美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

教育雑感

2016年02月20日 | 学校・教師考

高校入試、中学入試が一段落し、後は、合格発表者数に対して、実際の入学者がどうなるかという最終段階を待ちます。

学校説明会や入試広報で、まず学校に魅力を感じてもらい、受験してもらう。 これが出発です。定員200名を設定しているのに、受験生が100名しかいなければ、その私学は破たんしていきます。ですから、どの学校も入試広報には力を入れて、受験生を集めようとします。そして、無事受験生が集まり、入試日を迎えるのです。

しかし、今度は次の段階が待っています。「歩留まり」と言いますが、合格者が200人発表されても、4月の入学者は160人とか減ってしまうと歩留まりは80%です。入学しなかった20%は、他に第一希望の学校があり、そちらに流れた…という事となります。この歩留まりの計算が各学校によって変わってきます。

歩留まり96%の学校もあれば、歩留まり40%という学校もあります。歩留まりが少ない学校は、それを見越して合格者を多く発表しなければ、最終的な定員を満たすことが出来なくなります。200名の定員を確保したい場合、もし例年の歩留まりが80%というのであれば、合格発表は約250名出す必要があります。そのためにはそれ以上の受験生に受験してほしいわけです。

しかし、単に受験生を集め、入学者を確保しても、その実態が、学校のやりたい教育に合致していなければ、生徒にとっても学校にとっても不幸なことです。いかにほしい生徒を確実に確保するか…ということが各学校の入試関係者の思いです。

受験する方は、どの学校を選ぶのか…全く自由です。中学入試ですと親御さんの思いが学校選びの基準になってくるケースが多いです。高校受験になりますと、この高校でこんな生活、こんな高校3年間を過ごしたいという受験生の思いが具体的になってきます。学校選びも、受験生本人の気持ちが最後に優先されているケースが多いです。

学校選びの判断基準はいろいろありますが、一つの視点として、「学年の入学者数と卒業者数の比較」ということが意外とチェックされていないようです。就職活動で、会社選びを進める時には、給料や業績ばかりではなく、離職率を見なさいと指導されます。ずっと続けて働いている人が多いのか、5年もしないうちにそれなりの数の人数が退職するのか…という指標です。今、学校にもこれが当てはまるような気がします。

入学した生徒が、卒業までに消えていく…他校に転校していく… その率が多い学校は、生徒一人一人の個を大切にできていないのではないかと想像してしまいます。もちろん留学などで1年学年がズレるというケースもありますが、毎年毎年の流れで、留学以外で学校を去ってしまう生徒が多いというのは何か負の側面が学校にあるのではないかとも考えてしまいます。

 

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教育雑感

2016年02月18日 | 学校・教師考

2016年度高校入試が終わりました。本校はA方式入試、B方式入試と二つの狙いの違う入試を実施しています。

1993年より導入したB方式入試は、関西学院高等部の社会へのメッセージでもありました。高等学校が大学受験の合格者数だけで比較されてしまう今の世の中ですが、偏差値の尺度だけでは測れない生徒の能力や姿を評価して、関西学院高等部で教育していきたいという考え方のもとに創り上げた全く新しい考え方の入試で、当時は大変革でした。中学校の先生方からも多くのご教示をいただきながら、兵庫県私学連合会との度重なる調整をしながら、あるいは部内の反対を説得しながら創り上げていった入試です。

この十数年で兵庫県の私学情勢もかなり変化してきました。

6年一貫教育で大学受験を目指す多くの私学は、中学3年生で高校1年生の課程に入り、高2で高3の課程までを修了、高3では大学受験に向けての演習を行う…  そんな学校が増えたと思います。

関西学院中学部、高等部は学年を超えての授業の先取りはしません。学年ごとの教科書を使って授業展開をしています。しかし、それぞれの単元で上の学年で扱う内容に踏み込んでいったり、実験や演習を多く導入しながら、一人一人の理解や思考を深めるような教科指導を考えています。

特に関西学院高等部では大学受験のための演習という事ではなく、今、よく言われている「アクティブラーニング」の学びの実践が昔から行われています。問題解決能力は、実際に自分が働きかけて、感じて、考えて、判断して、時には間違えて…、そして、見直し… を繰り返しながら獲得できる能力です。机上にかじりついて試験問題を解く能力とは一線を画するものです。

