旅しながらやってます。

写真を撮ったり、山に登ったり、生活したり、旅しながらやってます。

パライソ -プカルパ、ペルー-

2007年07月28日 | Around the world 2005-2007
リマからプカルパまで移動はうんざりするぐらい長かった。午後6時に出発したバスは最初、順調に進み続けた。だが、景色が熱帯のそれに変化し始めたころ、降り始めた雨が土砂崩れを引き起こし、バスは中々、進まなくなった。渋滞の主な原因はどうも一方通行になった道路を互いに譲り合わないか、どちらか一方が強引に突っ込んだために、進むことも戻ることもできない、まぁ、今までもよく見てきたありきたりな?渋滞風景だった。
結局、通常なら20時間程度のところを30時間かかってバスはプカルパに到着した。ゆったりした座席だったおかげでそこまで疲れなかったが久々の長時間移動に少々うんざりして、帰りは飛行機を使おうかなと早速軟弱なことを考え始めた。
しかし、プカルパにきてそんなうんざりしたことは全て忘れてしまった。おお、パライソ、プカルパは天国だ。久々に来た熱帯地域は自分にとっては暑さにまいるよりも、そのまとわりつくような熱気が嬉しくてたまらなかった。Tシャツ一枚でも暑いぐらいの気候の中、街中には街の規模と比較して考えると多すぎるのではと思う量のバイタクが走り回り、人々も暑い所だけに服装も性格も開放的で陽気だ。活気溢れる街を久々に夢中で歩き回った。


 
 大量のバイタクが走りまくる街中。
 供給過多と思いきや、意外と乗車率高し。


 
 メルカド内。


      
 食堂の看板とセットメニューのスープ。
 気候は変わっても食べているものはだいたい同じ。若干、こっちのがうまい気がするけど。
 ペルーの大衆食堂で食べると大抵スープもセットでついてくる。大体3~4ソル。
 いまだに簡単なスペイン語も読めないので指差しで注文しています…。


              
              メルカドの商店で。
              ジャングル系の何に使うかよくわからないものが並んでいる。


 


       


 
 プカルパの側を流れるウカヤリ川。


 
 川沿いには船でジャングルから運ばれてくる作物が並んでいて、その場で取引がされている。
 主にバナナが多い。生食用と調理用があるみたい。


 


 
 バイクや材木なども運ばれていて、活気がある川沿い。貨物だけでなく、客船も運航されている。
 ここからアマゾン川入り口の町、イキトスへは4、5日間でいける。
 自分は最初、ここがアマゾンだと思い、はしゃいでいたが、
 プカルパはまだ入り口にも差し掛かっていなかった・・・。


 


 


 
 出航待ちの船の上。


 
 川沿いの道。
 川に沿ってスラムっぽい家屋が並んでいるけど、個人的には危険な感じはなし。
 歩いているといきなり話しかけてきて、地酒を振舞ってくれる陽気なオヤジたちが生息している。


       
       川沿いに広がる公園。


 


       
       川沿いの屋台で飼われていたサルさんとそこの子供。
       ワカチナでよく一緒にいたアレハンドロも同じ種類のサルを飼っていた。
       かなり人懐っこいサルでいきなり寄っていっても平気で肩に載ってきたりする。
       なんていう種類なんだろう。飼いたくなってしまった。。。


プカルパに3泊して、本当の目的地であるサンフランシスコ村へと。

寄り道 -リマ、ペルー-

2007年07月26日 | Around the world 2005-2007
リマにやってきた。
ペルーの首都リマは700万人を超える人口を擁する南米有数の大都会だ。今まで通ったペルーの都市とは段違いの規模の大きさで、人も車も多いし、高層ビルが立ち並ぶ。道行く人々も大分変わった。白人や白人の血が濃そうなメスティソの姿がよく目につき、スラムや町外れに行けばいるのかもしれないけど、民族衣装を着ている人が全くといっていいほどいなくなった。歩いていると色々と面白いリマだけど、どこにでもありそうな大都会だけに少しばかり、のっぺらぼうな印象は拭えない。何でもあるリマ。でも、何でもあるから何にもない。
でもそれは別にリマのせいじゃない。自分には正直、新たな感動が生まれにくくなっている。もはや今の自分にはリマだろうがマリだろうが、きっとたいした違いはない。(まぁ、実際には都市名と国名だからぜんぜん違うけどね…。)


 
 リマの前にいたワカチナで。
 ここは砂漠の中に池がある絵に描いたような典型的なオアシスの町。
 日本のガイドブックには2、3行しか書かれていないけど、
 結構な数のペルー人、欧米人が訪れるリゾート地。


 
 歩いてすぐのところに砂漠が広がる。
 中々、本格的な砂漠です。
 けど、サンドバギーが走り回っているので大部分の砂丘はぐちゃぐちゃになっているけど…。


 


 


 
 砂漠の夕日。30分も急な斜面を登っていくとビューポイントにいける。


 
 ワカチナの日々。
 自分はここに7泊しました。はっきり言ってそんなに長居をするところではないと思う。
 何をしていたかって…。毎日こいつらと遊んでいただけ。。。


      
 よく絡んでいたルイス(左)とプマック(右)。
 プマックはTシャツにオリジナルペイントをして売り、それで旅をしている。
 自分の名字は「猿渡」なのでサルをモチーフにした絵を書いてもらった。
 着ているTシャツが書いてもらったもの。
 プマック曰く、自分のイメージはこんな感じらしい。…、どんなイメージだよ。。。


