エブリィで行く日本一周

仕事をリタイヤして車で、ぶらぶらと気軽な日本一周の旅に出ます。

永平寺

2017-04-18 21:34:21 | 日記
一条谷朝倉遺跡、近くで越前そばの昼食。

上野城へ寄って永平寺へ「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。

33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの 修行の中心となる「七堂伽藍」

など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいます。

150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、 今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれています。

上野城











天空の城 上野城



永平寺
























一条谷朝倉氏遺跡

2017-04-17 20:25:36 | 日記
同級生との旅行。

今年は、福井県あわら温泉へ行ってきました。

一乗谷朝倉氏遺跡は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国大名朝倉氏の本拠地跡で、九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あいに広がる東西約500m、南北約3kmの遺跡です。

朝倉氏は越前国を支配した戦国大名で、元々は現在の兵庫県養父郡の豪族。南北朝時代に朝倉広景が、主家の斯波高経に従って越前に入国して勢力を拡大。応仁の乱で活躍した朝倉孝景は、その功績によって、

それまでの斯波氏に代わって越前守護に任命され、朝倉氏は反対勢力を倒して越前を平定していきます。

その朝倉氏の本拠となった当時の一乗谷ですが、この場所は交通の要衝でした。朝倉氏は、一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)を計画的に整備し、また周囲の山々を天然の要害とし、

一乗谷城を築城します。

しかし、1573(天正元)年8月、当時の当主の朝倉義景は、一乗谷城の戦い(刀根坂の戦い)で織田信長率いる軍勢に大敗。一乗谷を放棄して退却するや、織田軍によって一乗谷は火を放たれ、灰燼に帰しました。

そして程なく朝倉氏は滅亡し、越前を領有した織田家重臣の柴田勝家は、現在のJR福井駅近くの北ノ庄に本拠を構え、これ以後、一乗谷が越前(福井)の中心となることは無く、田畑となっていきました。(ネットより)





















服部大池

2017-04-14 08:20:37 | 日記
桜の写真ばかりです。

福山市の北部、駅家町の服部大池へ行ってきました。

「お糸伝説」が残る桜の名所

末代までの土手の安全を祈願して,築造時に人柱となった当時十六歳の娘「お糸」と「お糸」の後を

追って池に身を投げた恋人の若者の霊を慰めるため,池のほとりに弁財天が祀られています。














がいせん桜(新庄村)

2017-04-13 07:17:15 | 日記
津山からの帰り新庄村へ回ってみました。

残念ながら、がいせん桜はまだ蕾でした。

がいせん桜は明治39年(1906)に宿場町街道の両側に、日露戦争での戦勝を記念して、137本の桜が植えられました。

その古木がいせん桜が、新庄村の懸命な樹勢回復治療で若木に負けず、百歳過ぎても(現在132本)綺麗に開花している。

ソメイヨシノでこれだけ長寿で多くの桜はほかにはないと思います。













久世トンネル桜