旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

東欧 その8 12・31 プラハの乱 -プラハ、チェコ-

2006年12月31日 | Around the world 2005-2007
 
 クラコフでPCをパクられて、かなり鬱な気分でやってきた大晦日、暗雲立ち込めるプラハの町・・・。


夕方からビールを一杯ひっかけているとたまらなく眠くなった。ひとまず、宿に戻り、一眠り。10時ごろ再び外に出ると、遠くのほうから爆発音が響いてくる。なんじゃい、何が起きているんだ。


 
 一体ここは…、華僑の皆さんが派手に花火をやりまくり、市街戦が展開されているような中心部。
 賑やかなのはいいんだけどねー、たまに人並みの中で花火が爆発したり、植木が燃えていたり・・・。
 近づいて写真撮るのは結構怖かった。実際、至近距離で爆発もしたし・・・。
 打ち上げる方向を少し考えろや。
 道路は花火の残骸と酒瓶が散らばりまくっていて、マジで汚いめちゃくちゃなプラハの町でした。。。


 
 避難民ww。


 
 年越しは時計台の前で。なんかよくわからんうちに年が明けていた。
 華僑勢に比べるとしょぼい花火が上がる。


 
 プラハの姉ちゃん兄ちゃんたち。
 実際、あんまりハッピーな気分じゃなかったけどハッピーニューイヤー。
 最低な年の瀬だった分、しっかり厄払いはできたろう。
 この日は物価も気にせず酒をかっくらって2007年スタートです。

東欧 その5 ベオグラード

2006年12月11日 | Around the world 2005-2007
   
 今回はベオグラードで撮った写真です。


 
 ベオグラードといえばやはり空爆を受けたビル。
 1999年のNATOによる空爆を受けたビルがそのまま残っている。
 周辺に警官が異様にいるので、とりあえずこそこそ遠目から撮ってみる。


 
 近づいてもう一枚。この通り沿いに4軒ほど空爆ビルがある。
 ベオグラード自体が寂れているのであんまり違和感はない…。
 報道カメラマン宮嶋茂樹氏の写真で真上から直撃を受けた内務省ビルを撮ったのがある。
 直接、見たくて探してみて、そのビルらしきものはあったけど、改装されていて、これだと確信は持てなかった。
 う~ん、あのままの状態で見てみたかった。
 写真の建物は駅から坂を上がっていくとあり、かなり目立つ場所。
 このまま空爆を受けた証拠として保存していく様子。


 
 ベオグラード、建造物と戦争、ハンマーと鎌。
 歴史が長いようです。戦争もかなり起きている。
 ベオグラードは計算すると37年一度の割合で攻撃を受けている、かなりの要衝らしい。
 以前は社会主義旧ユーゴスラビア連邦の首都。


 
 街中。路面電車が走っていて、起伏が結構あって、外食といえばハンバーガーで…、後は何だろう。
 個人的には特徴のない街だった。


     
 露天商のおばちゃんたち。


 
 ジブリの看板が街中にちらほら見える。本物?なぜこんなところに進出を狙っている?


 
 ベオグラードのメインストリートから、その通り沿いと進んだ先にある公園で。
 旧ユーゴスラビア連邦の首都だったというのに、
 いまや一共和国、それも内陸国の首都に成り下がってしまったからかな。
 現状をぜんぜん知りませんが、景気悪いなぁ~、って感じをかもし出しているような空気。
 なんだろな、とにかく街中がいやな感じで古くて、天気のせいなのだけど重苦しい。
 あと、女性にごつい人が多くて怖かった。。。



