広島の人・エポカわ~るど編集日記

広島の人に関する情報誌HP「エポカわ~るど」の姉妹編として、情報を提供します。

弾き語りストリートミュージシャン/清水十輝(とき)

2012年11月05日 20時21分14秒 | 日記

 
 清水十輝(とき)くんは、弾き語りストリートミュージシャン。
 広島本通り近辺を中心に路上で歌を披露。路上ライブの他、さまざまなイベントやライブハウスでも活躍中。ハーフとしてのキャラを生かして、洋楽オールディーズを主に、カバーのレパートリーを増やしながら、バイリンガルでオリジナルな作詞作曲を心がけている。
音楽がもたらしてくれる不思議な感動を人と分かち合いながら、広島で人脈を広げる。

詳細⇒http://www.epocaclub.com/

<一言メモ>
 
 清水十輝(とき)くんは18歳、童顔の人懐っこい青年だった。十輝は本名。周囲の人たちから「ときくん」と親しみを込めて呼ばれている。お父さんはアメリカ人、お母さんは日本人。両親は彼が幼いころ離婚し、今はお母さん、兄さん、妹さんといっしょに暮らしている。

 生まれは福岡、4歳から広島で生活している。小学校・中学校・高校に通学せず家で勉強し大検の資格を取ったという。
 これはお母さんの方針で、お母さんから英語・国語を習った。英語はバリバリ。
 
 十輝(とき)くんは言う。
「こういった境遇の子どもは意外に多く、数世帯が集まってホームスクールを開きいっしょに学んでいます。ぼくは最初7年、可部のホームスクールで勉強し、後の7年は千代田のホームスクールにいました。
楽しかったですね。仲間の団結力は強く生涯の友だちができました」

 十輝くんがギターに初めて触れたのは9歳、本格的に始めたのは千代田のホームスクールのときで13歳だった。
「最初は先生に習いました。上達すると仲間でバンドを組み、千代田祭りや八重管弦祭などで演奏しました。ぼくはベースボーカルやギター演奏をしました。洋楽のオールディーズやオリジナルフォークソングが中心です」
 と彼は語る。

 当初、広島平和公園の元安橋のところで路上演奏をしていたが、最近はイベント会場や、ライブハウス、小料理「ほの香」、お好み焼き「赤とんぼ」での演奏が主力になっている。

 昨年の11月12日、こんな企画を立てた。
『オリジナルクリスマスアルバム300枚が年内(2か月)に売れたら、来春インドに行く』
 そうしたら、なんと大晦日に完売した。

 彼はインドでの経験を次のように語る。
「インドの小・中・高校に行き演奏。1か月間に2000人の子どもたちと接触し、インド人の友人がたくさんできました。音楽を通じて平和を訴えたのですが、手ごたえがあったと思っています。インドの経験は、これからの人生を生きていくうえで宝物になると思います」

 今年の10月31日、半年間の旅に出かけた。北海道から沖縄まで、
全国47都道府県をヒッチハイクするというもの。「1か月に一回は広島に帰ることにしています。忘れられたらいけませんから」
 と笑う。

 車に乗せてもらえなかったらたいへんだね、というと、
「行く先を書いた看板を背中に背負って歩くので、親切な方が乗せてくださると思っています。いろいろな地域を歩いている自分を想像すると、心が躍ります。ともかくくじけないこと。これを最低の目標に頑張ります」
 と彼は答えた。

この出会い一語一絵に/想い絵描き人&スマイルアーティスト・POMU

2012年08月27日 19時58分34秒 | 日記
 

 POMUちゃんは、「想い絵描き人&スマイルアーティスト」です。笑顔のあるほのぼのとした作品を描いています。広島県三次市出身・在住で、中四国、関西を中心に創作活動を展開しています。広島カープが大好きな明るいお嬢さんです。


詳細⇒http://www.epocaclub.com/


<一言メモ>
 
 想い絵描き人&スマイルアーティスト・POMUと言っても、初めての人には何のことかわからないでしょう。
 POMUはいわばペンネームで本名は福間美保さん、26歳の可愛らしいお嬢さんです。
 彼女の創作に向けての情熱は並々ならぬものがあり、作品について次のように書いています。

「この出会い一語一絵に」
 一つひとつの出会いが、いろんな奇跡や縁を生むように、一つのことば一つの絵に全力をそそぎ、出会った一人のために作品をつくりたい。


 彼女の作品を見ていると、自然に笑いを誘われ楽しくなってきます。彼女は関西方面の各地を回ってお客さんと対面し作品を描きながら、新しいファンを生み出しています。これは彼女の人柄と作品力の賜物でしょう。

 彼女が高校のとき、サンリオのキャラクター「ポムポムプリン」に似ているということで、友だちがPOMUというニックネームをつけました。それが気に入ったので今も使っているとのことです。

