「酉の市」は、11月の酉の日に、鷲(おおとり)神社などで行われる祭礼を「おとりさま」と呼び、この日は境内に市が立つので、「酉の市」と呼ばれてきました。
鷲神社はもともと武運長久の神として信仰を集めていました。江戸時代になって市で農機具を並べたところ、「福や金銀をかき集める」縁起物として特に「熊手」が人気品となりました。
さらに、七福神、お多福面、宝船、黄金餅(粟餅)、ゆでたヤツガシラ(サトイモの一種で、「八人の頭になれる」といういわれ)なども売られるようになり、商売繁盛や開運の神として、広く信仰されるようになっていきました。
ちなみに、酉の日が、2回来る年と3回来る年があり、「三の酉まである年は火事が多い」といわれます。これは、ひと月に3回も市が立つことで、日常生活がゆるまないよう、気を引き締める意味合いがあったと思われます。
(写真:2004年 新宿・花園神社)
(参考: 「日本人のしきたり」 編者:飯倉晴武 青春出版社刊)
22日と23日のNHKラジオ深夜便に、鷲在山長國寺の井桁住職が出演し、酉の市の由来を話されていました。そのお話しと長國寺のHPを参考にして、その歴史を簡略に表して見ました。
1265年(文永2年・鎌倉時代)、日蓮大聖人が、現在の千葉県・茂原市に滞在の折、国家平穏を祈祷したところ、鷲妙見大菩薩が現れ出でたと伝えられています。それが、11月の酉の日でした。
1771年(明和8年・江戸中期)、千葉の地より、浅草・寺町の鷲在山長國寺に移し祀られました。その後、現在の地、浅草・千束に移転し現在に至っています。
鷲妙見大菩薩が「11月の酉の日」に現れた言い伝えから、この日だけ「御開帳」が許され、多くの参詣者の厚い信仰を集めて、門前に市が立つようになりました。これが「浅草・酉の市」の発端となり、江戸庶民より「おとりさま」と呼び親しまれまれ、酉の市は一段と賑わいを増しました。
1868年(明治元年)、「神仏分離令」で、「鷲在山長國寺」と「鷲神社」とに分割されました。鷲妙見大菩薩は長國寺に安置され、11月の酉の日には多くの参詣者を集め、ご開帳の法要が、厳粛盛大に執り行われています。俳句にも「浅草は 神も仏も 酉の市」と詠まれ、長國寺・鷲神社共々賑わっています。
現在では、浅草の他、新宿の花園神社、熊野神社など各地でも「酉の市」が催されるようになりました。
鷲神社公式ホームページでは、「酉の市」などの由緒が詳しく公開されています。
鷲在山長國寺のホームページでも、由来を公開しています。