【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

文科省前事務次官前川喜平氏は、教育の本質でもある真実と良心をもつ勇気ある告発者

2017-05-25 09:03:04 | 政治・文化・社会評論
日本の将来を憂える文科省事務次官前川喜平氏
2017/05/25

                    櫻井智志

 テレビ朝日は今朝の「モーニングショー」で以下の全貌を伝えた。

 文科省前事務次官前川喜平氏は、加計学園の「総理のご意向」を事実であるとして勇気ある発言を行い、きょう発売の週刊文春に掲載されている。

一方では、この勇気を貶めるために、官邸リークによる低次元の仕返しもさかんだ。
読売新聞は退官した官僚がなんら法に触れぬバーに通ったことを一面トップに掲載した。週刊新潮もきょう発売号で前川氏を貶める記事を掲載している。

いずれも官邸のリークによる前川潰し。


 文科省前事務次官前川喜平氏は、入局時からすぐれた資質と努力で周囲を驚かせた。
文科省の幹部だった寺脇研大学教授は、将来の事務次官間違いないほどの逸材と「モーニングショー」で伝えていた。

 前川氏は、文科省天下り問題を自らの責任ではなく、省全体の責任を痛感して辞任した。安倍・菅最低コンビは、このような公僕を見習うべきだ。

 きょうの参院文教科学委員会にて10時40分から日本共産党小池晃議員が加計学園問題の本質を鋭く質問する。インターネット参議院➡審議中継で公開される。

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『孫崎亨氏に学び考えること~「過激派学生の運動」と戦後日本史の現時点~』

2017-05-08 21:41:06 | 政治・文化・社会評論
(後述)『孫崎亨氏に学び考えること~「過激派学生の運動」と戦後日本史の現時点~』
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【孫崎享のつぶやき】2017-05-08 07:557


【今何故、60年安保の篠原浩一郎氏の話を聞くのか。火ニコニコ。「智恵子抄」(自力で得たのでない事が貴方の前では恥しい)。今危機。モリス「日本の戦後、肉体の安全が主張される為、精神の方が早逝して肉体が長生きするという人間が増えた。例外安保の学生」。】





1:「智恵子抄」

報告(智恵子に)

日本はすつかり変りました。

あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた

あの傍若無人のがさつな階級が

とにかく存在しないことになりました。

すつかり変つたといつても、

それは他力による変革で

(日本の再教育と人はいひます。)

内からの爆発であなたのやうに、

あんないきいきした新しい世界を

命にかけてしんから望んだ

さういふ自力で得たのでないことが

あなたの前では恥しい。

あなたこそまことの自由を求めました。

求められない鉄の囲かこひの中にゐて、

あなたがあんなに求めたものは、

結局あなたを此世の意識の外に逐おひ、

あなたの頭をこはしました。

あなたの苦しみを今こそ思ふ。 日本の形は変りましたが、

あの苦しみを持たないわれわれの変革を

あなたに報告するのはつらいことです。

********************************

 日本は戦後民主主義を得た。しかしそれはまさに、「すつかり変つたといつても、それは他力による変革で 内からの爆発であなたのやうに、あんないきいきした新しい世界を命にかけてしんから望んだ さういふ自力で得たのでないことが あなたの前では恥しい」という他力への依存である。

2:そして今、安倍首相の独裁が始まり、民主主義体制が一つ一つはがれそうになっている。[今、「自らで守れるか」が問われている。

3: 大塩平八郎・心の死するを恨む モリス

アイヴァン・モリスは1925年生まれ。英国の日本研究学者。著書『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』(中央公論社、1981年)からの引用。

 大塩の乱は紛れのなく、挫折の一例である。1837年大飢饉による民衆の窮状を目の前にしつつ、無為無策のままの幕府に抗議して、大阪の儒学者大塩平八郎中斎は「救民」を旗識のもとに兵を挙げた。ところがその挙兵は完敗した。大阪町奉行与力として立派な業績をあげていたこの指導者、そして同志たちは、同じ町奉行の捜索によって、ことごとく逮捕され極刑に処された。

・私自身の思い出の中に、今三島(由紀夫)と最後にかわした会話が甦ってくる。もしも西洋人が日本精神の本質を理解したいならば、日本人の持つ勇健精悍なたけだけしい英雄の典型として大塩平八郎を研究したらよい。日本精神とは王朝女官の日記や優雅な歌と歌とをかわすならわし、あるいは儀式的なお茶会などだけで代表されるべきものではない。

・戦後の日本は、肉体の安全が主張されるため、精神のほうが早逝して肉体が長生きするという人間が増えた。そのような意気の上がらない日本人の画一的生活態度に対しての目覚ましい例外は、過激派学生の運動であった。保守政治体制を崩壊させるという、一見してすぐ無理だとわかる目標のために危険をいとわず、犠牲を覚悟で身を捧げるという運動に参加した学生たちだった。

・さまざまな思想、立場の人々が、大塩平八郎を崇拝してきたのであるが、それらの人々に共通分母があるとすれば、それは何であろうか。いかに危険な暴力的方法であっても、必要ならば使用して、既存の権力体制を崩す決意をしていること、その行動の効果がいかに頼りないものであっても、その決意を固く保っていたことも挙げられる。

・1830年大塩平八郎の評判は最高潮に達していた。与力としての職務も、目付役筆頭である。ところがその年、突然大塩は、家禄を養子格之助に譲る。

・大塩は読書と執筆のために時間を惜しみなく使った。最も有名なものが『洗心洞箚記』だ。

・禅と同様、(大塩の傾倒した)陽明学は画一主義を排する。大塩の哲学は陽明学のどの点を特に重要なものとみていたであろうか。「太虚」である。太虚とは創造力である。「身の死するを恨まずして、心の死するを恨む」と『『洗心洞箚記』』上巻に記す。

