茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

今日の空

2011-08-24 22:06:11 | つぶやき
今日は曇りのち晴れ。
青空だが、雲が多くて、いろんな形の雲があって、
空を見ながら歩いた。(危ないなぁ・・・)

 

そして、ドリカムの「空を読む」が聞きたくなった。

「強くなくてごめんね 誰に言ってんのかな? 涙とため息
全部つめこむ ポケットがあればいいのに
思い通りにいかなくても 愛する人に伝えたいことが
明日を読めるわけでもないのに たぶんわたしに上を向かせる」

もう1曲
「TRUE,BABY TRUE.」

「明けない夜がないことを しあわせだと感じるまで
信じてみよう 100パーの思いで
何かを失うのは また何かを得るというサイン
そう信じよう 100パーのちからで
割れて嗄れた声でもまだ こなごなの心でもまだ
AND YET,LIFE IS MAYBE BEAUTIFUL
IT'S JUST A BEAUTIFUL THING・・・」

東日本大震災復興支援のCD
「THE SOUL FOR THE PEOPLE」より。

胸にしみる言葉が散りばめられている。
初めてお聞きになる方は、まずはご自宅で。
涙が抑えられなくなるのでご注意を・・・。

もう半年

2011-08-24 01:11:30 | つぶやき
夫が逝ってから約半年、新盆も無事に終わった。

手帳を振り返ってみる。
3月のメモには、
「当初は在宅ケアをしながら、終末期を考える予定であったが、
急な体調悪化に気持ちがついていかない状態」
「本人が苦しまない環境が第一」
「家族が最後まで付き添える環境」
とある。

その後には、葬儀の打ち合わせのメモになってしまう。
食事の人数、お花の受付時間、返礼の数、等々。
夫が亡くなったのは5日なので、8日の大学病院の予約はキャンセル。
診察、MRIは4月まで予約を取っていた。

11日には、各種手続で区役所へ行った。
区役所からの帰り、東日本大震災発生。

私は夫を亡くしたが、最後の別れができた。
暖かく、明るく、静かな部屋で悲しむことができた。
被災地で夫を亡くした妻は、最後に会うことさえできなかっただろう。
寒く、暗く、大勢の人の中で悲しまなければならなかっただろう。
毎日テレビを見ては、そんなことを思いながら、あっという間に4月になった。

4月もメモにはやらなければならない手続きが箇条書きに。
終わったものからチェックをつけた。
そして、四十九日。

「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛和尚)と欄外に走り書き。
そう、残る桜もいつかは散るのだ。
そう遠いことではない。
などと思った。

そして、5月以降、月命日にはお墓参りに。

スケジュールには・・・
健康診断、ディズニーランド、ライブ、映画、
エステ、美容院、料理教室、カルチャーセンター、
友人と食事、小学校の同期会

妹達や友人達には感謝している。
こんなに楽しんで良いのかと思ってしまう。
夫がいないことをその時は忘れている。
それは、周囲の人たちが昔と同じように接してくれるからなのだろう。
妹からは「お義兄さん、呆れて見てるよ」などと言われてしまった。

8月、新盆。
毎年、お盆休みは義妹や義弟の家族が集まった。
今年は、夫がいない。
どんなに楽しんでも、やっぱり寂しさは消えない。




百万回後悔してあなたが戻ってくるのなら
たとえ心が折れても後悔しよう
たとえ心が病んでも後悔しよう

でもあなたは決して戻ってはこない

ならば・・・
楽しかったことを思い出そう
幸せだったことを思い出そう
抱き合ったことを思い出そう

そうすれば・・・
心にあなたの笑顔が戻ってくる
あなたの笑い声が戻ってくる

そう思ったけれど やっぱり・・・
淋しさは消えないよ
悲しみは消えないよ
心細くてしかたないよ