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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

捨てていく

2019年11月22日 | 日記
昔会社で作ったCDリピーター用の教材。中でもぼくが書いたもの。音声はCDR盤である程度残っていた。ところが教材はもう焼いてしまったのか、事務所をいくら探しても、家を探しても出てこない。前にチラッと見た記憶があるので、どこかにあるのだろうと思っていた。が、ない。音源はソニーのCDリピーターがない限りかからない。しかし優れたソフトがあって、PCに取り込むことができるようになった。これを作るにもスタジオで、英語圏人とでたいへんだったのだ。教材があれば、合わせてそれで資産となる。まだどこかに隠れているかも知れない。

 22年前は知的財産権を資産勘定することはできなかった。現在ではそれを株にして資本にすることもできる。この点でも世の中は変わった。
 資産と言えば、土地、家屋。空き家が増えてどうしようもない状況である。家を昔建てたり、買った人も、たいへんである。子供が家に住むというのなら引き継いでいけばよいが、住まないとなれば壊すお金も用意しておかないと子供らに迷惑をかけることになる。大迷惑と考える人も少ないだろうが、それにしても200万円くらいは解体にかかる。その家と土地を売れればよいが、そうはうまく今の世はいかない。この前、テレビで200万円付きで家を一万円で買ってほしい、という人がいた。200万円払ってでも手放したいのだ。そこに様々な思い出も詰まっていることだろうが、平成、令和と不動産は都会の一部を除いて下がりっぱなしである。思い出もくそもない。手放さなきゃ、維持管理、税金がかかる。台風でも来ようものなら近所に迷惑かけないか心配もする。

 政府が旗降って「マイホームを」とずっと言ってきたが、このザマである。
 鎌倉時代に「家も持つな、何も持つな、早くあの世に行こう」と一遍上人が村々を旅してまわり、人に説いた。その後「時宗」という宗教になった。日本では数年前「断捨離」が流行った。
 細君と話して、まず実家のものとぼくの家のものをゴミに出して捨てていこうか、ということになり、検分して捨てていくことにした。MDプレイヤーなどもう要らない。ハンドタイプのVHSビデオプレイヤーもカメラも要らない。食器も衣類もどんどん捨てていくことにした。3年ほど続ければ相当なくなるのではないか。
 さて最後には家をどうするかの問題がある。どちらもずいぶん傷んでいる。津波も来る。どうしようもない。

九州場所の女2019

2019年11月17日 | 日記
 今年の九州場所では休むことなく、テレビ画面の左上に身動きすることなく座っている。初日のみ洋装で眼鏡をかけていた。中入りになって、彼女の姿が見えないと、細君に、「おい、きょうはおらんぞ」と言うと、二人で「ウォーリーを探せ」みたいになる。あの小さな画面にぼんやりと何十人もの観客がおり、カメラが動くので、どこにいつのか一生懸命になって探す。すると、いつの間にかいつもの場所にいて、「ああ、今日はちょっと遅れたのだな」と思い、安心する。ぼくは「九州場所の女(ひと)」と呼んでいる。
 彼女は時々大阪場所にも東京場所にも顔を見せるときがある。よほど相撲が好きなのか。客筋から呼ばれたりするのか。毎日テレビ画面に品よく映っているから、NHKの人も、相撲関係者も、全国の相撲ファンもよく知っていることだろう。いんし日はきっとぼくと同じようにどこにいるのか探しているのだろう。一時、花道の前あたりにいたことがあり、その後、場所がコロコロと変わったものだった。
 喜怒哀楽を見せず、静かに観戦している。誰のファンデーションであるか、彼女の表情や動作からはわからない。仕事として観戦しているのだろうか。
 元NHKの相撲アナウンサーのスギヤマさを探すには細君の役割だ。姿が見えないと「どうしたんだろう」「病気でもしたのだろうか」と言い、見つけると安堵のこえで、「ああ、いたいた、よかったあ」と言う。ぼくが見つけた時は「おーい、いたぞー」と声にだす。杉山さんも15日間博多滞在なのだろうか。ときに東京にとんぼ返りするのだろうか。九州場所の女のバーに往くこともあるのだろうか。
 ところで九州場所の客はマナーが悪い。これは相撲協会も徹底しなければならない。立ち合い時は静かにしなければならない。テニスのサーブに入ったら声援を止めるのと同じだ。相撲もでは最後の立ち合いで両力士が蹲踞から立ち上がった時から声援は止めるべきである。

