今日はディアマンテス、琉球フェスティバルに向けてのリハーサルです
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日頃リハーサルをしないバンドですが(笑)今回はレギュラーでない楽曲をするんで、その為のリハーサル。
なんの曲かはお楽しみにです
リハーサル中、ひょんな事から民族舞踊「マミドーマ」の話題に。
僕の父は石垣島の竹富島って所の生まれで、僕も幼少時代の夏休みは殆ど竹富島と母の故郷、宮古島で過ごしてました。
さてこの「マミドーマ」今では竹富島の無形文化財になってますが、小浜島・竹富島どこで生まれたかは諸説あるらしい。
なんで「マミドーマ」の話をしてるかというと、このマミドーマのモデルになった娘さんはどうやら僕の祖先。
物心ついた時に、親戚の集まりで良く聞かされてました。
下記は「全国竹富島文化協会」のHPから拝借しました
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竹富島で、マミドーといわれるこの踊りは、仲筋村の小底筑登之の創作である。
筑登之は、種子取祭に相応しいようにと、歌詞と踊りを創作したが、そのときマミトーマの曲の調子も早くした。
また、踊りを創作するさいには、昔、仲筋村の真栄里家にいた娘をモデルにしたが、その娘は器量もよく、マイフナファー(働き者)であった、と。
マミドーとは、「マ(真)ミドー(女)」という意味で、ご衆知のように竹富島の方言で、女性をミードーといい、接頭語の「真」は周知の通りである。例えば、たいへん良い物をマークヌ(真物)。また昔の人名にウシ(牛)という名があったが、単なる「牛」よりは、それに勝るようにと「マウシ(真牛)→モウシ」という名にしたのであった。
マミドーのモデルとなった仲筋村真栄里家の女性は、実在していたようである。その証拠に、マミドーヌカミ(真女の甕)と称された甕が代々伝えられていたという。その甕は種子物を保管するためのもので、種子取祭の狂言にも小道具として使われていたが、戦後真栄里家が那覇へ引っ越した後、行方が分からなくなったと、故生盛康安翁・故加治工政治翁などの古老たちは話していた。
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この話をもっと知りたい方は「
全国竹富島文化協会」のサイトを見て下さいね
年齢を重ねる度に、沖縄の文化や歴史に深く興味が湧いてます。
ちょっと忘れてたけど「マミドーマ」勉強しよう
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それと10年以上前に見た真栄里家の家系図。今度ゆっくり見てみよう。
あ。琉球フェスティバルではマミドーマやりませんのであしからず(笑