リマでは都会でしか手に入らない日用品を手に入れて、さっさとエクアドルに行こうと思っていたが、ここで日本人旅行者ケイさんとこの旅3回目の偶然の再会をした。
ケイさんはこの後、シャーマンがいるアマゾンの町に行くという。そして、そこではシャーマンの儀式に参加ができ、凄まじいまでのスピリチュアルな体験ができるらしい…。誘われ、いってみたいなと思った。

実を言うと自分はもう9月一杯までに旅を終えることを決心している。だから、この後、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、USAに行こうと思うならもう時間はない。でも、今は自分の気持ちにこの先を委ねてみたい。そう、別にどうしてもここから北上をしなければいけない理由はない。行ってみたいと思ったところに行くのが自然だし、なんとなくどこかへ行くよりも、行きたいところへ行くことのほうが圧倒的に大事だ。
アマゾンに行くことでこの先の予定がどうなるかまたわからないけど、ちょっと寄り道してきます。
多分、またしばらく更新なし。

ストライク ‐ペルー-

2007年07月20日 | Around the world 2005-2007
これが野球なら元横浜の五十嵐英樹投手ばりのガッツポーズを見たいところなんですが(マニアックすぎて誰もわからないか)、現実社会でストライクされるとそうもいかないです。はい、ストライクというかストライキ。今、ペルー全土では散発的なゼネストが起きています。


 
 プーノ、ティティカ湖にあるウロス島で。詳しくはこちら


     
     アレキパ、サンタ・カトリーナ修道院で。詳しくはこちら


スペイン語がわからないと社会で何が起きているかなどほとんどわからない。ゼネスト当日、何も知らず自転車タクシーに乗っていると、路上でおっさんが瓶を地面に叩きつけて割っていた。ガラスの破片で車が通行できないようするかのように道路一面に叩きつけ、なにやらギャーギャー騒いでいる。
なんだ、この酔っ払いはと思っていたが、この日のプーノの町はまるでマッドマックスか北斗の拳の舞台のように昨日に比べると一気に荒れ果てた印象になった。店はほとんど開いていない。路上のいたるところに置石で車用のバリケードがしてあり、交通量がほとんどないし、人通りも少ない。メルカドも開いていないし、あれ、なんかおかしいと思っていると、今日から2日間ストライキ(スペイン語でパーロ)だという。ということでまずちょうど出ようと思っていたプーノに足止めをされることになった。
ひとまず、ストは明け、アレキパに移動をすることになった。朝にプーノをでたバスは所々、昨日の置石の残骸が見られたが、順調に進んでいく。が、途中でバスは長時間停車した。なにが起きたのかと前方を見てみると、先に広がるきれいに舗装された道路には大量の置石がしてあり、車が走れないようにバリケードが施されている。そして、女子供を中心に嬉々とした笑顔でそれでもまだ道路に石をばら撒く連中がいる。
通行しようとする車のドライバー、乗客で石をどけ、道を迂回しながら進んでいったが、アレキパまであと1時間程度のユーラというところでバスは完全にストップした。ここから先はバリケードが激しすぎてアレキパまではいけないということだ。英語がわかるペルー人とカナダ人とそこから先は途切れ途切れ2度、車に乗りながら、結局は1時間強歩いてアレキパまで行くことになった。

アレキパまでの道中、警官隊と市民はにらみ合っている場面に何度か遭遇した。ペルー人の彼の話では今日はアレキパ市内で実際に衝突があり、市民側に一人死者が出ているとのことだった。これはやりすぎだろ、と思うくらい道路には置石で溢れかえっていた。さらにタイヤがいたる所で燃やされていて辺りはゴムが燃える臭いに包まれている。赤々と燃える炎に照らされて人影が揺らめき、けど上空には星が煌いている。なんともシュールなアレキパまでの道だった。

翌日、アレキパの町は閑散とした感じだった。中央広場であるアルマス広場周辺でデモ隊が歩き回っていた。その周りの広場の店はシャッターを下ろしているが、とりあえず営業はしている。大っぴらに営業をしなければいいという暗黙の了解の下に営業をしているらしい。ネパールでゼネストにあった時は確か本当に締めている店が多かったと思うが全国民的運動というわけではないみたいだ。
情報は錯綜していた。2日間パーロは行われないという話だったのに、夜また聞いてみると翌日から再び始まるとのことだった。ということはこのままここに居るとアレキパに計4泊しなければいけないことになる。ちょっとそれは嫌だ。近郊の温泉と渓谷に行こうと思っていたが、急遽、予定を変更して、夜行バスで次の目的地に向かうことにした。


 
 アレキパ市内で。角材片手に行進するデモ隊。


 


             
             政府関係施設を警備する警官隊。


 
 道で炊き出しをして、道路を封鎖している。


 
 炊き出し隊のおっさんたち。道行く人にお菓子を振舞っている。
 市内は別に物々しい雰囲気はなかった。
 店が閉まっていて、人通りが少なくて、逆にひっそりとした感じ。


