「釣りバカ日誌」など数々の映画に出演し、個性的な演技を見せてくれた名優、三國連太郎(本名:佐藤政雄)さんが14日逝去されました。90歳でした。
1951年の俳優デビュー以来アクの強い役からとぼけた役まで、幅広く演じてきました。
「死んだあとも お客さんの記憶の中に何かとどめる芝居をし続けていきたいという願いが、同世代の仲間より熱っぽくなっているかもしれない」(三國連太郎さん〔当時67歳〕1990年)
私生活では4度の結婚を経験し、3番目の妻との間に長男として生まれたのが俳優の佐藤浩市さん(52)でした。
「僕自身いつかこういう知らせが来るであろうということは、覚悟していたので、不思議な感じを覚えた。ふとおやじの死に顔を見て悲しいなという思いはなかった。この数年の中でなぜか一番りんとした顔に見えて」(佐藤浩市さん)
2人は映画「美味しんぼ」で共演を果たし、ともに役者として高め合ってきました。「本当にあの人は三國連太郎で生きた、役者として生きたんだなと。その生きるということの孤高さを自分の中で守り、芝居に関わってきた」(佐藤浩市さん)
形見とて
何か残さむ
春は花
山ほととぎす
秋はもみじ葉
(良寛)
生前の三國さんの「三國連太郎で逝く」という希望通り、戒名はつけず、密葬、散骨する予定。父の方針に佐藤浩市さんは、「本当にあの人、役者として生きたんだな。生きるということの孤高を自分の中で守りながら芝居にかかわってきて、死に顔にそれが出ていました」と噛みしめるように語りました。
佐藤浩市さんの幼少期に両親は離婚し、母親に育てられたため、三國さんとの関係は、「お前」「あなた」と呼び合う複雑な仲だったようです。父親としての三國さんは?には、「ひどいよそりゃ」と父の破天荒ぶりを匂わせ、笑いも誘ったが、「世間一般論としての親子のことを語ることはできないです」と多くは語りませんでした。三國さんの口から父らしい言葉は聞けなかったようだが、「気になる(出演作)ものは見ていたらしいと後から聞きました」と照れを隠すように明かしたそうです。
父と息子の葛藤は、永遠のテ-マで父が死んだときに偉大さに気づくものかも知れません。三國連太郎さんという俳優さんとスクリーンの世界の中で時を共有できて嬉しく思います。安らかにお眠りください。きっと今頃は阿弥陀如来に導かれて「白い道」を歩かれていることでしょう。
明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(親鸞上人絵詞伝)
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