美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

『永遠と一日』

2007年05月28日 | 私の本棚


 

永遠と一日
藁科れい著
幻冬舎


瀬川幸子はウィーン在住の貿易会社支社長夫人で50歳。
ウィーン邦人婦人会の中でも一目置かれる存在である。
主人と義理の息子2人と、当たり前な幸せを感じて生きている。

ある日、幸子がウィーンの市場で、老婆から不思議な眼鏡を買う。
その眼鏡をかけて物語を見ると、その中の世界へ入って行くことができる眼鏡である。 幸子は誰にも内緒で、赤毛のアンやロビンソン・クルーソーの物語に入っていく・・・

そして、眼鏡の力を知った幸子は、自分の不誠実から死なせてしまった弟フカに会いに行く事を決心する。

(仲間と小さな弟フカを含めたメンバーでを結成し、楽しい活動を行っていた。オリンピックみたいに4年後にここに集まろうと皆で約束をかわし、中学生になっていった。4年後10歳のフカはその約束を楽しみに川原に向かうが、中学生になった幸子たちは誰も来ていなかった。そして、フカは引き返し、前日の雨でぬかるんだ下りの坂道で、ブレーキ故障のオートバイにはねられて死ぬのである。さっちゃんも10月20日の約束は憶えていたが、行かなかった。それどころか、フカが行くのを知りながら、自分は敢えて行かないという姿勢を示した。中学2年生、14歳の彼女はもはや、子どもっぽい約束ごとを気にかける、無邪気な女の子ではなかった・・・もし、あの時自分が約束どおり川原に行っていれば、フカちゃんも死なずにすんだと、彼女の心には大きな空白ができた・・・
フカが死んでからも、月日は同じように流れていき、そのころ彼女は心臓を病んで、病院通いを続けた・・・そして、いつしか回復した。フカは、思い出となった。)

数年後に事故で死ぬことになっているフカとの再開は、幸子の心に大きな変化をもたらすこととなる。
最初は50歳の今の自分の意識を持って眺めていた自分の子ども時代であったが、やがてそれが現実となっていき、50歳のウィーンに住む自分が夢の世界のように逆転していく・・・
やがて、
「私の人生は間違っていた」
クールで皮肉な気分のうちに半生を送ってしまった幸子が、見えない大きな存在に気づき、人生の光を今一度取り戻したいと本気で思ったその時大きな決心をして、神様に祈る・・・

「・・・闘うのに忙しく、気をはって、全身鎧で固めて。わたしの横で、人生は風のように吹き過ぎてしまいました・・・
でも、神様。もし、幸子が哀れだと思ってくださるのなら、堅い、この世の枠を一度おはずし下さい。幸子がをすることを、お許し下さい・・・」

そして、眼鏡をかけ、用意してあった小さな写真をじっとみつめた・・・

・・・帰ってきた。わたしは帰ってきた・・・・10月20日、弟のフカが事故で亡くなる日に幸子は帰ってきた・・・
ウィーンの市場では、50歳の瀬川幸子は急性心不全で死んでいた・・・


永劫の時間の流れの中で、意識あるものが刻む、無数の心象風景。夢。
地球での一刻も、ひょっとしたらすべて“夢”かもしれない。大いなる者の目から視れば。祈りは叶えられた。さっちゃんは、元の世界に自ら望んで帰っていった。いまごろ、川原でのメンバーとの再会を祝いあって、フカちゃん持参のいろんなお菓子を愉しみながら、ワイワイ笑いあっているのかもしれない。
そして、フカちゃんはひとりで山道をくだること、交通事故にあうこともない・・・さっちゃん、幸子。名前の通りの“幸せ”にすこし近づいたのかもしれない。瀬川幸子(旧姓・いまいさちこ)、50歳。彼女は最後の冒険の旅に出た。


昭和30年代という時代が、自分の子ども時代にも重なり、現実味をおびた描写で、単なるファンタジーとは言い難い、深く心に響く作品です。

永遠と一日藁科 れい幻冬舎このアイテムの詳細を見る

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遠藤泰弘 | トップ | クラス通信 2007年5月29日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

私の本棚」カテゴリの最新記事