けどね、どうなの、これ。
詳しいことはわからないのだけど、ペルーでは教職免許の試験による更新制度を導入するらしく、それに反発した教職員組合主導によるパーロらしい。行政側の発表によれば、更新のための試験で、多くの教職員が基本的な計算問題を解けず、簡単な文章読解問題もできなかったという。組合側の発表はないとのこと。行政側にしてみれば、教育者のレベルを上げることと、政策の意に沿わない職員をやめさせて教育、言論統制と教育予算の削減を目的としているのだろう。対して教職員にしてみれば、死活問題であるし、行政の強権的な姿勢に反対する意味もあるのだろう。
ペルーの教育水準はどれくらいなのだろう。おそらくそんなに高くはないと思う。だから基礎教育を充実させることは重要だと個人的には考える。でも、それが現実に合わないものだったら、社会に発生する歪みが大きくて意味がない。
発表によると、3割を超える教職員がその簡単な読解問題を解けなかったらしい。3割を超える人間が教える知識に不足しているというのは問題だと思う。けど、それが事実ならば、教職員の質というよりも、失礼だけど、国全体の教育水準がこの改革に適した段階ではないのじゃないのかとも思ってしまう。

詳しい事情がわからない自分には具体的な意見を出すことはできないけれど、どうなのこれ、と思ってしまう。ユーラから同行してくれたペルー人の彼は大学生で身なりもしっかりしている。片言の英語だったけれど、このパーロの背景も知っていて、そしておそらく社会的にも恵まれた地位にある彼はアレキパまでの光景に対して「Good」と答えた。そうかグッドなのか…。
正直なところ、自分には、一部の市民はただ暴徒と化して、ただ暴れているだけにしかには見えなかった。道路を使っているのは主に体制側の豊かな人間だ、塞いじまえ。日ごろの憂さ晴らしだ、パーロなのに働いている人間や店をいびれ。自分にはこれが国全体を豊かにするための行動には見えんのです。国の教育をどうこうの話じゃなくて、これって豊かな側と貧しい側が自分たちの側に利益を誘導するための闘いを繰り広げているだけなんじゃねぇのかって。まぁ、政治活動ってのは本質的には利益誘導のための行動なんだろうけど。でも、まだペルーは経済にしても、政治にしても、社会情勢にしても未成熟の国家だと思う。だからパイの奪い合いをするのではなくて、お互いどこかに妥協点を見つけて、全体のパイを拡大させることに力を注ぐことが重要だと思う。

アレキパではコレクティーボと呼ばれる個人経営のミニバスに乗った。ペルーでこれに乗るのは初めてだったので、値段はわからない。いくらかと聞くと「1ソル」だった。しかし、すぐさま他の乗客が「高い!!」と声を上げた。おお、このおばちゃん良い人だ~、と嬉しくなっていたが、本来50センティモ(1ソル=100センティモ)なのに、全ての乗客から1ソルを取っているらしい。パーロでバスの台数が減っているのだろう。便乗値上げが起きている。車掌と乗客は延々と「1ソル」、「高い」の闘いを続けていた。自分は50センティモだけ渡して、バスを降りたが、んん、これじゃまずいだろ、ペルー人…。

最近書いたことのまた繰り返しになるけど、この人たちにはこういった行動でしか、自分たちの意見や主張を訴える方法は無いのかもしれない。それにこれはもちろんパーロや道路封鎖をしている人たちだけの問題ではなく、おそらく妥協というものをしない交渉相手にもかなり問題があると思う。
他民族からの過酷な支配を受けた歴史を持っていて、闘いで独立を勝ち取った民族には力の論理こそが意味を持つのかもしれない。そういった他民族からの過酷な支配や占領体験を持たない日本人だからやはり理解ができないのだろうか。理解ができない、違うと思うし、そう思いたい。だって力の論理でやり続けていたら憎しみの連鎖が延々と続くだけでしょ。

で今はワカチナというところにいます。ここは砂漠の中にあるリゾート地で、きな臭い話とは無縁のところです。きな臭くは無いけど、またここにも変人が一杯いて面白い。南米各地では中南米の人たちがアクセサリーを作りながら稼いだ金で旅をしていて、ワカチナにも多くの旅人、もう死語かもしれないけどヒッピーが集まっている。そんな奴らとサッカーをしたり、昼間からビールを呑んで笑い話をして、挙句、夜になって酒を奢れだ奢らないだのくだらない話でつかみ合いの喧嘩をしたりしている。
スペイン語と日本語で訳のわからない会話を繰り広げているけど、いいね、こいつら人間臭くて、楽しんでいて、いっしょにいて面白い。

ペルーの見どころといわれるところを外しまくって、次はリマへ、そして多分、一気にエクアドルまで。


タグ:ペルー、アレキパ、ストライキ

アレキパ -ペルー-

2007年07月14日 | Around the world 2005-2007
 
 アレキパの眺め。
 富士山のようなきれいな傾斜を持った山が市内から見える。
 クスコ、プーノに比べると標高が下がった分、過ごしやすい気候だった。

 
 アレキパの街並み。石造りのきれいな街並みが残っている。


      


来るまで知らなかったが、アレキパには規模の大きい修道院があった。なんでも内部は迷路のような回廊になっているらしい。迷路?迷子マニアとしては行かなければ…。外国人料金満載のペルーらしく30ソル!!(約1200円、ペルーの物価感覚からしたら破格でしょ)の入場料を払い、入ってみました。


 
 サンタ・カトリーナ修道院。


      


     
     曲がりくねった道に点在する家屋。
     ぐるぐるとしていると、迷ってしまいそうな気もするけど、
     基本的に順路が一本道なので、さすがにこんなところでは迷えん・・・。


      


 
 小道にはスペインの各地の名前がつけられている。


 
 しかし、何で碁盤状大好きのスペイン人がこんなぐちゃぐちゃした修道院にしてしまったのだろう。
 下界との接触を絶つためなのかな。


      
 ここでは30年ほど前まで実際に修道院生活が行われていた。
 炊事道具なども残っていて(残している?)生活の場としての空気も感じられる。


 
 高い料金を取るだけのことはあって、中の管理はしっかりされていた。
いたるところに花が咲いていて、居心地のいい空間。
気持ちよすぎて、大枚払っているのに、中で昼寝を1時間ぐらいしてしまった…。

サンタ・カトリーナ修道院、んん、30ソルの価値があるだろうか。とりあえずのんびりと散歩がてら訪れるにはいいところかもしれない。
ストの影響でアレキパは一泊のみ…。ストのバカ野郎、俺の温泉ライフを返せ!!

