広島の人・エポカわ~るど編集日記

広島の人に関する情報誌HP「エポカわ~るど」の姉妹編として、情報を提供します。

「革新的な教育システムを創造したい」(株)アドウィン 答島一成さん

2013年07月03日 10時14分25秒 | 日記
 
「革新的な教育システムを創造したい」これは株式会社アドウィンの経営目標であり、答島一成さんのライフワークです。 答島さんは日本の教育について次のように言います。
「日本の教育は、教師の情熱と技量に依存している。ここから脱皮し、ワークショップ型の教育に転換しなければいけない。また実験軽視の授業から実験重視の授業にしなければいけない」 
 この問題の具体的な解決方法として、画期的な学習教材の制作に全力投球しています。学習教材の幅の広さ、突っ込みの深さ、独創性な目のつけどころには目を見張らされました。

詳細⇒http://www.epocaclub.com/epoca95/2adwin.html  

 答島さんが会社を始めたのは31歳。当初はいかにして収益を確保して家族を養うか、いかにして経済的に自立するかで頭がいっぱいでしたが、それから長い年月が過ぎ会社がある程度軌道に乗ってくると、企業としての使命が必要と考えるようになり、それは『革新的な教育システムの創造』だと確信するようになりました。  
 その背景を次のように語ります。
「・日本の教育の方法は聖徳太子以来、教師が黒板に書くというやり方で変わっていません。全面的に否定するわけではありませんが、それだけでは先生の情熱・技量に依存する教育になります。下手な先生にあたった生徒は運が悪く、居眠りばかりして、やがてギブアップしてしまいます。 
 生徒にも学力にバラツキがあり、力のない子は難しくなるとついていけなくなります。逆に力のある子は簡単すぎて飽きてきます。
・理系の授業の場合は実験・実習が不可欠ですが、日本の教育は理論重視で実験は軽んじられてきました。しかも、実験を指導できる技量を持った先生が、団塊の世代の退職とともに激減しているので、この傾向は強まっています。これでは理科の授業は面白くありません。
・教師のスキル・情熱は多種多様です。これからの教育は、教師の能力に依存しないものにしていかなければいけません。そのためには新しい教育システムが必要です」  

 答島さんは、この具体的な解決方法としてワークショップ型の教育を提案し、適切なテキスト、ビデオ映像、実習装置、電子キット、カリキュラムを組み合わせた教材を提供しています。 
 電子キットは重点教材であり、次のように説明しています。
「電子キットは、電気の流れを見ながら例えばモーターを回すので、興味が湧き電子回路が自然にわかるようになります。ルールがなくいろいろなものが自由に作れるので創造性も育ちます」  
 教材は、1電気電子エンジニアの育成 2シーケンス制御 3機械エンジニアの育成 4小中高・企業向けマルチメディア 5計測器・工具と幅広く、教材の数は200を超えるとのことでした。  
 
 最後に、答島さんから学校、企業、個人の方々に一言。
「学校関係者は、生徒の習熟度を上げるためワークショップ型の教材を活用してください。企業関係者は、人材育成や工場・設備の自動化・業務の効率化に役立てていただけば幸いです。個人の皆さんは無理なく遊べるキットでスキルアップしてください」

考えて行動する子どもに育てたい!/みどりの森保育園の保育士たち

2013年05月23日 22時46分22秒 | 日記


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 みどりの森保育園は、昨年の4月、広島市安佐北区にできたばかりの保育園である。利用者や地元の人たちの評判がいいので訪問し
た。
 着いたら、みどりの森保育園は一見して事務所のような感じの建物だった。中に入るとそのイメージが一変する。2階に上り裏庭を
見下ろすと、広々とした園庭があり、その周囲には花壇、菜園、砂場などがあった。園庭の向こうには栗の木や竹で鬱蒼としている山
の斜面があり、子どもたちが登れる高さのところに遊び場が作られていた。
 建物のなかには広々として明るい部屋がたくさんあり、気配りのあるいろいろな工夫がなされている。子どもたちも保育士ももみん
な明るかった。

