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戦後朝鮮の「独立宣言」を認めなかった連合国軍

2019-03-09 13:27:09 | 韓国・北朝鮮
2018/2/28(水) 午後 7:05

そもそも、なぜ、朝鮮半島は分断国家になったのか。当時の様子をみてみよう。

1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾した大日本帝国は大東亜戦争の敗戦を国民にしらせた。ソ連の侵攻懸念や無政府状態を憂えた総督府政務総監遠藤柳作が治安維持のため、朝鮮人指導者によって冷静かつ公平に対処するよう、朝鮮独立運動家の呂運亨らに接触を図り、呂運亨は安在鴻と共に 「朝鮮建国準備委員会(建準)」を設置し、組織的な独立準備を始めた。

8月28日神奈川県厚木飛行場に連合国最高司令官としてダグラス・マッカサー元帥が到着、9月2日に横須賀沖に停泊していた米戦艦ミズーリ甲板上で日本政府は降伏文書に調印。

建準は独立の方針を巡って右派(民主主義)と左派(共産主義)が対立し混乱。当時中国で活動をしていた「大韓民国臨時政府」関係者も「朝鮮の正統な政府」としての自負から建準への協力を拒否。

9月6日に呂運亨は李承晩を大統領、自身を副大統領として、朝鮮人民共和国の独立を宣言。

朝鮮総督府の阿部信行陸軍大将や朝鮮軍管区司令官の上月良夫陸軍中将らはソ連軍の侵攻によって朝鮮半島が占領され共産化することを恐れ、総督府をはじめ主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を掲揚させた。

しかし、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再び掲揚させた。つまり、日韓併合は双方の調印に基づく合法的な併合であった、独立運動は一部の活動家らの運動に過ぎなかった、朝鮮人は日本人として連合国軍と戦ったなどからも連合国軍側の見解では、朝鮮半島は当時日本であったのだ。

朝鮮が別国家ならば解放したことになるが、アメリカ及びソ連は朝鮮人が自主的に樹立した政府に対し、一切の政府承認を行わず、9月7日には米軍司令部が朝鮮における軍政を宣言し朝鮮の即時独立は明確に否認し、米軍の軍政開始とともに日章旗は星条旗へと付け替えられたのだ。

9月9日の朝鮮総督府の降伏後、北朝鮮でソ連が、南朝鮮でアメリカ軍が軍政を開始し、共産主義体制、資本主義体制を各々の支配地域で確立していった。分断状態はこのようにして開始されたのであった。

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