2年務まった 鹿公園、給餌員の一日
★ プロローグ・・・
月日が経つのは早いなぁ~とつくづく思う今日この頃・・。
退職して丸3年が過ぎようとしている・・・・。先日3年ぶりに再会した前職の同期。彼の退職
を激励する会に招かれて出席した場だった。会場には先輩のOB、現職の同期そして若き後輩た
ち、限られた時間だったが、何人かとお話する機会もあって一瞬だが現職時代にタイムスリップ
した思いだった。どちらかと言うと現職組の愚痴の聞き役に徹し、悩み多き会社の実態がずっと
続いている当時と変わらない会社はそのままだった。
会社を辞めて、札幌への通勤が無くなり時間を気にする事なく気ままな自遊人を楽しんでいる今。
働く環境も出会う人たちも180度違う世界に移行して、サラリーマン時代とはまったく違う生
活に馴染みつつある。年金生活で悠々自適の夢は非現実であって、退職したその月に見付けた働
く場は「シルバー人材センター」だった。
「ちょっと小遣い稼ぎ・・」と軽い気持ちで登録し、最初の仕事は「除雪」だった。
あまり雪の降らない街だが10㎝以上積もった時に電話で出動要請が掛かる仕組み。早朝5時か
5時半の出動で、基本は10時までの仕事。帰れば自宅の除雪もあり、それなりの運動に汗を掻
いた。そのシーズンは8回出動しちょっとだけ小遣いを稼いだが、それも3月で終了した。
4月からキャンプ場のスタッフ募集の誘いに乗っかり登録する。2021年4月の事だが、この
年はコロナ禍でしばしば営業を停止する期間が多かった。その間に仕事を覚える余裕が出来て、
個人的には助けられたコロナ禍だった。キャンプ場スタッフは今年で3シーズンが過ぎた。
ただ、キャンプ場の営業も10月末で終了となるので、その後の収入源が途絶える事になる。
前置きが長くなったが、次に見付けたのが「動物管理」という鹿の飼育員だった。この仕事は1
年を通し毎日の給餌は欠かせない。当初2名のスタッフで交代制のシフトだったが、ここに私が
加わり3名体制になる事で平均出勤数は月10日程度となる。以前のスタッフからすれば収入は
減るが、身体は楽になると歓迎された。9時出勤~16時退社。自宅から5分はキャンプ場と同
じで鹿公園内にある動物管理棟が職場となる。登録は2021年12月から始めた。
管理棟前に設置した小鳥のエサ箱に飛んで来た「コガラ」
★ 飼育員から給餌員へ・・・
ここの仕事は「ひとり作業」で正式な作業マニュアルは無かった。
なので当時見習いとして先輩に作業の手解きを受けながら流れを覚えていく事になる。
出勤してから最初の作業がメインで「鹿への給餌」。前日の担当者が準備していたエサを当日の
担当者が給餌する仕組みだ。一輪車2台に入れたエサを鹿柵に移動すると鹿たちが入口に駆け寄
り、扉を開けた途端エサに喰い付いて来る。その場で少しだけ食べさせるのがコツのようで、そ
の後3つあるエサ箱に割り振りして給餌する。ここで注意が必要なのはオス鹿。小さなエサ箱に
集中して何頭も顔を突っ込むが、後ろから来るオス鹿の角が背中やお尻に当たる事もある。危機
一髪の場面はあったが、幸いまだ突つかれた事は無いが、先輩たちは何度か軽いケガもあったよ
うだ。エサにありついた鹿たちも少しお腹を満たすとお休みタイムとなり座わりながら口だけ動
かしている。その間に次の作業は、干し草 (牧草) の給餌と鹿小屋の寝ワラ敷きそして、フン出し。
これが結構な作業量で時間も掛かる。雨の日は出来ず、積雪期はフン出し作業は中止となる。
鹿公園の「鹿牧場」とも言われているみたいだが、何故鹿を飼育しているのか、なぜ鹿公園と命
名したのかは、50年ほど遡った当時の町長 (追分町時代) の意向が強く反映されていると聞いて
