今日からねぶた運行です。ねぶたを心から愛してやまなかった棟方志功画伯のねぶたに対する想いを語ったテ-プをかつて聞いたことがあります。
「やたら跳ね、やたらたたき、やたらに吹く所にネ、ネブタがあるんだよ。あれがいい調子だとか、これがいいタイコだとか、それじゃネブタじゃないですよ。もうなにもかも忘れて、本当のネ、北のネ、火祭り和をネ、湧かさなくっちゃだめなんですよ。今の人はただ形だけですよ。タマシイというもので、ことをしていませんものネ。今、こんなことをいったら無理だろうけれど、あの七日間だけは、タマシイを抜かして、おおいに踊り、さわぎ、暴れ、跳ねたいですネ」
「ネブタのさみしさを解らなくちゃ、ネブタじゃないですよ。ネブタがネ、前にこうかぶさってくる時、正面ですね。こういうかぶさりを体に受けて、こんどはネブタが行くでしょう。だんだんネ。静かに。こう笛の音が聞こえて、かすかになるようになると、ネブタが行く後姿がネ。いわゆる憂いの世界です。それを味あわなくっちゃ、ネブタじゃないですネ。ということを、本当に知る人が不足になりました。むこうへ遠ざかるのもネブタ、こっちへこうかぶさってくるのもネブタ。表裏のネブタ。裏と表で、ネブタのさみしさがはっきりしてくるんです。ネブタが終わるでしょう。そして、家路に帰るんだ。跳ねた人がネ、サラサラ、サラサラとさせる鈴がネ。本当に秋を誘う感じがするの。家にいて聞いているとネ、その鈴の音がサラサラしてネ。本当に秋の風を連れてきたなという感じ。そのサワサワする鈴の音をネ、聞ける所までこなくっちゃ、ネブタを本当にわかるといえないですネ」
ねぶたを五感で感じとっていた棟方志功画伯にとってまさに「ねぶたはバクハツだ!」の一言に尽きると思います。
画像は「ネプタ牛若弁慶の柵」(1974)
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