ファミリー メンタル クリニック

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要するにひとりごと・・・

勉強を面白くしてはいけないという方針でもあるのだろうか?

2012年04月12日 | 児童精神医学
ボクは別に勉強は嫌いではなかった。
でも大好きかと言われると、それほどでもなかった。
ただ、高校で数学教師が偏屈者で(失礼)小言・嫌みをねちっこく言う人だった。
最初は問題を解くときに当てられないように下を向いていた。
でも、数学が嫌いな訳じゃなかった。中学の成績もずっと「5」だった。だからと言って大好きな訳でもなかった。
どちらかというと地元の高校に進み英語を勉強してアメリカ留学を夢見ている方だった。

高校のそんな嫌みな教師からぐちぐち言われるのもイヤで、予習をした。(結果として2年間担任となる教師でリタイヤ後は鹿児島の実家まで挨拶に伺った。今では年賀状も来ないところを見ると・・・・)
授業中に当てられても困らずに解答できるように。チャート式などで似たような問題を調べながら、教科書の問題を出来るだけ全て予習し解答を作っていた。

そんな勉強をしているウチに、「大学への数学」という雑誌を知った。
東大を志望している寮で同室の先輩が楽しそうに苦しそうに問題を解いていた。
高2になりボク自身も学力コンテストに応募するようになっていた。コアなファンになっていた(笑)

その雑誌は難しかったが、月刊誌だけでなく特集号や別冊などから問題を解き、解けないと解答を理解し、読んでいるウチに数学というモノが面白くなってきた。(難しくて解けずに解答を理解していくことが多かった。解答を理解する事さえ難しいこともあったが)
地学や地理など理科系暗記教科はクラスの平均点さえとれなかったけど。

数学は暗記物でなく、考えるところが楽しかったのだろう。

しかし、昨年高校1年生だった息子の数学問題を解いていると、何か、数学の醍醐味がなくてボクから言えばどうでも良いような問題ばかりだ。
小学生で言えば、漢字で”はね”がどうだ、”止め”がどうだみたいな国語の読解力を養っていく全く逆方向に神経を集中させるような勉強をさせている。
結果、考えるはずの数学が公式暗記教科と堕落しているように感じ、悲しかった。
数学は思考を実験し実践する場所であるという大命題が抜け落ちているのだ。
算数は別に得意じゃなかったけど、数学はいつの間にか得意とは言えないが、好きな教科になっていた。
実力テストでは得点源となっていた。(逆に足を引っ張っているのが理系なのに物理化学だった)

こんなことを言うと変態扱いされるが、難しい問題をずっと考え続け、aha! 体験を通過することは大事なことだと思う。
問題を解いて初めて、基本だよな・・・・やっぱり大事なのは・・・・と常に思い返す体験。
遊ぶことが楽しい高校生活で、こんな体験をする高校生は変なヤツかもしれない。


学ぶこと、思考すること、アイディアを絞り出すこと・・・・これは高校生でなく社会人になっても必要な事。
日本は暗記し、パターン認識がすぐれている高校生を送り出そうとしているようにしか思えない。
学ぶこと、思考することの楽しさを、せめて受験でランクの高かった高校に在職する教師は生徒達に伝えていくべきじゃないだろうか?

スポーツと同じように勉強でも、やって楽しかった! と子ども達が思うような学習方法を教授していくのがプロフェッショナルな教師なのではないだろうか?
文部科学省が教えろと言うことは、数年ごとに変わる。
そんなことはどうでも良い。
本質は何も変わらないはずだ。
教師は自分が教えている教科の楽しさを生徒に伝えていくことを真剣に考えて欲しい。

それとも子ども達が賢くなり自分の思考法を身につけ、ものごとを批判的に観察するような「科学的」「哲学的」態度を習得されると困ることがあるのだろうか?
そんな風に勘ぐってしまうのである。