グローバルというキーワードで、文部科学省主導で全国の大学改革が進められています。

大阪では先日、大阪府大と大阪市大の統合が決議されました。マンモス校が誕生します。一般的にマンモス校は、実績を上げる一部の学生の陰で、多くの学生は放置されます。個人を大切に活かした人材教育を進めたいと考え、その効率を上げようとすると、多くの普通の個人にまで手が回りません。

関西学院大学も昔から比べると学部が増えて大学の規模は大きくなりました。関西学院中学部・高等部も男女共学となり生徒数が増えました。そんな環境の変化はありますが、普通の個人が豊かに学び、平和を築き上げる社会の大切な一人として生きていく。活き活きと生きていく。そのための教育であるべきだという見識は変わることはありません。入学した生徒全員が、豊かに学び、チャレンジし、失敗しても間違えてもそこからより深く思考し、新たな自分を育んでいけるような、そんな教育実践を考えていきたいと改めて感じています。

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『私の私学考 私の学校改革と学校教育の視点             尾崎八郎』

2012年02月11日 | 学校・教師考
関西学院の継続校として、女子校であった啓明女学院が共学の学校となって10周年ということです。
この10年啓明学院は大きく生まれ変わりました。
当時、関西学院高中部長であった尾崎八郎先生が啓明に移られ、校長として新しい学校作りをスタートされたことが思い出されます。

2012年度からは男子校であった関西学院中高が共学としての歩みを始めます。
共学校としての先発である啓明学院から学ぶべきことは多くあると思います。

当時学校改革に着手した尾崎先生がまとめられた文章を掲載させていただきます。




私の私学考 私の学校改革と学校教育の視点
(「私学経営」No.349 平成16年3月号より) (2004年)
尾崎 八郎 (啓明学院中学校・啓明女学院高等学校校長)(当時)



 私が関西学院高中部長から本学院の校長に転じて、早くも三年が経過しようとしている。その間、さまざまな分野で学校改革を進めてきた。
メソジスト監督教会の宣教師J・W・ランバスとその家族の手で創られ守られてきた同根の姉妹校として、関学と啓明はランバス教育協定を結んでいる。女子高は関西学院大学協定校として一八名の推薦入学枠を持ち、二年前に共学に改組・開設した関西学院大学継続・啓明学院中学の生徒は、上ヶ原の高中部の生徒と同じ条件での大学推薦入学を予定している。
三年前は一学年八クラス編成の女子高生徒と、一学年一クラス編成の女子中生徒が在籍し、すべて定員割れで全校生徒総数は八五〇余名であった。現在は八〇〇名弱の女子高生徒と、一二名の女子中学生(三年生)、二二〇余名の共学中学生(一、二年生)が在籍しており、生徒総数は一、〇〇〇余名である。今後の五年間で、共学中高各学年は四クラス編成とし、高校募集の女子部は各学年二クラス編成として、全校三〇クラス編成で生徒総数一、二〇〇名を計画している。私学審議会の承認を得たので、今春の中学入試から四クラス募集を始めることとなった。講師は一昨年度末に大部分の入れ替えを行い、専任教職員は昨年度末に全体の約四分の一に当たる一五名余が入れ替わった。
 私自身、関学で開発し、実践してきた経験と財産を、啓明の風土に生かしながら改革してきた。ただし、目標と方針は明示するが、運営は現場の皆が実状を考慮し、その理解と共感にしたがって、ステップ・バイ・ステップで前進しつつある。その一端と教育への思いを述べてみたい。

私学教育とは何か?

 私立学校をべースにした教育が需要に応えられるかどうかは、チャレンジ性とプロテスト性があるか否かにかかっている。

 私学教育は授業料をいただく。公立より高いという批判は多い。私が教職員たちにいつも言っているのは、「公立より高いのは日本の税制の問題もあるし、理事会の課題であるからあなた方には直接の関係はない。ただし、生徒一人ひとりの家庭の実状には注意してほしい。ただ、中身(教育の内容と熱心さ〕に比べて高いと言われたらあなた方の負けだ。授業料は『中身に比べたら安い』と言われるようでないといけない」ということである。
 後で述べる「必修授業五日制と土曜選択講座」という組み立てでやっているのも、その観点からだ。ある学校は、土曜日を休みにしながら、土曜日分の授業料を生かさないところもある。本学院はそういう学校とは考え方が違う。

