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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

KO さん

2019年09月29日 | 日記
 ko さんからラインで連絡が来た。写真が6枚もついていた。どれも超シニアのラグビー同窓会のような写真だった。以前ラグビーの世界大会の日本開催に尽力した元森首相と一緒に撮った写真を送ってきたことがある。Ko とは木へんに可能の可と書くのであるが、スマホで書いているものだから、その一字がだせないので、Koと書く。Ka にちかいKoである。
 なぜか彼と気が合う。彼は少々日本語を話す。台湾にいくといつも付き合ってくれる。
 11月に東京に来るという。ラグビーの交流会があるのだという。台湾のラグビー代表選手であった。日本と台湾が国交を断絶してから、台日協会をつくり、そこでこれまで通り、日本と台湾の往来ができるようにすることに尽力した。今彼は協会の幹事をしている。
 そのときはぼくも東京に行く。いろいろ話もある。
 いずれ、台湾も混乱の時期がくる。台湾の蒋介石の国民党は中国に帰るもが党是である。中国共産党が許すなら、国共合作とはいかないまでも、二大政党制にならないものか。
 しかし時が経つにつれ、台湾の独立を志向する人が多くなってきた。Koさんもそんなひとりである。政党で言えば民進党である。香港の問題は台湾の問題でもある。もちろん大陸中国には十四億の人々がいる。台湾のビジネスマンから見れば、巨大なマーケットが広がっている。
 友、遠方より来る、である。酒を酌み交わし、時事を語り、商機を探るのである。楽しみなことだ。

Carlo カーロ

2019年09月27日 | 日記
元社員だったカーロと1時間ほどの打ち合わせをした。打ち合わせというより、提案をしたのだ。「ぼくの企画で執筆者、録音者にならないか。とりあえずは『リンキング』だ」。
 リンキングというのは get up を ゲット アップ ではなく ゲラップ と言うものだ。これには法則性があって、これを中学英語あたりから教えておくと、アメリカ英語を聞くには便利だと思う。
 「カーロの英語はカナディアン英語かい?」カーロは明るく「トロントはニューヨーク英語に近い」 「なるほど、それじゃリンキングするの?」「する、a lot of は アララブ ってね」
 「これ法則の一覧なんだけど、カーロは文を作る。a lot of だったら、a lot of が入った文2つだ。録音はボイスレコーダーでいい。教科書読みとリンキング読みだ。
 こういうライターをして、お金を稼げばいいじゃないか。日本語訳とかは手伝うよ」

 カーロはすでに尾鷲に来て25年。53歳になる。今日初めてカーロの家に行った。
 部屋は畳一枚ぐらいはありそうなテレビ、ゲーム、パソコン、もうひとつモニター画面まである。
 まったくのマニアック、オタクという感じである。松阪の方にでも越したら、英語教室の需要があるんじゃないの、と、と細君は聞いたらしい。すると、もう20年以上も住んでると、無精になって、ここが居心地がいい、って。
 車の免許ももっていない。一向に日本語が上達しない。漫画が得意なので、元社員だった名古屋にいるデイビッドの児童英語教材作りのイラストを手伝っている。少々、マンツーマンの英語指導もしている。死ぬまでここにいるのだろうか。病気のときどうしているのだろうか。

 だったら、稼げる財産を作っておけよ、とぼくは言いたい。
 「リンキング」のものはニーズがあると思う。さらに入試英語が「トッフル」「英検」を採用する。すると、リスニング力はますます必要になる。
「だから、カーロ、中学生、高校生、そしてトッフルとトイックに的を絞った教材をカーロが作ってみたらどうかい。ぼくが監修するから。女性の声が必要だったら、いくらでも募集できる。

 こんな調子で説得に行ったのだった。「I'll try. But I'm busy now. OK?」「自分のペースでやればいいんだから」

 やってみることになった。やってみて様子を見ればいいのだ。
 「何がどんなことで当たるかわからんもんね」
 「ヘヘヘ、今はビザが降りるか心配」
 「尾鷲は一か月で最低でも20人減っていくんだ。大人や子供で英語を習う人の数も徐々に減っていくだろう。もっと他所からでも稼げることも考えないと。カーロには英語があるんだから」

 カーロはマンツーマン英語指導のパンフをぼくに渡し、「あと5人、必要なんだ」

 パソコンの知識が今いちわからないところがあるので、昨日入ってきたコンピュータ教室のチラシを見て、教室に通おうかと思ったのだった。テーマを決めて、英語の練習をするのもいいな、とも思ったのだったが、気分はパソコンの方に向いている。

