政治・経済 宇都宮・小池・山本……。都知事選3候補と直接会って受けた印象。都民は知事として恥じる必要ない人を選択しよう
2020.06.25 (*写真は記事とは別の写真です)
田中優
都知事選で東京が騒がしい。少し前まで東京に住んでいたし、23区内に勤めていたこともあって、遠い世界のような気はしない。加えて東京にいた頃には、ぼくは今より世間にずっと知られてもいた。おかげで都知事候補のうちの3人とは直接会ったこともあるし、知り合いでもあった。
1⃣【ぼくは、全国でもほぼ唯一の“サラ金問題に対処できるケースワーカー”だった】
ぼくが最初に知り合ったのは、元日弁連会長の宇都宮健児さんだった。もちろん知り合う前から宇都宮さんのことは知っていた。というのは、ぼく自身も多重債務者問題には大きな関心を寄せていたからだ。
当時、ぼくは今もなお市民自身が立ち上げた非営利バンク「未来バンク」の代表をしていて、「サラ金問題」を何とかしたいと考えていたからだ。
実は、サラ金問題にはそれより前から気にしていた。ぼくが区役所で生活保護担当のケースワーカーとしとして働いていた時、すでに生活保護受給者の中の多くの人が、サラ金に追われていた。
ケースワーカーとして生活の立て直しをしようとしても、サラ金への返済の壁が立ち塞がっていたのだ。しかし生活保護が受給できるということは、返済できる余裕はないということ。返済に困ったら自己破産するしかない状態にあった。自己破産すれば返済の義務はなくなり、再生の道を進むことができる。
ということは、「自己破産」を盾にしてサラ金への返済を断るという方法もある。しかし多くの債務者は、自己破産どころかサラ金の返済を断ることすらしたがらなかった。
そこでぼくは本人に代わってサラ金業者との交渉をしたいと思った。しかしそのような交渉を弁護士以外の人がすることは、「非弁行為」として固く禁じられている。
そこで勤め先の区が雇っている弁護士に相談してみることにした。「ケースワーカーとしてサラ金業者と交渉していいかどうか」と。弁護士は「明らかに良いとは言えないが、ケースワーカーとして交渉するのも仕方ないのではないか」という見解だった。それなら……と、あちこちのサラ金業者に連絡して交渉した。
「本来、生活保護費からは一銭も返せないのですが、本人としては『切り詰めて少しでも返したい』と言っている。毎月些少な額だが返済するので、その代わりに残額は免除してもらえないか」と伝えたのだ。
今のような法定金利を超える返済が禁止されている時代ではない。業者も渋々ながら承諾する感じだった。おかげで、ぼくは全国でもほぼ唯一の“サラ金問題に対処できるケースワーカー”となっていた。
2⃣【宇都宮健児氏は、多重債務者を救うために尽力してきた誠実な人】
その後、利息制限法を超える金利を「無効」として支払う必要がないように法律が変わった。その法改正の立役者となった宇都宮弁護士を、ぼくが知らないはずはなかったのだ。
その後ぼくは、非営利の「環境・福祉・市民活動」だけを対象にした市民立の「未来バンク」を立ち上げた。すると、宇都宮さんのおかげで成立した貸金業法の改正が議論されていた時、「法の改正をどう思うか」とのことで、非営利の市民立バンク「未来バンク」の代表 として国会に参考人として招かれたのだ。
同じ参考人陳述の場に宇都宮さんも招かれていた。ぼくは緊張のあまり宇都宮さんのことは見ていないが、そこに参加した仲間たちから「宇都宮弁護士が興味深そうに、歓迎するような視線で見ていた」と教えられた。
その時の「貸金業の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案(内閣提出第一〇号)」の参考人説明の議事録は、インターネット上にも残っている。
その後、宇都宮さんが都知事に立候補するとの連絡を受けて、応援演説を依頼されて一緒に街角に立った。宇都宮さんは、やはりぼくのことを覚えていてくれていた。
その時は、木内みどりさんと一緒に応援演説をした。木内さんもとても誠実な人だった。有名人だというのに、道端で宇都宮さんのビラを配っていたのを覚えている。
木内さんには、その後に早稲田大学で行ったシンポジウムにも出席してもらったことがある。「優さんに言われたことを断るわけないでしょ」と言ってくれた。亡くなってしまった(昨年11月)のは、とても寂しいことだ。その木内さんと2人で宇都宮さんの応援演説をしたことは、自分の心の中に大事な思い出として記憶されている。
3⃣【小池百合子氏は「人を人として見ていない」と感じた】
一方の小池百合子さんは、ぼくが監事として関わっている「ap bank」が毎年行っていた「ap bank fes」に急遽参加してきたことで一緒になった。ap bankにいちばん中心的に関わっている小林武史さんから、小池さんから「急に出たい」と言われて断り切れなかったと聞いた。