・大塩が一般庶民のために正義を生涯の目標に選んだことは、支配者である幕府当局と真っ向から衝突する道についたことを意味していた。

*********************************

モリスは「戦後の日本は、肉体の安全が主張されるため、精神のほうが早逝して肉体が長生きするという人間が増えた。そのような意気の上がらない日本人の画一的生活態度に対しての目覚ましい例外は、過激派学生の運動であった」と指摘した。

4:それなら私達は、この学生達の動きを今一度学ぶ必要があるのでないか。


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(私見)
  孫崎亨氏に学び考えること~「過激派学生の運動」と戦後日本史の現時点~
                                櫻井智志

 前掲の孫崎論文に思う。
高村光太郎の『智恵子抄』に、私も感動した。東宝映画で原節子と山村聡だったと思うが、幼い頃に父に連れられ『智恵子抄』(映画のタイトルは不明)を見た。大塩平八郎についても、歴史で学び共感をもつ。「学生達の動き」の項目を読み、思案にくれる。戦後学生運動は、青年たちの個々人の人生と、総体としての政治力学としての学生運動のいくつかの潮流と、二つの視点があろう。


 私は軽々しく論じては論じきれない問題の重みを感じる。もともと日本共産党の指導と学生達の信頼をもとに実践しつづけた全学連。政治の激動の中で、全学連から反共産党の組織が生まれる。初期の全学連委員長・副委員長を担った東京教育大学の学生は、生涯を学問と社会進歩のために費やした。私心や私利、虚栄心とは無縁な人物だった。全学連委員長を務めたその方は、研究に対しても厳格で誠実だった。その生き方は、戦後学生運動の典型的な良質の人物像だった。

 一方、私は中学生の時知り合った若者がいる。彼は、同じ高校で生徒会長として、保守的風土で学生自治の精神をもち、京都大学物理学科に現役入学した。激しい政治の季節、誠実な彼は共産党とは異なる党派で活躍した。高校生の時に、彼なら湯川秀樹らが学んだ京大で次の物理学者として大成するだろうと同級生は話していた。学生党派の争いで、付け狙われて、ついに大学で学ぶ安全が担保されず、身の安全でやむなくも中途退学した。しかし、尊敬する彼は、郷里で苦労に苦労を重ねた。いま県内の古代史研究者として成果を著作化し、県立大学の教授として学生を指導し地道な研究を蓄積するとともに、地域のコミュニテイ作りと都市計画プランナーとして、保守県の最も保守的な地方都市の住民本位の行政に関与している。

 「過激派学生の運動」は、連合赤軍の連合赤軍事件・あさま山荘事件によって、急速に国民から失望をかい、終焉のようにしぼんでいく。だが、過激派と目される「非・反日本共産党」派の学生運動史で、60年安保で警官と学生の衝突で悲劇的な圧死に至った樺美智子さん以外にも、短歌集『意思表示』を表し自死した岸上大作さん、1960年代なかばに日韓条約闘争時代に革共同の中核派に属し恋人で革マル派の女生徒の恋愛にやぶれ、自死し『青春の墓標』を遺した奥浩平さん、70年前後に同志社大で学生運動に加わり『二十歳の原点』など数冊の随想をのこし、自死した高野悦子さん。連合赤軍事件は、立松和平の小説『光の雨』を映画化した映画や若松孝二監督が映画化した『実録・連合赤軍事件』となっている。私はレンタルDVDで二つの映画を見たが、最後まで正視できなかった。ロシア革命よりも前のロシアの若者たちの重い実態を作品化したドストエフスキーの世界が残酷で無惨な日本の現実としてたちあらわれた。
 
 戦後学生運動の中心であった日本共産党では、大学生協の誠実な実践家矢野常喜さんが糖尿病昏睡で逝去された。矢野氏を慕う友人たちが刊行した遺著を大学三年で読んだが、「彼女を生き生きと生かせ、ぼくが彼女の海となるように」という一節は今も鮮やかに記憶している。
 全学連がブンドなどによって分裂すると、再建運動によってふたたび全員加盟制の自治会運動として甦る。川上徹、宮崎学など日本共産党の活動家であった人々が、諸要因で除名除籍などでたともとをわかつ。

 ひとつの自明な流れがあって、その流れから逸脱した、と言う風に私は考えない。戦後史の激動のなかで、学生たちはさまざまな政治的潮流として歴史に奔流される。過激派学生の運動、総体としてはそう言えても、個々の学生達の試行錯誤は、歴史との激突であったかも知れない。

 学問上の恩師芝田進午氏は、文理書院版の『われ炎となりて』で、ある高校生からの手紙を紹介している。アリスハーズさんがベトナム戦争を拡大するジョンソン大統領の北爆拡大に抗議して焼身自死をとげる。アリスハーズさんと学生の頃から文通しつづけた芝田氏は、衝撃を受けて追悼の書簡集を出す。弘文堂版の『われ炎となりて』だったろうか。それを読み感激したある高校生は法政大学に進学し芝田先生にまなぶ。しかし、その学生松田恒彦さんは、学内で他党派の学生から突然集団暴力を受けて瀕死の重傷を負う。車椅子生活を余儀なくされる。「過激派学生の運動」といっても、戦後70年の歴史のなかで壮絶な他学生へのリンチや暴力が事実があった。

