25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

時間軸を導入する

2018年03月20日 | 文学 思想
 事象というには外側からみる、内から見るとか、多面的に見るとか、空間的現在でみることに時間軸を加えるとかしないと、思想として相対化できないものだ。
 ブッシュ元大統領が一方的にイスラム原理主義者たちを「狂気の沙汰だ、テロは悪だ」と言った時、日本の小泉純一郎元首相はすぐさま支援の表明をした。またフセインは独裁者で化学兵器などもっているのはけしからん、と言ってイラクに侵攻した。日本も憲法を破ってでも海外に自衛隊を送った。
 ブッシュや小泉の場合、物の見方が一方的、一方向である。時間軸を導入して考えれば、キリスト教もイスラム原理主義的に人を殺すことをした。十字軍が代表的だろう。パレスチナでもアメリカはイスラエルの味方をした。日本では太平洋戦争中、特攻隊が編成された。ヨーロッパやアメリカでは「狂気の沙汰」と見えたことだろう。イスラム原理主義者たちは宗教的な段階が遅れて現在にいるのだろう。
 テロリストを一掃するには、イスラム原理主義が次の段階に進まなければならない。アフガニスタンにしろ、原理主義者を抱える国が経済的に豊かになることが一番良い方法である。すると宗教色はやや薄まることだろう。
 時間軸を導入して見れば、「私たち。の祖先も悪いことをした。国家が戦争を起こせば、もっと多くの犠牲者がでることになる。犯人を引き渡し、これを現在の法で裁き、賠償金も要求するということはしたいが、互いに戦争をするのはいいことではない」
とブッシュ大統領は宣言するべきだったし、自分たちが正義だという必要もなかった。小泉純一郎もツインビルで死んだ24人の賠償金を求め、日本も昔、特攻隊という狂気じみたことをしてしまった経験がある。特攻をせざるを得ない気持ちもわからぬものではないが、日本は戦後、軍国主義を捨て、天皇を象徴とした平和憲法で非戦を誓った国に生まれ変わった、経済的支援も惜しまないから、テロを止め、人々の日常生活を豊かにしないか、と言えなかったのかと残念に思う。
 どの国にも、どの宗教にも、家庭や個人にも歴史的段階の名残の濃淡が違っていて、日本も半アジア的な意識をもつ人も多くいる。民主主義がまだしっかり固まっていないところもある。政治家も世襲的であるのをみても、日本はまだまだ先進国とは言いがたい。まだ日本は危ない後退をしてしまう不安定さの中にある。
 この頃特にその様子が露見してきているように思う。政治家+文部省の学校へ介入、官僚の不正、その陰にひそむ政治家の呼吸。なんともまあ。この静かな圧迫感から国民、政治、行政、裁判から開放してもらいたいものだ。