 
 



 
 

バージョン1の完成

2019年09月24日 | 日記
  あと一歩というところでバグが出る。よしこれでバージョン1はあとひとつの解決で終わりだ、と思い、アプリが送られてくると、動かない。最後になって動かず、停止してしまう、という事態となって、今日は動画でのやりとりで朝から事務所にいる。
 昔、印刷がコンピュータ化する転換期の頃、印刷会社のデータ保存管理がうまくできず、テキストのミスの部分を校正する。それを印刷会社に渡す。するとそのミスの部分は修正されているが、前のミスを修正したところが前のミスに戻っている。こんなことを社員総出で夜遅くまでやっていた。結局、これは裁判となった。出来上がったきたものにまた大量のミスがでたからである。
 これは保存の問題だと思うが、プログラミングの場合はどうなっているのだろう。なぜこれまでアプリを開くことができたのに最新版は開くと「SLPは停止しました」と出てくるのだろう。

 そんなやりとりをしている。

 プログラマーがそばにいたらこんなこともその場で処理できていくにちがいない。離れていると、理解に齟齬が起きる。一緒にいたらその齟齬は早く解決される。

 こんな日々が続いている。そしてついに完成した。今日はスクリーンショットを撮り、ホームページの最終原稿を尾島くんに送った。明日は動画にして限定公開で尾島くんに送る。ドメインも取ったので、ぼくは今日新しい、「英語指導のコツ」という指導者向きのブログを設定した。これは以前に書いたものを小分けにして連載にするつもりである。

 ホームページができあがると、Google play google storeにアップできないのである。審査がある。お金の振込もある。

 現在検Google の検索エンジンは世界の90%の人が使っている。Anndroid も世界では群を抜いている。Androidが世界では多いので、まずはAndroid からにした。様子をみて、iosもつくろうかと思っている。じつはこのアプリ、歌をおぼえるのにも威力を発揮するのだ。聴きたいところを何度でもリピートしてくれる。聴きたいところの犯意設定もできる。

 頭の中はすでにバージョン4まで出来上がっている。いやはや、なんと便利になり、安くなったものか。Windows 95 の開発が終わったメンバーがぼくらのオーサリングソフトを作った。しかし、それをつくっても今度はそれからコピーする機械が必要だった。挙げ句の果て、これを掛けるプレイヤーが必要だった。1995年から24年。
 いまはPC.スマホ、タブレットでなんでもできる。アメリカに巨大企業群マイクロソフト以外にも GAFAが誕生した。中国が追随している。
 

南風に行ったら

2019年09月22日 | 日記
  尾鷲市内に新しい料理屋さんができたので、岡田さん夫妻とぼくと細君の四人で行ってみた。このところ尾鷲では魚が揚がらないらしく、刺身関係については申し訳なさそうだった。馬刺しは美味かった。他の料理も相当美味かった。冬になればフグもやるそうだ。
 トイレにいくのに、座敷の戸を開けて、カウンターを見ると、ご老人が一人で座って食べている。誰かと思ったら南くんだった。小学の頃の同級生で3年一緒のクラスだった。
 小学校を卒業してからはクラスも変わったことで、付き合いすることもなく、ぼくは相撲部でひたすら稽古をしていた。

 「久しぶりやなあ・・・。57年ぶりやない?」
  と驚いて言ったら、
 「ちゃうで、ほらピエロで逢うたやないかい」
  そういえば 10年くらい前に偶然出逢ったことを思いだした。
 「めちゃめちゃ、よい肌しとるんやん。しみのひつつもないな。この白髭もええやないか・・・あれ、南風、この店、南くんの息子さん?」と板前の男を見ると、安心感があったのだろう。嬉しそうな顔をした。息子さんであった。オープンしてまだ1週間である。
 今一番緊張しているだろう。どんなメニューがあるか、美味しいか、値段は、店内は、とすぐに尾鷲市内の噂になる。今来ている客は偵察隊のようなものだ。ぼくらだってそうだ。 

 「冬はフグもやりますんで、よろしくお願いします」
 「そうかい、あんたの息子かい。長男かい?」
 「三男の末っ子さ」
 大分で修業をしたということだった。奥さんは熊本から来たらしい。それで馬刺しの仕入れルートがあるのか、と思ったのだった。

 やがて、トイレに行き、戻ると、南くんはワインと酒を差し入れしてくれた。今後とも息子をよろしくということだろう。ぼくもすっかり馴染みの店のような気持ちになってしまった。

 最後のシメは宝来へ行こう、と言うので、よしよし宝来のあの旨い焼きそばを食ってみようと注文したのだった。ところが前ほどに美味しいとは思えない。自分が何度か作ってみた味と同じである。えっ、こんなもんだったか?腹いっぱいだからか?