 日本共産党が、「ニセ左翼」というのには、それだけの学生運動史をふまえてのうらづけがある。

 ただ、1968年5月に、フランスはパリを中心にたちあがった学生たちと呼応して、労働総同盟や政党などが共闘した。「パリ五月革命」にはそれだけの歴史的実態がある。1960年代後半の世界的な運動のうねりは、その後のベルリンの壁崩壊や冷戦による軍事的な社会構成体へ変質したソ連の社会解体と国家解体、東欧社会主義国家の解体と続いていく。日本の「過激派学生運動」と目されるものに、歴史家羽仁五郎氏は著作『都市の論理』をはじめ過激派学生に理解を示した。
 いま孫崎亨氏が、「パリ五月革命の時代」を、ご自身がどのように生きていたか。外務省の要職にあり、世界各国の大使を務められた時代。学生たちが他の政治党派の学生たちによって、通学さえできぬまま退学せざるを得なかったり、重症を負ったり、そんな事実を踏まえると、この課題はリアリズムと歴史的見通しという要件を欠くと、大きな誤解をおかす。

 現代、ここ数年、日本ではSEALDsという新たな資質をもつ若者たち・学生達の運動が誕生した。シールズへの評価はさまさまである。しかし、戦後学生運動の歴史を、連合赤軍事件で終焉したわけではなく、日本社会に、個として個性として自立した個人が育ち、それは日本に新たな市民の登場と市民社会の予兆として、私は驚き、期待してもいる。

 さらに、代々木系・反代々木系とマスコミは呼んできたけれど、現代の日本共産党には、市民社会の成熟に対応した政治的展望がうかがわれる。大学の教養科目で原田勝正氏から、第八回コミンテルン大会でディミトロフの「反ファシズム統一戦線」報告を学んでから、私にとり「統一戦線論」は重要な関心を占めてきた。自らは政治的実践力は持たないけれど、「日本における国民統一戦線の結成」はずっと生涯の研究課題であり続けた。

 日本と国際社会の混乱と混迷とは、私たちに失意をもたらしやすいけれども、大きな可能性と変革主体誕生は、世界でも日本でも芽生えつつある。あせらず、そして根気強く、冷静さをもち同時代者として生きていこう。
                                〈了〉 

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【長編叙事詩『「日本国憲法前文」讃歌』】 2016-05-01作品/一年前の叙事詩再録

2017-05-06 14:45:50 | 
【一年前の叙事詩再録』2017/05/01-2016-05-01

長編叙事詩「日本国憲法前文」讃歌
2016-05-01 11:55:15 | 詩
2016年5月1日
              櫻井 智志



中国・華中にて戦死した戦没学生田邉利宏は手帳に遺した。


「雪の夜」『きけわだつみのこえ』
 人はのぞみを喪っても生きつづけてゆくのだ。
見えない地図のどこかに
あるいはまた遠い歳月のかなたに
ほの紅い蕾を夢想して
凍てつく風の中に手をさしのべている。
手は泥にまみれ
頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
冬の草のように生きているのだ。
 遠い残雪のような希みよ、光ってあれ。
たとえそれが何の光であろうとも
虚無の人をみちぞく力とはなるであろう。
同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
寂寥とそして精神の自由み
俺が人間であったことを思い出させてくれるのだ。



日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、
かかる原理に基くものである。
われらは、
これに反する一切の憲法、
法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、
平和を維持し、
専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、
全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、
いずれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、
普遍的なものであり、
この法則に従うことは、
自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

憲法は
国家権力が国民を縛るものではない
国民が
公正な選出制度によって公平な選挙によって
議会を通じて
国家権力の横暴と暴走を制御するものである。
国政は
国民の意志にもとづき
国民が選出した議会が行使する権力により
国民の幸福を保障する。
日本は
他国を無視蔑視しない政治道徳の普遍的法則によって
他国と対等平等の関係を構築する努力を求められている。

日本国民は
国際平和を建設維持するために
理想と目的を実現する、
そんな名誉を遂行する国家であろうとすることを誓う。

海外に侵略し
多くの民衆を殺戮したこと
多くの国民が無謀な暴走を聖戦と信じ込まされ
戦場で国内で
死んでいったこと。

二度と
侵略者の妄想に盲従し
世界から異端視され暴走して
先人の悲劇と平和建設の委託とを
反故としてはならぬ。


戦争末期に
アメリカ軍が広島と長崎に核兵器を投下した。


被爆した詩人峠三吉は『原爆詩集』を詩作した。

     仮繃帯所にて

  あなたたち
  泣いても涙のでどころのない
  わめいても言葉になる唇のない
  もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
  あなたたち
  血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
  糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
  あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
  恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
  ああみんなさきほどまでは愛らしい
  女学生だったことを
  たれがほんとうと思えよう
  焼け爛れたヒロシマの
  うす暗くゆらめく焔のなかから
  あなたでなくなったあなたたちが
  つぎつぎととび出し這い出し
  この草地にたどりついて
  ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める
  何故こんな目に遭わねばならぬのか
  なぜこんなめにあわねばならぬのか
  何の為に
  なんのために
  そしてあななたちは
  すでに自分がどんなすがたで
  にんげんから遠いものにされはてて
  しまっているかを知らない
  ただ思っている
  あなたたちはおもっている
  今朝がたまでの父を母を弟を妹を
  (いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
  そして眠り起きごはんをたべた家のことを
  (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
  
  おもっているおもっている
  つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
  おもっている
  かつて娘だった
  にんげんのむすめだった日を


そして峠三吉は、この詩集の序において
日本の未来建設のまさに序文となる予想のメッセージを記した。
日本は
再び侵略国家態勢づくりに本格化段階に入った。
まさに峠三吉の「序」は
いまにおいて
広く想起されるに価値ある真実の言葉となった。





ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ



日本国憲法 前 文


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


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【平和のためのコンサート、歴史的焦点】【Ⅲ】2014年・2015年 第15回・第16回