いるが、確証はない。理由はともかく鹿の飼育が始まってから約50年が経ち、その時に作られ
た鹿柵は当時のままである。周りの木々も大きく成長し、柵を圧迫したり斜めになって危険木に
等しい木も少なくない。そうした公園全体の監視や巡回も仕事の一環で公園内の遊歩道は運動を
兼ねて良く歩く場所となっている。
だが、ここには専属の獣医はいない。
私たちは「飼育員」とは呼ばれているが、現場の鹿たちに異常があった場合は関係個所に連絡を
入れるだけで、自分たちで何かをする事はほとんど無い。だから、飼育員ではなく給餌員と私は
呼んでいる。
晩秋の鹿公園内で「ムキタケ」がまだあった・・・
★ 2年はあっと言う間に・・・
まさか自分が野生の鹿の飼育員 (給餌員) をするとは思っても居なかったが、登録する前に担当者
から色々なお話を聞いて、決断をしたのだがこんな私でもなんとか2年間続けることが出来てい
ると自分を振り返った。
シルバー人材センターの良いところ (あくまで自分にとって) は、稼働日数を自分で決められる事
と出勤する日をある程度指定出来る事が自分に合っている事だった。少なくとも退職してから月
金で働くサラリーマン方式の勤めは避けたかったし、ライフワークの登山が自由に出来る環境で
仕事がしたかった。勿論なにもかも自由とはならないが、月10日前後の稼働であれば、ある程
度の収入も見込まれ、上下関係を気にしない職場は働き易かった。
キャンプ場にしても動物管理にしてもアウトドア的な仕事であり、自分には合った仕事と自負し
ている。
そう考えると2年3年はあっという間だったかも知れない。
月日が経つのは早いなぁ~と思うのも道理だったんだね・・・色々あったけど経てば過去となり
明日はまたやって来る。
繁殖期の今 オス鹿の権力争いが凄まじい・・・
★ プロローグ・・・
月日が経つのは早いなぁ~とつくづく思う今日この頃・・。
退職して丸3年が過ぎようとしている・・・・。先日3年ぶりに再会した前職の同期。彼の退職
を激励する会に招かれて出席した場だった。会場には先輩のOB、現職の同期そして若き後輩た
ち、限られた時間だったが、何人かとお話する機会もあって一瞬だが現職時代にタイムスリップ
した思いだった。どちらかと言うと現職組の愚痴の聞き役に徹し、悩み多き会社の実態がずっと
続いている当時と変わらない会社はそのままだった。
会社を辞めて、札幌への通勤が無くなり時間を気にする事なく気ままな自遊人を楽しんでいる今。
働く環境も出会う人たちも180度違う世界に移行して、サラリーマン時代とはまったく違う生
活に馴染みつつある。年金生活で悠々自適の夢は非現実であって、退職したその月に見付けた働
く場は「シルバー人材センター」だった。
「ちょっと小遣い稼ぎ・・」と軽い気持ちで登録し、最初の仕事は「除雪」だった。
あまり雪の降らない街だが10㎝以上積もった時に電話で出動要請が掛かる仕組み。早朝5時か
5時半の出動で、基本は10時までの仕事。帰れば自宅の除雪もあり、それなりの運動に汗を掻
いた。そのシーズンは8回出動しちょっとだけ小遣いを稼いだが、それも3月で終了した。
4月からキャンプ場のスタッフ募集の誘いに乗っかり登録する。2021年4月の事だが、この
年はコロナ禍でしばしば営業を停止する期間が多かった。その間に仕事を覚える余裕が出来て、
個人的には助けられたコロナ禍だった。キャンプ場スタッフは今年で3シーズンが過ぎた。
ただ、キャンプ場の営業も10月末で終了となるので、その後の収入源が途絶える事になる。
前置きが長くなったが、次に見付けたのが「動物管理」という鹿の飼育員だった。この仕事は1
