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e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

ソーダ水とサイダー

2010年09月10日 | 薀蓄
先日,ユーミンの『海を見ていた午後』のことを書いた。
たしか歌詞は,
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
 山手のドルフィンは 静かなレストラン
  晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
   ソーダ水の中を 貨物船がとおる
    小さなアワも恋のように消えていった

そこで思ったのが,“ソーダ水”って何?ってこと。
“ソーダ水”は,炭酸ガスを含む水“炭酸水”のこと。
じゃぁ~“サイダー”は?
“サイダー”は、国や地域によって定義が様々であるが、
日本および韓国においては、甘味と酸味で味付けされたノンアルコール、
無色透明の“炭酸飲料”のこと。
ん~~
そうしたら・・・
“ソーダ水”と“炭酸飲料”の違いは???
謎は深まるばかり・・・
「写真;神戸で見たメリケンサイダー」

丹波篠山・デカンショ通り

2010年09月08日 | 薀蓄
丹波篠山で見かけた「デカンショ通り」。
盆踊り?の唄でよく聴いたけど・・・
いったい「デカンショ」って何やろう?
調べてみると,
"デカンショ"の語源については多くの説があるという。
・古くからの盆踊り唄にある「ドッコイショ」の変化で、「デッコンショ」-「デカンショ」
・青山藩士たちがよく飲みあかし、唄い明かした事例がそのままに「徹今宵」―「テッコンショ」-「デカンショ」
・郷土出身者の「天下将」たらんとする心意気がそのまま「テンカノショウ」-「デカンショ」
・学生たちが、有名な三人の哲学者「デカルト」「カント」「ショウベンハウエル」の頭文字をもじったという「デカンショ」
・昔から丹波杜氏の出稼は有名で「出稼しょう」-「デカンショ」
・その他方言「デゴザンショ」やら、あるいは大きなこと「デッカイコト」しよう。

さらに,こんな歌詞も見つけた!
・ 酒は飲め飲め茶釜で沸かせ 御神酒上がらぬ神はない
・ 「論語」「孟子」を読んではみたが 酒を飲むなと書いてない
・ 酒を飲むなと書いてはないが 酒を飲めとも書いてない
・ 出来ることなら一年中を 夜と日曜にしてみたい
ホンマニええ歌詞やなぁ~
「写真;丹波篠山・デカンショ通り」

カキオコ

2010年08月30日 | 薀蓄
赤穂「しおさい市場」の昼食で,私は息子に「ご飯を残すように」と声を掛けた。


「何で?」と聞き返す息子に,


「この後,カキオコを食べよう!」と小声で言った。


昼食後,腹減らしに赤穂城の周囲を散策。


しっかり歩いてお腹を空かせようと考えていたのに,大石 神社で空からポツポツと雨が落ちて来た。


傘は車に置いたまま・・・濡れて車に逃げ戻った。


雨が止まないので予定を変更し(お腹は空いていないけど),「カキオコ」の町・岡山県日生(ひなせ)へ。


事前に調べた「カキオコ研究会のHP」によると,

オーストラリア人向けに日本の文化や観光情報を提供しているある雑誌の「A TASTE OF JAPAN(日本の味)」の特集ページに,「カキオコ」が紹介されているという。


この特集では、日本中のご当地グルメが9品掲載されていて,それは北から順に,


①北海道「ジンギスカン」、②宮 城・仙台「牛タン」、③栃木・宇都宮「ぎょうざ」、④東京「すし」、⑤静岡「とろろ汁」、⑥愛知・名古屋「みそかつ」、⑦岡山・日生「カキオコ」、⑧香川「讃岐うどん」、⑨福岡「モツ鍋」だという。


オーストラリア人はカキが好き?


