全道展会員の画家で室蘭の美術界をけん引してきた、佐久間恭子(さくま・きょうこ)さんが18日午後7時40分、入院先の製鉄記念室蘭病院で、急性白血病のため死去した。80歳。自宅は登別市若草町5・20・2。葬儀は通夜が20日午後6時から、告別式は21日午前9時から、室蘭市寿町3の雲上閣本館で。喪主は夫・譲(ゆずる)さん、葬儀委員長は若草町内会慎送会役員・佐藤逸夫さん。
佐久間さんは昭和6年、室蘭市浜町(現中央町)で生まれた。室蘭高等女学校を卒業し、臨時教員を務める傍ら、武蔵野美術学校通信教育を受けた。27年室蘭美術協会の会員となり、52年全道展会員、61年独立展会友。63年室蘭文化功労賞、平成10年室蘭市篤志善行賞表彰、平林記念賞などを受けている。
◆―― 郷愁誘う画風が人気
佐久間恭子さんは生まれが浜町(現中央町)でにぎやかなりし頃を肌で感じてきた一人。歴史ある古い建物にスポットを当てた「思い出テーブル」は昭和60年から「月刊ほっかい」に連載。23年間続き、郷愁を誘う画風が人気を集めた。
芥川賞作家・三浦清宏さんの本紙連載「海洞―アフンルパロの物語」の挿絵、八木義徳著「何年ぶりかの朝」の表紙絵なども手掛けるなど幅広く活躍、戦後の室蘭の美術界をけん引した。
さらに測量山ライトアップのカラーデザインやプロビデンス号記念碑イメージデザインを担当するなど、マチづくりにも広く貢献、関係者からは惜しむ声が上がっている。
「海洞―」の挿絵ではアメリカにも取材に出掛けている。三浦さん(熱海市在住)は「先日お見舞いに行ったばかりでまだまだ一緒に仕事ができるかなと思っていた。昔の室蘭の力強さ、郷土の歴史を絵で表現してきた。教わることが多くこんなに早く亡くなるとは」と哀悼の意。
美術館設立にも尽力。同じ全道展会員の画家・北浦晃さん(75)は「美唄にいた学生時代から『金丸恭子(旧姓)』という名前は知っていた。昭和42年以来のお付き合いになるが、地元にこんなに深く根ざし、こだわって描いてきた画家はいない。惜しい人を亡くした」と言い、浜町ギャラリー(昭和59年~平成13年)時代を含め長年の交友のある室蘭市民美術館の小原章嗣館長も「昔のことが走馬灯のように浮かんでくる。有言実行の人。今年の3月~5月に所蔵作品『佐久間恭子展』を開き、好評を博したばかり。室蘭の美術界を引っ張ってきた人だけに残念」と肩を落としている。
(野崎己代治)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/10/20/20111020m_04.html
佐久間さんは昭和6年、室蘭市浜町(現中央町)で生まれた。室蘭高等女学校を卒業し、臨時教員を務める傍ら、武蔵野美術学校通信教育を受けた。27年室蘭美術協会の会員となり、52年全道展会員、61年独立展会友。63年室蘭文化功労賞、平成10年室蘭市篤志善行賞表彰、平林記念賞などを受けている。
◆―― 郷愁誘う画風が人気
佐久間恭子さんは生まれが浜町(現中央町)でにぎやかなりし頃を肌で感じてきた一人。歴史ある古い建物にスポットを当てた「思い出テーブル」は昭和60年から「月刊ほっかい」に連載。23年間続き、郷愁を誘う画風が人気を集めた。
芥川賞作家・三浦清宏さんの本紙連載「海洞―アフンルパロの物語」の挿絵、八木義徳著「何年ぶりかの朝」の表紙絵なども手掛けるなど幅広く活躍、戦後の室蘭の美術界をけん引した。
さらに測量山ライトアップのカラーデザインやプロビデンス号記念碑イメージデザインを担当するなど、マチづくりにも広く貢献、関係者からは惜しむ声が上がっている。
「海洞―」の挿絵ではアメリカにも取材に出掛けている。三浦さん(熱海市在住)は「先日お見舞いに行ったばかりでまだまだ一緒に仕事ができるかなと思っていた。昔の室蘭の力強さ、郷土の歴史を絵で表現してきた。教わることが多くこんなに早く亡くなるとは」と哀悼の意。
美術館設立にも尽力。同じ全道展会員の画家・北浦晃さん(75)は「美唄にいた学生時代から『金丸恭子(旧姓)』という名前は知っていた。昭和42年以来のお付き合いになるが、地元にこんなに深く根ざし、こだわって描いてきた画家はいない。惜しい人を亡くした」と言い、浜町ギャラリー(昭和59年~平成13年)時代を含め長年の交友のある室蘭市民美術館の小原章嗣館長も「昔のことが走馬灯のように浮かんでくる。有言実行の人。今年の3月~5月に所蔵作品『佐久間恭子展』を開き、好評を博したばかり。室蘭の美術界を引っ張ってきた人だけに残念」と肩を落としている。
(野崎己代治)
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