プーノ ‐ペルー-

2007年07月11日 | Around the world 2005-2007
プーノ、自分の場合はこの名前になんとなく惹かれていた感じもあるが、町自体はごく普通の街並み。ただ、ここにはティティカカ湖という聖なる湖として崇められている湖がある。


 
 ティティカカ湖湖上にあるウロス島で。


 
 見晴らし台からみた島。
 この島は葦でできた浮島。この島だけじゃなく、近くに点々といくつかの島がある。


             
             今では木造ボートが一般的には使われているようだけど、
             こんな葦で作られたボートも。


 
 ボートに乗って別の島に移動中に。


 
 漕ぎ手の兄ちゃん。


 
 島から島へと移動する住民。


 
 観光用なんだろうけど、葦でこんなものも作られている。


 
 ウロス島にあるホテル、というか宿泊用の小屋。
 一瞬、泊まって見たくなったが、きっとすぐにやることが無くて暇になるだろう、この島にだけいても・・・。


             
             ウロス島にある公衆電話。
             ソーラーパネルも取り付けられている。
             何でも以前にフジモリ元大統領がここを訪れ、
             取り付けられたらしい。
             それまでは夜の明かりもランプで灯していて
             草でできている島では常に火災危険があったとか。
             新聞では散々叩かれているけど、
             貧しい人ほどフジモリ支持をしているような。


ちょっと街中の様子。


 
 メルカド。
 ここは湖があるだけあって、他の場所のメルカドと違って、魚も豊富に並んでいる。


 
 商売中の子供。


 
 ティティカカ湖から見たプーノと街中で。
 しかし、クスコ周辺と比べると一気に気温が下がって、よく晴れない。曇り空で憂鬱な天気。
 挙句、雪がちらつく日とかもあったし…。もう寒いところは嫌なんですけど。。。


 
 ティティカカ湖近くにあるお土産物屋街で会った女の子たち。


      
 乳母車を押して、不気味な顔をした人形を抱く女の子がいやに目立つ…。


どうも湖上にでれば天気がいいようだったが、なぜかウロス島だけにしか行かず、プーノに6泊した。まぁ、ストの影響もあったけど、そうなんです、そんなにいたのに自分はアマンタニ島とタキーレ島に行っていない。というのも、もうツアーに参加するのは嫌だった。単純に英語で話すのが億劫というのもあるけど、ツアーに参加して自分のしたい行動を制限されるのは自分にとっては拷問に等しい。。。でも、ティティカカ湖巡りってほぼ自動的にツアー参加状態になってしまうみたい。ペルーに対する文句が多くなっているけど、ペルーのツーリスト産業よ、少しばかりがめつすぎないか。
長居していたわりにはあまり記憶に残らなかったプーノ。一番の思い出はうまい中華料理だったりした。。。

外国人料金  -ペルー-

2007年07月08日 | Around the world 2005-2007
クスコを出てから聖なる谷と呼ばれる村々、そしてマチュピチュと回って、昨日、プーノに到着した。
聖なる谷はチンチェーロ、ウルバンバ、オリャンタイタンボに行ったが、きれいな自然や街並みで本当にいいところだった。マチュピチュも期待を裏切らない遺跡で南米にきて以来、初めて本当に大満足ができたクスコ近郊巡りだった。聖なる谷とマチュピチュは別に載せるとして、とりあえず、高すぎるだろう、マチュピチュ…。


 
 とりあえずクスコに来た翌日にスーさん達とツアーで行ったピサックで。写真左下、川沿いに村がある。


 
 ピサック周辺の風景。


 


 
 ピサックでは週3回、市が開かれる。売られているものは全て観光客向けの物。


 
 村の後方には遺跡が残っている。形からしてプチマチュピチュといったところか。


       
       チンチェーロの教会前広場で。詳しくはこちら


 
 ウルバンバ。詳しくはこちら


 
 オリャンタイタンボの路地で。詳しくはこちら


       
       マチュピチュ。詳しくはこちら


まず、マチュピチュの最寄りの町、アグアスカリエンテスに行くにはクスコかオリャンタイタンボから出ている鉄道しか交通手段はない。あるいはバスが走っているオリャンタイタンボまで行って、そこから歩いていくという方法もある。全く情報収集をせず、どんな道なのかも何時間かかるのかもわからなかったので、おとなしくクスコで予約をして、鉄道で行くことにした。オリャンタイタンボ~アグアスカリエンテス間のその料金はたった2時間足らずの所要時間にもかかわらず往復で47USドルという先進国顔負けのものだった。実は往復で15USドルぐらいだろうと勝手に考えていたので、窓口で47USドルといわれた時には本当にびっくりした、高くなりすぎている。途中で手に入れたガイドブックの片隅に、この間の料金は77ソル(約23ドル)と走り書きがされていたのでそれを鵜呑みしていたためだが、一体どんな勢いで料金を上げているのだろう。ちなみにこの料金はいわゆる外国人料金というやつで、地元民とペルー内に住所を持つ外国人は別料金でもちろんそちらのほうが安い。
アグアスカリエンテスからマチュピチュまではシャトルバスが走っている。徒歩で1時間強ほどの距離なので、これには乗らなかったが、料金は所要20分で往復20USドルらしい。
そして、マチュピチュの入場料金は40USドル。世界中の遺跡でこれ以上の料金を取るところはそうそうない。自分が行った中ではアンコールワットの1週間券ぐらいだ。自分は本物?の学生証を持っているので20USドルではいった。
ということで自分の場合は生活費を除いて、67USドルかけてマチュピチュを見た。学生ではなく日帰りでしか時間がない人だと、マチュピチュ滞在時間4時間程度で約140USドルかかる。しかし、67USドルというと日本円で約8000円だから相当な金額だ。確かにマチュピチュは山奥の険峻な山の上にあり、驚かされるほどの場所にある。遺跡の維持費用と大量の観光客を受け入れるためのインフラや施設を作るためには莫大な費用がかかっているだろうけど…。
なんにしてもペルーは外国人料金、というかボリが激しすぎるんだよ。