 ところで、早稲田大学対明治大学のラグビー決勝戦が12月1日にあるので、東京にいくから会おうと、台湾のKo さんからラインで連絡が入った。彼は台湾代表チームの元ラガーマンである。東京にいく機会があれば会いたい友達もいるので、2日にいくのがよいか、3日にいくのがよいか、なべちゃんにメールしたら、2日にIさんがミャンマーにいくので食事会をする、それへ来い、言う。Koさんと参加するから、と連絡して、ぼくもホテルを予約した。
 南アフリカのサイモンとエルミー一家が子供三人連れて尾鷲に来るとメールがあったばかりだ。3月の末あたりである。二人とは思い出が多くある。エルミーとはリュートを聴きに行ったこともあった。2年が経ってエルミーが南アフリカに帰った。サイモンは元気がなかった。いろいろと探りを入れた。「おまえ、エルミーのことが好きなんだな」。最後はそうなった。休みをあげるから南アフリカに行ってこい、と言った。サイモンは覚悟を決めたようだった。
 もう上の子が21歳である。たぶん事業も成功したのだろう。
 友遠方より来る、で、なんだかこころがせわしい。


体重を規制すればどう?

2019年11月11日 | 日記
中国の卓球は強い。日本の三女子ももう少しのところだ。いやいや伊藤美誠は惜しかった。
 さて、大相撲。テレビの永谷園でのコマーシャルと正反対の不愛想な遠藤は昨日、豪栄道に勝った。豪栄道の引きに耐え、前褌を取って逆襲に出た。豪栄道は無理をした体勢で突き落としにでも出たのかもしれない。それが砕けて、足首を傷めた。豪栄道は今日から休場。遠藤はぼくの期待どおりであったので、期待度もまた上がるというものだ。
 やはり大相撲の最後の取り組みに白鵬がいると引き締まる。15日間撮り続けてほしいものだ。昨日は博多の国際センターも満員ではなかった。空席が目立った。ひと頃の人気に陰りがでるはずである。怪我で番付がもうメチャクチャである。
 鶴竜が横綱の責任が果たせず、またもや休場。それに今日は豪栄道。明日からも怪我人がでるんじゃないか、と冷や冷やする。とくに昨日の炎鵬を見ていて、剣翔に首の骨でも折られるんじゃないかと心配した。
 朝乃山の調子は昨日は不戦勝だったのでわからないが、調子がよさそうのは貴景勝、竜電、玉鷲、遠藤、御嶽海のように思える。高安も昨日は強かったが、まだ左肘が不安っぽい。栃ノ心も心配だ。
 大相撲は体重を150キロまでとか130キロまでとか体重規制したらどうだろう。

 大相撲が始まると夕方が楽しくなる。そうそう、昨日のタジマのママさんは画面で言えば左端に居た。眼鏡をかけて地味な黒っぽい洋装であった。九州場所も昔はタジマのママさんくらいしか着物を着た女性は砂かぶり周辺にはいなかったのに、この頃は着物姿の女性が多くなった。
 タジマのママさんはいつも姿勢よく背筋を伸ばして動くことなく座っている。

 大相撲が始まると5時の中休みに母の夕食を作りにいき、(もう温めるとか、みそ汁を作り、温かいお茶を作るくらいでよいように前もって準備しておくのだ)、母宅で5時のニュース後の一番を見て、急いで家に帰り、この時期はもう熱燗を飲むことになる。それで後半戦を楽しむ。
 昨日などは大相撲→世界は今→世界卓球団体戦女子決勝→ドラマ「プルメゾン東京」→ドラマ「いだてん」という順でテレビの前に釘付けであった。 

