【11月5日の御前会議】
そこで日本は、もう一度御前会議を開きます。11月5日です。ここで甲案と乙案を決めます。甲案は、交渉を平和裏に進ませるためにアメリカの希望をできるだけ取り入れ、支那における通商は100%開放する、支那と仏印に進駐している軍隊を2年以内に引き揚げる、日独伊三国同盟は死文化する、というものです。この甲案が破れた時のために、さらに乙案も用意します。乙案は、日本の南部仏印進駐以前の状態に復帰するというものです。11月5日の御前会議においてこのように決定し、11月7日に来栖大使を甲乙両案持たせ派遣したのです。
しかし、悲しいことに、当時日本の重要な暗号等はことごとくアメリカに解読されていたのです。ルーズベルトは、日本がどのような案を持っているか全部知っていたのです。因みに、12月8日、日本は「ニイタカヤマノボレ」という暗号でもって真珠湾を攻撃しますが、これもルーズベルトは知っていたのです。アメリカのトーランドという作家が『真珠湾攻撃』という本を書いていますが、これにもルーズベルトは日本の軍艦が真珠湾に近づいて来るのを知っていたと書かれています。真珠湾を警備していたキンメル大将には、そのことは全く打電されていません。後に、軍事電報ではなく、わざと商業電報を打ちましたが、もう間に合いませんでした。
<続く>
そこで日本は、もう一度御前会議を開きます。11月5日です。ここで甲案と乙案を決めます。甲案は、交渉を平和裏に進ませるためにアメリカの希望をできるだけ取り入れ、支那における通商は100%開放する、支那と仏印に進駐している軍隊を2年以内に引き揚げる、日独伊三国同盟は死文化する、というものです。この甲案が破れた時のために、さらに乙案も用意します。乙案は、日本の南部仏印進駐以前の状態に復帰するというものです。11月5日の御前会議においてこのように決定し、11月7日に来栖大使を甲乙両案持たせ派遣したのです。
しかし、悲しいことに、当時日本の重要な暗号等はことごとくアメリカに解読されていたのです。ルーズベルトは、日本がどのような案を持っているか全部知っていたのです。因みに、12月8日、日本は「ニイタカヤマノボレ」という暗号でもって真珠湾を攻撃しますが、これもルーズベルトは知っていたのです。アメリカのトーランドという作家が『真珠湾攻撃』という本を書いていますが、これにもルーズベルトは日本の軍艦が真珠湾に近づいて来るのを知っていたと書かれています。真珠湾を警備していたキンメル大将には、そのことは全く打電されていません。後に、軍事電報ではなく、わざと商業電報を打ちましたが、もう間に合いませんでした。
<続く>