門前町の宮町から仙台の静かな住宅街上杉を”街探”しました。
86番辻標「宮町(みやまち)/宝蔵院(ほうぞういん)」は、
宮町の門前通りと北六番丁通りの交差点に設置されています。
宮町は、ご存じのように、徳川家康をご神体とする仙台東照宮の門前町です。
1654年、東照宮が造営された際に町割りされました。
昭和30年代までは昔ながらの商店や農家が点在する静かな町でした。
かつては、御宮町、権現町ともいわれました。
中央奥に、仙台東照宮の鳥居が微かに見えます。
宝蔵院は、東照宮の別当寺として建立された仙岳院の塔頭のひとつ、
現在の延寿院と梅田川の間にありましたが、その後廃絶、地名にその名が残りました。
仙台北東部から市内中心部への車列が続きます。
※仙台東照宮については、以前参拝しましたのでこちらを。
仙台東照宮に参拝し,骨董市に行ってきました。 (goo.ne.jp)
3番辻標「北一番丁(きたいちばんちょう)/二本杉通(にほんすぎどおり)」は、
上杉コミュニティーセンターに隣接する上杉公園内に設置されています。
北一番丁は、広瀬川崖の上の支倉町から東に一直線、宮町に至る侍丁です。
最初は二日町、次いで二本杉通、最終的に東照宮がある宮町まで延長されました。
当時としては、大通りで、大身や中堅武士の屋敷が多く、敷地が広いので明治以降は、
学校や役所が設置され、静かな環境が残されたのでしょう。
二本杉通は、現在の空堀丁付近から、北七番丁までの通り。
二代藩主忠宗のとき、仙台城下北東の町割りの際、「杉山」の名がつく通りができ、
小身の組士が置かれた侍丁でした。また、通りの北端には、
町名の由来ともされる朝日神社があります。源頼朝の奥州征伐にさかのぼり、
姥杉、翁杉と朝日巫女の伝説など興味がつきません。あらためて、確認してみようかと思います。
上杉公園は、都心にありながら、広々として静かな空間です。
辻標と並んで、「東北中学校開校の地」という石碑も設置されていました。
今の東北高校の前身が東北中学校、さらに明治三十年代に
「仙台数学院」としてこの地に創設されたということです。
創立九十周年に設置されたんですね。辻標ならずとも、
目に見える形で、歴史を刻み残すことは、ほんとうに大事ですね。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森