少々くたびれた

2019年11月07日 | 日記
 台風で池の水源地が壊滅状態となり、復旧にお金がかかり過ぎるので、池をあきらめた。しかし空っぽの池があるだけでは貧乏臭いというか、放ってある池みたいである。
  蓮を生けるのに買ったとても大きな鉢があるのを思い出して、それを取り出し、この前の台風で掃除した落ち葉を入れて押し込み、そして土を入れた。もう冬になりつつあるのでガーデンシクラメンを15個ほど買い、これを植えたら結構いいのである。赤紫、白、赤のシクラメンはコメリの係員が言うには一か月は花を咲かせるということである。シクラメンは自己主張が控えめであるが、落ち着いた冬の花である。池は橋を境に左側にふたつのゾーン、右側にひとつのゾーンがある。右側のひとつのゾーンにシクラメンを入れた。左側のゾーンにも何か花を置きたい。何がいいのだろうと。木蓮のようにすぐに散ってしまうものではいけない。草花で、長く花を咲かせるもの。何があるのだろう、とまたコメリに行こうと考えている。

 さて、現在72言語まで翻訳を終えた。この翻訳が正しいかどうか、と判定に至るまでに、それなりにプロセスがある。
 まず、英語でのタイトル、短い80文字以内の説明。長い4000字までの説明を作る。このとき Grammarly をインストールしてあるので、ぼくの文に忘れ物があったり、間違いがあると文法的におかしい、というサインが表示される。なるべく翻訳しやすいように箇条書きで完結な説明を目指す。出来上がった英語をグーグルの翻訳にかける。どんな日本語になっているか見るためだ。ぼくがあらかじめ書いた日本語文と同じかほぼ同じ内容を伝える文にできていたらぼくはそれで良しとする。 be stocked が「ストックされる」と訳してくれればいいのだが「貯蔵される」と出てくる。これは手直しである。このようにして英語と日本語の意味を完全にすり合わせていく。完全になればスワヒリ語でもフィンランド語でも同じことだと考える。そうやって72言語やった。ところが不便なことにぼくは日本にいるので、インドのある町でどんな風に映っているのか見ることができないので、本当に翻訳されたものは反映されているのか実はわからない。

 バリ島での仕事を離れてから集中的に仕事というものをしていない。今回は朝の時間、午後の時間とアプリ問題に集中せざるを得ず、知識、経験不足でイライラ感もあり、なんだかくたびれてしまった。
昨日、朝日新聞の一面広告欄に コスモピア という英語教材の出版社があり、3つの広告をしていた。「多聴多読マガジン」「中学英語で表現力を極める」「海外ドラマで英語をモノにする」。なんだかピンときた。
 旺文社やアルクのように古い会社ではない。ホームページを見れば、2002年設立のまだ若い会社だ。しかもホームページにはさまざまな教材がある。ぼくの頭の中にあるようなものがほとんどそろっていると言ってよい。
 早速、メールを出した。メールでやりとりしたい、できればお会いしたい、と。ピンと来るものがあればだいたいが上手くいくものだ。たぶん相性が合うのではないか、と勝手に思っている。このようにしてひとつの仕事を始めるとつながりを求めようと活動を始める。当面、アプリを広告する期間に入る。提携することもひとつの販売戦略である、と思う。

 今日は午後からはコメリでも行って花でも物色するつもりだ。少々くたびれた。

ようやく承認

2019年10月30日 | 日記
 これから三日ほどは晴れるということなので、午前中から曽根の貸別荘へ行き、布団を干したり、樹木を剪定したりした。池の水がないことに気が付いた。台風でまた水源地にある取水のどこかが流れてしまったか壊れたのだろう。孫娘が獲った魚も死んでいた。これで台風による被害は2度目である。業者さんに連絡して復旧工事を依頼した。