そんな話をしていたら,すぐに県境を越えて「日生」に到着してしまった。


町のあちこちに「カキオコ」の看板や幟,ポスター。


まさに町おこし。


祝日の午後3時半,やっと開いている店を探して「牡蠣の特盛」を注文した。


山盛りの千切りキャベツにてんこ盛りの牡蠣・・・


夢に出そうなお好み焼きやった~


「写真;日生のお好み・カキオコ特盛(右側2つ),(左上はカキオコ)」


植物期間

2010年08月29日 | 薀蓄
今日も春のようなポカポカ陽気。

久々に野良に出て、息子と共にケイカルの撒布とトラクターで起耕。

農業気候学では、日平均気温が5℃以上の期間を「植物期間」と云う。

寒い内、冬眠状態や生育がほとんど止まってい た植物が、

この気温あたりを境として生育を始めるので、

農作物の栽培限界や適否などを表す指数として用いられている。

本州の多くの地域では、冬から春に向け、

5℃を越える平均の日付は2月10日前後で、

この頃が「植物期間」の始まりということになる。

梅の開花もおおよそこの頃にあたり。

旧暦の2月もちょうどこの期間に入る。

2月の別名の「如月」の語源は「萌揺月(きさゆらぎづき)」で、

「植物期間」の始まりを表しているという。

野良仕事をしながら、成長した息子の姿ばかりを目で追いかけていた。

「写真;飛鳥水落遺跡より東方を望む」


河豚のこと

2010年08月29日 | 薀蓄
今日のニュースを見て驚いた。

それは、 「Yのふぐ」のこと

【なじみ薄いフグ、東北6県に規制条例なし…Yで7人中毒
Y県鶴岡市の飲食店でフグの白子(精巣)を食べた7人が意識障害になるなどした中毒事故で、店長(65)は白子料理を作ったのは初めてだった。フグに関する知識もほとんどなかったという。】
私は1月中旬にふぐの本場・山口へ行って食べたばかり。

その時、「ふぐ」を一般の食卓に普及させたのは、あの有名な 山口県出身の政治家、伊藤博文だったと勉強した。
縄文時代頃から、日本では「ふぐ」を食べる文化があったようだ。
当然ながら?「ふぐ」には毒があり、調理法を誤ると毒で死者が出ることがある。ふぐの毒はテトロドトキシンと呼ばれる物質で、0.5mg~1㎎で人を死に至らしめる。これは、青酸カリの約1000倍で、加熱調理等でも無くならない。
特に室町時代以降、「ふぐの毒で部下達に死なれては困る」として、時の為政者達は度々、「河豚食禁止 令」を出した。それでも食べようとする人が多くいた。

特に豊臣秀吉が朝鮮に戦争を仕掛けに行った際、下関で兵士達が「ふぐ」を食べて中毒死するのに困り、「河豚食禁止令」を強化したのだとか。

でも江戸時代、小林一茶は、「河豚食わぬ奴には見せな不二の山」として、ふぐを食べない奴には富士山を見せるな、とまで言い切ったとか・・・
明治初期まで「河豚食禁止令」が続ついていたのだ。

明治27年、日清戦争講和会議が下関の春帆楼で開かれた時のこと。
伊藤博文総理大臣と、清の全権大使・李鴻詳が会談したのだが、料亭としては天候の悪化でなかなか活きの良い魚を入手できなかったことから、困った女将が苦肉の策として、ふぐ料理を作らせて、おそるおそる差し出したのだとか。
(伊藤博文は志士として活動していた頃、下関の商人で勤労の志士に多大な協力をした人から食べさせてもらっていたことがあったらしい。)

そして、その時の「ふぐ」の味に感動し。
「これはうまい! 何の魚だ。」と、店に尋ねた。
「・・・ふ、ふぐでございます」
「禁令の魚ではないか。毒で死ぬ可能性もあるぞ!」
「ですが、きちんと調理をすれば問題はありません。」
「なるほど。ならば、こんなに美味しい魚を食べられないのは勿体ない。山口県と福岡県に限って許そう」と云うわけで、ふぐが食べられるようになったとのこと。

「写真;関門海峡」

味の素前駅

2010年08月29日 | 薀蓄
年末年始、私は料理を少し手伝った。



最近、料理を少しはせねば、そして上手くなりたいと切に思う。



我が家は、「味の素」や「本だし」を使っている 。



昨年、私は「味の素」の工場へ行ったのだ。



「味の素」とは、アミノ酸の一種であるグルタミン酸ナトリウムのこと。



これは、世界初の科学調味料なのだそうだ。



1907年、東京帝国大学の池田菊苗博士が、昆布の「うまみ」成分について研究している際に、「うまみ」のもとがグルタミン酸のソーダ塩であることをつきとめた。



これを「味の素」として売り出したのが、鈴木三郎助だった。



担当の方から「うまみ」の研究について説明を受けたけど、



学生の頃に聞いた、「ある方法で味の素が飛躍的に売り上げを増やした話」の方が印象深くて・・・



ついつい聞く姿勢が疎かに・・・



「そりゃぁ~ようけ入れたら旨いよなぁ~」なんて思いながら聞いてしまったのだ。



皆さんは、「売り上げを増やすのに容器の穴の大きさを大きくした」というこの話をご存じだろうか?