2017-05-03 01:06:49 | 政治・文化・社会評論
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅲ】 
2014年・2015年 第15回、第16回
                      櫻井 智志
【第15回】
 コンサートには今年もほとんど満員の聴衆がいらっしゃた。継続してコンサートにご参加された年輩の皆様方に「持続する志」を感じて、胸が熱くなった。
 第1部は、日体大で憲法学を教える新進気鋭の清水雅彦教授が『国民の目・耳・口をふさぐ秘密保護法~その内容と狙い』と題して講演された。ご著作『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(高文研2013年)と、共著『秘密保護法は何をねらうか』(高文研2013年)を紹介し、緻密な資料を配付してくださった。 以下に清水氏の講演資料を要約して、講演内容を記す。
【はじめに】
 澤地久枝さんの『密約』(1978年映画化北村和夫・吉行和子主演)や山崎豊子さん原作の『運命の人』(2012年TBSテレビドラマ)は、国家が秘密として設定したことで、それを報道しようとしたジャーナリストにいかに熾烈な権力的弾圧が待ち構えているか、それは国民にとってどのような否定的影響を及ぼすかを虚構のかたちで形象化していた。1980年代の中曽根康弘政権下で進められていた国家法案秘密案に対して、当時大学生だった清水氏も反対運動にご参加された。
Ⅰ 国家秘密保護法制の展開と内容
1 国家秘密保護法制の展開
 戦前にこの法制は、刑法85条の間諜罪、1937年の軍機保護法、1941年の国防保安法によって、組織は大本営の報道統制、隣組の相互監視、特高の「非国民」とみなされた者たちへの仮借ない取締によって進められた。報道統制は、戦争に相次いで敗北し続けているのに、「勝った、勝った!!」と国をあげての報道のシステムに乗せられた国民コントロールである。現在に通ずる教訓である。
 戦後は防衛庁1963年の三矢作戦研究、1977年の有事法制研究開始あたりからきなくさくなっていく。1978年の日米ガイドラインの締結からは、アメリカ製武器購入や共同演習などの情報の保全責任を問われるようになる。1979年に日米共同作戦研究が開始される。この年にはスパイ防止法制定促進国民会議が結成されている。以後、国際勝共連合による出版・集会・地方議会におけるスパイ防止法推進決議運動などが展開されていく。
 1983年には、対米武器技術供与が決定され、武器輸出禁止三原則の形骸化が始まっていく。1985年には国家秘密法案が提起される。第Ⅰ次案(1980年)、第2次案(1982年)、第3次案(1984年)と相次いで提案される。「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が自民党の議員立法として国会に提出されるが、1985年12月に廃案となる。
 1986年には防衛秘密法案(「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が1985年法案の修正案として自民党が決定するが、国会提出はできなかった。1987年には、防衛秘密法案(「防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案」)や日米安保事務レベル協議としてインターオペラビリティに関する研究(作戦・情報通信・後方支援・装備面での相互運用性確保のための研究)が進められていった。
 1990年以降は、日米共同軍事活動へと拡大していく。1991年の湾岸戦争、1997年の新ガイドライン、1999年の周辺事態法、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争がそれらである。2000年のアーミテージ報告は、機密情報を保護する法律の立法化を要請している。2001年には自衛隊法改正がおこなわれ、防衛機密規定が挿入される(96条の2、122条。2003年、2004年をまたいで有事法制の制定がなされる。2005年には、日米安全保障協議委員会(2+2)が共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置要請をおこなった。
2 国家秘密保護法制の種類と内容
 従来の秘密保護法制では、次のようになされていた。
公務員法では、国家公務員法の守秘義務が100条、109条(1年以下の懲役)、111条(そそのかし・幇助)で定められていた。地方公務員法は守秘義務を、34条、60条(1年以下の懲役)、62条(そそのかし・幇助)で定めていた。
 刑法では、外患誘致罪(81条・死刑)、外患援助罪(82条・死刑または無期もしくは2年以上の懲役)、外患誘致及び外患援助の未遂罪(87条)、同予備・陰謀罪(88条・1年以上10年以下の懲役)。
 軍事法として、自衛隊法の守秘義務(59条、118条・1年以下の懲役、教唆・幇助)。
1980年代の展開に伴い、「スパイ防止法案」なのか「国家秘密法案」なのか、「国家機密法案」なのかが問われた。1985年で「機密」が4万4043件、「極秘」が5万1947件、「秘密」が130万3587件。法案内容や実態から検討すると、「国家機密法案」ではなく、「国家秘密法案」が実態に即している。
 9.11事件のどさくさにまぎれて、2001年の自衛隊法改正で広範な防衛秘密の定義がなされ、あいまいで危険な改訂となった。
 2007年の秘密軍事情報の保護のために、日米政府の協定GSOMIA(Gソミア)が結ばれ、秘密保護法への動機となった。
Ⅱ 今回の秘密保護法(秘密保全法案)
 秘密保護法施行にむけての政府の企図は、1960年代から何度も何度も企まれてきた。
1 「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」報告書(2011年8月)  この有識者会議は、五人の委員(懸公一郎・櫻井敬子・長谷部恭男・藤原靜雄・安富潔ら諸氏)と事務局の内閣情報調査室のほかに、警察庁、公安調査庁、外務省、海上保安庁、防衛省、法務省も出席して2011年1月から6月まで全6回開催された。
2 秘密保護法の検討
 口実は、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の際のビデオ映像流出がきっかけだった。元海上保安官は起訴猶予となった。この秘密保護法は、「戦争をする国」へ、「警察国家」へ、「新夜警国家」へが究極のねらいである。警察と軍隊とを融合化させていくことが目当てである。9.11事件以降テロ対策として警備公安部門の活性化が進んでいく。従来からの日米支配層の要求として、秘密保護体制の強化が叫ばれていた。軍事と治安の融合化で、軍隊が警察化し、警察が軍隊化する目論見があった。「国家の安全」を守るために自衛隊と警察の地位向上が目指されていた。