 もう池は閉鎖しようとも思ったが、そのあとどうするという考えが浮かばず、結局維持することに。

 茨があちこちで伸びてきているので、切り、海が見えるまでに庭の低いさつきのようなものは低く刈り取り、伸びきった雑草のようなものも取り払った。それだけで2時間もかかってしまい、急いで佐野に向かった。今日は張り切って「麺NIPPON 八王子ターメン」「麺NIPPON博多ラーメン」「横浜もやしラーメン」が尾鷲にないので、また買い出しに行った。ついでにユニクロにも行きたかった。家に戻ったのは5時前になっていた。

 昨日の夜中、google のロボットではなく、人間から人間の手で「えのもと様、BBTジャパン様のスーパー語学プレイヤーが承認されました」とメールが来た。ちゃんと責任者の名前までついていたので、とうとう来たか、という思いだった。しかしただ承認されてアップされただけでは誰の目にも届くはずがない。ここからが営業なのである。まあ、それはボチボチ考えよう。考えて実践してくれるという人が現れたら、交渉には応じるつもりである。

Google Play >カテゴリー>教育>検索>スーパー語学プレイヤー

または、

ホームページを作ったので、そこで機能がわかるようになっている。

 ぼくはもう外国語の学習はいいので、もっぱら歌を覚えるのに使っている。わからないところはなんども繰り返してくれるのである。

迷路の壁

2019年10月26日 | 日記
 昨日の夜中にグーグルからメールが入った。アプリの審査も結果である。rejected 非承認だった。驚いたが、英語での返答はどこがだめでどこをなおせばよいのかさっぱりわからない。翌朝、母を定期的な検診をするため病院に連れていき、それを終えてから、パソコンに向かった。どうやら、アプリの内容そのものではなく、公開時にファミリーポリシーへの登録あたりでのミスがあったのだろうと思う。ぼくのアプリには広告もないし、個人情報を収集する機能もない。グーグル側と完全に利害も一致するはずである。ところだめときた。異議申し立てができるので、なにをどうしろというにかわからない、このアプリはシンプルで、語学専用プレイヤーである。ゲームではない。子供に悪いわけでもない。どうしたらよいか、と書いた。原因がわかればそれに焦点をあてて、異議申し立てができるものを、原因理由がわからないので、脳が悪くなる。まだ、悪戦苦闘はつづくのかと思うとうんざりもする。
 どう解決すればよいのか。そういう専門家は探せばいるのだろうが。
 この頃、睡眠が浅いせいか、昼に睡魔が襲ってくる。昼からは一番頭も冴えてきていたはずなのに、それがおかしい。理由探しに午後からもやってよさどうだが、それは明日、という気持ちになってしまう。頭は興奮していていいはずなのに、眠気が来る。変だ。
 糖尿病にでもなったのか。そんなはずはない。これまでの検査で、その兆候もない。
 グーグルはロボットが審査員のようである。グーグルの説明では要領を得ない。また今度こそ最終の是非を決められる時がきた。また悶々とするのか。
 確か、人生ってこんなもんだったよな。




とうぶん晴れてほしい

2019年10月25日 | 日記
 夏物と冬物を取り替えた。衣替えである。
今年は9月、10月と晴れ間が少なく、鬱陶しい雨が多い。今も雨が降っている。こんな記憶がない。うんざりである。まだ今年ハゼ釣りにも行っていない。今頃から11月が旬である。土瓶蒸しと天麩羅などといきたいものだ。
 アプリの方は公開手続きをすべて終え、今は「公開待ち」、つまり「審査中」ということである。
 それでまた、過去のブログの校正をやっている。2011年の12月分を途中で止め、来週からは2012年分になる。読み直していると、よく外に出掛けていたことがわかる。いろいろな人とも会っていたことがわかる。
 まだ母は交通事故にも遭っておらず、ぼくはアプリの開発に手をだすこともなかった。
 秋が短くなったように思える。雨ばっかりの10月だったからなのだろう。