 教育には、精神的環境とともに知的環境が大事である。ある家庭では、食事の後、それぞれ自分の部屋での個別の時間を持つ前に家族の時間を共有する。そのときにわからないことがあったらすぐに確かめられるよう、茶の間には百科事典が置いてある。今ならコンピューターですぐに検索するということになろうか。聞くことが歓迎される、知らないことを知りたいと言うことが喜ばれるのだ。またある家庭では、父親が仕事に疲れ果て、一杯引っ掛けて帰ってくる。子どもが「お父ちゃん、これはなに?」と聞くと、「うるさい。学校の先生に聞け」。聞くことは悪である、聞くことは家族を不愉快にする。そんな環境で育ったら、知的能力がある人間でも質問力がそがれてしまうだろう。これが知的環境の差である。

 私立学校に求められているのは、質の高い精神的環境であり知的環境である。したがって、相対的には公立学校の六倍から七倍の授業料を払う。そのとき、「ほかに行く学校がないからしょうがない」と思うか、「こんなところに私のための学校があった。中身を考えると高くない」。それなら保護者は苦しくても授業料を何とか払おうとするだろう。
 そして、それが親としての喜びと誇りになるに違いない。
なかには、「私の生涯の原点となった母校のために」とか「バスでいつも親切にしてくださった生徒さんのこの学校に」とか「散歩している私にいつも声をかけて挨拶してくださった生徒さんのこの学校に」とか「私は子どもがいないから、学校に遺産を寄付します」という寄付者も現れる。そういうときは奨学資金にあてさせてもらったりする。個人名を冠した奨学金がないのは、本当の伝統ある私学とは言えないと思う。もっとも日本は何でも補助金制度である。アメリカは補助金の代わりに免税措置を講じる。学校に寄付したら損金扱いで所得税が安くなる。日本でも、私学や研究機関やボランティア団体などに寄付した場合、免税措置をすれば寄付する人は大勢いるのだが……。

-本を読め-

 教育の目標は、霊的インスピレーシヨンを与えること、知的意欲を内面からあふれ出させることにある。私たちの目指すところは、全人教育であり、人間教育である。メソジスト運動を創始したジョン・ウエスレ-流に言えば、whole-human である。知識だけ、あるいは運動能力だけ、そんな一部分だけを取り出すのではなく、人間をまるごと捉えて学ばせたい。つまるところは、人間力の向上である。
 一つは基礎学力の徹底である。これには反復練習が必要になる。その一方で、生徒が自らの知性を開発しつづけることも欠かせない。中等教育には、その両面が必要になる。
「本を読め。友と交われ。汗をかけ。」本学院の通用門を入ると掲示板がある。そこに掲示しているポスターの言葉である。
 ウエスレーは、教育には、read, meditate, learn, teach の四つの動詞が大切であると述べている。日本語で言えば、「読む」、「熟考する」、「学ぶ」、「教える」の四つである。
本を読むことは、考えることを促し、学ぶ意欲や目的意識を引き出す。学んだことは他人に教えることで、真に自分のものとなるのだ。

 この三年間私は、図書館の整備と図書館機能を活用できる生徒の能力の育成に努めてきた。本学院は、コンピユーター基礎の学習を、中学一年で必修にしている。それも、関学の大学の情報教室を利用させてもらっている。そういう授業を支え、授業から飛び出したものを拾える図書館の存在と整備を、授業改革とともに最優先事項と位置付けてきた。リファレンス業務に対応できる司書の育成と配備。そしてそれを活用できる生徒の能力の育成。それらは立体構造になっている。そのために、二教室サイズだった図書室を七・五教室サイズに拡張し、事務用コンピューター五台のほか、生徒用二二台を設置した。今は専任の司書教諭一名と非常勤の司書二名の体制だが、将来的には増員が必要になる。
生徒が自らの知的な興味・関心を探求しつづけ、発展させつづけるために図書館と連携していくのは欠かせない。それとともに、もう一つの側面、生きた人間の人格、行為によってしか伝えられないものも与えたい。それが、専任の先生による授業と合わせて、土曜選択講座である。「本を読め」という言い方の中にそういう構造が含まれている。