 
 ベオグラードの落書き。ヨーロッパに入って街中落書きだらけ。


 
 学校前で会った少年たち。


 
 夕日。
 といっても時刻は14時台の写真。
 セルビアが時差GMT+1初めての国。この時間帯、西はスペインまでと長い。
 つまり、中心を時計の中心にして考えると、東の方に位置する国は夜が早くなる(その分、朝が早い)。
 なので、時計通り動いていると悲しくなるぐらい夜が来るのが早かった。
 昼が過ぎたらもうすぐに夕方の気配がしてくる…。悲しくなったので夕日を追いかけてみる。
  時計回りに
  左上:14時16分。公園で。
      ここはベオ市民の憩いの場らしい。このくそ寒いのにみんなベンチでのんびりしていたりする。
  右上:14時57分。ドナウ川沿い。
      川沿いでゆっくり夕日でも眺めるかと思っていたが、ここはならず者たちのたまり場と化していた…。
  右下:15時01分。ぜんぜん列車の通らない線路の上で。寂れた街だ…。
  左下;15時15分。通りで。


 
 さらに追いかけて、鉄橋を越えていく。


 
 15時33分。あ~、もう沈む。


 
 15時44分。日没。早い。。。
 夜になると外はじっとしていられないぐらい寒いので、店に入るか、歩き続け体を暖めるしかない。
 といってもこの時間に宿に戻っても暇だし…。
 ベオグラードは寒さで歩き回ってばかりだったような気が。


 
 まだ帰るにはやはり早いので散歩を続ける。中央駅近くの線路。


 
 看板前。


はっきりいって、あんまりぱっとしない街だった…。。。
しかも最後、最悪なことに、ブダペスト行き夜行列車でおまわりどもに絡まれ、賄賂を要求された。
巡回にきた警官から別のコンパートメントに移れといわれ、隔離された場所で警官はこういう。何でもセルビア共和国から出国する際には、セルビア内に滞在していたホテルから発行された証明書なるもの、あるいは領収書が無ければいけないと。最初は何を馬鹿なことを言うと息巻いていたが、元のコンパートメントにいたセルビア人に聞いても必要だといい、ガイドブックを読んでも、出国できない場合があるという(本当かよ)。警官からは次の駅で降りてもらうといわれ、その後、大分間をおいて、30ドルよこせ、といってきた。…、あぁ、やっぱりきた、でも無理でしょ、それ…。ホステルのチラシを見せてここに電話してくれと頼んだり、抗議してみたり、甘えてみたりしたが、あちらは「では、君は次の駅で降りてもらうからね~」と余裕綽々である。INといい、OUTといい、なんてめんどくせぇ国なんだ、ここは…。
どう考えてもここで降りるのは面倒すぎる。深夜に取り調べ受けて、挙句、どっかで夜を明かして、またチケットを買ってブダペストに行くなんて…。到着が近づくと勤務モードの口調で荷物をまとめろと、金を払わないなら本当に降ろす気満々で脅してくる。チケット代を考えただけでも払ったほうが得なんだよな…、いいや賄賂をしてしまおう。
汚職警官をこっちから呼び出して「10ドルでいいでしょ」というとあっさりOK。便所に場所を変え、金を渡すと汚警とがっちり握手を交わした。なんてわかりやすい奴なんだ。かなりでかい臨時収入なのか?その後、汚警は謎のフレンドリー野郎になり、「気をつけて」と去っていった。なんだそれは、嫌味か、ひとまず日本語で「お前には気をつける」といっておいたけど。
セルビア共和国…、多分、2度と来ない。。。