 1997年。この年に One more time、one more chance という山崎まさよしの歌が出た。良い歌だったが、その頃のぼくは歌を歌っている場合ではなかった。今、今度開発したアプリに入れてメロディをおぼえている。とても便利なのだ。覚えにくいところは何度も繰り返す。わかるところは飛ばす。「君をうしなったぼくの切々としたこころの叫び」を歌っている。その情緒を飛ばして覚えることに専念。時代背景はこの頃から日本列島は災害で苦しむようになり、金融業界はどんづまり、経済の停滞が始まり、土地資産は減じる一方となるのだ。
 自分のこころに問うだけが精一杯の青春期、山崎まさよしは精一杯の曲と詞で切々と歌っているのを You tube で見た。まるで22年前のもの思えない。青春期に思う男と女の気持ちというのは変わっていない。

 いつの間にか雨も止み、雲間から青空を見えてきた。とうぶん晴れが続いてほしいものだ。
 

停滞と大雨

2019年10月18日 | 日記
 昔は尾鷲の雨は降ればどしゃ降りで、傘の骨も2本多かったとか言っていたが、この頃はどしゃ降りがほとんどなくなった。今日は久しぶりの大雨であるが雨粒が小さく弱いから、これなら水害はないだろうと見当はつく。夜にかけて雨粒が大きくなり、勢いを増してきたら、警戒である。
 今日の仕事はハードルが高過ぎて中断。もうあと一歩というところで、グーグルの解説を頭に入れていく必要がある。ぼくは記憶力が悪いので、これが難儀である。事務所ではタブレットとパソコンで、家ではスマホとタブレットを併用して記憶力補っている。
 ぼくは世界的を席巻したアンドロイドを作ったgoogle の頭脳集団が実装したAndroid Studioや platform、Console の前で、なぜアンドロイドがiOSを抜いて世界一位になっているのかを実感しているのである。

 雨の音が強くなってきている。
 「未完の資本主義」という世界のオピニオンリーダーぽい5人の人にインタビューした本を読んでいる。現代社会は資本主義と共産主義が半々くらいの社会になっている、という人もいた。資本主義という経済システムを越えるシステムはまだ生まれていないが、人びとの間にシェアとフェアの考えが相当に浸透してきて、保険
のシステムシェアのひとつだという意見には結構納得いくところがある。
 マルクスは資本主義の行きつく先は共産主義であると宣言したのだった。
 日本の、マイクロソフト社は週3日労働の試行をしている。

 ここまで書いてきて、雨の勢いが止まらず、これはヤバイという感じになってきた。快適いる途中でみチリン、チリンと市の防災センターから注意報がくる。
 停滞のまま、一日が過ぎてしまうことになる。なにかひらめきがあるだろうか。
 

脳が疲れる

2019年10月17日 | 日記
 日本の生産人口は年で約1%減ということだ。人口が減り社会が高齢化しているからである。経済成長を掲げる限り、よほど効率的で、付加価値の高い生産をするしかないのだが、現在は一億億総活躍と言って女性と老人に参加してもるのと、外国人労働者に頼るしかない、仮に1%を外国人で補うとすれば、日本は今から将来的の社会像を論議しておく必要がある。
 ヒスパニックとアジアンが人口を増やし、白人が少数派になっていくことはアメリカでは避けられない事実である。
 ヨーロッパも難民を受け入れながらも悩んでいるのは選挙情勢を見てもわかる。
 日本のような閉鎖的な社会がだんだんと増えてくる外国人に寛容であるがずがない。現在のマイクロソフトのCEOはインド人である。グーグルの、共同経営者の一人もインド人である。彼らは根っからのアメリカ生まれのアメリカ育ちではない。移住してきて、勉強をし、才覚を発揮し、会社組織が認めたのである。

