福岡県での人権施策・女性の雇用問題の視察、及び水俣資料館の視察を行いました。水俣資料館では水俣病の全容と、その教訓を写真や資料とともに学びました。窒素肥料株式会社が、水俣において創業を始めたのが1908年でありますが、都市の発展とともに、垂れ流された有機水銀の被害が顕著に現れたのは1950年代であります。患者にとって病気の原因が分からない苦しみは、計り知れないものがあります。水俣病公害訴訟は、未だに裁判で争われています。半世紀余りの公害病闘いの歴史は、人類に大きな教訓を残すとともに、水俣市はその教訓を生かし、環境都市へと大きく変わろうとしています。希望を語る未来を子どもたちに残さなければなりません。