年を通し毎日の給餌は欠かせない。当初2名のスタッフで交代制のシフトだったが、ここに私が
加わり3名体制になる事で平均出勤数は月10日程度となる。以前のスタッフからすれば収入は
減るが、身体は楽になると歓迎された。9時出勤~16時退社。自宅から5分はキャンプ場と同
じで鹿公園内にある動物管理棟が職場となる。登録は2021年12月から始めた。
管理棟前に設置した小鳥のエサ箱に飛んで来た「コガラ」
★ 飼育員から給餌員へ・・・
ここの仕事は「ひとり作業」で正式な作業マニュアルは無かった。
なので当時見習いとして先輩に作業の手解きを受けながら流れを覚えていく事になる。
出勤してから最初の作業がメインで「鹿への給餌」。前日の担当者が準備していたエサを当日の
担当者が給餌する仕組みだ。一輪車2台に入れたエサを鹿柵に移動すると鹿たちが入口に駆け寄
り、扉を開けた途端エサに喰い付いて来る。その場で少しだけ食べさせるのがコツのようで、そ
の後3つあるエサ箱に割り振りして給餌する。ここで注意が必要なのはオス鹿。小さなエサ箱に
集中して何頭も顔を突っ込むが、後ろから来るオス鹿の角が背中やお尻に当たる事もある。危機
一髪の場面はあったが、幸いまだ突つかれた事は無いが、先輩たちは何度か軽いケガもあったよ
うだ。エサにありついた鹿たちも少しお腹を満たすとお休みタイムとなり座わりながら口だけ動
かしている。その間に次の作業は、干し草 (牧草) の給餌と鹿小屋の寝ワラ敷きそして、フン出し。
これが結構な作業量で時間も掛かる。雨の日は出来ず、積雪期はフン出し作業は中止となる。
鹿公園の「鹿牧場」とも言われているみたいだが、何故鹿を飼育しているのか、なぜ鹿公園と命
名したのかは、50年ほど遡った当時の町長 (追分町時代) の意向が強く反映されていると聞いて
いるが、確証はない。理由はともかく鹿の飼育が始まってから約50年が経ち、その時に作られ
た鹿柵は当時のままである。周りの木々も大きく成長し、柵を圧迫したり斜めになって危険木に
等しい木も少なくない。そうした公園全体の監視や巡回も仕事の一環で公園内の遊歩道は運動を
兼ねて良く歩く場所となっている。
だが、ここには専属の獣医はいない。
私たちは「飼育員」とは呼ばれているが、現場の鹿たちに異常があった場合は関係個所に連絡を
入れるだけで、自分たちで何かをする事はほとんど無い。だから、飼育員ではなく給餌員と私は
呼んでいる。
晩秋の鹿公園内で「ムキタケ」がまだあった・・・
★ 2年はあっと言う間に・・・
まさか自分が野生の鹿の飼育員 (給餌員) をするとは思っても居なかったが、登録する前に担当者
から色々なお話を聞いて、決断をしたのだがこんな私でもなんとか2年間続けることが出来てい
ると自分を振り返った。
シルバー人材センターの良いところ (あくまで自分にとって) は、稼働日数を自分で決められる事
と出勤する日をある程度指定出来る事が自分に合っている事だった。少なくとも退職してから月
金で働くサラリーマン方式の勤めは避けたかったし、ライフワークの登山が自由に出来る環境で
仕事がしたかった。勿論なにもかも自由とはならないが、月10日前後の稼働であれば、ある程
度の収入も見込まれ、上下関係を気にしない職場は働き易かった。
キャンプ場にしても動物管理にしてもアウトドア的な仕事であり、自分には合った仕事と自負し
ている。
そう考えると2年3年はあっという間だったかも知れない。
月日が経つのは早いなぁ~と思うのも道理だったんだね・・・色々あったけど経てば過去となり
明日はまたやって来る。
繁殖期の今 オス鹿の権力争いが凄まじい・・・