 そんなことを思いながらコンピューターとのコンソールは今日も続き、午前の2時間でやっと1つ克服し、午後の1時間でまたひとつ関門をなんとか開けた。最後のアップロードを何度も試みたが、失敗がつづき、とうとう明日にしようと諦めた。寝ればなんとか解決策が見つかるかもしれない、と思い、気楽にいることにした。ぼくの弱い脳みそは憑かれてしまっている。トンカツで食って、あしたには決着したいと思っている。
 22年前おリベンジの最後の日でありたい、

悪戦苦闘

2019年10月16日 | 日記
 ようやく簡素なホームページも完成し、Super Language Playerは世に出ようとしているが、難産である。ひとつひとつ失敗しながらも、Googleに問い合せては解決していくという風で、銀行取引確認に2、3日かかるというので、それを確認するまで仕事は休みとなる。その間に考えておいたほうがよいことが幾つかあり、ま、のんびりとするつもりではある。Google Play Storeを使って世界で売ることになるのだが、運悪く、トランプとの摩擦によりGoogleが使えなくなっている。今日判明した。
 中国でも売るつもりだったので、あてが外れた格好だ。北朝鮮、キューバ、イランもgoogle は使えない。民間会社も政治の枠にはめられ、迷惑なことだろう。
 ドコモストアやギャラクシーストアなどはgoogl store から編集者が選んでいるのだそうだ。ようするに世にはapple store とgoogle play store しかなく、アメリカのGAFAの2つで占めているわけである。A のアマゾンでも google play の商品を買うことができる。恐ろしきアマゾンである。
 google やapple は今やITインフラでは世界を席巻している。次はそれをどうやって応用するか、ということである。こういう場面では日本列島人も大いに活躍することができると思う。しかし、NTTgaあれほど素晴らしい携帯電話を世界に広められなかったように、機能的であるがゆえに逆にガラパゴス化もあり得るかも知れない。
 中国には幾つかのドコモみたいな会社があり、その上にファーウェイが5Gで網をかけようとしている。なべちゃんからメールがあり、ドコモみたいな会社の代表者が彼のところにくるという。実際に中国ではgoogle の代わりをするのはファウェイ一社なのだろうか。調べてみる必要もある。

 思えば不思議なものだ。ワープロが出てきたとき500万円で買った覚えがある。次に買った時は機能もアップして250万円だった。それからあれよあれよという間に20万円、10万円となり、今やパソコンのアプリになっている。
 ぼくが今回のアイディアを22年前に具現化しようとしたとき、どうしてもソニーのようなハードウェアの会社との提携が必要だった。それがウィンドウズ95が出てき、インターネットが定着し、スマホややタブレットが登場して、アプリ制作ソフトを無料開放したgoogle はぼくのアイディアを具現化するのに3億円も要らなくなった。22年前はそれだけでも足りなかったのだ。この22年の間でソニーのような会社に頼らなくてよくなった。制作費も桁違いに安くできるようになり、プログラマーさえ、しっかりしていれば開発ができるのである。この間の進展みは驚くべきものがある。ぼくは今回のSLP開発に取りかかったときは浦島太郎のようだったが、若いプログラマーと話をしているうちに時間を取り戻したような感覚もある。だが、悪戦苦闘している。最後の最後で、アップロードのところで、である。

 

 

時の流れに

2019年10月14日 | 日記
 昨日は雲ひとつない良い秋晴れだったのに一転夜中から雨が降りだした。安定した良い日は三日も続くことのないのこの8月から今日までである。海岸ある電信柱が傾いていたのを今日見て驚いた。実家の家の庭を囲ってある木が腐っていたのだろう。折れていた。ジャスミンの蔓ごと取り除き、庭に置いてある廃棄物が丸見えになってしまった。捨てよう、捨てようと思っていたのが、台風によって顕にさrwる。
 テレビニュースが伝える台風被害は酷いものだ。日本はどこもこのような危険性があることは来年になればよりはっきりするのではないか。

