25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

母、回復に向かう

2017年12月22日 | 日記

 4日前は60メートルをゆっくり棒つたいにあるくと、血中酸素濃度が90をきり、しばらく深呼吸をすると、酸素の量があがっていた。心臓のポンプは歩行直後だと100を越え、シンコキュウをしているちと80くらいまでに落ち着くのだった。母親の回復度の話である。

 今日のリハビリを見ていたら、脈拍が80に戻るのが早かった。酸素もすぐに95になった。

 本人は結構意気軒昂で、どこも悪くない、と言う。夢を見るのか、トイレにも歩いていけるし、とか言っている。まだオムツがとれないというのに。

  交通事故のダメージで全身が、内蔵や脳も含めて弱ったことは確かである。4年経っての転倒である。これも手術などのダメージがあったはずである。

  姉を呼んで、今後のことを話しあった。慣習にとらわれない考えの持ち主なので、この際に、葬儀のことなどを話しておいた。ぼくに一任、一切文句言わない、ということだった。姉に葬儀への拘りがあれば、姉の希望に沿おうと思っていた。特になし。ぼくは安堵。

  姉の義母は97歳で死んだ。大腿骨を折り、それが治ると、今度は反対側の大腿骨ひびが入った。しばらく介護施設の厄介になり、そうして自宅に戻った。

 心不全が起こりはじめて、入院。入院後一ヶ月しないうちに肺不全となり帰らぬ人となった。老衰ということなのだろう。

 母も今度初めて、心不全がある、と言われた。それで驚いたのだった。事故のときにも心臓はしっかりと働いてくれた。腎臓ももちこした。肺臓も耐えた。

 今度ばかりは、退院後、内蔵系に影響がくるかもしれない。それであれば、交通事故でやや生きる時間を失ったが、老衰ということになるのだろう。

 まだ元気でいるのに、あれこれ考えてしまうのである。