この世界で生きてゆくために

ありふれた毎日を繰り返し、時は過ぎていってしまう。
でも、どんな小さい事でも、優しい瞳で世界を見つめたい

長崎の鐘

2006年08月09日 21時16分02秒 | 社会、政治、経済
今日は長崎へ原子爆弾が落とされて61年目。平和を願う記念日です。
午前11時2分。上空で原子爆弾が炸裂した時刻に
長崎の鐘が鳴り、参列者は黙祷を捧げました。

61年前、一瞬にして7万名以上の命が奪われた。たった一発の爆弾で。
7万名といえば、横浜スタジアムを2回満員にしても足りない数です。
そして同じ数の人たちが原爆後遺症で亡くなり、今も苦しんでいます。

核実験ではなく、実際の兵器として人類の頭上で爆発した原子爆弾。
ヒロシマが最初で、ナガサキが最後でなければなりません。

長崎市長による平和宣言は、いまだに核軍縮が進まない現状に
「怒り」を表明しました。
あの日あの時、なにがそこで起きたか?を知っている長崎だからこそ言える。
そんな平和宣言だったのではないでしょうか?

アメリカはイラクへの軍事攻撃で劣化ウラン弾を使用しました。
核のゴミである劣化ウランでも、その破壊力は他の兵器の比では有りませんでした。
ですから、一瞬にして7万人、広島では10万人を殺傷できる核兵器を
「有効」に使いたい、そんな軍事大国の思惑が伺える今日この頃です。

しかし、その核兵器が一般市民の上で炸裂したとき、どれほどの被害が、
放射能による汚染が、長く人々を苦しめるのか?検証はされていません。
戦略的なミタリーバランスだけを考えて核兵器を語るのは非常に危険です。
そこには「人」は介入せず、国家指導者の力の争いだけが浮き彫りになる。
結局は、アメリカの大統領から朝鮮民主主義人民共和国の総書記も
核の犠牲者にはなり得ない。犠牲になるのは一般市民です。

私たちは広島と長崎の小さな声に耳を傾け、
大国の思惑という大きなニュースに惑わされる事無く、
真実と事実を、後世に、これからを生きる子ども達に伝えて行く。
そんな義務があると思います。

私たちは今、戦っています。そして勝っています。
平和が続く限り私たちは勝利し、戦争が始まるとき私たちは敗北するのです。
憲法9条の謳う恒久平和は、私たちの義務でもあり権利でもあるのでしょう。