 最近スクリーンショットという保存方法をスマホ、パソコンとも知り、3Dペイントでそのスクリーンショットや写真に字を書いたり、印を書いて、ここはこうするとかこの部分は削除とか印をしてメールで送る。これがすごく便利である。
 昔だったら絶対に交通費払って、時間を使い、面談してやりとりしていた。
 テレビ電話など遠い遠い先の話だと思っていたのに、今は無料でできる。

 一方で、藤沢周平の映画「花のあと」でみるように、人間の行動の範囲は歩ける範囲までで、その中で暮らし、不便とも思わずに日を暮らしていくことのゆったりさも尊いようにも思う。
 いつもガツガツすることなく、いらいらすることなく、時の流れが遅ければ遅いなりに、速ければ落ち着いて暮らしたいものだ。


 



台風で

2019年10月11日 | 日記
 台風のために、庭のテーブルや不要な鉢や壊れた庭園ライトなどを取り除き、すっきりとした。実家の方も水が入ってこないように仕切り板を取り出しておいた。土曜日は貸別荘に客が来るというので案じていた。昨日は俄然張り切って来ると言ったが、高速がストップになるかもしれないですよ、と言ったら、翌日、キャンセルのメールが来た。今日は早速雨戸を閉め、庭の片づけをしなければならない。台風の被害さえなければちょうどよい具合に庭の整理ができたと思っている。

 必ずと言っていいほど、台風や大雨で命をなくす人がいる。ちょっとした不注意。ちょっとした偶然。あっと言う間に木から落ちたり、屋根から落ちたりする。

 千葉の被害者の方たちの様子を見ていると、同様のことが我が身に起これば、捨ててどこかに行きたいほどであるが、捨てていけないというストレスがある。これは相当にきついストレスだろうと思う。

 ということで、今日は車のガソリンを満タンにし、スマートフォンもフル充電にしておき、懐中電灯を手元に置き、風呂に水を貯めておき、水嚢を作ってトイレを塞ぎ、くらいのことはする。

 世界は混乱のさなかにあるが身辺のことにぼくらは対処しなければならない。その日、その日をなんとか生きていくのがわれわれ大衆であり、大衆を犠牲にして上の者が責任をとることもなく戦争を始める、あるいは自称エリート(前衛)が大衆をリードするはずなのに、大衆を殴り、撃ち、蹴散らす。
 まあ、今日はこんなこと考えてる暇はないわい。

縛り

2019年10月09日 | 日記
2010年にこんなことを書いていた。

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縛るもの・2010年06月29日(火)
 時計の電池を入れ替えてもらった。「これはブランド品ですから、壊したらいけませんので時計店でやってもらってください」というのを「壊れてもかまわんからやってください」と言ったら、やってくれた。壊れることはなかった。
 これでひとつ片付いたと思ってすっきりした。鎌倉時代の時宗を起こした一遍上人は「家も持つな、何も持つな、おのれを縛るだけである」という風なことを言ったが、そうだよな、でもできないな、と思う。
 店はカードを持たせて縛ろうとする。カード会社に入れば縛られる。落したり盗まれたら面倒だ。病院は診察券。車は免許証。七月一日が更新のための講習日だ。携帯やカメラをもてば、バッテリーだ、なんだとなる。車は車検がある。
 愛犬をもてば餌がいるし、管理がいる。なんでもかんでも「縛る、縛る、縛る」である。
 できるだけ物は持たない生活。いわば死が近づいてきたら身奇麗にして、思い出の写真一枚ぐらいもっていればいいな、と思う。

 体が病気を起こすと体そのものに縛れられることになるしなあ。う~ん。
 お金は使ってしまえばいいので、縛らないなあ。預けたら縛られる。やはりお金は魔力ではある。
 異性は互いを縛ることになる。