次はハンガリー、ブダペスト。

東欧 その4 どうにかなる? どうにでもなれ? -ルーマニア~セルビア国境越え‐

2006年12月09日 | Around the world 2005-2007
 
 シギショアラから出発。


ルーマニアは結局、 3都市で8日間いた。これは自分にしてみたらかなりのハイペースだ。それでも1月の予定を考えるとクロアチアは後回しをせざるを得ない。やっぱりソフィアでの予想通りになった…。次の目的地をハンガリーのブダペストにし、ひとまずセルビアへと向かう。
ここから国際バスは運行されていなかった。どこから国境越えをすればいいかよくわからなかったが、とりあえず国境近くまで移動するために、シギショアラからまずルーマニア中西部に位置するアラッド行きの列車に乗る。車窓からの景色は相変わらず収穫の終わった田園風景が続いた。この路線には特別大きな都市は無く、ツーリスティクなエリアでもない。停車する駅はどこもルーマニアの田舎町といった趣で、車内はずっと閑散としていた。どこが始発駅だったのかわからないが、大きな荷物を抱えた乗客が人に迎えられて下車していったり、まもなく葉が落ちきりそうなポプラの木の下で駅員が列車を見送ったり、そんなのんびりした光景だった。
アラッドで乗り換え、購入したチケットの終点、ティミショアラに着いたのはもう夜になってからだった。
ここからベオグラード行きの夜行列車があると踏んでいた。確認するために読み方のよくわからない時刻表を四苦八苦しながら見ていると、流暢な英語を話す長髪の男に話しかけられる。こういうタイプはたいてい客引きだ。適当にあしらっていたが、長いこと丁寧な口調で話しかけてくるので、思わず「ベオグラードに行く」と男は「それは朝にしかない、しかも国際列車は高いぞ」という。なるほど、時刻表を見る限り事実らしい。困った…。
「ここは宿も高いからね、俺に任せろ」そう言い、彼は付近にいたタクシードライバーに話しかけ、セルビア国境までの料金を聞く。距離的に考えて決して法外な額ではないと思う。でも払えるような金額ではない答えだった。
「どうする?」肩をすぼめるロンゲ君。どうするってお前…。ん~、これ以上こいつをかかわっているとろくなことにならない気がする。「ちょっと考える」と言い残し、駅構内にある喫茶店に入ることにした。
持っているガイドブック「ロンリープラネット」にはティミショアラの地図はない。宿情報が一軒あるが、ほとんどガイドになっていないような記述で、これを見つけ出すのは結構しんどい。しかもティミショアラには「安い宿はない」とある。男の言っていることはある程度、事実のようだ。仕方ない、朝までその国際列車を待つか、そう思い、喫茶店を出ると、男はまだそこにいた。
「国境まで行く列車がある。そこまで行ってからバスに乗ればいい」
そういう大事なことは先に言ってくれ。
手持ちの地図でその地名を確認すると間違いなく国境の町だった。男の手引きで一度乗り換えのあるその切符を購入する。料金は驚くほど安い4.20Lei。これはこいつに感謝せねばならぬ。男はその後、どこかに行き、列車が到着するころにまたやってきた。多少、残ったルーマニアの金を渡してチップにするかと思っていたが、あちらから御請求がきた。
「これまでのガイド代として10€くれ」
10€?何いってんの、そんな金を払えるわけないでしょ。
「でも、これと同じことを日本でやったらいくらになる?」
日本にはこんなやつはいない。案内は無料だ。それに日本の給料とこの件は何の関係もない。
「でも、君はガイドを受けた、10€くれ」
しらん、俺は何も頼んでいない。お前が勝手にやったんだろ。
「けど、僕がいなかったらこのチケット買えなかったでしょ」
何言ってんだ、お前がいなかったら、自分で探しだしていた、実際、そうやってここまできたんだ。
と、実際、助けられたのだが…、ちょっと高すぎる金額がきたので、チップすらも渡す気は全くなくなり、めちゃくちゃな言い訳をたれまくった。あっちが「じゃあ5€」と勝手に値引きしてきても絶対に応じなかった。男もしつこく、到着した列車に乗り込んでもついてきて、しばらくもめに揉めまくった。自分も依怙地になり、最終的には「絶対に払わない!!」と言い切り、荷物ごとその場から離れると意外にも着いてこない。
やっぱりこういう展開だったか…。しかし、そうだとわかっていたのだし、払いたくないのだったら、最初から相手にしちゃいけないんだよな…。