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4 Comments

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Unknown (高校一年)
2012-04-14 22:08:06
私は、進学校に通っており、最下位です。
中一で落ちこぼれました。
マイナスの概念が理解出来ず(笑)
それが原因なのか、公理や法則などの疑っても意味のないものを、永延と考える状態になりました。その後、哲学に出会い、楽しく真理を追い求めることに。そして、一日中考える日々が始まりました。
勿論、成績は大変な事に!!(笑)


ですが、哲学により頭が良くなり、今では勉強が大好きです。
そして、マイナスの概念や公理などを、すんなりと受け入れられるようになりました。勿論、変な意味ではなく。


頭が良くなって分かった事があります。
教育を変えなきゃいかん!
わかります。 (とある理系大学の教育実習生)
2012-04-16 00:56:52
私は教職課程を取っているが、教育学部ではない大学生です。
私も主様に同意見です、そして多くの教職員の方も恐らく同意見でしょう。
主様が仰るような事を、教職員は教えたくても教えれない、教えている場合ではないというのが現実ですね。
今の教育は受験至上主義に成り果てています。本来の勉学の楽しさは、成績や試験の為の勉強ではないはずです。
教師は、文科省からノルマのように出される学習指導案に基づいて少ない時間の中で、受験に対応しうる力をつけさせなければいけません。
面白いと思える勉強ほど、受験のタメにならない事が多く、下手をすれば保護者から苦情を入れられてしまいます。
受験のための勉強だけをしていて『生きる力』など育つはずがありません。
続き (とある理系大学の教育実習生)
2012-04-16 00:57:30
面白いと思える勉強ほど、受験のタメにならない事が多く、下手をすれば保護者から苦情を入れられてしまいます。
受験のための勉強だけをしていて『生きる力』など育つはずがありません。

面白いと思える勉強とは『何故だろう?』という疑問をもち、知ろうとする心、理解する楽しさをもてるものだと思います。そんな面白いと思える勉強こそが、自分自身の教養を広げ、ひいては『生きる力』になるのではないかと私は考えています。

企業でも『即戦力』を今求めていますが、『即戦力』にしろ『生きる力』にしろ、急がばまわれという諺があるように、力を養う為には時間と確かな教育と多少の寄り道が必要だと思います。
即力を求めるがあまり、大事な事をすっ飛ばしている気がしてなりません。
『急いては事を仕損じる』、勉強を面白くさせる為には受験至上主義、成果至上主義から教育、社会、そのものが抜本的に抜け出す必要があると思います。

長々と拙い文章で失礼しました。
勉強が面白いと思えるには (ねこにゃんにゃん)
2012-04-29 10:41:55
お久しぶりです。結局、海外へ逃亡しました(笑) 日本語がおかしかったらすみません。

こちらで研修医や講師などを教えていると、色んなことに気付かされます。自ら考えてる力を持っていること、そして語学力が優れていることです。

大数、懐かしいですね。私も中学時代から学コンに名前を載せて喜んでました。私も息子には高数から勧めて、いま彼も医学部の学生です。

ただ、普通の患者さん、特に子供と接していると、優等生の論理が通じないことがあるのは事実です。最初の高1さんの愚痴の通り。ただ、原因の全んどはカリキュラムと教員の教え方によるものが多いですね。なかまたさんが時折愚痴ってるように、一部の理解のない教員や保護者や教育委員会の類が変な決めつけをしている、そんなことが日本では多かったです。

テツガクと言っても高校生の触れる範囲はまだ狭いと思います。私も副専攻で科学哲学を学びましたけど、思考過程を追い求めるのが数学や物理でないかと考えています。安斉育郎さ
んの『人はなぜ騙されるのか』(朝日文庫)をお読みになられると参考になるかと思いますよ。

# 適切でないコメントと思ったら削除していいですよ。(^_^;) 久しぶりに覗かせて頂きました。ペンネームも換えてます。