詳細⇒http://www.epocaclub.com/epoca95/1midorinomori.html

 驚いたことに、この保育園には、滑り台やブランコがない。どうしてかと聞いたら、
「ブランコや滑り台などがある近くの公園に、毎日散歩しています。この周辺は車の交通量も少なく閑静です。自然に恵まれており、子
どもたちは虫探しなどをしています。みんな一生懸命遊ぶので、帰ってきたら食事が進みます」
 と保育士の中川さんが答えた。
 食事は野菜中心の薄味の健康食。それなのに「おかわり」の声が出るそうだ。食事が終わったら、子どもたちはぐっすりお昼寝。ま
さにいいことづくめである。

 中川さんは副園長である。定員120人のうちどれくらい覚えているかと聞いたら、「全員、名前と顔が一致します。性格も覚えています。保護者や家庭のことも頭に入っています」
 と彼女は答えた。その使命感には脱帽。

 保育上とくに気をつけていることはと聞くと
「頭ごなしに子どもたちを叱りつけたり命令したりしないようにしています。あれをしろとか、これをしろとか言っていると、子ども
は自分で考えて動かなくなります。自分で考えてできるようになるまで待つことが大切。1か月もすると子どもは受け入れるようにな
ります。無理強いしないこと、まず受容することだと思います。そうすれば考えて行動する子どもが育ちます」
 と彼女は答えた。 

「保育士は子どもたちにいつも見られています。ですから、うっかり出る行為や表情、言葉づかいに気を付け、服装もきちんとしてい
なければなりません。 保育士に必要なものは、やさしさとおもいやりですね。保育士は子どもたちに見られているから育つんです。
 保育士の仕事は楽しいですよ。朝は身体がしんどいなと思う日でも帰りは元気になります。子どもたちに癒されるんです」
 という中川さんの言葉にはしびれた。

ミャンマー難民キャンプを訪問/D社の新入社員たち 

2013年05月07日 22時20分17秒 | 日記

 
 1948年以来、ミャンマー政府軍とカレン族など少数民族との間に紛争が続き、さらにはミャンマー国内で人権侵害が起きている
ため、1984年よりミャンマー難民がタイに流入し始めた。
 タイ国内には現在、ミャンマーとの国境近くに9つの難民キャンプ(難民約16万人)がある。そのうち2つのキャンプをD社(株
式会社第一ビルサービス)の新入社員グループが訪問した。

●訪問期間
2012年11月20日(火)~11月24日(金)5日間

●訪問場所
 メラキャンプ
 ウンピアムマイキャンプ

●訪問メンバー
 大段壮史  三浦智洋   藤川幸成  大下晴香
 杉川綾(オブザーバー)   

※(株)第一ビルサービスでは、コミュニケーション力、人間性、社会性の向上を図るため、1995年以降、毎年、新入社員自らが研
修内容を企画する体験研修を実施している。 


詳細⇒http://www.epocaclub.com/




<訪問の概要>
 
新入社員の藤川幸成さんと大段壮史さんにインタビューし、訪問の状況を語ってもらった。その要点は次のとおり。 

●最初、不安はありませんでしたか。

「難民キャンプの近くには地雷が埋められているとか、ミャンマー軍の攻撃がときおりあるとかといった情報があり、すごく不安でし
た。タイの武装をした兵士がキャンプの入り口で警備をしているのを見たときはこわかったですね」

「難民キャンプを紹介してもらったボランティア団体からは、入口の近くでは写真を撮ってはいけないとか、目立った行動は慎むよう
にとかいった注意をされたので緊張しました」

「訪問しているうちに不安は次第に解消しました」

●キャンプの様子は?

