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生命(いのち)の授業・・・愛媛県立宇和島水産高校

2013年05月01日 23時18分45秒 | 伝えたいこと




宇和島水産高校は私にとってちょっとばかし思い入れのある高校です。
気合を入れて話しました。
初めて話した内容もかなりありました。

トップ画像が正門前ですね。
正門を入って左手に



えひめ丸の慰霊碑があります。
右に碇が写っていますが船に碇は左右にあるそうです。
これはえひめ丸の碇、本物だそうです。



もう片方はハワイのカカアコ・ウォーターフロント・パーク内に建立された慰霊碑にありました。
10年近く前に姪の結婚式でハワイに行ったときに、私自身の目で見ました。
ハワイの海がきれいに見渡せる小高い丘の上にありました。



えひめ丸がハワイ沖で潜水艦に下からぶつけられたのは2001年2月のことでした。
そのニュースを見ていた私はなんとひどいことを・・・と思ったものですが
やはりどこか他人事(ひとごと)だったような気がします。
ところがその5ヶ月後に娘が事故にあってしまったのです。
そしてその2ヵ月後にアメリカのテロ911がありました。
私にとって2001年はとても嫌な年となりました。

えひめ丸では9人の人がなくなり、一人の遺体がいまだに見つからないままです。
(記憶に誤りがあったら申し訳ありません)
今でこそマスコミも何も言いませんが事故後、数年は連日取り上げられていました。
そのインタビューを見ていた人が私に言いました。

「もう諦めたらいいのに。」

私は思わず言い返しました。

“諦められずはずがないじゃないですか

美香が亡くなったのは真夏の暑い日でした。
白い布団を掛けられたその下はドライアイスで固められていました。
眠っているような顔の美香は氷のように冷たかった。
常に表に出ている美香の顔の変化に私は気がつきました。
シミのように見えたけどあれは死斑です。
鼻からも体液が出てきていました。
確実に美香の身体は朽ちていってるのが見てとれました。
それでも信じられないんです。
遺体も確認しないのにどうしてあきらめられるでしょう。
あきられめられるはずがありません。
私は今でも美香はいると思っています。
信じられません。
だけど・・・私も周りの人も確実に年を重ねていきますが
美香だけは永遠に19歳のままです。
これが現実なんです。

普段高校生の前で、こんなこと話しません。
でも今回は最後の最後に話しました。
そして、私は美香の死を話したけれども決して悲しみを伝えたいのではありません。
私は生命(いのち)を伝えに来ました、と。

当時えひめ丸に乗船していた少年たちの心も心配だったけど
すでに30歳くらいになっているはずです。
一人は船に乗っているらしく・・怖い思いをしても海に出ていること知り、
心の奥深くまでは計りしれませんが、ある程度乗り越えられたんだと思うと
安心しました。



皆さん、静かに聞いていただきました。

いつもどこの高校でも中学でもお願いしているんですが・・・
私は講師として招かれて話してるのは事実です。
学校側も気を使ってくださってるのはわかりますが
私はあくまでも一母親の立場で話しているので先生と呼ばれたくないんです。
職業柄、職場では小さな子供たちに先生とは呼ばれてますが
高校で話すときに「先生」と呼ばれて「はい」と言うにはかなり抵抗があります。
そしてそれを当たり前のように受け止めるようにはなりたくありません。
私は話すプロではありません。
あくまでも一母親の立場で話したいんです。
この部分に関してはこれからもこだわりたいと思います。

2013年度1回目の生命(いのち)の授業、緊張しました。
話し終えて檀上から降りる時、足がもつれて転げ落ちるんじゃないかと
不安がよぎりました。
気持ちの上では気がはっていますが身体は正直です。

宇和島水産高校の皆様、今日はありがとうございました。

今日も一日ありがとう~


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