マスコミは貴ノ岩を追いかけまわさないで、しばらくじっとしていたらどうか。このままでは引退に追い込まれる。笑って、馬鹿話をしている。相撲に興味のないタレントやコメンテーターまで付き合わされている。みじめなものだ。貴乃花の相撲観と白鵬の相撲観などどうでも、お好きなように。
大相撲を神事などという輩もいる。確かに地方の幾つかで、相撲は神事であるところもある。確かに東京場所の前々日に出雲大社の宮司が来て、儀式を行い、次の日には相撲祭りが行司によって執り行われる。それは形式的なものである。人は神事と思おうが、興行と思おうが、どちらでもよいことだとぼくは思っている。
ただ、白鵬の取り口を品格に欠けるとか、横綱らしくない、というのには、ぼくは違う意見をもつ。
栃煌山にめくらましをした。猫だましをした。カチ上げ、張り出しが多くなった。
これはりっぱな技である。例えば急いで身体を移動したら、そこにカーテンがあると、衝立があるかのように思ってしまう。その時、移動者は瞬時身体が硬くなり、カーテンを避けようとする。相撲でいえば、カーテンをみせて、ヒョイとよけるだけだ。こんな技はできるものではない。たの力士でこの技ができるものはいないのである。
カチ上げをどうのこうの言うのもいかがなものか。ぶつかりの技である。ただし、それは立ち合いによってかわすこともできるし、有利に横から突くこともできる。カチ上げてうる腕を逆手にとることもできる。
白鵬は優勝回数に余裕がでてきてから、いろいろな技を試すようになった。ルール内である。
相撲をスポーツだ、格闘技だ、相撲道だというのは勝手だと思うが、重心を崩すのと、力を伝える方法と、力を利用するということに本質的な特徴がある。白鵬はその本質を、ぼくらに見せてくれる。八槽跳びもかまわない。横綱の地位にいる限り、怪我をせず、勝ち続けるのは責務である。そして白鵬の技はとても高度であると言っておきたい。
それが品格に欠けるというのなら、横綱相撲のルールを決めればよい。この高度な技が理解できる親方衆、協会幹部hしないと思う。古武術の技も白鵬は研究しているのかもぢれない。