外国人観光客がよく行く場所にある小さな商店や露店で買いものをしようとすると、かなりの確率で料金が上乗せされる。例えばタバコを買おうとする。そもそも正規料金がいくらかよくわからないのだが、大体2~2.5ソルぐらいのものが、大抵の場合、4ソルとか5ソルとか言ってくる。さらに昨日、2ソルで買った店が、今日、買おうとすると5ソルと言われて閉口させられてしまう。
料金設定も不思議だ。600mlのジュースが1ソルなのに1.5Lのものだと3ソルになる。自分の持っている常識だと量が増えれば多少、値段が割引されるが、ペルーにおいてはそんなことはないらしい。でも、これで1.5Lのほうを買う人がいるのだろうか…。ボリビアでもタバコは箱で買うよりも、インドでよく見られる一本売りのほうが安く、愛煙家の自分はまとめて買うべきか、こまめに買うべきかよく悩まされた。しかし、インディヘナの経済感覚がよくわからない。
万事がこんな調子なので、何を買うにも食べるにも、これはボラれているのでは、といちいち疑ってしまう。クスコからプーノに向かうバスでさえ最初、20ソルといっていたが、あっという間に15ソルに下がるので本当に15ソルなのかとわからなくなる。

ただ、一概にこれは外国人料金とは言い切れない面もある。ローカル食堂で食事をすると2ソルとか3ソルでスープ、米と鶏肉や牛肉のメイン、それにお茶が飲食できる。しかし、ペルー人も入っているような適当なカフェに入ると、コーヒー一杯、あるいは手のひらサイズのパンに薄いハムが挟まっただけで2ソルとかする。たまにはコーヒーとパンの朝食を食べようとそんな店に入り、出てきたものを見て、ローカル食堂に比べてなんだこの内容は、高い、と勝手に憤慨していても、隣の席のペルー人はそんなことはないと平然と自分より高いものを食べている。
ペルーに限らず、南米では国内経済格差が大きいようだが、持つものと持たざるものが区別され、それが料金差によって表されているような感じだ。
ボラれた時はいちいち面倒くさい、その騙し取ろうとする根性を正せといいたくなるが、現実には持っている人間から多少でも取るしか彼らには上がっていく方法はないのかもしれない。

と、ペルーに対して文句を言っているけど、ペルーは本当にいいところだ。街もいいし、景色もいい。それに人も陽気だし、基本的には親切な人ばかりで、気兼ねなく笑顔で挨拶ができる。やっぱり一番笑いながら話しかけてくれるのはこういうボッてくる人たちなんだよな。マザーテレサじゃないけどなんで貧しい人ほどよく笑うのかね。

プーノに何日か滞在して、次はアレキパ近くの温泉町に行きます。

マチュピチュ -ペルー-

2007年07月06日 | Around the world 2005-2007
     


はい、マチュピチュでございます。
ペルーといえば、南米といえばマチュピチュ。ここは純粋に見てみたいという気持ちで遺跡を見るために交通費、入場料で大枚67USドルを払ってやってきました。

マチュピチュの開門は明け方6時。開門と同時に一番乗りで入って、誰もいないマチュピチュ見て、ワイナピチュから日の出を拝んでやるぜ、という計画の元、前日は荷物の準備をしておいたうえで、当日の目覚ましは4時にセットをした。列車の到着が夜10時だったが、なぜか12時頃に寝る。起きたのは5時半、出発6時…。よし、大体いつもどおりの展開だ。

朝6時でも外は明るくない。暗くてよくわからないが、ごつごつした岩肌を持つ背の高い絶壁の山に周りを囲まれている。日の出はだいぶ遅そうだ。
シャトルバスで行く方法もあったが、徒歩で行く。理由は、もちろん高いから…。川沿いに20分も道を下り、その川に架かる橋を渡ると後はマチュピチュに着くまで急坂の山道が続く。ジャングルのような山中には整備された石段が組まれていて歩きやすいけど、結構な急斜面を上がっていく。所要時間は約1時間半かかった。ややしんどい、けど朝は涼しくて気持ちがいいし、途中の景色も含めて、うん最初から悪くない。
悪くないけど、一番乗りはもちろん、日の出も山の中から見て、計画は何一つ達成できずマチュピチュに入場です。


