「沖縄のナベサダ」と言われ、沖縄のジャズ界に大きな功績をもたらした、
偉大なテナーサックス奏者。
友寄隆生さんが昨日お亡くなりになりました。74歳でした。
僕のブログを見てる方は、あまり知らないと思いますが、隆生さんは戦後の沖縄音楽を引っ張って行った功労者です。
当時、米軍キャンプ内でダンスミュージックばかり演奏している演奏者に、自ら本土に修行に行き、沖縄のミュージシャンにアカデミックな事を惜しみなく広め、レベルアップに尽力されて来ました。
現在、沖縄で大御所と呼ばれてる方は殆ど、隆生さんの手ほどきを受けてるんじゃないかな。
・・・って位、偉大な方でした。
年齢こそ非常に離れてますが、僕にとっても大切な方でした。
10数年前、一度だけ同じステージに立つ事がありました。
その一度だけのステージが、今、僕が音楽をしている大きなキッカケ作りました。
その10数年前、沖縄コンベンションでのステージ。
隆生さんがバンマスを勤めたビックバンドでの事。
リハーサル中の出来事です。お名前は存じておりましたが、隆生さんのプレイは初めて「生」で聴きました。
「すげ~」
正直な感想です。
隆生さんはとっても小柄な方で、持ってるテナーサックスがアンバランスに感じる位なのですが、そこから出てくる音が半端じゃないのです。
テクニックもさる事ながら、ハートがあるんです。
もう、鳥肌全開です。
当時、僕は沖縄に帰ってきたばかり。
だいぶ前に、ブログで「沖縄に帰って来た時は、音楽辞めようと思ってた」
と書いた事があります。
そう、東京で音楽活動をしていて、だんだんと疲れていたのでしょう。
一番大切な事を忘れていた時期です。
演奏も作為的で、いつもステージで疑問を抱きながら過ごしていた日々。
そんな僕に稲妻の様な雷が落ちました。
僕よりも小さな体で、当時60歳を過ぎた隆生さんが、ハートを剥き出しにして目の前で演奏してるのです。
そして、隆生さんをフューチャーした曲を数曲練習した後、グレンミラーの「ムーンライト・セレナーデ」へと変わります。
今では小学生でも演奏できる様な曲なんで、かる~い感じで演奏していると、隆生さんが一言。
「踊らせて」
と体をねじりながら、なんとも言えない表情で言いました。
この一言が、僕にはたまらない言葉でした。
ビックバンド経験者なら分かると思いますが、この曲は数え切れないくらい演奏します。
ハッキリ言って飽きてる位に。
普通、バンマスからの指示は
「リズム合わせて」とか「音程合わせて」やら「ここは大きく」等ですが、
「踊らせて」 です。
たまりません。
隆生さんは毎回新鮮な気持ちで、どんなに演奏した曲でも一生懸命に表現しようとしてるのです。
そして、バンドがまとまるとステキな笑顔をみせてくれます。
誰よりも一番に音楽を楽しんでるのです。
僕の迷いは消えました。
目の前で「音楽家」やっぱりこーなんだって感じました。
それからです。
「僕もまだやれる、心から音楽を楽しむ位に一生懸命、ホントに音楽やっていこう」と思ったのは。
たった数時間の出来事ですが、今でも鮮明に覚えてます。
その後、病気療養でステージに立たなくなった隆生さん。
出来れば、もう一度一緒にステージに立ちたかったな。
天国でも思い切りテナーサックス吹いてて下さいね。
まだまだ先ですが。僕も天国行けたら、一緒にプレイしましょう。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌
偉大なテナーサックス奏者。
友寄隆生さんが昨日お亡くなりになりました。74歳でした。
僕のブログを見てる方は、あまり知らないと思いますが、隆生さんは戦後の沖縄音楽を引っ張って行った功労者です。
当時、米軍キャンプ内でダンスミュージックばかり演奏している演奏者に、自ら本土に修行に行き、沖縄のミュージシャンにアカデミックな事を惜しみなく広め、レベルアップに尽力されて来ました。
現在、沖縄で大御所と呼ばれてる方は殆ど、隆生さんの手ほどきを受けてるんじゃないかな。
・・・って位、偉大な方でした。
年齢こそ非常に離れてますが、僕にとっても大切な方でした。
10数年前、一度だけ同じステージに立つ事がありました。
その一度だけのステージが、今、僕が音楽をしている大きなキッカケ作りました。
その10数年前、沖縄コンベンションでのステージ。
隆生さんがバンマスを勤めたビックバンドでの事。
リハーサル中の出来事です。お名前は存じておりましたが、隆生さんのプレイは初めて「生」で聴きました。
「すげ~」
正直な感想です。
隆生さんはとっても小柄な方で、持ってるテナーサックスがアンバランスに感じる位なのですが、そこから出てくる音が半端じゃないのです。
テクニックもさる事ながら、ハートがあるんです。
もう、鳥肌全開です。
当時、僕は沖縄に帰ってきたばかり。
だいぶ前に、ブログで「沖縄に帰って来た時は、音楽辞めようと思ってた」
と書いた事があります。
そう、東京で音楽活動をしていて、だんだんと疲れていたのでしょう。
一番大切な事を忘れていた時期です。
演奏も作為的で、いつもステージで疑問を抱きながら過ごしていた日々。
そんな僕に稲妻の様な雷が落ちました。
僕よりも小さな体で、当時60歳を過ぎた隆生さんが、ハートを剥き出しにして目の前で演奏してるのです。
そして、隆生さんをフューチャーした曲を数曲練習した後、グレンミラーの「ムーンライト・セレナーデ」へと変わります。
今では小学生でも演奏できる様な曲なんで、かる~い感じで演奏していると、隆生さんが一言。
「踊らせて」
と体をねじりながら、なんとも言えない表情で言いました。
この一言が、僕にはたまらない言葉でした。
ビックバンド経験者なら分かると思いますが、この曲は数え切れないくらい演奏します。
ハッキリ言って飽きてる位に。
普通、バンマスからの指示は
「リズム合わせて」とか「音程合わせて」やら「ここは大きく」等ですが、
「踊らせて」 です。
たまりません。
隆生さんは毎回新鮮な気持ちで、どんなに演奏した曲でも一生懸命に表現しようとしてるのです。
そして、バンドがまとまるとステキな笑顔をみせてくれます。
誰よりも一番に音楽を楽しんでるのです。
僕の迷いは消えました。
目の前で「音楽家」やっぱりこーなんだって感じました。
それからです。
「僕もまだやれる、心から音楽を楽しむ位に一生懸命、ホントに音楽やっていこう」と思ったのは。
たった数時間の出来事ですが、今でも鮮明に覚えてます。
その後、病気療養でステージに立たなくなった隆生さん。
出来れば、もう一度一緒にステージに立ちたかったな。
天国でも思い切りテナーサックス吹いてて下さいね。
まだまだ先ですが。僕も天国行けたら、一緒にプレイしましょう。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