25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

橋幸夫

2017年12月15日 | 音楽

  この前舟木一夫のことを少し書いたので、今度は橋幸夫について思っていることを書いてみようと思う。

 舟木一夫と橋幸夫の生き方はまるで違っていて、舟木一夫はファンに支えられて生きているように思えるが、橋幸夫には一ヶ月も公演できるほどの観客動員はできないように思う。おそらく「若い奴」でボクシング演技をしていた頃は股旅物に目はつぶっても、ある種の若者をを象徴していたのではないだろうか。舟木が「暗さ」であれば橋は「明るさ」だった。胸がキュンとするのは「暗さ」である。

 昭和37,8年頃にデビューした「潮来笠」という股旅物がデビューだったのがいけなかった。カッコイイという歌手に股旅物という意外性がテレビに受けただけのことで、同時代の青春期にある人々の気持ちを掴めなかったような気がする。出す歌もまるでバラバラ感があった。「江梨子」のようなブルース調もあれば、「舞妓はん」みたいなわけのわからない雰囲気調もあった。「白い制服」「赤いブラウス」「青いセーター」という衣類の色のシリーズもあった。するとまた股旅物に戻ったり、「リズム歌謡」というものまでヒットを飛ばした。

 明るい橋幸夫は作詞家に恵まれていなかったように思う。ぼくはこれが一番残念なことだと思う。佐伯孝夫という作詞家はあまりに古すぎた。明治生まれではないかと思ったこともある。時代を歌詞に入れこむことも、若者のこころに入り込むには若者の言葉ではあり得ない歌詞も多かった。幸運なことに吉田正の門下生の代表として橋幸夫はテレビにも多く登場する。「いつでも夢を」がレコード大賞を吉永小百合と取ったことも大きいことだった。しかしながら僕には今もなお歌うに恥ずかしい歌である。舟木の「高校三年生」も恥ずかしいが、そこにはある世代の青春が反映されている。「いつでも夢を」に何が包含されているのか。「明るさ」のみである。

 「雨の中の二人」「霧氷」で吉田正から脱皮したところが最頂点で、時々、「しとしとぴっちゃん・・・」という「子連れ狼」を歌ってヒットし、「今夜は離さない」というデュエットムード歌謡をヒットさせた。それはそれは舟木一夫も及ばないヒットソングの持ち主なのである。

 舟木一夫はコアなファンを掴んだが、橋幸夫はコアなファンを掴めなかったのではないかと思うのである。

 橋幸夫が性格としてもつ「明るさ」と「声のソフト性」は多くの客層をターゲットにすることもできるが、客が散らばってしまう感もあった。北島三郎のような土臭く、海臭い大御所にもならなかった。綺麗な歌が多かったこともあるのだろう。コアのファンを形成する意志もなく、母親の介護経験のことを本にしたりして素顔を見せ始めた。

 確かに橋幸夫は多くのヒット曲をだした。「懐かしのメロディー」になるとよく顔を見せる。特集もされる。でも、吉田正の歌は松尾和子やフランク永井あたりの曲が大人の歌として優秀なのではないかと思える。このような点からも橋の若い歌は、つまり吉田、佐伯コンビは、頂点を過ぎていた、とぼくは勝手に思っている。

 でもぼくらを西郷輝彦、三田明も含めて高度経済成長期の田舎少年少女をワクワクさせたことは確かである。