 しかし、この秘密保護法には、あまりに問題点が多い。ざっと俯瞰しても次の7項目に及ぶ問題を清水氏は取り上げた。
①立法事実論  ②秘密の拡大  ③対象の拡大  ④罰則の強化  ⑤国民の権利の侵害  ⑥三権分立の肥大化する行政の権限  ⑦民主主義と国民主権への制約
Ⅲ 自民党のゴールと考える明文改憲(「日本国憲法改正草案」)の検討
1 平和主義の否定
 日本国憲法前文は、「~する平和主義」として構造的暴力を否定している。憲法第9条は、「~しない平和主義」として物理的暴力としての戦争を否定している。それらの積極的平和主義の放棄は、国連人権理事会における「平和への権利」宣言に対する日本政府の対応とも呼応している重要な問題である。
2 国家主義  まず憲法前文第1段の主語から異なる。日本国憲法では、「日本国国民は」から始まる。自民党の改憲案では、「日本国は」へと変わっている。ここに国民主権ではなく、国家主義の重要な問題点が浮き彫りとなる。自民党草案は、1条に天皇元首化を定めようとしている。
 自民党改憲案は、「国家の安全」を掲げ、国家安全保障会議、国家安全保障戦略、国家安全保障基本法などでも貫こうと考えている。
3 人権規定
 自民党は、人権保障原理の変更を企図している。「公共の福祉」概念をなげすて改悪し、「公共及び公の秩序」を掲げている。相互に人権と人権が対立した時にそれを調整する原理として、「公共の福祉」の視点がすでに明示されていたものを、自民党2005年要綱は、「国家の安全と社会秩序」を唱えている。
【結びにかえて】
①安倍政権が秘密保護法を強引に制定したのか?3年間国政選挙がなく、臨時国会で制定しないと制定が困難になるという読みがあった。
②なぜ制定を阻止できなかったのか,?マスメディアの報道の遅さや足並みの乱れによって、反対運動の不十分さがあった。
③今後どうすればよいのか?秘密保護法を廃止、施行反対、適用阻止、チェック体制を確立。秘密保護法や解釈改憲に対して、あきらめずに意思表示し続けること、安倍政権を倒閣する。
④運動論について・・・政治は国会内の力関係以外にも、国民の運動や世論が大きく左右する。法が制定されてからも、反対運動を続けることが大切である。
 第2部はアンサンブル・ローゼの重唱、狭間壮さんのテノール独唱(はざまゆかさんの鍵盤ハーモニカの演奏)とから成る。アンサンブル・ローゼの演奏を、末廣和史さんがピアノで応援された。その様子について、講演をなされた清水雅彦教授が自らのブログ『清水雅彦の憲法・鉄道・バイクetc.』で丁寧に紹介している。
「6月15日第15回平和のためのコンサート」全文
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/32795012.html
==================================================================== 私の講演の後は音楽コンサート。構成は、アンサンブル・ローゼのみなさんの重唱と、テノール歌手・狭間壮さんの歌とお話。さすが声がいいですね。この歌の中で、私は1974年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を初めて知りました。
http://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA
この「一本の鉛筆」をテーマに、狭間さんが寄稿を募り、それを1冊にまとめている『一本の鉛筆があれば』という本を狭間さんが出版されているのですが、昨日はコンサートの帰りに参加者に1冊ずつプレゼントをされていました。
狭間さんが昨日歌った歌の中で、私が一番気に入ったのが「一人の手」でした。
http://www.youtube.com/watch?v=ngiCspqMQk4
講演と音楽コンサートというこの組み合わせもいいですね。この平和へのコンサートは、アンサンブル・ローゼの芝田貞子さんが中心になって続けられているようですが、大変頭が下がります。
http://www1.ezbbs.net/cgi/reply?id=sa104927&dd=29&re=978
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/…/move3/m06072.html
狭間壮さんについては、昨日ピアノ演奏をしていたはざまゆかさんがブログを持っていらっしゃるので、こちらをご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/kenhamoyuka/
昨日は会場に憲法研究者が2人も参加されており、ちょっと恥ずかしかったですが、「一本の鉛筆」や「一人の手」という歌と、芝田さんや狭間さんの存在も知ることができ、大変有意義なコンサートでした。皆様も、是非、来年以降ご参加下さい。
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 友愛に満ちた清水氏の文章は、率直にこのコンサートの心髄を把握していて、さすがだと思わされた。氏のブログを引用したのは、音楽について丹念にユーチューブから動画を検索してご紹介に務めていらっしゃることに、本文のままがふさわしいと思ったからだ。芝田貞子さんが芝田進午先生の想いを継承し、それは見事に開花して、今年のように持続している。芝田先生や芝田ゼミ、バイオハザード予研究センターにゆかりのある皆さんが開場から大道具の移動、終了後の片付けに至るまで無償で支援なさっていた。さらに芝田貞子さんの主宰するアンサンブル・ローゼのクラシック歌手の皆さんや芝田貞子さんのご友人、芝田家のご家族の皆々様など実に家庭的で友好的な支援も、今年の成功を例年のように支えている大きな原動力である。
 反核文化の理論的研究と実践的イベントとして、芝田夫妻によって創始され、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」と合わせて、数十年に及ぶこの試みは、まさに国民的行事として定着している。応援されている方々や実践されている皆様もしだいに年齢を重ねている。それを着実に応援・支援されている若い世代も定着している。関係の皆さんのご健勝を願い、来年もぜひ参加したいと思う、しみじみと。