 
 やっぱりマチュピチュが一番いいと思うのはこの方向から見た絵でした。
 入場すると最初にこの位置に出るので、いきなりハイライトキタ―――になる。 


 
 ちょっと中央から右側。太陽はこちら側から上がる。
 もう少し早くきていれば、もっときれいな朝の光で見れたなぁ…。


 
 予想していたよりかは少ない人出で、人が多すぎて訳がわからん状態にはならない。


 
 朝日のマチュピチュを見て早速、登った後方にそびえる山、ワイナピチュから見たマチュピチュ。
 おお、さすが「空中都市」と呼ばれるだけのことはある。


 
 マチュピチュ全景。
 広さ自体はそんなものでもないけど、この立地を考えると相当な作業だったんだろうね。
 今、作ったらいくらぐらいかかるだろうか。


 
 山頂への道。急斜面に幅の狭い石段部分。
 ここでこけたらかなりの惨事が起こるだろう…。
 今までに事故が起きていてもおかしくない場所だけど、ここには手すりとか安全のための物がない。
 その分、だいぶ自由に動き回れる遺跡だった。


  


 
 ワイナピチュ山頂で。


実をいえば、ワイナピチュに登っただけで既に足に来ていたのだが、奥のほうにあるグレート・ケイブGreat Cave(和訳は?王族の祠とか?それともただ単にすごいという意味?)にも、元を取ってやるという貧乏性から行ってみる。


      
 グレート・ケイブに向かう道。往復で約1時間半。


 
 グレート・ケイブ。
 この写真からじゃ何もわからないとも思うのですが、
 この巨岩は一枚岩のようで、それが左下の石垣と右側の岩によって浮いている。
 ん、これってどうやって作ったんでしょう?


 
 巨岩と石組みがぴったり密着している。
 最初は右の岩と一体で…、それをくり抜いて石垣を組んで・・・、右側と切断して一枚岩に見せている?
 でもここまでぴったり密着させることができるのかな。なんにせよすごい技術。


グレート・ケイブを見終わった時点で時計は午後1時を回っていた。これでマチュピチュに戻ったら・・・、2時過ぎになる。山の中に6時間もいたことになる。いかん、これじゃマチュピチュじゃなくてハイキングに来たような状態になってしまっている。しかも曇ってきているし・・・、さっさと戻って遺跡を見よう。


 
 今まで見てきたインカ建築の総集編って感じです。
 石組みの住居や儀式用の建物が並んでいて、水路も整備されている。
 保存状態もいい、整備もきちんとされている。
 ただ、マチュピチュに関する知識が少なすぎて、ちょっと目新しいものは感じられなかったな…。


 


 


     


 


     
     英語ガイドを盗み聞きしていると…、なるほどここはジャングル地帯らしい。
     まぁ、「ジャングル」の部分しか聴き取れなかったけど…。
     確かに山の様子は変わったし、昼過ぎからは小雨がぱらつくし、
     オリャンタイタンボから20km程度しか離れていないのに気候がかなり変化した。
     オリャ~アグアス間でどんな変化あったのか、歩いてみないとわからないね・・・。


 
 中ではリャマが放牧されている。
 観光客が喜びそうなことを心得ていらっしゃる。 


 
 リャマを眺めながら芝生に寝転ぶ。
 肛門が無防備すぎて浣腸をしたくなった。


 
 ぐるぐると遺跡内を回って、最後に上方からマチュピチュ全景を見て終わり。
 結局、閉門時間までいてマチュピチュ観光終了。


帰り道は再び歩きで戻る。久々にこんなに山道を歩いて、疲労困憊だったが、それでもグッバイボーイ(マチュピチュにいるチップ稼ぎの少年たち。バスよりも早く山を下って、歩道と車道が交差する各所で「グッバーイ」とバスの乗客に向かい叫んでチップを稼いでいる。)と競争して山を駆け下りてみたりしてアグアスカリエンテスへと戻った。今日はなんて健全な一日だったろう。なんだか久々にバックパッカーって奴に戻った気がするw。
アグアスカリエンテス(=お湯)にはその名の通り温泉があった。逆に体が冷えそうなぐらいぬるい温泉だったけど、ゆっくり浸かりながらこの一週間を振り返る。毎日、すごい楽しくて、充実していた。そんな充実感にも浸りながら、だからそろそろ帰ろうかなと静かに思い始めています。


タグ:ペルー、マチュピチュ

オリャンタイタンボ -聖なる谷、ペルー-

2007年07月05日 | Around the world 2005-2007
聖なる谷最後はマチュピチュに行く拠点になっているオリャンタイタンボ。ここにもインカ帝国時代の遺跡があるのでツアーできていた。雰囲気のよさそうな街があるなと思っていながら、ほとんど街を見ることができず残念に思っていたところだ。


 
 ウルバンバからのミニバス。自分のバックパックに羊さんが4匹寄り添いオリャンタイタンボへ。


 
 ツアーで訪れた時に。遺跡から見たオリャンタイタンボ。


 
 後日訪れたときに。上の写真にある山から見たオリャンタイタンボの遺跡と村。
 石垣でできた段々畑と建造物が残る遺跡。


 
 で、また上の写真にある山の遺跡。穀物倉庫だったらしい。


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 修復作業中だけど、建物の内部まで入れる。
 建物にいく山道は急斜面で途中からはあまり足場もよくないです。
 どうでもいいけど、もう靴底が平らに近くなっているのでちょっとしたことでこけそうになる…。
 もう新しい靴を買わなきゃと思い出しから3ヶ月がたっているな。。。