-啓明文庫を作れ-

 公立の学校と明らかに違うのは、図書館の利用率にある。県立高校で図書館の年間平均貸出冊数が一人五冊を超える学校は珍しい。それに対して関学高中部では年問平均三五~四〇冊にのぼる。本学院の中学は各学年に読書科授業一時間を設けたので肩を並べている。高校一年のみ読書科授業一時問の高校も、まだそこまで達していないが、上昇中である。
本学院の生徒たちは読みたい欲求を持っている。そこで、読むに値する本をガイドすることが必要だ。私は、本学院の生徒のための推薦図書を集めて啓明文庫を作れと言っている。これは通知簿には現れないが、六年間なり三年間なりの蓄積はとてつもなく大きい。さらに一度獲得した読書の習慣は、生涯にわたって変わらないものだ。
 図書室には質の良い本ばかり並べても、生徒は寄りつかない。図書室は面白く、生徒の溜まり場になって初めて生きる。食堂の入り口がいいだろう。本はなくなってもやむを得ない。持っていかないような本が並んでいてもしょうがない。前任校の例だが、なくなっても、呼びかければ半分は戻ってくる。そのまま卒業記念だと勝手に称して返却しないとしても、一〇年程して五万円とか一〇万円を持って謝りに来たりする生徒は可愛いものである。

 今、女子高の生徒たちの優先課題は、単なるテストの学力ではない。読書量と質を上げることだ。それで授業がさらに活性化する。授業する教師は図書館をあてにできる。生徒は図書館をもっと活用するだろう。そして、先輩が後輩に手渡していく本が、自然発生的に生まれればいいと願っている。後輩たちは、なぜか先輩から『この本を読め」と言って本を渡される。先輩から後輩へ手渡される知のバトン。それが啓明の文化を育てるに違いない。


-友と交われ。汗をかけ-

 「友と交われ」というのは、生きた生活体験をしてほしいということである。友情の醸成は生涯の財産である。今まではクラブ活動が主であった。全国大会や世界大会につながる経験を持つサッカー部、体操部、ソフトテニス部などがそれである。しかし、もっと自発的・個人的なチャレンジが可能であり、人と人とが生きて触れ合う中で、人間の生活に本当に要るものは何か、人間の条件として、それを見極めていこうということだ。そのために、千刈キャンプ(山)や青島キャンプ(海)で共同生活を体験させ、今また知的キャンプの場として前島学舎(岬)を開設したのである。
 それは「汗をかけ」にもつながってくる。「涙は人をだますが、汗は人をだまさない」という言葉がある。本学院の生徒たちが、額に汗してする仕事やボランティア活動に参加する質量は、他校の生徒を圧倒している。生きた人間の口から発した言葉、行為によって、生きた生活を体験する。クラブ活動とは違う形のものが生まれる。それが本学院の組み立てである。行為の人マザー・テレサの口からつむぎ出される真実の言葉の美しさに、私たちはどれほどの感動を受けたことだろうか。



-関学より進んだ部分-

 本学院には関学以上に進んだ部分もある。土曜選択講座ははつきり体系的に位置付けし直している。
 必修授業五日制と土曜選択講座・自由研究という組み立てでカリキュラムを組んでいるが、押しまくられて五日制にしたのではない。むしろ、最初からそれを積極的に生かしてやれという発想がそこにある。平常の授業では持ち込み得ないもの、しかも、建学の精神に照らして展開してやりたい授業、あるいは、単位認定を前提にした上で、平素の授業では組み難いが進路によってはその科目がほしいもの、そういう授業を土曜日に集中してやるのである。
 たとえば、大学提供講座はものすごく生きた形で根づいている。三大学提供の三本の講座(・「知性的な豊かな女性の人生を考える」・「幼児教育・保育を考える」・「介護を体験的に学ぶ」)のほか、関学出身者の研究者たちによる「奉仕のための知的可能性を学ぶ」がそれである。

 さらに、大学提供講座とは銘打っていないが、ブックライター養成講座やジャーナリスト入門講座は、内容から言えば大学と同等の内容を生徒たちにわかる言葉でしてもらっている。子どもたちのひたむきさを考えると、言葉の理解力に乏しいところはあるが、モチベーションが高いだけに、生徒の反応はよい。講師たちも最初は、「大学生でも聞いてくれないのに、女子高ではムリだろう一と言っていた。しかし、今はいろんな工夫をして教えてくれ、啓明のファンにもなってくれている。大学教育へのプレップ一スクールとしての役割と、豊かな生涯学習への姿勢を育成しようとしているのだ。

