがするものの、
これなら中国におけるバスの旅は快適にできそうだ。

高速沿いには永遠に永遠に農地が続いている。
地図で見てもこの辺り一帯は平野部だ。
所々に背の高い木があるので地平線は中々見えないが、
わずかに気の隙間からその地平線が見える。
やがてその大地に日が沈んでいった。
瀋陽に着いたのは日が暮れてからだった。
バスが止まったところの目の前にある国営旅館に入ってみるが、
条件がよくない。
街に出て、探そうと思い、船からずっと一緒だった、
中年二人組にそこで話しかけた。
その二人組みは韓国人で日本語を話すことがで、
自分たちも今、人を待っているから、
その人に聞こうと言われる。
そして、瀋陽に住む韓国人夫婦が現れ、
それなら家に泊まれと言われる。
いいのかなと思ったが、遠慮せずに泊まることにした。
挙句に焼肉までご馳走に。
夜は日本語の通じない出迎えに来た韓国人と囲碁をやったりと、
なんとも幸運な中国初日の夜だった。

中国へ

2005年07月09日 | Around the world 2005-2007
さて今日は中国に向かう日だが、
うかつにも昨日、銀行が閉まった後に、
両替に行ってしまい、散々探し回った挙句に、
結局はあるのはキャッシュのみ両替できるところ。
シティのカードも使えない・・・。
さらに今日は土曜日、朝一で探したがない。
とりあえず、ターミナル使用料を含めた
含めた正確な料金を調べようと窓口に聞いてみると、
「今日の天津行きはないですよ。」
ええええっ。。。
火曜と金曜しか出ていないらしい。
まいった、昨日じゃねーか。
ますます、どうしよう。
ちなみに今いるのは第二ターミナルだが、
ここから出ているのは、天津、青島、威海、連雲港行。
天津以外は北京に行くのに遠くなるし、
なにより、そこからだと一度行った道を引き返すことになり、気に入らない。
第一ターミナルから大連行きが出ていると聞き、
両替の心配があったが、とりあえず第一に向かい、考えることにした。

ところで日本にいるときに仁川~中国間のフェリーの事は
ある程度調べたのだが、よくわからない。
ここで私がわかった限りでは、

 ・第一、第二共に最寄り駅はソウル市内から
  地下鉄一号線で東仁川駅。
  (終点、仁川駅のひとつ前)

 ・駅からは第一が24番バスで約20分、
      第二が23番バスで約5分、歩いても行ける距離。

 ・第一からは、大連、営口、石島、煙台、奏皇島
  第二からは、天津、青島、威海、連雲港

 ・料金は天津が110000ウォン、大連、営口、青島が115000ウォン、
  ターミナル使用料は2100ウォン。

  
第一に到着後、窓口を見回してみると、今日出ているのは大連と営口行。
営口?
初めて聞いた地名のために地図で調べると、
遼東半島の付け根にある都市らしい。
少し悩んだが、料金は大連と一緒、ならせっかくだから遠くまで行こう。
それに聞いたこともない場所に行くのはなんとなく面白い。

 
 仁川第一国際旅客ターミナル

そして最大の問題、両替のほうは、ターミナルの両替所も土日はしまっており、
頼みの綱、シティバンクのATMがターミナル内にあり、
使おうとするが、国内のカードしか使えないときている。
頭にきてタッチパネルをガンガン叩いていると、
係員のお兄さんがどこからか台湾人を連れてくる。
その人から日本、米ドルキャッシュを両替して貰い、
なんとか代金を作ることができた。
ありがとうございます。

出航時間が迫っている、係員のほうがあせりだしている。
追われる様に手続きを追え、出国審査へ。
ゲートくぐる時に、付きっきりで手続きをしてくれた係員にこう尋ねられる。
「中国のあとは日本に帰るのか?」
「No, around the world.」
決まったぜ。(笑)苦笑されてたけど。
最後の最後まで韓国人は親切だった。

しかし、私が船に乗るときは何かいつも雨かそれとも曇りかで、
港がどんよりした雰囲気になっている。
今日も仁川港は曇りで、遠くのほうは霞んでいる。
けど、韓国での10日間は人に恵まれ、毎日が思い出深い。
ありがとう韓国、さようなら。