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【第16回】2015年平和のためのコンサート
新井秀雄氏講演『バイオ時代の感染症』(元国立感染症主任研究員)
「バイオ時代の感染症」
*講師は、国立感染研(旧予研)の主任研究官だった新井秀雄さんである。クリスチャンとして自らの信念を貫き、感染研を内部から毅然と批判なされた。その経緯は、『科学者として』(幻冬舎)から出版されている。このコンサートは、新井秀雄さんの講演に絞って記述する。
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講演者のプロフィール
新井秀雄さん
1942年静岡県生まれ。北海道大学獣医学部卒。獣医学博士。
国立感染症研究所主任研究官として百日咳、溶血連鎖球菌などの研究に従事する。長年、所内からバイオハザードの危険性を指摘し 、予研=感染研裁判では、住民側証人として法廷で証言を行う。 ドキュメンタリービデオ『科学者として』(本田孝義監督、1999年)に出演。同作は東中野BOXなど映画館で公開された。 2000年、自らの心情を綴った『科学者として』(幻冬舎刊)を出版。同書などの記述について、所内で厳重注意処分を受ける。 2001年3月、処分撤回を求めた民事訴訟を提訴、2007年敗訴確定。2003年3月末日、定年退官。 バイオハザード予防市民センター幹事。共著に『教えて!バイオハザード』(2003年、緑風出版刊)がある。
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講演の内容
はじめに
 芝田進午先生が亡くなられて十四年になる。私は芝田先生に、人間にとって大事なものは何かを教えられた。核時代の現在は同時にバイオ時代でもある。
1 感染とは
バイオ時代の特徴である感染とは、なにかを学問的原論てきに考えると、三つの要素があげられる。
①感染を受ける側の状態として、体力や家庭の状態がある。
②病原体がもつ病原性。静止的なものではなくダイナミックなものである。
③とりまく感染の温度や乾湿
 放射能の影響で宿主の変化もあげられる。
2 細菌
 細菌とは、存在がわかったのは顕微鏡が開発されてはじめて明らかになったものである。実態として、病原体として把握されるようになった。メイメイフックにより、二百数十倍の倍率の顕微鏡が開発された。
 17世紀、1600年代に、血液は水たまりの水のようなものとして学会に報告された。細菌が目に見えるようにしたのが、19世紀のパストゥールである。彼はバイオ技術を開拓していった。
 ドイツ人コッホは液体培養を固体培養に発展させた。液体培養、固体培養、純粋培養、それぞれ特有の培養が進められていった。
 細菌は19世紀終わりまでにはほとんどの細菌が発見された。20世紀に入ってから見つかった菌もある。
3 ウイルス
 ウイルスは細菌とは異なり、顕微鏡で見えない。1mmの10分の1までなら人間の目で見える。1932年に開発された電子顕微鏡、1959年にようやく超遠心器が開発されて、一気にウイルスの世界があきらかになってきた。
 スペイン風邪は1918年に大流行した。ウイルスによっておきたスペイン風邪は、四千万人から五千万人が死亡した。ウイルスは六億人に感染した。名前は「風邪」がつくので、認識しにくいが、中世に大流行して恐怖感をもって恐れられた疾病のように、致命的な大流行の悲惨さをもっていた。
 時々新しいウイルスが発見される。狂牛病はウイルスより小さいタンパク質によってひきおこされる。ウイルスは物質としてとらえられる。
4 バイオ時代
 現代は遺伝子操作が生命に関わっている生命時代である。
1953年にはDNAの二重螺旋が発見された。1967~1968年には、遺伝子組み換えがなされた。1975年には、研究をすすめるための倫理規制が決められ 、研究者たちのモラルの根深い様々な問題が根源的なものとして問われている。
 封じ込め施設は宇宙記述の開発に及ぶ。ポリメタル塩酸構造(PCR)が198年に開発、1900年にアメリカ人の遺伝子の研究が始められ、2000年にはヒトのゲノムの解析、1970年以降の感染症の新たな問題の発生にWHOは1990年に新しい感染症を「新興感染症」として定義した。遺伝子組み換え技術が、バイオ時代を特徴付け、新たな社会的課題となっている。
 1980年代のエイズ、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)=「サーズ」やエボラ出血熱などが、遺伝子組み換え技術と関係しているのではないかと研究者の中からも一般からも懸念がもたれている。
 エイズ
 2012年にアフリカでは2500万人、東アジアでは88万人。ちなみにエボラ出血熱の感染者は2万5千人である。東アジアにおけるエイズは増える傾向にある。日本では正規のHIV(後天性免疫不全症候群)は1200人、エイズ感染者は484人。オセアニア州では少ない。
 サーズは、2002年に中国で始まった。2003年6月に8400人の患者と800人の死亡者が出た。ところがその後のサーズの患者はいないとのこと。中国のバイオ研究所ではサーズは数人。バイオテロ政策を入れ、バイオセキュリティの発展によると言われている。
 エボラ出血熱は病原性が強い。新興感染症として1976年にエボラ出血熱がスーダンで発見された。突発的な流行が10回出たが、2013年には西アフリカでエボラ出血熱が流行した。死者の対応についても、火葬する国もあればかつての戦前日本のように埋葬する国もある。「場の問題」が重要である。
5 P4施設と国際伝染病
 日本では武蔵村山市に国立感染症研究所分院として、対応予定の場所はあるが、きわめて伝染性の強度の伝染性疾患に対応するP4施設はない。
国際伝染病の扱いについては重要な論点がある。
研究目的であっても、強力な伝染性をもつウイルスの患者にきちんとした治療をおこなうには、その疾病の高度の医療的対応ができる国家と連絡をとりあい専門的な対応が大切である。検疫の段階で阻止することと国際的な共同研究の協力態勢をとることとがあわせて必要である。
 MERSは急性の疾病で450人の死者を出している。韓国ではMERSマーズはSARSサーズよりも病原体は弱い。体力のおちていて基礎疾患のある人には警戒がいるが、専門家の知見も参考にして対応することが必要である。
 ふたつきほど前には、50代以上では60〜70才代で7,8人が80才以上では3人が死んでいる。高齢者に死者が集中しているが、特別に恐れる疾病ではない。
 テング熱も、あれほど去年の夏日本を震撼させたが、今年は死者も出ていないし、感染者は82人で昨年の56人である。検査を受ける人が多いことも、病気の重篤度は低い。さらにカからウイルスが出ていることが報告されていない。
6 バイオハザード 
 抗生物質の多用は、病原体を鍛える。抗生物質が効かないウイルスが増えている。遺伝子組み換え時代を念頭に感染症を考えることが大切である。インフルエンザのウイルスは、以下の例から考える課題をもつといえよう。西アフリカで生物兵器の巨大な実験場がつくられた。生物兵器の開発のために。現代の感染症は生活の様式に応じて、生物の様式に応じて、ひとつひとつ冷静な対応をしていくべきだろう。
 核時代のなかのバイオ時代は、世界の社会的実態と密接である。戦争によって化学兵器が開発され大量に使われることは、生物災害(バイオハザード)と関連している。社会的貧困は、疾病に陥った世界中の民衆の医療・保健衛生・福祉を劣化させる。
 戦争と貧困を減らすよう、なくすように取り組むことが、バイオ時代の感染症を根絶するひとつの、そして根本的な私たちの課題である。
===================(続く)

