25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

国家観

2018年03月12日 | 社会・経済・政治
 先進国の中で最も優秀な憲法をもつのは日本である。それは戦争を放棄しているからだ。戦争に正義の戦争もくそもない。戦争そのものが悪である。その戦争を放棄するというのだから多くの外国が羨むものであるだろう。この理念を後退させようとする勢力がある。時代を後退させるものだ。
 ぼくに理解不能なのは、石原慎太郎のような国家観をもつ人である。例えば尖閣諸島。石原や政府などは日本のものだ、中国側から言わせれば中国のものだという。国家観を緩めれば、あるいは開けば、
共同で統治する方法もあるはずである。北方領土にしても同じである。共同の委員会を設け、統治をし、ロシア人も日本列島人も自由に行き来できればよいことだ。
 国民国家の歴史などまだたかが知れている。日本では明治時代からだ。すでにヨーロッパはEUという共同統治体に変化している。つまり国家は開いてしまっている。強固な国家観が薄らいでいる。国家といえば、「政府」と意識する人の方が多いからEUは成立したのである。
 EUを脱退するイギリスはスコットランドと北アイルランドの独立問題を抱える。時を経てスコットランドも北アイルランドも独立し、EUに入ることも考えられる。そしてイギリスもとまたなるに違いない。

 フランスに友達がいる。彼は料理人であるが、八月の一ヶ月は休みをとっていた。日本では考えられないことだ。しかも一人あたりの生産性はフランスの方が高い。ヨーロッパ先進国は日本より一人当たりの生産力が高いのだ。日本列島人はよく働くようにしむけられている。生産性が低いのに、人手ふそくだと言い、長期の休暇は取れない。
 一体どうなっているのかと思う。思いきって、一ヶ月の長期休暇を制度化すれば生産性も上がるのかもいれない。市民革命を成し遂げたフランスはEU推進国である。自由に政治的意見を言えるのもこの国の良いところである。
 
 日本は戦後復興をすばやく成し遂げたものの、復興が頂点を迎えてから停滞が続いている。日本列島人の潜在意識のなかに抜けきれないアジア的段階やそれ以前のアフリカ的段階がある。それが石原のように顔をだし、若い橋下徹の同じ潜在意識にも共鳴を与える。国家を守るとはどういうことか。
 戦後進駐軍が入ってきた時、それまでの政府よりもアメリカ政府(進駐軍)政治の方がよかったではないか。教育改革も、農地改革も日本列島人はできなかったではないか。 国家主義的な思想は停滞を生むのではないか。
 一ヶ月の休暇制度をやってみてはどうか。石原はどう言うのだろう