奈良時代までは「梅」が主に鑑賞されていました。平安時代になると「桜」が鑑賞されるようになりました。平安の頃の貴族にとっては、花見は野山で神を迎える儀式という意識がありました。武士の時代になると派手になり、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」は権力者の贅を尽くした花見として有名です。
「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座」(かみくら)で、神のいる場所を意味し、田の神が留まる常緑樹や、花の咲く木を指しました。その代表として桜の木が当てられるようになったといわれます。昔の桜の花は、現在のように「染井吉野」ではなく、「山桜」が主流でした。
参考:ぎょうじのゆらい(講談社)
三月の「春分の日」をはさんで、前後約三日ずつの一週間が「春のお彼岸」です。春分の日は昼夜の長さが同じで、太陽が真西に沈むため、仏教で西方遙かかなたに有るといわれる極楽浄土にちなんで、この日に仏事をするようになりました。
この期間中、お寺では彼岸会という法要が行われ、読経・説法などをします。又、檀家の人たちはお寺で説法を説いたり、祖先の墓参りをし、だんごやぼた餅を作って仏前に供えます。
同じく、「秋の彼岸」は、九月の「秋分の日」をはさんだ前後約三日ずつで、祖先を供養し、故人をしのんできました。
参考:「日本人のしきたり」飯倉晴武・編著(青春出版社)
〔追記〕2009.3.21
「春彼岸」飾りの写真を追加しました。これは、「流しびな」にヒントを得て作りました。我が家の新しい風習にしたいと思っています。
桟俵に納めてあるお札は、「散華」(さんげ)といいます。お寺の法要の時にまかれますが、参拝者は自由に持ち帰れます。
「散華」は、古来、インドで花や香を地にまいてその場を清めたり、供養したことに由来します。日本では、古くは蓮の花びらなどがまかれていました。今は、紙製の花びらや葉がまかれるようになりました。
参考:日本大百科全書(小学館)
昔、中世ヨーロッパのローマでは兵隊の結婚が禁じられていました。当時の、キリスト教の司祭・バレンタインは、決まりを破り、兵隊の結婚式を挙げました。この事で、バレンタインは死刑にされてしまいました。
後に、その日、2月14日は、キリスト教の愛の記念日となり、プレゼントを贈るようになりました。これが日本では、女性がチョコレートなどのプレゼントを贈る習慣になっています。 (参考:ぎょうじのゆらい・講談社)