小林武史さんはミュージシャン以外をメインステージに上げない。そのため、別に「トークステージ」を用意して行う。「なんと厚かましい政治家だろう」と感じた。
そして彼女はステージに上がる前から、防衛大臣として「戦車をハイブリッドに」などということを言っていた。「戦車」は言うまでもなく人を殺すための装置だ。それがハイブリッドになったとして、「ハイブリッド車に轢き殺されて、エコでよかった」というわけがない。そもそもの発想が不真面目で軽薄なのだ。
当日のステージでは「我が家の環境大臣」というコピーで表彰状を渡していた。ぼくも受け取ったが、なんとも“だしに使われた”感が強かった。ステージで目を合わせようとしても、彼女の視線はぼくの頭の上に向いている。相手にされている感触もなかった。
ぼくのことを、自分のキャッチーなアイデアの引き立て役にしているだけ。この人は人を人として見ていないし、自分を売るために利用する対象としてしか思っていない人なのだと感じた。
4⃣【まっすぐに人と向き合う山本太郎氏と知り合えたことに感謝】
そして3人目にお会いしたのが「れいわ新選組」の山本太郎さんだった。初めて会ったのは、松田美由紀さん、岩上安身さん、小林武史さん、岩井俊二さんらが発起人となって立ち上げた「ロックの会」だった。「3.11以降」に集まったグループで、初回が6月9日だったことから「ロックの会」という名前にして、「日本、そして世界を、地球を、未来に繋げていくための会」として立ち上げられたものだった。
ぼくはその会に呼ばれていた。人の顔と名前を覚えるのが苦手で、よく知っている顔を見かけたが名前は出てこなかった。そこで頭を下げて会釈した。それが山本太郎さんだった。山本さんはYouTubeでぼくの顔を知っていたようで、自らぼくに近づいてきてくれた。そして彼はぼくと初対面であることを知っていたようで、「どうも山本太郎です」と名乗ってくれた。
なんとも人好きのする人で、彼とはずっと友達でいたいと一瞬で思った。そんな風に感じたのは京都大学原子炉実験所の助教だった小出裕章さん以来だ。初めてお会いしたとき、お互いに名前は知っているものの、初対面だったのだ。「お会いするのは初めてですよね、不思議な感じです」と、どちらともなく話し始めた。
それから山本太郎さんとは、福島県をはじめ各地のイベントで同席した。まっすぐに人を見る人だ。少なくとも、まっすぐに向き合ってもらえている安心感がある。彼に知り合えたことに感謝したくなる。
5⃣【沖縄出身の玉城デニー氏を「日本語わかるんですか」とヤジったのは小池氏!?】
2013年11月26日、沖縄県知事の玉城デニーさんが沖縄県選出の国会議員だった時のこと。「特定秘密保護法」が強行採決される直前の「衆議院国家安全保障に関する特別委員会」で質疑に立った。
すると「日本語読めるんですか、日本語わかるんですか」という差別的なヤジが浴びせられた。玉城さんは沖縄出身で、ウチナンチューの日本人とアメリカ人の両親を持つ、複雑な経歴の「ハーフ」だ。ヤジはそのことをからかったものだ。国会でそうした差別的な中傷を浴びたのは、後にも先にもその時だけだったという。そのヤジは「小池百合子さんからだった」と玉城さんは語っている。
こういう言葉を、沖縄出身の人に向けて言うべきではないというのは当たり前のことだ。そういう人物が、日本の首都の知事として立候補しているのだ。
ぼくは、知事として恥じる必要のない人を選択すべきだと思う。今、全世界で「ブラック・ライヴズ・マター」が合言葉になって、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える運動が広がっている。小池さんには、それと同じ意味合いの差別意識を感じるのだ。
さて。日本はこの時代に、どういう選択をするのだろうか。
『「第三の道」はあるか 第3回』
<文/田中優 写真/横田一>
田中優
1957年東京都生まれ。地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に関わる。現在「未来バンク事業組合」「天然住宅バンク」理事長、「日本国際ボランティアセンター」 「足温ネット」理事、「ap bank」監事、「一般社団 天然住宅」共同代表を務める。現在、立教大学大学院、和光大学大学院、横浜市立大学の 非常勤講師。 著書(共著含む)に『放射能下の日本で暮らすには? 食の安全対策から、がれき処理問題まで』(筑摩書房)『地宝論 地球を救う地域の知恵』(子どもの未来社)など多数
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