「ごみがそこらじゅうに散乱し、強烈な臭いを放っていました。食べ物には何十匹というハエがたかっているし、皿は洗われているの
にぬるぬるしていました。

●食事は美味しかったですか。

「二つに分かれたんです。3人は美味しい、1人はまずいです」

●民家を訪問しましたか。

「民家は屋根を木の葉で葺いてある家ですが、入るときれいに片づけられていました。お父さん、お母さん、2人の小さな女の子の4
人家族でした。衝撃を受けたのは、お父さんが『職がない。ボランティアの支援で生活している。娘たちの将来を考えると、暗い気持
ちになる』と言われたことでした。

●どんな施設を訪問されましたか。

「最初に保育園に行きました。子どもは0歳から5歳で40人くらい、先生は3人でした。日本から持ってきた絵本やお絵かきセット
などを寄贈しました。子どもたちがミャンマーの歌を合唱し踊りを見せてくれました。お返しに、ぼくたちは、チューリップを歌いま
した」

「次に行ったのは小学校。先生が第三国定住していくので、若い先生ばかりになり授業の質が落ちていると、校長先生は嘆いていまし
た。生徒に将来何になりたいかと聞くと、女の子は看護師、男の子はサッカー選手、兵士と答える子が多かったです」
 
「高校生はみんな明るいし一生懸命勉強しています。それにもかかわらず高校を卒業しても仕事がないんですね。ただ卒業を待ってい
るだけなんです」

「職業訓練学校は生徒が留守でした。溶接や美容、裁縫など、いろいろな施設が揃っており、訓練は半年で終了するとのこと。先生の
嘆きは、せっかく身に着けた技術を使う場がないということでした」

●子どもたちとの交流はどんなことをされましたか。

「絵本の読み聞かせやお絵かき、似顔絵描き、紙芝居、縄跳び、シャボン玉遊びなどです。楽しかったです。あっという間に時間が過ぎま
した」

「シャボン玉遊びを始めたとき、最初集まったのは20人くらいだったのですが、どんどん増えて60人くらいになりました。そのため用
意していたシャボン玉が足りなくなり、急きょ予備に持っていたものを使いました」

「縄跳びも人気がありましたね。普通の縄跳びはみんな知っていてできるのですが、二段跳びやあやとりは知らないものですから、みんな
挑戦し盛り上がりました。終わると、シャボン玉や縄跳びの道具は寄付しました」
 
●今回の難民キャンプを訪問して、とくに印象に残ったことは?

「キャンプの人たちを見たとき、われわれはなんと恵まれた世界で生きているのだろうと思いました。キャンプの人たちや子どもたちは未
来に対して不安を感じながらも、笑みを絶やさず生きています。素晴らしいと思いました。この感動を忘れないで生かしていきたいと思い
ます」

「展望のない現状にありながら、高校生は夢を語ってくれました。その姿は美しいと思いました。それにひきかえ、ほくには現在夢があり
ません。なんとかしなければいけないと思いました」

広島カープの捕手として活躍した水沼四郎さん/鉄板焼きラウンジ「しろう」

2013年03月04日 19時51分02秒 | 日記
 
 1968年、ドラフト2位で広島東洋カープに入団。打つ方は非力だったが、キャッチャーとしての能力が高く、ノーサインでも捕
れるキャッチングの上手さ、冷静かつ大胆なリードなどで次第に頭角を現し、チームの要として活躍した。
 1975年の初優勝時も投手陣を支え、1979年11月4日の近鉄バファローズとの日本シリーズ第7戦、いわゆる「江夏の21
球」の際も、捕手として江夏をリードした。
 1983年、中日ドラゴンズへ移籍し同年引退。1984年から2年間中日の二軍バッテリーコーチを務め、その後、読売テレビ・
広島テレビで解説者を務めた。
 プロ野球から引退後は、東広島市でお好み焼き店「しろう」を経営。昨年広島市にそのロケーションを移してからは、鉄板焼きラウ
ンジ「しろう」を経営している。
 

詳細⇒http://www.epocaclub.com/

<一言メモ>
 
 水沼さんのカープ捕手時代のエピソードを尋ねると、
「キャッチャーのテクニックは、捕球術やリードだけではありません。いかにバッターの気を散らせるかも重要なんです。私の場合は、
野球とは関係のないことばかりささやいていました。
 巨人戦のときでした。土井正三選手が怒りだして、バッターボックスをはずし、
『四郎、うるさい!!』。
 そのとき球審は面白がって、もっとやれと私の尻をつま先でつつくんです」

「もう一つの最大のエピソードは、1979年の日本シリーズ第7戦で江夏の21球をリードしたときのことです」
※この話は長いのでここでは省略します。HPをご覧ください。