 家に帰ると11時近かった。「昭和史」を読みながら眠ってしまった。愉快な晩だった。



 

諦めずに

2019年09月18日 | 日記
 アプリ開発が99.9%まできた、修正すべきことがわかり、操作性も今や特に問題はない。
 一時停止機能をつけることになって、機能アイコンの名称を変える作業だけが残っている。大一安心している。1996年から開発を始め、頓挫してから22年になる。
当時はハードについてはソニーのものを利用するしかなかった。またぼくらが発想した教材テキストと音源はすべて自分達でつくるしかなかった。これらの便利な教材を使おうとすれば、学習者はソニーのCDリピーターを買う必要があり、さらに便利ではあるが手間のかかった教材を買わなければならなかった。
 あれから22年。環境は大きく変わった。まずハードはスマホやタブレット、OCに替わり、こちらは教材を作る必要もなくなった。このアプリで教材会社が売っているCDをかけたり、ラジオやテレビの外国語番組を録音さえすれば、一文ごとにすづんだり、後退もする。聞きたいところを何度でもリピートできる。範囲の設定できるのである。
 ぼくの考えているのは最終的なバージョンとしてはAIを搭載して、テレビやラジオ、普通も周辺での音を読み取って文字にだせればこのアプリは真に終了である。おそらくそれはバージョン3くらいではないかと思っている。
 ホームページができあがらないとGoogle Play に登録、アップデートできないので、それも進行中である。捲土重来とはこのことだ、とぼくは思っている。
 言語習得で悩むがいこくじん技能労働者の方にも使ってほしい。世界のすべての国にアップする計画でいる。

📱スマートフォンとタブレットを考えだしたスティーブ・ジョブズはたいへんな人だと思うが、一方で、根気よく粘り続けてきた google の創業者 ラリー・ペイジとその友人セルゲイ・ブリンらの先見性もすごい。
 22年経って今のぼくはその技術の恩恵を受けている。諦めなくてよかった。

 いずれ何十年か先には外国語を学ばなくてもよくなる。相手に向かって喋れば瞬時に通訳してくれるだろう。それがとてもスムースになることだろう。

 これもかつては神の領域であった。
 

名古屋行き

2019年09月14日 | 日記
 昨日、本当に久しぶりに車で名古屋駅まででかけた。いろいろと、見たいものがあったから、早めにでた。仕事を終えて、母への準備も終えて、1時半だった。これなら、6時07分に着く細君をピックアップするにも十分である。しんどくなるくらい書店内で歩くだろうが、気にならない程度の時間である。4時には着いているつもりだった。ところが鈴鹿と四日市の間で渋滞になっている。これはトラウマになる、と思った。「また名古屋に車でいけば渋滞か」と思うトラウマである。
 着いたのは夕方の5時を過ぎていた。あせって、セントラルタワーの三省堂に向かった。ところが三省堂はない。JRゲートタワーに引っ越したという。
 もうこれだけで15分は使った。ようやく三省堂に着き、本を探しはじめると、とてもじゃないが時間が足りない。まずは外国語のテキストとCDのあるところへ。そこで選ぶにしても焦ってしまい、もう、目にしたものを、である。次にアプリ関係の情報がほしい。これがどこなのかわからない。書店員を引っ張りだす始末であった。5Gの知識を得ておこうと、その関係の本も探った。そして現代思想にふれたいと思った が、時間切れであった。急いで、反対側の新幹線口まで歩いた。細君を迎えるついでに自分の興味あることを、という算段が甘かった。そして思い出した。JRで紀勢本線をのんびりいくのがよかったのだと。ただJR料金が異常に高いために、忘れていた。
 そういえば、名古屋発19時45分の南紀特急は必ずと言っていいほど、途中、鹿がぶつかり到着が遅延していた。それが嫌で車に換えたのだった、鹿であれ、人間であれ、事故が起きれば停滞である。
 なんだか時間を損したような気分になった。これはきっとトラウマになる。 もう名古屋には行きたくないと思うのだ。

慌ただしく

2019年09月10日 | 日記

 韓国のソウルで反日集会をしている人々のそばで「ハグしてください」と目隠しをして手を広げる日本人男性。1時間半で50人の人とハグした。
 かたや日本の男性に触発された韓国の女性。大阪で反韓ヘイトスピーチデモをしているそばでその女性が「ハグ」の呼びかけをした、呼びかけは双方とも文字である。その小さなボードにはなぜ「ハグ」を求めるのか書いてある。政権と政権がいわば喧嘩するなかで勇気ある行動的が示すのは普通に生きる人が国が違っても交流を続け、ハグを続けていけば、もしかしたら国家間の戦争をなくせるかもしれない可能性があるということだ。