あと覚えているのは、工場前の駅の名前が「鈴木町駅」だったこと。



もしかしたら、社長さんのご苗字?



昔々は「味の素前駅」という駅名やったとか。



「写真;鈴木町駅 」




女人結界

2010年08月29日 | 薀蓄
私が先日登った世界遺産;吉野・大峰・山上ヶ岳(1719m)は、宗教上の関係で今も“女人禁制”を続けている。

富士山や立山、白山、比叡山、高野山も以前はそうであったらしいが、江戸時代末期から明治時代の初め頃に解禁になったそうだ。

家人や次男は、「そんなん女性差別やんか!」と言うのだが・・・

雑念の多い私には、宗教上と言われると、「それもそうやなぁ・・・」と思ってしまう部分がある。

私が「例えば、女の人が行く修道院に 男は行かれへんやんやろ!」と言うと、

「そんなとこ、今どこにあるんよ?」と返された。

私は「男が女湯に入って行ったらアカンのと、同じ違うの?」と、途中まで言いかけて、昔、大宴会の後、日付が変わって、男湯と女湯が入れ替わっていたのをうっかり忘れ、間違って女湯の暖簾をくぐりかけ、途中で気付いて慌てて飛び出したことを思い出し、それ以上言うのを止めにした。

その人権問題もひっくるめて、私と長男が“女人結界門”をくぐったのだ。

「写真;女人結界門
発心門の扉が開いている期間(5月3日~9月23日)は、
宗教上の理由で女性はこの山に入れないのだという。」

もみうり

2010年08月29日 | 薀蓄
我が家の家庭菜園に、きゅうりがよく生っている。

今の季節、我が家の食卓によく上る“もみうり”が、奈良の郷土料理であることを先日まで知らなかった。

この間、インターネットで「奈良のうまいもの紀行」を覗いていたら、そのことが分かり驚いた。

“もみうり”とは、きゅうりの酢の物のこと。

やわらかくなるまで“きゅうりを揉む”ことから、“もみうり”と呼ばれるらしい。

我が家の“もみうり”は、2種類?

ひとつは、焼いた薄揚げときゅうりを酢味噌であえたもの。

もうひとつは、“たこ”とワカメ?ときゅうりの酢の物。

“もみうり”の説明には、その中に入れられる“たこ”の説明が、以下のように書かれていた。

【“さなぶり”(“早苗振る舞い”が“さなぶり”になったと言われ、田植えの終りに、田の神を送り、宴を張って祝う行事のこと)には、田の苗がよく付くように、吸い付く“たこ”にあやかって、必ず“たこ”を入れるという。】

まさかここで、“さなぶり”と“たこ”が登場するとはなぁ~

正直驚いた!

“さなぶり”には“たこ”を食べるか?って、

やっぱり食べてたんや!

「写真;我が家のキュウリ」

まむし

2010年08月29日 | 薀蓄
昨日は、奈良では“まむし(蝮)”のことを“はび”と呼んでいる話だった。

今日は、“まむし”の話。

家人は、蕗の佃煮を炊いて以来、その匂いに酔ってしまっている様子。

なにせ、約3.5kgの蕗を昆布と椎茸を入れて長時間炊いたのだから・・・

病院からの帰り、信号待ちをしていると、

あの醤油と味醂?を煮詰めたような匂いがしてきた 。

家人は「この近くでも蕗を炊いてはるんやろか?」と言った。

私は、「違うやんか。この前は有名な鰻屋さんやねん。」と答えた。

家人は「そんな有名なお店やのに、連れて行ってもらったことないねぇ~」と言う。

私は妙な風向きになってきたので、

「また落ち着いたら一緒に来うなぁ~」と答えた。

関西では“鰻”のことを“マムシ”と呼ぶ。

その語源は、

・ 鰻をご飯の「間」にはさんで「蒸し」て食べる。

・ 大阪では一般に鰻飯(まんめし)と読んでいた。

という説があるということだ。

「写真;マムシグサ 」




心訓七則

2010年08月28日 | 薀蓄
福沢諭吉 心訓七則

一.世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
一.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一.世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一.世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
一.世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
一.世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

本当は、福沢諭吉が言ったかどうか分からないそうですが・・・

それでもいい言葉だと思っています。

今の時代に生き、見聞きすることがあまりにも醜過ぎはしませんか?

「写真;雪の談山神社十三重塔」