 そういう中で、生徒たちも進化してきた。手話講座に自ら取り組んで、全国コンテストで審査委員長特別賞を取ってくるようなチャレンジャーがいたり、あるいは、鳳風杯争奪の立命館宇治の英語弁論大会で、二〇〇人以上の中で最後の決戦に残った一五人の中に中二の女子が入っていたりする。従来なら、学校の売り物は、「クラブ活動でこれだけの成績を上げている」しかなかった。本学院は、クラブ活動も盛んだが、個人的なチャレンジャーが中学男子を含めいっぱい育ってきている。これは本学院の誇りである。今年来た年賀状の中でも、「こういうチャレンジを私はします」という言い方をする生徒が多い。

 それも、土曜選択講座の好影響である。ある意味で非常にスピリチュアルであり、知的な命題を高度に自分に課した講師たち今までなら大学生の教養ある学生を相手にしかしゃべらなかった人たちが、全財産を引っさげて中高生を相手にしてくれている。また、看護系大学に進学したい生徒には進路に沿った小論文指導もしてもらっているが、読書指導の行き届いていなかった女子高の生徒たちには最初の数時間にコンパクトに読書指導を取り込んでもらっている。少なくとも士曜選択講座の目的性と実践性は、本学院のほうがより明確である。
 また、同根のパルモア学院(英語教育の専門学校)と英語教育協定を結び、英語関連資格を取りたい生徒は、土曜選択講座としてパルモア学院へ通学している。現在でも関学大への推薦者は、全員英検二級以上を取得している。


-土曜選択講座は起爆剤-

 土曜選択講座では、建学の精神に照らして、展開してあげたいこと、やらねばならぬこと、それも普段できないことをやって、活性化しようとしている。土曜選択講座をおまけというつもりは毛頭ない。ものすごい起爆剤だ。
そこで魅力ある授業をされたらどうなるか。初年度、最初に受けた女子高生は、「うちの先生にあれをやってほしい。内容があって魅力のある授業をうちの先生にしてほしい」と言った。女子高の生徒たちは、普段の授業との質の貧富を痛切に感じたわけだ。その生徒の本心は、誇りを持って「わが校の先生」と言えるような教師に習いたいのである。授業評価が彼女たちの中に芽生えたのだ。 教師たちの反応は、大別すれば二極分化であった。私たちの意図をよく理解して、もう一回真剣に授業に取り組もうと考えた教師たち、よく勉強して授業に工夫を凝らす教師たちの教室は、たちまち生徒の集中度が変わってきた。質問数が増えてきた。今までは、技術的な質問はあったかも知れない。しかし、そういうのを脇に置いた、習いたいことの本質を突いた質問が増えてきた。生徒がわかりたいと切望しはじめているのだ。

 「次はどんな本を読んだらいいのでしょうか」と聞いてくる。教師はその生徒のために読書計画をつくってやらないといけない。旺盛な質問力を持つというのは、旺盛な問題発見能力を発揮しはじめたということだ。その生徒の学ぶ意欲が高まっているから、質問力が高まってくる。問題発見能力と質問力の豊かな生徒が育ってきたら、一方通行の授業では済まなくなる。どの土俵に引っ張り込まれても「さすがは先生」と言われるものを持っていないといけない。仮に知らないことがあったとしても、それがどういう話か見当はついているということでなければならない。
 土曜選択講座は、単なる誘い水とか潤滑油ではない。そのもの自身が本来の生命力を持っている。命を持っているから誘い水になる。それであるが故に、周りを復活させる力を持っているのである。


-求められる教師像-

 そういう中で、教師自身が授業するのが楽しい、授業準備をするのが楽しい、授業から飛び出していく生徒を見るのが嬉しい。そう思えるためには、実は、自分の授業の能力を上げるしかない。
乏しい財源のため、ボーナスをカットして経営の合理化を図る一方、カットしたものをすべて研究出張補助費や個人研究補助費で支給するようにした。さらに、研修予算も取った。積極的に研修会に行ってくれ、できれば学会に所属してくれ、そういう勧めもしている。今、英語教師の一人は、文科省の留学制度を活用して、一年間のイギリス留学中である。特に自然科学系の教師については、すべてマスターの取得者、または博士課程後期の修了者を採用して、大学の研究室との連携を生涯持ち続けながら中-高の教師をしていただくよう奨励している。他の教科もこれに準じているので、英語・国語等で大学教員からの移籍者もいる。