 それが朝見た「モーニングショー」。本日は内閣も改造。これには一過言あるが、今日はその暇がない。午後一時から今後を左右する話し合いがあるので、次の段階を想定してホームページの原稿を作らなければならない。午前中には病院にも行かなければならなかったが、二日酔い気味だったので、行きたくはなかったが、行った。案の定、血圧は上がっていた。当然だと思っていたら、薬を変えるという。ぼくはこの薬を飲まなくて済むようダイエットもしたのだった。だが「怒涛の子供たちの夏来襲」で、調子こいて飲み食いした。すると、ズボンのバンドの具合がなんとなくわかり、体重計に乗るのが恐ろしくなった。絶対に体重は戻り、さらに超えているように思う。

 これと昨晩の飲酒がきっと血圧に悪影響している。案の定であった。「えのもとさん、だいぶ高いなあ」「いくつですか」「上が170で、下が100やんな」。180までは薬は出さなくてよいという風な指針が出ていたのを新聞で3、4年前に読んでいたので、200は行ってないからという思いもあって、ホッとしていたら、「薬を変えるわい」という。お医者さんのデスクにはパソコンがあった。「やっと導入か」と思いながらも、血圧剤についてはショックだった。
 
 そそくさと、事務所に戻り、ホームページの台本作り。今日は母親が介護施設に行く日なので、昼食は作らなくてよい。

 午後一時。プログラマーと話し合い。知らないことばかりだが、完成したにもかかわらず、ある機種ではインストールができ、ある機種ができない不具合がある。この解決のことと次の段階に進
むホームページ、Google Play へのアップロードの話となった。

 3時半には貸別荘のゴミを取りにいく必要がある。曽根までいくと、別荘は想定外のひどい様相であった。これを片付け、ゴミを出すだけでもたっぷり汗かいた。スーパーに寄り買い物。家に帰ると相撲が始まっている。見たい取り組みがあるので、母親に早めに夕食にしてくれ、と電話して、5時に実家に向かう。戻ってビール缶を開けて、相撲観戦。栃ノ心は可哀想だった。今場所は「遠藤」がキーパーソンだと思う。

 細君が東京の娘の家に行ったので、一人のんびりである。すべて自分でするので張りもある。
 もう夕方はすっかり昨日のアルコールが分解されたようである。慌ただしい一日だった。

 天皇も「この内角は嫌」と言えなくよなあ、と思いながら今ビールを飲んでいる。


 
 

やれやれどんどん

2019年09月07日 | 日記
 プログラマーとこちらのやりとりがうまくいかず、やれやれ、という事態だった。ぼくの方に落ち度があるのか、つまりぼくの方のスマホ、PCの環境が悪いのか、ぼくには判断がつかない。相手から指示がくる。そのとおりやってみるが、うまくいかない。google drive やgoogle play を知っていても、その中身や設定のしかたも初めてのことである。ようするにその手の経験がない。
 結局、今日は完成したアプリをインストールし、それを開いてみることができなかった。昔だったら相当イラついただろう。この頃はふーーんてなもんである。20年以上も経ってできなかったものができるのである。どうってことはない。何日でも待てる。

 ところで、今日は東京、大坂、名古屋から同期生が一同に曽根貸別荘に集まって飲み会をするのだそうな。りっぱな大人の会社員である。「前の浜で泳いでもいいですか」「低体温になれば溺れるよ」「いえ、自信があります」 りっぱなふくらはぎを持っている。大丈夫そうな躯体をしている。でもわからん。
「死なれたら困るんだよ」とぼくは「いかん、禁止だ!」と言えない。別にこの前の海で泳ぐには禁止でもない。好きにしてくれ、という気分である。
 彼が泳ぐのをみている人がいるとも限らない。陸側からは見えないが、海の筏からは見える。誰が「危ないことをして」と区長に告げるかわからない。それも面倒なことだが、自己責任の世界のことなので、「くれぐれも死ないように」と言って了承した。内心は、そんなこと俺に訊くなよ、である。
 そうそう海に飛び込んで死ぬとは思えないが、8月中は水の事故死のニュースが多い。
 ぼくの子供の頃は尾鷲港から佐波留島まで遠泳することもあった。ドーバー海峡を泳ぐものもいるのである。
 曽根の浜くらいで心配するな、と自分に言いたいが、やはり何が起こるかわからない、と心配である。そのうち台風の雨が降り始めたので、雨では泳ぐのも止めるだろうと思ってホッとした。
 本当は泳いだのか、泳がなかったのかわからない。
 何となく、若者が死に一番近いところにいるから、心配してしまう。きっとぼくが彼と同い年くらいなら、やれやれどんどん、である。