 これまでで一番印象に残ったことは、オーストラリアに行き、1年間路上で作品を描いたこと。台湾、コロンビア、フランス、オーストラリアなどに多数の友人ができました。自分の作品が世界各地
にあると思うと、感動で心が震えたそうです。

 これからの夢は、一つは過疎地になっている故郷三次市川西地区の地域おこし活動に参画すること、もう一つは砂を使って一つの物語を描く「サンドアート」へ挑戦することです。

 彼女の将来に、心より拍手を送りたいと思います。

あなたに言葉の贈り物/路上詩人・アート書家/大杉剛巨さん

2012年07月18日 20時09分27秒 | 日記

 
 大杉剛巨(おおすぎ まさなお)さんは、2年前から広島市で路上詩人・アート書家として創作活動を展開しており、現在では活動範囲が中四国九州まで広がっています。
「あなたに言葉の贈り物」が創作の原点で、お客さんと対面して作品を書いています。そのほかにデザインも、看板・名刺・Tシャツなど幅広く手がけています。


詳細⇒http://www.epocaclub.com/


<一言メモ>
 
 大杉さんが脱サラしてから2年しかならないのに、作品の制作力が急速に向上し、活動範囲も飛躍的に伸びている。その秘訣を尋ねたら、彼は次のように答えた。
「 書道は正式に習っていません。『あんな字が書きたい』『こんな字が書きたい』と意識して、ただひたすら継続することを心がけてきました。まだまだ未熟です。正式に書道も習いたいと思っていま
す」

 大杉さんは、地元の皆実高校に入学し、それから天理大体育学部に進学した。体育の先生になりたかったが、教師の免許はとったものの採用試験に不合格、残念ながら志を果たせなかった。
 注文住宅販売のサラリーマンになり、2年後、携帯電話販売会社に転進。さらに住宅リフォーム会社に変った。

 2005年結婚、2010年待望の第一子に恵まれたので、これを機にサラリーマンを辞める決心をする。

Q その動機は?
A 仕事は好きでしたが、会社員である以上、会社のやり方を尊重しないといけません。自分のやりたいやり方と徐々にひらきが生じ、それと比例して辞めたい思いがふくらんできました。息子には、嫌々会社に出勤する父親の姿を見せたくないという思いで退職を決断したんです。

Q よく決断できましたね。
A 決断したらやるしかありません。『あの時辞めなければ良かった』と思うか、『あの時辞めて良かった』と思うかは、その後の自分の行動で決まります。『あの時辞めて良かった』と思えるように、ガムシャラに頑張りました。

Q 創作にあたって心がけていることは?
A 前向きになれる言葉を書くように心がけています。その人を安心させる言葉も必要かもしれませんが、その言葉でその人の成長を
止めてしまってはいけません。例えば『今のままでいいよ』ではなく、『今のままでも素敵だけど、もっと磨いてもっと輝こう』とい
う感じの言葉を書くようにしています。
 看板やTシャツのデザインは『この看板でお客様が集まるように』『このTシャツでみんなが頑張れるように』と、魂を込めて書いています。

Q この仕事を始めて変わったことは?
A 考え方が変わりました。自分らしい字を書いているうちに、『自分らしく生きていいんだ』ということが分かってきました。
また、意識して字を書き続けているうちに字の成長を実感でき、『意識して自分を磨き続ければ、もっともっと成長できる』ということに気づくことができました。
 これからも、型にはまらず自分らしく自分を磨いて生きていきたいと思っています。
  



ちょっと変わった不動産屋さん(有)アットホーム香川文人さん

2012年05月29日 20時36分22秒 | 日記

 香川文人さんは、広島市佐伯区美鈴が丘とその周辺地域を中心に、不動産業を展開している。彼は無類の勉強家で、広島市で二番目に不動産のホームページを立ちあげた。最近は、ファイナンシャルプランナーや公認ホームインスペクターなどの資格をとり、不動産業務の深化を目指している。「ちょっと変わった不動産屋さん」が、香川さんのプロフィールである。

詳細⇒http://www.epocaclub.com/


<一言メモ>
 
 香川文人さんのアットホームを初めて訪れたときは、正直なところ、これで商売ができるのだろうかと思った。
 アットホームは2階建ての住宅が立ち並ぶなかにあり、幟が2本と看板があるだけで、窓にも不動産屋独特のちらしがまったく張られていない。
 玄関に入ると、ピンポーンとドアホンの音がして、香川さんと奥さんが玄関に出てくる。靴を脱いで部屋に入ると、10畳くらいの部屋に、ところ狭しとパソコンや印刷機などいろいろな機器が置かれていた。

 不動産のPRはどのようにしてやっているのかと聞くと、
「10年位前から、ホームページを中心に雑誌広告やチラシ広告などでPRしています。16年前、初めてホームページを作ったときは、当社が広島市内の不動産会社のホームページの中で2番目でした。おかげさまで当分の間、たくさんの受注がありました。 
 今では不動産情報のホームページも増えましたので、ターゲットをしぼり美鈴が丘とその周辺地域を重点にやっています」
 と香川さんは笑う。
 謹厳・誠実・努力といった言葉が似合う人だ。