 もう一つは、もう一回生徒と苦労してやりたい。それは自分の喜びでもあり、自分の楽しみでもあるという教師たちが、再度自分で自分を育てようとしている。自主的に授業改革の工夫をしている教師たちが、雨後の竹の子のように育ってきている。非常に多忙な中で講演会に行ったり、フイールドワークやリサーチに出かけ、ノートを取ってきて、私にレクチャーをしてくれる教師もいる。 自分の可能性を信じられない教師には、生徒の可能性も信じられない。彼らには、生徒と格闘するという意気込みすらない。生命力もない。生命力がない教師に、生徒のインスピレーシヨンや活力を呼び起こすことができるだろうか。生徒には、人間そのものが持っている生命力とか、向上心とか、神様が与えてくださった成長する力があるから、反面教師として乗り越えられる生徒もいるが、乗り越えられない生徒もたくさんいる。だから、親は高い金を払ってでも、教師を選び、学校を選ぶ。
「わかったら教えてくれな」と言って軽蔑されない教師。一緒に探求していける教師。しかも、本当は凄い埋蔵量を持っている教師。そういう教師であってほしいと思う。少なくとも、生徒に対して一生懸命になっていること。これが教師の最低条件だろう。その一生懸命さを感じられない教師は、人間として淋しい。
教師の評価は簡単だ、試験問題に全然工夫がない。生徒の口を全部信じるわけではないが、生徒の評価と一致している場合が多い。先日も試験問題と正解と正答表とを提出させた。試験問題と正答表だけしか出さない教師がいた。なぜ正解を提出しないのか。立ち直るチャンスのあるうちに生まれ変わらないのであれば、生徒のために対決しなければ仕方がないと考えている。


-これからの学力観-

 最後に、これから求められる基本的な学力観と教師が心がけるべきことについて、述べておこう。
もう一五年ほど前のことになるが、関学高等部の校舎建築の調査のためにイギリスに出張した。そのとき、メーデンアーレー校の校長から、教育方針を聞く機会があつた。メーデンアーレ-校は公立学校で、パブリックスクールに対抗意識を燃やしている。その教育方針は次の九つである。
(1)生徒の発達の方向を見定める。
(2)子どもがわかる教え方をする。
(3)クリエーティブ・イマジネーションが湧くような指示を与える。
(4)アートの達成。
(5)大人になってまでつづく学習愛の基礎を育てる。
(6)社会的人格的向上と成長。
(7)成人になったときの準備と自覚。
(8)コミュニティーの問題を自分の問題とする。
(9)生徒たちを最もよい状態に持っていく。

 私たちが日頃考えていたことと見事に重なっている。特に、改めて教えられたと再認識したのは、(1)(2)(3)(5)(6)(7)(8)は一連のものだが、子どもに配慮した大人に育てる教育という点と、(4)のような芸術教育(イギリスでは特に演劇教育が盛んである)の重要性であった。
特に今の子どもたちには、感性の尊重と表現する能力の開発が必要である。演劇の体験的学習をさせてやりたいのだが、今は器楽演奏を必修にした程度である。生徒たちの発表演奏の場所として、田の字型四教室分を小ホールに改装して喜ばれている。生徒たちは、時には卒業生を招いたりして、種々の演奏会を開いている。ある塾が演劇教室を併設したら、それに加わった小学五年の算数最下位の三名が、小学六年になって最上位の三名になったと報告してくださった。両白いものである。

メーデンアーレー校の教育方針に触発されて、これからの学力と教師はいかにあるべきかを私なりに考えてみた。
(a)教師が感動を持って教える。学問の面白さを教える。
(b)たくさんのことは教えなくてよい。教科の本当に基本的なことを教える。
(c)生徒たちの身の回りの出来事に結び付けて教える。身体で学ばせる。
(d)筋道を教える。構造化の能力(教えられたものをどう組み立てていくかという能力)を教える。
 私が自分自身を含めて願っていることは、つねに生徒たちが個別に持っている興味に対応できる力量と人間性を持った教師でありたいということである。