再挑戦

2019年09月06日 | 日記
母の交通事故があって、バリ島での仕事通いができなくなったので、その事業を売却した。それまでは若い人たちといつも会って、話をしていた。バリ島だけでなく講習は東京、北海道、博多、那覇でもやっていたので、よく通ったものだった。
 母の見守り、そして裁判と長期に渡ったが、もう会う人は友人と弁護士だけとなってしまった。2010年のブログを校正・整理していると自分がいかに人と多く会っていたかわかる。しかし、それでも三十代、四十代の頃に比べたら話にならないほど少ない。
 尾根からいつ落ちるかもわからないような状態でこの20年歩いてきたような気がする。

 仕事で出かけることがなくなるということは若い人にも出会わないということだ。だから積極的にボランティアでもサークル活動でもしなければと思う人も多いだろう。
 母の交通事故以降、緩やかで、忙しさのない生活を送ってきた。それで気が付くことがあった。久しぶりに人と会って長話をすると、疲れるのだ。久しぶりにスピーチなどを頼まれるとさらにひどく疲れるのである。この緩やかな時の経過とともに、バリ島や沖縄で必死こいて説明し、体使って講習できていた頃と現在の自分との差を考えてしまう。
 
 体から酵素が減りつつあるのか。マグネシウムでも不足しがちなのか、それが今の自分の時の経過というものなのか。

 人生の最後にどうしてもリベンジしておきたいことがあって、「書くこと」と同時にこのリベンジをやる。自分へのリベンジである。「再挑戦」と言ってもいい。そのスタートが九月半ばくらいからとなる。世界でおそらく初の超便利な語学学習プレイヤーアプリだ。他社のものと比べてもこちらが上だ(と自分で判断している。ただガラパゴス化が恐ろしい)。日本語を勉強する人や、他外国語を勉強する世界中の人に使ってほしい、と思っている。

 とりあえず、慎重に始める。ホームページ作りからだ。そして Google Play への登録となる。そしてもうひとつのフォーマットiOS 用開発を始める、という段取りである。うまくいくかどうか。もちろんいってほしいが、開発の難しさ、不具合の発生については過去に知っているので、用心、用心と自分に言い聞かせる。また人と会うことが増えるのかもしれない。

口がすべった

2019年09月04日 | 日記
 時々口をすべらせる。30年ぶりくらいに会ったお寿司屋さんの主人に、出逢った懐かしさも含めて
「あんたとこの寿司の高いのには目が飛び出したで」本当は(あのバブルの頃は)をつけるべきだったのである。ご主人はおおらかに、「値段らあな、こころの問題やでな。美味しいと思たら、不服言うたらあかん」とあっさり上手投げをかけてきた。イカをまな板にたたきこんで、「ほら、見よ、このイカまだ生きとるやろ。冷凍なんかじゃないど、ほれ、獲れたてじゃ」と言葉で押しまくっていた大将だった。

 もうひとつ、マックでオーダーの順番を待っていると、中年の男がそわそわとやってきて、ぼくの前をウロウロし、次はぼくの番なのに、気づかずなのか、わざとなのか、カウンターの前に行き、オーダーを始めた。「こら、並ばんかい。おれの番やでな」 と子供に言うように言ってしまった。「その言い方はなんじゃい」と言い返してきた。ぼくは一歩その男に歩みより、顔を睨むことになった。「人が立っとるのうくらいわかるやろ。そしたらなんで立っとるかわかるやろ」と言った。すると「こういうところは初めてなもんで」とその男はぼくの後ろに並んだ。ぼくのオーダーが終わり、ぼくはコーヒーがでてくるのを待っている。その男はオーダーを始めた。それがマックのメニューをよく知っているのである。「なんど、初めてやのに、すらすらと注文できるもんやな」とは言わなかった。そこまで言葉は滑らなかった。しかし、店の注文受付の女子に、「だれが次に待っとるか、見ておいて、先にお待ちの方、どうぞ、と言わなあかんで。しっかりせんかい」と、ちょっと強い調子で言ってしまった。
 そんなことがあって、あれから新人の女子スタッフの顔を見ていないので、心配している。