 
 修復現場。


     
     遺跡から見た村周辺の景色と子供たち。
     ここでは太陽が谷の流れに沿って落ちていく。


オリャンタイタンボは小さな村で家々は狭い範囲に寄り添うように立ち並んでいる。ここもスペイン風の街並みを持っており、広場と碁盤状の通りが基本となっている。狭い村だから碁盤だろうが入り組んでいようがあまり関係はない。あっという間にこの道を進むとあそこに出ると把握ができた。
街並みはまるで忠実にそのものを再現した映画のセットのようで、古い街並みがきれいに保存され、現在も使われている。クスコ周辺の他の町と同じく、石垣と石畳が基本の町だが、ここではそれに加えて街中に水路が走っていた。そして、水路の走る路地は人が4、5人も立てば埋まってしまうほど、道幅が狭いので、石垣が迫ってくるように両側に立っている。水の流れる音、人の歩いていない狭い石造りの路地裏、ファンタジーの世界に迷い込んだような気分になってくる。


 
 直線に伸びる石垣と石畳。
 んん、路地から遠近法を使え!!といわれているようだったね。


     


 
 ダンジョン突入みたいな感じですか。
 バックパッカーの間で雰囲気のある町を「ドラクエみたいだ」といったりしますが、
 この村はまじでドラクエです。


     
     水路を流れる水の音が気持ちいい。
     個人的には最低でも歩いて2、3日かかる
     ネパール、アンナプルナ山域のジョムソン街道の村を連想させられた。


 


     
     犬がよく寝転がっています。
     撫でていると他の犬が突っ込んできて、
     撫でられ権を巡って争っているなんてこともあるほど人懐こかった。
     まぁ、ただ単に発情期なだけかもしれない…。


 


     


 
 街角で。


     
     夜の街中。濃い暖色の白熱灯が灯されていて、夜の散歩も雰囲気抜群。


 


 
 表通り。
 観光産業の村なので、ローカル食堂もツーリスト向けの店も何軒かあって、不自由もしない。


 
 屋根の上に沖縄のシーサーのような置物が。同じような意味を持つものなのか。
 縄文時代に日本人が船で南米にやってきたという学説もあるし。
 インディヘナ(先住民族)の間でも顔つきが違うなと感じし、
 日系何世なのかもしれないけど、東洋人顔もいる
 アメリカ大陸の先住民族の先祖は、かつてベーリング海峡が陸続きだった時に
 ユーラシアから渡ってきた民族らしいけど。
 インディヘナとメスティソ(インディヘナと白人の混血)の違い
 といわれてもかなり漠然としかわからない。
 それに一口にメスティソといってもどちらの血が濃いのかによって意識も変わってくるだろうし、
 当人たちのアイデンティティはどちらに属しているのだろう。
 メスティソの間でも差別意識みたいなものはあるのだろうか。
 インディヘナ多数派国家の民族構成は謎が多いです。


いやあ~、オリャンタイタンボも本当にいいところだった。久々に心底リラックスできた聖なる谷の村々だった。ここも連泊してもいいところだけど、ひとまず、予約していた20時15分のオリャンタイタンボ発アグアスカリエンテス(マチュピチュに向かう最寄り駅)行きの列車に乗ってマチュピチュへと向かいます。

ウルバンバ -聖なる谷、ペルー-

2007年07月04日 | Around the world 2005-2007
前回、何の説明もしていなかったが、聖なる谷というのはクスコ近郊、周辺を6000m級の山脈に囲まれた谷の地域を指し、正確にはインカの聖なる谷と呼ばれる。山と田園の風景の中に点々と村々があり、チンチェーロのようにインカ帝国時代からの街並みや遺跡が残っている。

クスコ出発当日、マチュピチュ行きの列車を3日後に予約して、聖なる谷の村で3泊しようと思っていた。が、チンチェーロで気づいたのだが、間抜けなことに日付を間違い、予約は4日後になっていた。窓口でちゃんとカレンダーを見て確認しながら予約したのに、どうなっているんだ、自分の日付感覚は…。
チンチェーロにもう一泊とも考えたが、今は動き回る気力に溢れているので、延びた1泊をウルバンバですることにした。
チンチェーロからウルバンバへはバスで一本。約1時間で2ソル。移動中の風景は山、畑、空、たまに人、家、家畜、湖。後はひたすら山、畑、空、山、畑、空、…すぐに寝てしまった。昼間は半袖姿でいれるぐらい暖かいし、のどかだねー、ここは。

チンチェーロのようなど田舎を期待していたが、ウルバンバはそれなりの規模があり、村というよりかは町と呼んだほうがいい広さのところだった。でも、それってツアーで行ったときに知っていたはずなんだけどね・・・。
新しい建物もあって、街中を二輪車に座席をつけたトゥクトゥクやオートリキシャのような乗り物も走っていた。もちろん各種店も大体あって、中心部を歩いていると、なんだか特徴のない街に来てしまったなぁとも感じる。
けど、ここは住宅街の街並みがよかった。急激な斜面があまりなく、なだらかな斜面に町が作られているからか、ウルバンバの町は碁盤状に通りが整備されている。だから個人的には散歩の楽しみが減ってしまうのだが、ここではその直線に伸びた道沿いに伝統的な白壁の家が並んでいて、その道が高地特有の強い太陽に照らされ、上空には青い空があるから、そこにいるだけで気持ちがいい。やっぱり自分は高地の空と光と空気が大好きだ。
ウルバンバは広いといっても迷うほどの規模ではないので、碁盤の通りを突き当りまで歩いて、隣の通りを再び突き当りまで歩く、街中ではそんな歩き方をしていた。


 
 メインストリート。


 
 メルカド前。
 中央広場とメルカド周辺が中心部になっていて、ツーリスト向けの店も集まっている。
 トレッキング客の中継地点になっているみたい。


     