乗換駅は何の変哲もない小さな駅だった。乗り合わせたトレンチコートを着たヤク中っぽい男の助けが無ければ確実にわからなかった乗換駅だ。乗り換えたディーゼル機関で狭軌の列車は乗り込むとすぐに発車した。その車内でまたどうにかなったと思う。
どこかに移動する時、どうにかなると思い、ろくに調べもせずに動くことが多くなった。確かにどうにかなってきた。でも、それってどうにかしてきたのだろうか。どうにかしてもらったのじゃないだろうか。誰かに助けられてここまできた。そのことに味をしめて、どうにかなる、誰か助けてくれるさと進む。本当は一人じゃ何もできないのに…。

そんな感傷に浸っているのも束の間だった。列車が終点に着き、プラットホームに降りると警察らしき男が待ち構えていた。自分のところにピンポイントでやってきてくる。
「どこに行く」
「え、セルビアだけど…」
すると、こっちだ、と歩き出す。そして、警察車両に乗れという。全く状況がつかめない。でも、こんな手の込んだことを、こんな僻地でする詐欺師がいるだろうか。その時点では深く考えずに、ほとんど思考停止状態で言われるがまま車に乗った。車は走り出す。振り返り、駅舎とその周辺を眺めるとそこには驚くほど貧相でちっぽけな駅舎があるだけで、バスターミナルどころかバス停らしきものすら見えない。
あれ、終点からバスに乗れって言ってなかったっけ…。
その時点で激しい後悔に襲われた。
うわ~、ティミショアラのあの男とこいつらがグルだったら、こりゃただじゃ済まないな。。。
暗い夜道を走る車、金網で仕切られた先には楽しそうに雑談をする警官二人、疑心暗鬼と被害妄想のスパイラルに陥った頭で見ていると、こいつらなんか悪巧みしているんじゃないかと訳のわからない妄想にかきたてられてしまう…。
あぁ、どうにかなる、同時にどうにでもなれ!!

負のオーラを出して、不幸がよってこないように後部座席にどしんと座っていたが、車は何事も無く、ルーマニア側の国境、イミグレーション前に到着した。係官はこんな時間に、警察車両に乗ってやってきた東洋人に対して、いたって普通の様子で対応をする。そして、出国スタンプはあっけなく押された。
駅で警官は自分を待っていたとしか思えない。だとしたら一体、誰が、自分があそこに行くことを知らせたのだろう。長髪の男?券売のおばちゃん?今となっては全くわからない。

セルビア側までの道に人通りは無く、それどころか車も走っていない。一軒だけ開いていた免税店で買い物をしてから、のんきにセルビアのイミグレの前まで行くと、
「どこに行く」
はぁ、ベオグラードに行こうと思いまして…
「そうか」
で、ベオグラード行きのバスは…
「そんなもんない、朝まで待て」
…、……!!ない?!ないんだ…でもよく考えればそりゃないよなー、もう夜の10時なんだから…。
国境を通過するトラックをヒッチしようとするが、ろくにやってこない上に、どの車もベオグラードには行かないという。イミグレ内で寝かせてもらおうと思うが、だめ。少し歩いたところに24時間営業のレストランがあるからそこで夜を明かせという。
ますます暗く、人通りも民家もない道をレストランに向かって歩いていく。だんだん悲惨な展開になってきたなぁ。