 暴走老人になる素質があるのかもしれない。
 ある意味最高の場所である。本格的は読めるし、好きなだけ勉強もできる。仲間もいる。食事、医療体制も整っている。生い先短い身となれば、暴走してしまう不満や衝動もよくわかる。

またコツコツと

2019年08月19日 | 日記

 過去のブログの校正を再度やり始めた。1999年から始めてから今2009年の7月である。ずっと読んでいると過去のことが時に思い起され、忘れていて驚いたり、馬鹿なことをしたなあ、恥ずかしいばかりだ、と過ぎてしまったことが修正はされず、その体験や経験は現在の自分に沈殿しているはずだと思う。思想としてはさほど変わっていないと思うが、2009年から現在までは10年も経っているので、何かが変わっているのかもしれない。

 昨日驚いたことを細君から聞いた。ある男性は若い頃、子育ての頃はリベラル的な発言をよく家でしていたので、退職してからもリベラルだと思っていた。ぼくの記憶ではその男性がなくなってからだと思うのだが、息子はその男性、つまり父親が「ネトウヨ」だったことを知り、愕然とした。匿名のSNSの時代、その男性はどういう経緯でネトウヨになったのか。それを知りたい。暇すぎて、頭の中で煽りたくなってくるのか。「反韓」を煽る。「反中」を煽る。

 ぼくはネトウヨは若い一部の者だと思っていたら、なんと老人に多いという。しかもお金ある自営業者とか、医者とかにもいるという。

 このような社会現象はやがて小説となって現れることだろう。ぼくは今のところ「反韓」でもなければ「反中」でもない。「反米」でもない。

 昨晩から宮部みゆきの新刊「さよならの儀式」を読み始めた。早速知らない用語が出てきた。「マザー法」。マザー法? 何それ。宮部みゆきの造語? 宣伝文句には宮部みゆきの新境地とあったので買ったのだった。しばらく楽しめるだろうか。昔、「火車」の素晴らしさにびっくりして、結構彼女の作品を読んだことがある。久しぶりだ。

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比喩・2009年04月18日(土)

 腸管を裏返しにするとそれは植物の茎のようなもので、口と肛門はその腸管の入りと出の場所である。顔はそこから派生してきたもので、腸の表情と顔の表情は同質のものである。

 内臓は腸管の溜りになった。心臓は植物で言えば、光合成をつかさどる太陽のようなもので、それは自律神経によって制御されている。肺は自ら呼吸をすることができない。ここは空気の溜まり場である。呼吸をするには動物系の筋肉系が、肺の場合には、横隔膜、肋間金、横腹筋、腸腰筋の連動で行うものである。

 ぼくらの中には植物系と動物系という先祖がある。このことは解剖学者であり、形態学の三木成夫から学んだ。

 植物系と動物系が縦糸と横糸に織物のようになっているのがぼくたち人間である。したがってぼくたちは内臓系の心と感覚系の心が織物のようにあると言えるのだろう。

 禅をする、瞑想をする、というのは極端に言えば植物系に戻ることではないか、と思うときがある。

 運動をするときは動物系をフルに使うことである。

 どちらも偏りすぎると不調になるように思う。プロとしてのスポーツは体には悪いだろうといつも思う。あるいはまた修行のように瞑想するのも本当は体にはよくないことだろうな、と思う。

 もしくは、運動をするなら、それに相当する植物系の時間が必要だ。逆に行動停止している人は運動が必要である。

 私たちは現場の専門家ではないので、あくまで比喩的にいう他ない。

 このような比喩は、比喩的に捕まえるというのはとても重要だと思う。詩も絵画も、優れた芸術は比喩的である。


禍転じて

2019年08月17日 | 日記

 「もしもし、榎本さんですか。曽根区の役員している●●というものです。民ぱくの件です。お客さんが石垣の下にゴミを置いて散乱してますよ」

「えっ、お客さんはいるはずですが」

「それがいないんですよ。すぐに片付けに来てください」

「ご迷惑をかけて申し訳ありません。二度とこういうことがないよう努力しますんで。今すぐ行きますから」

 ぼくはお客さん代表者に電話をしたが出ない。困ったことだ、と思って車に乗ると、お客さん代表から電話がかかった。

「石垣の前にゴミを置いた?」

「はい、全部持ち運ぶのに、一部置いてあります」

「猫かカラスに荒らされたんだと思う。下へ出て区の役員さんに説明してください」

「そうですか。わかりました」

「僕も、そっちに向かっています」

 昨日は「犬が糞をした。片付けもしないで行こうとした。どこに泊まってるんやと聞いたら、あんたとこや、という、だから今日文句言いに来た」という苦情があった。はてペットなどいないはずだが。隠しペットか。

