25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

豊洲市場のこと

2016年09月23日 | 社会・経済・政治

  経費は安く済んだ方がよく、地震による液状化で建物が傾かないほうはよく、安心安全であればよい。これが豊洲市場の三つの方針だったはずだ。

 建物下に盛り土をせず、空間が現れ、ヒ素だシアンだ鉛だ、と検査結果がで出てきたが、それは海水にあるのとほぼ同様な安全なものであることがわかってきた。すると結論はこうなる。耐震化を考え、地下空間をより厚いコンクリートで覆い、さらに二重にして空間をコンクリートで遮断する。

 それで、ハイお終いとならないのだろうか。

 豊洲問題にはもうひとつ談合や議員の利権のことがある。電気工事では内田という都議連のボスが関係しているらしいし、他の議員にも疑いがかかっている。鹿島建設は都職員の天下り先でもある。これは粛々とやっていけばいいことだ。

 毎日昼の時間は「トト姉ちゃん」を見るまでのこの問題ばかりである。盛り土がいかにも最高の方法だったかのようにマスコミは言うが、液状化対策の専門員会でもなく、石原の言うコンクリートの箱の方がよかったかもしれない。

 だんだんとあんな汚染された土地をなぜ高価な値で買ったのか、決定をしたのは石原だ、となってきていて、気の毒と言えば気の毒である。

 盛り土なしの工法が検討され、コンクリート層を中間に造ることで落ち着くのではないかと今のところ思っている。

 僕は尾鷲に住んでいるのだから、東京都のこの問題をプールサイダーのように見ている。つまり面白がっている。学歴の高い都の関連幹部や担当職員のいかに潔さはないものか。責任をあいまいにする性質を持ち、小池都知事に渡した5ページの調査報告書もいかに杜撰であることか。僕はこの種の人間が嫌いである。コネを効かせる人間の不遜さも嫌いである。

 豊洲の問題は市場の建設物や汚染土については解決するだろうが、人間の高学歴者の狡さの問題は永遠の課題のように思える。そこで、一手は情報公開となり、責任の所在が明らかにわかるプロセスを都民に公開することになる。

 初めはおもしろく見ていたが、この頃は飽きてきた。どれだけITや科学の進歩はあっても人間の中身になると2000千年も3000年も変わっていないような気がする。悪さをする上の奴。何もいわず淡々と権力の下で生きる庶民。庶民にもいろいろあろうが、まあ、人間というものはそう変わらないということだ。