セルビア人とのファーストコンタクトは胡散臭すぎた。最初にあったレストランでは、言葉がまるで通じなかったせいもあるけど、身振り手振りで、食事して朝まで居たいんだけど、と伝えるとなぜか切れられ、出ていけといわれる。??、なにか悪いことしましたか。次のレストランはトラックドライバーの休憩ポイントのようで2、3組の男たちが食事をしたり、酒を飲んでいたりした。泥酔状態のドライバーから「バスなんかねえよ、ベオグラードまで30€で連れて行ってやるぜ~」と絡まれたり、言葉の通じないレストランからはぼられたりする。トラック野郎たちは「チン(中国人)がホニャラフニャラ…」と勝手に自分ことを中国人と決め付け、たまにこっちを見て、ゲラゲラ笑っている。中国人と間違われることに関しては、どこの言語でも異常なほどに敏感に反応することができる。いつもだったら「俺はジャパンだぜ」と笑い返すけど、疲れているから今日はもうどうでもいい…。ただ時間が過ぎるのを待った。
やっと朝になり、バス亭の場所を訪ねるが「バスなんかない」と再び言われる。なんで?信用できず、外に確認しに行く。外に出てみたもののどこがバス停か検討も着かない。闇雲探していても仕方ないのでイミグレで聞こうと思い来た道を引き返していると、警官とすれ違った。ちょうどいいからこの人に尋ねよう。
「バス停はどこですか?」
「バス?今日は日曜だからないよー」
…、一瞬、冷たい風が吹き抜けた気がした。そうだった、今日は日曜日だった。キリスト教では日曜は安息日なんだ。仕事をしちゃいけない日なんだ。旅行者だって、宿でのんびり過ごさなきゃいけないんだ。けど、バスぐらい動かそうよ、公共交通機関なんでしょバスって、本当にないのかよ。それにイミグレの人たち、英語をしゃべれるんだから最初に教えてくれよ。
しかし、一体、自分は何を待っていたのだろう。終点の駅に着けばバスがあると思い、国境を越えればバスがあると思い、朝になればバスがあると思い…。はぁ、何か一気に疲れた、そしてどうでもよくなってきた。

もういい、金を払ってでもトラックに乗ろう。レストランに戻ると、ドライバーの一人がちょうど出発をしようと準備をしていた。ベオグラードまで乗せてくれと頼むと、30€と返答。値引きして15€になった、高い、かなり高い。悪い癖でどうでもよくなると、金銭感覚もかなりルーズになる。いいや、もう、それで乗る。
大型トラックの座席は高い位置にある分、見晴らしがよかった。といっても、眠かったのでろくに風景は覚えていない。ただ、道路上に犬の死体がいやたくさん転がっている。ドライバーはロシア人だ。単語のみの英語で家族紹介や質問をされる。
そうか…、きれいな奥さんとかわいい娘さんがいるんだな…、名前は…、マリア、いい名前だね…、ロシアはもっと寒い…、そうだろうね…、なんといってもロシアだもんな…、俺の名前?テッペイ…、日本の横浜ってとこに住んでんだ…、まぁ…、眠いからどうでもいいよそんなこと!!


 
 ベオグラードの街中で。これから2泊します。

東欧 その3 ブカレスト、ブラショフ、シギショアラ

2006年12月08日 | Around the world 2005-2007
     
 変な形の建物が多い気がするブカレスト。
 東欧唯一のラテン国家、加えて、冷戦時代もルーマニアは資源が豊富なために
 独自路線をとっていたから独特な文化があるんでしょうか。


 
 あと、屋根につんつん尖っている突起物がついている建物が多い。
 一緒にいたモトハルさん曰く、
 「他のヨーロッパの都市ではこんなにつんつんした建物は無かった。このつんつん具合がヨーロッパの心だ」
 確かに、言われてみればヨーロッパっぽい。
 写真の建物が件のつんつん建物なんですが、意味わかってもらえますか。多分、わからんだろうな…。


 
 街角で突然話しかけられた、というか立ちふさがってきた男たち。


            
            やはり突然話しかけてきた男。変な男が多いかもしれない。
            駅前とかに行くとシンナー中毒者がいて変ではなく、恐ろしい…。


 
 ブラショフの街中で。


 
 教会の塔がいろんな所から見えるブラショフの旧市街。


 
 教会の入り口で。


 
 ブラショフにいた時に行われていた祭りで。何の祭りかは全くわからない…。


 
 祭りの開始を告げる兵隊の行進。


   
 祭りで会った人たち。あまり言葉は通じないが、話し出すと止まらない。
 これがラテンの血なのか?