 よしこうなれば役員さん全員に挨拶と現状、こちらでやっている努力、名簿、誓約書なども見てもらおう。

 カラス問題は話せばわかる。隠しペットも点検すればわかる。10時以降の大騒ぎ事前に同意してもらえば抑制もする。

 現場に着くとお客さん代表者たちが掃除をし終わったところだった。カラスにやられるとは思わなかった。わかる。僕の説明不足である。僕もカラスにやられるなんて知らなかった。曽根でカラスを見たこともない。すでに役員さんは事情がわかったらしく帰っていた。

 お客さん代表者は「これでいいですか。すみまでんでした」とたいへん丁寧に謝った。「いやいやぼくが説明しなかったからごめんね」

   そばに小太りの女性が寄ってきて、 「あんた、榎本達子さんの息子さんの榎本順一さん?」「えっどならですか」「村田清六の娘よ」「あんた頑張っとるんやってな」清六さんは母の父の仕事弟子だった。ぼくも清六さんの家に行ったことがある。「●●役員さんの家わかる?」「うん、説明が難し。神社のところまで行って、人に聞いてみて」

 ぼくは●●さんに電話をした。「事情がわかったんで、もう帰りました」と言う。「ご挨拶に伺いたいんですけど」

「こっちはええから、区長さんと会っとけば」と助言をくれた。区長の家を聞き、その方向に進むとまた清六さんの娘さんがいて、詳しく家を教えてくれた。

 蜜柑畑を整地したのだろう。大きな家が建っている。呼び出しフォンを2回押すと、品のよい老人が出てきた。言葉も標準語アクセントである。あいさつをして何度か苦情があったと思うが、想定外のこともあり、だんだんと苦情もなくなってくると思うので、見守ってもらいたい。民ぱく事業は曽根にぴったりの事業で、他の人もやればいい。お手伝いする。こちらは、宿泊者名簿、禁止、注意事項への同意書ととって毎月県に報告している、ということを説明した。東京都庁に勤めていたのだと言う。退職してこに家を建てたのだという。「尾鷲市は浦村を抱えているからねえ、町としたは効率が悪い」と区長は言う。コンパクトに尾鷲にまとまればいいですけどね。私らも運転免許なくなったらたいへんなことです」ぼくは「あと2年経ったらたいへんかもしれませんね。今は火力撤去工場があります。これが終われば電源交付金はどうなるのでしょう」

「曽根は129人の人がいて、平均年齢が70サインを越えています。仕事をしている人はアルバイトも含めて30人です」

 「ぼくは多くの都会の人は曽根はいいところだと思うにちがいないと思いますよ。海では魚が釣れ、川、海水浴に近い。熊野古道の太郎坂次郎坂もあります。みな民ぱくすればいいんですよ。いわばリゾート化すればと思うんです。今、ぼくがやっていることが大きな民ぱく運営のノウハウとなります。決してつぶさないようお願いします」

  禍転じて福となす。役員さん、区長さん、清六さんの娘さんに会えて、これまで挨拶をするきっかけもなく、気になっていたことが解消された。皆、優しかったことに感謝した。

 そんなことがあって、娘たちを駅まで送った。4時頃名古屋着のはずだ。名古屋からは念のため、指定席を買っておいた。ところが紀勢本線の途中で線路に人が入り込んできて急停車をしたそうな。それで繋ぎの新幹線「のぞみ」に間に合わなくなったらしい。名古屋駅でとりあえず来た「のぞみ」に乗り車掌に事情を説明すると、車掌はグリーン車に案内してくれ、席を確保してくれたらしい。これもまあ、意味合いが違うが結果はよかったのだ。ま、禍転じて福となったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


怒涛の日々ももう終わる

2019年08月16日 | 日記

 小学生や中学生の頃、盆を過ぎると泳ぎにいかないものだ、と大人だれのかれが言う。水が冷たくなるから危ない、とも言われた。足を引っ張られるとも。宿題をさせるための方便だったのかもしれない。ぼくはもう海水浴にも川水浴ももうしない。冷たくて、すぐに低体温症となり、そのまま溺死となることだろう。今日の古川はやや水が濁り、水も増し、いつもより流れが速いようだったので、娘にそのことを言った。孫たちは小さなプールを取り出して庭で水遊びをし、ぼくはついでに草刈りをした。