 プロ野球引退後の最大のアクシデントは、二度にわたる脳梗塞である。そのときの様子を彼は次のように語る。

「2007年5月24日の夜11時ごろ、仕事の後片付けをしていたら急に右手に力が入らなくなり、続いて右足も動かなくなったん
です。妻が救急車を呼び、私は病院に担ぎ込まれました。
 翌日、脳梗塞と宣告され、元通りの体になるのは無理だと言われました。そのときは絶望しましたね。それから必死にリハビリに取
り組みました。その結果、奇跡的に普通の生活ができるようになったんです。
 ところが、その翌年の11月に再発しました。このときも幸いなことにリハビリの結果、体が回復しました」

 現在は、東広島市のお好み焼き店を閉鎖し、広島市で、鉄板焼きラウンジ「しろう」を開店、「食べて、飲んで、野球中継を見て、
楽しめる店」をモットーに経営している。
 彼は次のように語る。
「私は広島の地に来て、ファンの皆様に育ててもらいました。最後のご奉公と、鉄板焼きラウンジ『しろう』でがんばっています。皆
様のお越しを心からお待ちしています」

琉球の踊りの普及に情熱を燃やす/琉球エクササイズ/具志堅 智美さん

2013年01月09日 15時59分30秒 | 日記
 
 具志堅智美さんは琉球エクササイズのインストラクター。広島県在住。
 沖縄の中高生時代、現代版組踊(くみおどり)「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」という沖縄版ミュージカルで、アンサンブル(ダンス)として活躍しました。その経験を生かして、中高年齢者向けの琉球エクササイズを考案、これをベースに現在広島県内に沖縄の魅力を伝えています。

詳細⇒http://www.epocaclub.com/

<一言メモ>
 
◆沖縄に、現代版組踊「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」という沖縄版ミュージカルがあります。沖縄に古くから伝わる伝統芸能に現代音楽とダンスを取り入れ、勝連城十代目城主「阿麻和利」の半生を描いたものです。

 このミュージカルの特色は、すべての出演者が中学、高校の生徒から成っていることです。それにもかかわらず、1999年に誕生してから、公演回数は208回を超え観客数は13万人に達しています。しかもその間、海外公演も実現しています。

 このミュージカルが創立されたとき、具志堅智美さんたち7名の中学2年生が参画し、演出家の平田大一さんの指導を受けながら今日の阿麻和利の基礎をつくったといわれます。


◆具志堅智美さんは、当時の様子を次のように語ります。
 
「部活の先生の勧めで、肝高の阿麻和利に女性アンサンブル(ダンス)として参加しました。
 演出家の平田大一先生の指導は楽しく、夢中になって取り組みました。舞台と学校は両立させなければいけないと思っていたので、学業も真剣に取り組みました。
 参加者は最初7名でしたが、しばらくすると30名程になり、1年後には100名以上になっていました」

「組踊ですから、バンド(生演奏)、女性アンサンブル、男性アンサンブル、役者に分かれます。私は役者を引き立てる女性アンサンブルとして舞台に立っていました。お客様から拍手を受けたときはやりがいを感じました。最高に嬉しかったですね」

「高校を卒業すると、阿麻和利も卒業する取り決めになっているので、卒業後は「あまわり浪漫の会」というところで、舞台をサポートする側として舞台制作のお仕事をさせていただきました」

◆彼女は25歳のとき、結婚を機に沖縄を離れ広島に移住。その年の7月結婚しました。
 しかし、琉球舞踊への思いは絶ちがたく、沖縄で古くから伝えられてきた琉球舞踊を中高年齢者向けにアレンジ。オール・オン・スポーツ社長の荒川治氏のアドパイスを受け「琉球エクササイズ」を完成しました。今ではこれをベースにして広島県内で活動しています。その様子を彼女は次のように語っています。

「中高年の人たちの評判がよく、今では広島県で教室を2カ所、体験研修会を2カ所で開いており、今年3月には、もう1カ所体験研修会を増やす予定になっています」

「小・中・高校生にも教えたいですね。地域面でももっと広範囲に活動したいと思っています」