「笹川家と福山家の人々~明治・大正・昭和の時代を忘れないために~」
朝店に行ってみると、こんなタイトルの本が置いてあった。
作成者は笹川真理、社長だ。(私の伯父)
肱川と冨士山の写真が表紙。
おぉ~~~ッ!!!
何だこれは!?
凄い良いじゃないかっ!!
パラパラとめくると、曾じいちゃん、じいちゃんばあちゃん、
写真と文字でその時代と写っているのは誰なのかが書いてある!
読み進めると、なんだか暖かくじわぁ~ッと何とも言いようのないものが込み上げる。
そうかぁ~この人は爺ちゃんのお母さんかぁ。
そうかぁ~この人が良く聞くおじさんかぁ。
いろいろ聞いている笹川家の歴史上の人物も、こうして写真で見せてくれるとハッキリする。
私は常々思っていたことがある。
いったい私はどこから来たのか。
写真屋を継ぐのは本当に私達でいいのか。
社長が死んだら訪ねてくる親戚のこともわからんのに。。。
実際社長に家計図を作って欲しいと頼んではいた。
いつのことになるやらと、半分期待してなかったところへ
こんな本が置いてあった。
今日はばあちゃんの納骨日。
102年生きたばあちゃんが、8月にじいちゃんたちの所へ行って早2ヶ月が経つ。
そんなこんなもあってか、社長もこうした人物の記録が必要だと感じたのだろう。
聞くところによると、兄弟姉妹いとこ達にこの本を作って渡したそうだ。
最近思う。
写真にはとてつもない力があるということを。
こうして自分が同じ時代を過ごしていない人たちのことも
写真を通すと距離が縮まる。
そして、繋がっていることの安心感はこころの柱となる。
何気なく撮った日常の写真も、撮ろうという意志がなければ残らなかったものだ。
何を思いシャッターを切ったのか。
そういうところからも、深い愛情を感じる。
今は写真が日常に溢れ、あることが当たり前となり、誰でも撮れるようになった。
しかし、撮っただけで形に残すという作業はおろそかになっているのも事実。
写真(プリント)という物質にすることにより、それで初めて写真を撮ったといえるのかもしれない。データ保管というかさばらない便利さの中に、写真で残すという物質的な重みが不便であるという現代は、少々物悲しい。
手にする事で得られる重みは、感慨深いものであると改めて感じた一日だった。
この繋がりを私で終わらせないために、今私ができること、頑張ります。
そんなヒミの只今の歩数 5824歩
歩行距離 3315m
まずは体力づくりからか・・・。
そして、第二弾も期待したりしています(笑)
もっと詳しく、今度は家系図もつけて~とか♪
夢は膨らむばかりです(笑)
今のプリンターと言うのは、家庭用のインクジェットプリンターのことでいいですかね?
各種メーカーさんにもよりますが、以前と比べては格段に良くなってると思いますが、やはりお店でするほどのものではないですね。
姪っ子が産まれてから10年経ちますが、その時家庭用のプリンターでプリントした写真を実家に飾っています。もうほとんど見えない状態です。薄っすらと~という感じでしょうか。保管の仕方にもよると思いますが、私としては、やはりプリント屋さんでプリントすることをおすすめします(笑)
両家の家宝ですね。
昔のモノクロ写真って、威厳がありますね。
写真に撮られるってことは
きちんと正装して、記念に残す事。
だからこそ、古いモノクロ写真は一枚でもおろそかに出来ない重みが有るんでしょうね。
そこで気になるんですが、
今のプリンターで印刷した写真って、どれ位持つのかな~? (^◇^;)