 パソコンとのつきあいも長い。当初はMS/DOSのパソコンを使っていたが、1995年に、アップル・マッキントッシュのパソコンを購入し、現在まで、17年間マックとつきあっているとのこと。現在、アップルユーザーグループの委員をしているそうだ。

 iPadもやっていると聞いたので、どんなメリットがあるのか尋ねると、
「最近は、一物件につき50~60枚写真を撮っていますが、印刷はとうていムリです。そこで、iPadでお客さんに見てもらうようにしています」

 どんな仕事に重点を置いているかと聞くと、
「これからの不動産の仕事は、片手間(不動産情報だけ)ではできないと思います。昔はお客さんに一部の情報だけ知らせていましたが、現在は消費者保護が強くいわれるようになり、情報公開が求められています。古いやり方では若い人に通用しません。そこででき
るだけ多くの情報を公開するように心がけています。
 そのほかに、ホームインスペクション(建物診断)やリフォーム、ライフプランなど不動産に関わる様々な提案ができる能力が求められるようになってきました。これに対応していくため、一生、勉強だと思っています」
 と彼は答えた。

 いちばん大切に思っていることは何かと尋ねると、
「お客さんの笑顔。それだけを楽しみに仕事をしています」
 
 ぼくの頭の中にあった不動産屋さんとは、かけ離れた人だった。 
 

チヌ釣り文化のレベルアップを図りたい/黒鯛寅次郎(羽納 純一)

2012年04月22日 19時39分00秒 | 日記
 
 黒鯛寅次郎さんは、その名のごとくチヌ釣りに命をかけている男です。
 26歳から15年間、チヌ釣り一筋に生きてきました。驚いたことに、息子さんの三平くんは2才半で小さなチヌを釣り、6歳で47センチのチヌを釣り上げたとのこと。
 黒鯛さんは、これからの夢を次のように語ります。
「プロのチヌ釣り師が、釣りだけで食べていけるような世の中にしたいですね。そのためには、チヌ釣り文化のレベルアップを図らなければいけません」

詳細⇒http://www.epocaclub.com/

<一言メモ>  黒鯛寅次郎さんは本名が羽納純一。チヌ釣りをライフワークにしている。 
 チヌ釣りの魅力について尋ねると、
「チヌの銀色の魚体に黒い縞模様がある姿は、魅力的・神秘的です。釣れるときは手がしびれるほど釣れますが、釣れないときはいくら撒き餌をしてもまるっきり反応がありません。チヌは狡猾・貪欲といわれながらも、気高く純真といえる魚です。 
 チヌ釣りは、磯のほかに防波堤、いかだでもできるのが魅力ですね」 
 と彼は答えた。  

 黒鯛さんがチヌ釣りを始めたのは26歳だった。 
 27歳のときに結婚。結納の前日に船で磯に渡った。初めての磯釣りだった。大雨と強風という最悪のコンディションのなかで、50センチと45センチのチヌを釣り上げた。 
 ところが、思わぬアクシデントが起きた。強風のため金網の底が抜けてチヌが逃げ出したのである。彼はチヌが泳いで逃げていくのを見て涙が出たという。  

 それから大スランブに陥り、まったく釣れなくなった。それにもう一つ大きな悩みがあった。結婚して6年にもなるのに、子どもができないのである。 

 彼は思いあぐねて、1年間は釣りをしないと願をかけたところ、すぐに子どもに恵まれた。さっそく釣りを再開する。不思議なことに大物がばくばく釣れ始めた。彼は釣りの神様がいると思ったそうだ。  

 生まれた息子の三平くんは、お父さんの血を確実にひいたいた。2歳半のとき小さなチヌを釣り、6歳のときにはなんと47センチのチヌを釣りた上げたのである。  

 黒鯛さんは、これからの夢を語る。
「プロのチヌ釣り師が、釣りだけで食べていける世の中にしたいですね。アメリカではバスフィッシングで、年間2億円の収入のある人がいるそうです。 
 広島は全国的にみてもチヌがよく釣れるところで、広島のチヌ釣りは非常にレベルが高いんです。広島からチヌ釣り文化を広げていきたいと思っています。 
 現在のいちばんの課題は、釣り場が汚れていることです。われわれプロ仲間は、1つずつゴミを拾って帰ろうと意識を合わせています」  

 彼は、夢の実現に向けて、フリーマガジン「ヒロシマスタートライン」(10ページ程度のカラー版)を年約4回発行し、広島のチヌ釣り情報を発信している。また、BSテレビ局が発信している広島の釣り情報のお手伝いもしている。  

 最後に彼は次のように語った。 
「プロのチヌ釣り師、一般の釣り愛好者、釣具店等協力会社の三者が、みんなプラスになるようなことをしたい。1人でやれることには限りがあるので、理解者・協力者を1人でも増やしていきたい」