 徹底的に個人と向き合う教師、個人と向き合う授業が求められるだろう。そうかと言ってクラスをむやみに縮小すると勢いがなくなり、検証することができなくなる。つねに個別指導をしようとする姿勢と配慮でクラスの授業をする教師が求められているということだ。
 私たちが目指すところは、私立学校ならではの教育であり、学校である。隣人愛の感じられる、生涯の友情が育まれる学習と体験の場であり、「私の原点はここにある」「私の魂の故郷はこの母校である」と言われる学校である。「この変な私に堂々たる市民権を与えてくれた、私のための学校だった」「私の子どもたちにもぜひここで学ばせてやりたい」そう言われる学校。友人たちや子どもたちと肩を組み、誇らかに母校の校歌を合唱したい学校なのである。
教職員たる者は、すべからく、若い魂と生命の成長の輝きをともに歩めることに感謝しつつ、最善を尽くしたいものである。
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2012年度関西学院中学部の入試変更について

2011年06月18日 | 学校・教師考

関西学院中学部が2012年度入試よりいよいよ女子の募集を開始します。初等部からの進学者もありますので募集は

男子180名 (A方式、B方式)  →  男女230名*認可申請中 (A方式のみ)と変化します。

内訳は

一般入試 男子95名、女子45名 + 初等部からの男子45名、女子45名 + 帰国生入試 

この募集状況でどのような入試になるのか・・・これは学校側としても読みきれないところです。

 

阪神間には歴史と伝統に鍛えられた魅力ある私立学校が多くあります。

中高6年間に独特の価値観を生み出し、そんな中で自分の将来をしっかりと切り開いていく学校・・・

偏差値だけで学校を序列化・比較して、どこに入れるかではなく、人間の成長で最も大切で、最も輝く10代の大切な時代に、それぞれの学校生活のなかで、子どもがどんな風に成長していって欲しいか・・・

親としてしっかりと見据えて、学校選びをしていただけたらと思います。

  

「祈り、感謝、練達」

という言葉の中に関西学院中学部高等部の教育への思いを集約しています。

その言葉に込められた意味を理解していただき、関学の中高を選んでいただけたら嬉しく思います。

 

 

「神戸女学院と海星女子学院のレベルと比べてどうなるか・・・男子の合格レベルはどのぐらい上がるか・・・ 」

繰り返し繰り返し聞かれます。

「子供を不合格にしたくない。」

親として、塾として一番の思いです。

そして何よりも 「絶対に合格したい。」 という子どもたちの思い。

 

友達が遊んでいるときにも、勉強で一生懸命に努力している子どもたちの姿・・・関学に来たいというお子さんは本当は全員入学して欲しいのですが、どうしてもかないません。たった2日間の入試で見えてくるお子さんの力は限定的なもので、一人一人のお子さんの素晴らしい可能性を見抜けずに不合格を出してしまうケースは多々あります。本当に申し訳なく感じてしまいます。

厳しい入試になることは間違いないと思いますが、子どもたちの尊いチャレンジをしっかりと見守り、そのチャレンジを合否の結果に関わらず、その後の成長につなげていってもらいたいと心から願っています。

私立中学入試に関わる者としての大きな自己矛盾です・・・

 

 

B日程に関しての私見 ご参考までに

 ①A日程B日程同じ学校に出願するケース  ②より上位校の滑り止めとしてB日程に出願するケース  が多くを占めますが、実際にはA日程で成績上位者は多くが合格しますのでB日程を受験しません。そのため、出願時の平均偏差値と実際のB日程受験生の平均偏差値は大きく違ってきます(かなり下がることとなります)。大手塾などの偏差値表では出願時のデータが基になっているものが多いので、B日程の偏差値は随分と上がってしまうわけです。偏差値に惑わされすぎると合格のチャンスを逃がすケースも出てきます。

 

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第63回関西学院高等部卒業式

2011年02月19日 | 学校・教師考
今日は第63回関西学院高等部卒業式が行われました。
礼拝形式の厳粛な式が進行しました。
3年生の皆さん卒業おめでとう。



R.M.グルーベル関西学院院長のメッセージです。


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