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【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回平和のためのコンサートと人類生存哲学の思想

2017-05-02 23:23:11 | 政治・文化・社会評論
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅱ】 2013年 第14回平和のためのコンサートと人類生存哲学の思想

                                    櫻井 智志


1.平和のためのコンサートと時代

芝田進午・貞子ご夫妻は1980年に東京と広島でノーモア・ヒロシマ・コンサートを開始した。東京では1989年まで10年間、広島ではそれよりも長く持続された。
芝田氏は、広島大学に勤めるようになり、「反核文化」について考察し顕彰する。小説、詩、映画、音楽など多彩な分野に及ぶ。ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、これらの反核文化研究と併行した実践の帰結のひとつである。

 哲学者・社会学者である芝田進午氏は、帝国主義的国際秩序を「旧国際秩序」、核時代の国際秩序を「ジェノサイド的秩序」と呼んだ(『核時代Ⅰ思想と展望』)。これに対して民衆が作り上げるべき「新しい国際秩序」とは、あらゆる形態のジェノサイド(民族皆殺し)を廃絶してゆく秩序をさす。芝田氏は、そこで民族自決権のなかにある戦争発動権の制限を提起した。注目すべきは、日本国憲法の《一方的不戦宣言》《一方的軍備撤廃宣言》は、核時代における国家主権の在り方を示す先駆的なものであると位置づけている。

 芝田氏はさらに被害者側の苦悩を社会科学の対象として考察した。被爆者の「罪意識」についてアメリカの精神医学者R・J・リフトンの『死の中の生命―ヒロシマの生存者』(1967年朝日新聞社刊 原題Death in Life)と、被爆者問題で重要な研究を続けている石田忠氏の『原爆体験の思想化』『原爆被害者援護法』(ともに1987年未来社刊)の著作を紹介している。限界状況における行動の理論的解明に今まで未着手であることを課題視している。多彩で他寮域に及ぶ「芝田学」において、核時代における文化と思想の研究は、人間が人間らしくその尊厳を尊重されるための足がかりとなる広範で多彩な取り組みであった。芝田氏がご逝去されたのは、2001年3月14日のことであった。もしも先生が2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故をご生存中に体験なされていたら、現在反原発運動を推進している良心的な原子力物理学者や反原発運動家たちとともに立ち上がって共闘なされたことだろう。「核時代」と「反核文化」、「人類生存哲学の思想」は、さらに精緻をきわめ、実践のスケールを今以上に拡大する貴重な指針を、私たちに提起なされることはほぼ間違いあるまい。

 ノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田進午氏逝去後は、夫人の芝田貞子氏を主催者として「平和のためのコンサート」として継承された。さらに、芝田進午氏が、「人生最大の闘争」として位置づけた予研(改称して現在は国立感染症研究所)との闘争が開始される。1986年から開始された予研=感染研との闘争は、芝田氏の哲学者・社会科学者としてのすべてのアカデミックな研究から芝田氏を遠ざけた。けれど氏は、闘争途中の2001年に胆管がんによってご逝去なされるまで、この大問題に取り組み続けて、この闘争の間で出版された書籍、雑誌、刊行物、パンフレット、チラシなど厖大な資料とともに取り組まれた。とくにバイオハザード予防市民センターとストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会は、毎年このコンサートの後援団体としてコンサートを支えて具体的な運営への支援も惜しまず献身的に応援なされている。

今年2013年で14回目に及ぶことは特筆されるべきである。著作『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』(2001年青木書店刊)の中で、芝田氏はご夫人が声楽家でなければ、ノーモア・ヒロシマ・コンサートは10年以上も運営できなかったと述べている。



2.高橋哲哉氏の講演
 今回は、第一部で高橋哲哉東大大学院総合文化研究所教授が、『犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える』のテーマで講演をひきうけてくださった。原発事故をめぐる国民から世界上の民衆の平和的生存が、戦後これほど深刻な課題となったことはなかろう。また、沖縄県を最大の被害者としてアメリカ軍による基地問題の無理難題がひきおこす深刻な被害は、日本の平和と日本国民の安全と幸福を危うくしてきた。


講演

「犠牲のシステムから平和の秩序へ〜原発と基地問題を考える」
高橋哲哉「平和のためのコンサート第一部講演」(記録文責・櫻井智志)

 高橋哲哉氏は、「犠牲のシステム」について研究してきた。ずっと米軍の基地問題を研究し、沖縄の米軍基地を中心に取り組んできた。けれど福島第一原発四基のうちの三基が爆発した時に、現状で、日本における原発を「犠牲のシステム」を研究するようになった。 原発の事故自体が収束していないし、東京にもホットスポットがあり事故と無縁でない。原発事故以前は基地問題に「犠牲のシステム」を使っていた。福島第一原発の事故は、「犠牲のシステム」の典型である。