 
 中央広場。広場の前に教会が建つ典型的なスペイン風の街並み。


 


 


 
 街角で。
 女の子から「写真撮って」とお声がかけられることが何回か。
 街で女の人と目が合うと微笑んでくれるし、雰囲気が柔らかい。
 

 
 大人の男から声がかかることもあります。
 しかし、街で見かける働いている人は女性のほうが多い。男は一体どこで何をしている。
 どこかで肉体労働でもしているのだろうけど、やっぱり女のほうがしっかりしている・・・。
 


 
 メルカド内で。
それなりの規模を持った町だけにメルカドもしっかりした新しい建物に入っている。
周辺の村からも買い物に来ているのか結構な賑わい。


      


     


 
 メルカドで会った子供たち。


     


 
 ウルバンバの町近くを流れるウルバンバ川。
ん~、川の流れる音っていいな。天気もよく、意味無く川岸でぼけっとしてみたりする。


 
 町から少し離れた場所。川の側から眺めた風景。


 
 夕暮れの街角で。
 次はオリャンタイタンボです。

チンチェーロ -聖なる谷、ペルー-

2007年07月02日 | Around the world 2005-2007
 
 クスコからバスで約1時間の所にあるチンチェーロ村で。
 ここは日曜市と遺跡、教会があることで有名な村。


       


 
 入場券は遺跡と教会にはだけだろうと思っていたら、村に入るにもそのチケットがいるという。
 あの、この村に泊まっているんですけど、というと「あっちは別、こっちはだめ」だと。
 村ぐらいタダで見せてくれてもいいだろ…。
 実際には前日に遺跡サイドから通り抜けて村の内部にも入っていたたけど。


クスコから再びやってきた日は日曜日でチンチェーロではインディヘナの露店市が開かれているはずだった。ガイドブックによると観光のためではなく現地の人の交易のための素朴な市だという。宿を見つけて早速行ってみる。


 
 チンチェーロの日曜市。


 
 会場中央の屋根のある部分に食料品や生活用品、食堂がある。
 やっぱり都市部に比べて、伝統的な感じは強い。
 売っている人も買っている人も多くが民族衣装を着ている。


       
 といってもメインとなっているのは土産用の民芸品で。これって素朴なんだろうか…。


 


 


 
 教会前の広場でも市が開かれていた。こちらにあるのは全て民芸品。


 
 皆さん、ほのぼのと座り込んでたまに来る客に対して声をかけているけど、
 明らかに客の量に対して店と物の数が多すぎる。
 ぜんぜん売れている様子はない。商売成り立っているんですかね…。


 


 
 夜の広場。ツアー客は夜に多く来るようで、暗くなってから店じまいが始まる。


              
            ちなみにおばちゃんたちが自分たちで作っている民芸品は
            草木染で織られているとのことです。
            たまたま製作現場をのぞかせてもらった時に
            おばちゃんが何度も何度も「natural」と強調しておりました。
            その後でかなり高い金額で
            「アミーゴ、アミーゴ」と商売ちまったけどね…。


     
 村の中で会った子供たち。


 
 教会とその土台となる石垣。
 ここにはツアーで一度きている。
 その時は夜だったこともあり気づかなかったが、見事な石垣が残っている。


  


  


 
 クスコ同様にがっちり組まれた石垣。


 
 今は雑草が生えているだけだったが、ここは棚田として使われていたらしい。
 けど、畑のためにこんな石垣を作るのって…、
 その労力と技術はすごいけど何か間違っている気がする。。。


 
 遺跡周辺で羊を追っていた子供たち。


       


 
 夜の鐘楼前で。


チンチェーロは小さな村で遺跡と教会、市場が主な見どころだが、それ以外にも近くにピウライ湖Lago Piurayという湖がある。村から徒歩1時間ほどでいけるというので行ってみることにした。30~40分も森林と畑の中を歩き、丘を越えると湖が見えてくる。水は澄んだ濃い青色で周辺は畑に囲まれている。別に雄大というわけでもないし、珍しい風景ではなく、普通に人も住んでいるところだけど、それだけに何気ない田舎の風景と自然があって本当に気持ちがいいところだった。


 
 チンチェーロ周辺の風景。


 
 家畜がそこら中に放牧されていて、夕方が近くなると子供たちが羊や牛を追っていた。


 


 


 
 ピウライ湖。強い太陽に照らされてきらきらと濃い青に輝く湖面と空が幻想的な場所。
 前回、クスコの空はいまいちと書いたけど、こっちにきてみたらそんなことはなかった。
 かな~りいい感じの深い青色をしている。


 
 湖周辺で。
 こちらは晩秋といった感じで畑に作物は無いが、こんな光景がよく見られる。


 


 


 


       
      湖で会った子供たち。


 
 夕日に照らされた湖岸。


 


 


 
 山の向こうに夕日が沈んでいく。
 夕日を見て、湖を一周してから帰ろうと思っていたが、予想以上に長い外周だった。
 ゆっくり一周して、約4~5時間ぐらい。
 途中で真っ暗になってしまったので、ヒッチして帰ることになった。
 夕日を見てからじゃ歩いて帰れないし、湖岸に宿を作れば泊まりたい人が絶対いると思うけどな。


んん~、チンチェーロはいいところだった。クスコ周辺では一押しの村です。
3日後にマチュピチュ行きの列車を予約しているのでそれまでに聖なる谷の村々を見て回ることに。
次はウルバンバ。