            
            シギショアラの姉弟。


 
 シギショアラの街中で。


 
 シギショアラで会ったジプシーの親子。
 ジプシーというのは差別語らしく、正確にはロマというらしいが当人たちは気にしてないようなのでジプシーと呼ぶ。
 ルーマニアはジプシーが多い国らしい。確かに駅周辺にはそれらしき人たちが一杯いる。
 ルーマニア人から「ジプシーに気をつけろ」とかいわれたり、実際、ジプシーよるスリや泥棒の話も聞いていた。
 犯罪比率で見ると、ちょいと危ない人たちかも知れないが…。
 どうなんでしょう、自分はあまり感じなかった。気のいい奴らが多い。


東欧 その2 急ぎ足  -ブカレスト、ブラショフ、シギショアラinルーマニア-

2006年12月02日 | Around the world 2005-2007
ソフィアを夜に発車した列車は、深夜だか早朝だかわからない時間にブカレストに到着した。駅から外に出ても真っ暗で右も左もよくわからない。しかも、冬本番といった感じで極寒、不穏な空気漂うというおまけつきだった。ソフィアから一緒に来たモトハルさんとこんな時間にもかかわらず開いているマックで夜明けを待つことにした。駅構内のマックは早朝発の列車を待っているのか、それとも自分たちを同じ考えなのか、広い店内には多くの人がいる。このマックではビールが販売されていて、それを飲んでいる人が結構いた。中には騒いでいる人もいる。こんな時間に、こんな場所で酒を飲むルーマニア人って…。
日が昇り始めてから宿探しを始めた。明け方のブカレストは靄がかかって、朝日が幻想的にきれいだ。けど、それとは裏腹にソフィア同様、首都の駅前にもにもかかわらず、人通りは閑散としていて、古ぼけた建物ばかりが目立つ。そんな寂れた感じがやっぱり旧共産圏、東欧らしくてなんかいい。


 
 ブカレスト駅構内で。


最初に向かった宿は地図上に示された地点に行っても、看板も、宿がある雰囲気もない。どうも改装中っぽい。地元民に聞いてもまるで要を得ない。仕方がないので次の宿に向かう。たどりついたその先の宿は立派な中級ホテルらしき建物だった。ガイドブックに書いてある金額でこんなところに泊まれるのか。恐る恐る金額を聞くと、改装したらしく、とても払える金額じゃない返答がきた。……、別の宿を探すことになった。
目星をつけた先まで行くには結構な距離がある。地下鉄は近くを通っていない。バスの路線もよくわからない。再び仕方がない、歩いていく、ひたすら歩く。ソフィアで荷物を日本に送ったので少し軽くなったつもりでいたバックパックは、何度も繰り返しているけど、実際問題、あいかわらずくそ重い。20分も歩くと肩の辺りが痺れてきて、休憩しないと動けない。あ~、もうこのバックパック投げ捨てたい…。
宿付近に着き、入り組んだ路地の角を曲がるたびに通りがかった人に道を尋ね、やっと宿にたどりついた時には、夜行移動の疲れも手伝って、くたくただった。


 
 くたくたでしたが、着いてすぐに観光開始。
 ブカレスト名物「国民の館」。
 国民のとは名ばかりでチャウチェスク元大統領が私利私欲で建てた宮殿のようなもの。
 高さはたいしたことない上に、撮った位置がよくない…ので大きさがわかりづらいけど、
 建造物としては世界2番目大きさらしい。ちなみに世界一は米国防総省ペンタゴン。


            
            建物は大理石に覆われた豪華絢爛なもの。
            ルーマニア中からピンク大理石をかき集めて作った。
            地下には核シェルターもある。
            内部見学はガイドツアーのみで自慢話のように豪華な部分ばかり見せられて、
            シェルターとかは見せてくれない。