 この盆中には、天然鮎をもらって食べた。鮎の皮に十分苔の香りがする。久しぶりに思い出したり香りだった。また、香りに関連づけて、ガスエビという深海で獲れるエビのエキスか、皮のどこかを使ったのか、「ガスエビポテトチップス」が「おとと」に売っているのを娘が見つけ、夜、2個ほど試しに食べた。これが美味しかった。初めに確かにガスエビの味と香りがし、食べ終わる頃にはポテトの味となる。袋の裏を見ると、製造は静岡会社で、販売は「尾鷲物産」とある。尾鷲物産がガスエビを市場で買い付け、必要量静岡の製造工場に送るのだろう。ちょっと高い。1袋280円。ガスエビは皮が薄く、皮に独特の香りがある。よい有効法である。働いているひとはこんな商品企画をいつも考えているのだろう。

 怒涛の3週間が終わろうとしている。娘たちは明日帰る。息子たちが7月28日にきてから、中5日休みがあってだが、ぼくには一連の大波小波が怒涛に思える。

 

 

 

 


お盆中

2019年08月15日 | 日記

 今回の台風は存外天気予報で言うほどの雨はほとんどなくてようやく昼頃から降りだした。大雨、豪雨というほどではない。

 この盆の期間は、民泊のほうのこともあり、娘家族が来ている最中でもあるが、母親の週3回のデイケアが14日休みとなって3日連続休みとなってしまった。いよいよご飯を置いておくと食べていたのがこの頃残すようになり、一昨日は夕飯に手をつけておらず、昨日の朝も食べず、昼にようやく、野菜ジュースと一口サンドイッチを3切れほど食べた。夕飯はお粥がほしいというので、おかずにたんぱく質と思い銀鮭の切り身を焼き、卵焼きもだしたが、銀鮭少々、卵焼き少々を食べ、梅干しと一緒に粥は食べていた。今日の朝ごはんの用意をしに行くと、昨晩の残りの鮭と卵焼きの残りに、また新たなお粥を作ってだしたら、鮭とお粥だけを食べていた。

 そこで今後は毎日食事時に行き、そこで要望などを聞いて、おかずを取り分けたり、ご飯の具合を聞いてみたりして、粥ではないという場合、すかさずとん汁を出したりしてやってみることにした。

 熱いお湯を魔法瓶に入れて置いてあり、ティーパックでいつで飲めるようにしてあるが、てティーパックの取りだ出し肩と魔法瓶の蓋を取り、中蓋を回すことが認知できない。もう自分ではトイレに行くことくらいしかできない、とわかっているとは思うが、判ってもすぐに忘れるので、本人は気楽と言えば気楽だ。

 どうやら台風天気は予報と違い午後も雨という雨は断続的に降らず、中国地方に再上陸すればさらに勢力を弱らせて尾鷲は大丈夫そうである。なんだか拍子抜けである。

 

 


川遊び

2019年08月11日 | 日記

 川に堰がある。コンクリートでできている。山側から堤防のように伸び、方や道路側からコンクリートが延びているが、両側からコンクリートは中央で2メートルほど離れている。水が集まるところであり、上流の水はそこに流れを集中させるのである。小さい子どもは近寄るのは危険である。真っ白な泡飛沫が滝のように下流に注ぐ。堰から水が落ちるところから3メートルあたりのところに深いところがある。中学生や高校生らが遊ぶによいだろう。堰から上流は小学生以下がよい。ここは賀田の古川である。紀北町の銚子川は有名であるが、古川も整備すれば結構よい遊び場になると思う。

 堰の中央にある2メートルの割れ目に水が周囲の水も巻き込んで注ぐ勢いは孫の男の子には抵抗できない。浮き袋をつけて安易にも割れ目を避けて一安心なところで、自力で泳ぎだしたら、前に進まず、体がバックしていった。危ないと思ったので、足だけ水に浸かっていたのが体ごと飛び込むような形で孫の浮き袋に手を架けた。ぼくがいなかったら2メートルの割れ目に吸い込まれていただろう。危ないところだった。

 この古川の堰の奥側からハゼが釣れる。ハゼ釣りが好きなら、大人も楽しめる。

 尾鷲は帰省する人で車も混雑している。今日までが夏らしい空だった。入道雲も突然湧いてくる。雨がパラパラと落ちたが2分も続かず、また炎天となる。

 孫娘の方はぼくとの約束だということで、網で魚を掬う。50匹という約束だった。何の稚魚なのかわからないが、彼女はとにかく50匹は掬った。曽根の池に魚を入れたかったので、達成できた。娘夫婦らはハゼを釣っていた。

 ずいぶんくたびれた。