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 どうも9年前は「それでどうするの?」ということを書いてない。今やキャッシュレス、キャッシュレスとカードでの取り込みをしようとカード会社は大きな資金をかけて勧誘している。それやあそうだ。消費者が消費すれば、店から1.5%とか3%とかなにもせずにお金が入ってくるのだ。
 ぼくはこういう商売は「あこぎな商売」だと思っている。もうひとつ関係者には悪いけど、金融マンも「あこぎな商売」だと思っている。これが資本主義の特徴でもある。

 愛犬は死んだけど、今度は金魚とメダカを飼ってそれに縛られている。
 94歳の母親を見ていると縛っているものが使えなくなってきて、最後の体そのものに縛られている状態だ。別に昔のアルバムを取り出すのでもない。昔作った短歌を読むのでもない。
テレビの音がざわざわしているのが落ち着くらしく、静かな孤独は嫌みたいだ。よく薬を飲んでいた。薬からもだんだんと解放されてきている。便秘の薬も飲まなくなったし、睡眠剤も飲まなくなった。そういうのを見ているとだんだんと捨てるものは捨て、使っていたものを使わなくなり、ぼくも流れに任せてそうしていくのだろう。


コンピュータ教室に通おうか思案

2019年10月01日 | 日記
 以前のメールアドレスが復活した。閉じたはずだったgmail アドレスだった。それが復活して開けてみると1万5千通ほどのメールがストックされていた。DMもいっぱいある。恭くんからのメールもあり、エステ関係の生徒からのメールもある。相談事などもあった。悪いことをしたなあ、と思いながら、50通残してあとを消すのに6時間かかった。
 コンピュータの知識がもう少しあれば、といつも思う。ごそごそとやっていると大事な書き物を消してしまったり、わけがわからない迷路に入ってしまったりで、難儀する。
 最近スクリーンショットというのをスマホで知った。尾島さんなどはそこに赤い線で、〇を描き、ココ、などと書いてくる。ココが間違っているよ、ということである。
 パソコンでホームページもスクリーンショットができるはずである。だがやり方がわからない。やりとりをするときに、「ここをこう直してくれ」、とか「ここにこれを挿入してくれ」とやりとりがやりやすいと思う。
 それでパソコン教室に通おうか考えている。地元で教え子が教室を開いている。今度はぼくが教わる番だ。

 ファーウェイのスマホにGoogle が入らなくなる様相であることをニュースで知った。Android とは違う、独自のモバイルOSを作るのだろう。なにせ14億人いるのだから、それも可能であろう。するとぼくの開発したアプリはこれまでのファウェイのスマホなら動かすことができるが、Google がストップになったら、使えなくなる。するとファーウェイとコンタクトをとり、ファーエイのモバイルOSで動くアプリにしなければならない。この辺のことをファーウェイはどう考えているのか知りたいが、どうやって知ればいいのか、わからない。アメリカと中国の貿易交渉、覇権争いは日本列島にある紀伊半島の隅にある小さな町に住むぼくにまで影響を及ぼしてくる。
 日本のファーウェイ事務所に行ってみればいいのだろうか。
 このようにちょっと社会参加の一歩を始めると、考えなければならないことも増えてくる。
 ただ、生活のルーティンは変わることはないだろう。働くのは午前10時から12時まで。朝、昼、晩、には母親の食事を作る。昼からは曽根の貸別荘の掃除や草刈り、マックへ行ったり、買い物したりする。夜はテレビを見ながら酒を飲む。時々歌を歌って、毎晩本を読む。

 また雨が降ってきた。台風の影響なのだろう。今回の台風も日本海の方にいくようである。台風の道さえも変わってきた感がある。千葉県への上陸も全くないことであった。尾鷲市はここ十年、台風に襲われることなく、大雨で災難があることもなく、なんだか、台風、大雨コースからも外れてしまったようである。油断していると危ないから、天気予報はこまめに見ている。しかしまあ、天気予報の一週間前や五日前の予報はなかなか当たらないものであることもこの頃知った。民泊のおかげである。