 
 現在は博物館のように一般公開をしているだけでなく、国会議事堂としても使われている。
 部屋数が約3000室もあって、遊んでいる部屋が大量にあるみたいだから、
 官庁を入れるとかして、もっと使えばいいのに。


 
 巨大シャンデリアの部屋。
 しかし、現在、世界遺産、人類の宝、とか言われている巨大建造物の多くは巨大な権力者たちが
 自らの権力を顕示するためだったり、死後の世界のため、信仰する宗教のためだったりする訳で。
 タージマハルとかも、今はインド人も「インドの宝だ」なんて喜んでいますけど、
 当時の人民はどう思っていたんでしょ。
 チャウチェスクのおっさんは生まれた時代が悪かったな。


 
 窓ガラス越しにバルコニーからの景色。
 こんなもん作られて、ルーマニア人にしてみたら、もちろんいい迷惑で、
 実際、チャウチェスクは民主化革命の際、亡命に失敗して公開処刑にされている。
 しかし、こんなものを自分のために作ってしまうチャウチェスク、すごいぞ、凄過ぎる。
 漢として野望を叶えまくっている。ここまでやったら死んでも本望、だよね?


 
 ということでチャウチェスク体制の独裁に加え、経済の低迷に業を煮やしたルーマニア市民は民主化へ進んでいく。
 東欧における民主化でルーマニアだけが唯一の流血革命で、多くの人が死んでいる。
 亡くなった人たちを奉る広場で。


 
 ブカレストのクリスマスイルミネーション。


ブカレストは宿のオヤジと一悶着を起こし、新たに宿探しをするのが面倒すぎたので2泊で発つことにした。一悶着といっても、禁煙と知らずに部屋でタバコを吸っていたら、オヤジに怒られ、売り言葉に買い言葉で勝手に自分が逆切れしたというのが真相だが…。
まぁ、ブカレストはそんなに長居するような場所でもないし…、ルーマニアはさっさと回っていこう。


 
 続いてやってきたブラショフで。丘の上から眺めた旧市街。
 この町は中世の街並みが残っていることで有名な町。
 でも、少し観光地化されすぎているかな。


 
 旧市街の家の赤い屋根瓦。
 大きな通り沿いは外観もきれいになっているが、少し路地に入っていくと
 いい感じに寂れた建物に周りは囲まれている。


 
 ブラショフのメインストリート。


 
 ブラショフの街中で。


 
 ブラン城。
 この城はドラキュラ城として知られる城でブラショフ近郊にある。
 物語ドラキュラのモデルになったヴラド公爵は戦争の際、捕らえた捕虜を串刺しにして処刑するという
 エグイことをやっていたためにモデルとなったらしいです。


 
 城内の寝室。


            
            城の中庭。城といわれる割にはそんなに大きくない。
            ざっと見て回るだけなら15分もあれば終わってしまう。
            その割には入場料が高い…。


 
 城から見下した風景。城下町というほどのものは無く、小さな村と土産物屋、ホテルが数件あるだけ。
 ぶらっときて、のんびりするにはいい感じのところ。


            
            ルーマニアは東欧唯一のラテン民族国家です。
            現在のイタリアにルーツを持つラテン民族の先祖は
            狼から生まれたという伝説がある。
            写真はその先祖が狼の乳を飲む像。
            しかし、狼から生まれたって…。


 
 続いて移動したシギショアラ。
 ブラショフほど都会ではない、田舎の中世の町が見たいと思いやって突発的にやってきた。
 ブラショフと違って旧市街地は丘の上にある。起伏にとんでいて、入り組んだ路地がある街並み。


     
 街中で。ブラショフより静かでゆっくりした町。


 
 シギショアラ旧市街内。


 
 教会前の広場で。


 
 夕方に。ということでさっさと回ってしまいました。
 次はセルビアです。