 平和憲法にもかかわらず、沖縄に平和という状況はあったのか。4月28日に政府は「主権回復」の式典を行ったが、沖縄は大反発した。1972年まで米軍の軍政下にあった。しかしそれ以降も、日本全国の0.6%の面積の沖縄県に、米軍基地の広さは、沖縄県がなんと75%もの米軍基地の面積を占めている。沖縄は、日米安保体制によって犠牲のシステムを被っている。福島原発事故も「犠牲のシステム」をこうむっている。誰かの犠牲の上に誰かが利益をもうけているシステム。
 ドイツは、日本でも原発事故が起こるのだから、と言って脱原発へ転換することを認めた。福島にはGビレッジという区域があった。原発事故前からである。
そこは、原子力発電所での作業を行う労働者が居住するため往復している。そこで、ガンや白血病患者もいたが、原発事故でその地域の存在が表に出てきた。原発にはウランを必要とする。ウラン鉱山の採掘を行うウラン鉱夫は被曝してきた。
日本でも岡山県にウラン峠があったが、被曝の問題でそこをとりやめ、カナダやオーストラリアから輸入するようになった。
 
 原発から出る放射性廃棄物には、使用済み核燃料がでる。いま大飯原発以外国内の原発はとまっているが、再処理でプルトニウムを取り出しウランと混ぜる。
使用済み核燃料への対応や最終処理場の問題がある。核には、①原発②核事故③被曝労働④放射性廃棄物による危険、の四つの問題がある。「犠牲のシステム」とは、ある人々の犠牲の上に成り立っている。ある人々とは、①核被曝の人々、福島原発事故の影響を受けた人々②健康の犠牲③土地、家、財産における犠牲を受けた人々④いのちの犠牲⑤人としての尊厳、生きる希望などを犠牲を受けた人々である。「犠牲のシステム」は、正常化できない。それは、平和的生存権を奪い、生命・自由・幸福追求の権利の犠牲を受けている。このことは、沖縄での憲法否定、憲法の犠牲により人として正常化が困難をきわめるのと似ている。

 4月17日から被災地の新規定値が決まり、立ち入り禁止区域のひとつに高橋哲哉氏が小学校生活を過ごした故郷富岡町が含められた。被災地の再編が行われた。帰還困難区域は、1年間に50ミリミリシーベルト以上。居住制限区域は20〜50ミリシーベルト。避難指示解除準備区域が20ミリシーベルト以下である。福島原発事故前の国民が1年間に被曝が許容されるのは、1ミリシーベルト。
この数値はICRPでも認められている数値(1ミリシーベルト)である。

 ところが福島原発事故後に日本政府が、子どもを許容値としたのは、20ミリシーベルトまでは住めますという国の基準を発表した。原発作業員の限度は1年間に50ミリシーベルト、5年間に100ミリシーベルト。福島県民は、原発作業員なみの放射能にさらされている。チェルノブイリ原発事故後7年間は1ミリシーベルトだった。ソ連が解体しウクライナやロシア、ベラルーシでのチェルノブイリ法は、避難の権利を提唱した。放射能にさらされたなら、国民は避難する権利をもつので、権利を行使することができ、公的サポートを受けられるということが、決められている。年間5ミリシーベルトの数値なら、強制避難となる。
福島では20ミリシーベルトまではそこに居住できる。なんという違いだろうか。
福島県郡山市の小中学生と保護者が、市に対して「集団疎開」を求めていた抗告審で仙台高裁は、仮処分申請は却下したものの、低線量被ばくの危険に日々さらされ将来的には健康被害が生じる恐れがあるとはっきり認めた。この裁判の一審は、年間100ミリシーベルトをも子どもたちに許容されるというものだっただけに高裁の危険判断ははるかにましといえる。国や県など行政の判断がきわめて重要である。福島県の健康調査では、17万人に12人の甲状腺がんの発生がわかった。通常は100万人に2人。民主党政権時に、細野豪志大臣は、年間20ミリシーベルトを5ミリシーベルトに下げるべきだと主張した。政府はそれを却
下した。

 沖縄県では長い米軍基地の歴史がある。宜野湾市にある米軍基地を鳩山首相は、国外に移す、最低でも県外に移すことを県民に約束した。しかし、妨害する勢力のために、孤立無援となり辞職した。沖縄県民は、米軍基地を沖縄におしつけ続けたヤマトンチュー(本土)日本人に怒りをもたざるを得ない。 オスプレイ機は、墜落事故が多くアメリカでも問題になっている。そのオスプレイ機を沖縄に12機配備した。安倍首相は、辺野古にすみやかにすすめるとオバマ大統領に約束した。沖縄県民の心を完全に無視した。
 日米安保条約を平和友好条約に転換するべきである。米軍基地を撤退して本土のヤマトンチューへの批判に応えることが必要である。
 憲法違反の状況が福島にも沖縄にも見られ、憲法の外へおかれている。グローバル化の波は、規制を撤廃し、新自由主義や市場原理をすすめている。貧困下で若い世代が、正規雇用につけないでいる。日本の為政者は、人権保障の基準に従って、それらの問題を改正すべきである。憲法の原則を解体して九条を撤廃させようとしている。4月28日の「主権回復」式典もこれらの流れの中にあり、安¥倍政権は九条改憲国防軍設置を最大のねらいとしている。世論調査では、「9条を変えるべきではない」が多い。しかし質問があいまいだと「憲法を変えるべきだ」が多い。今の政府は、96条改憲をめざし、改憲を発議するための衆参両議院の3分の2以上の国会議員の賛成を過半数の賛成に変えようとしている。よく日本は憲法改定の発議のハードルが高すぎるという改憲派の声があるが、諸外国でもハードルは3分の2以上が多く、一般法の過半数の賛成という国はない。憲法は国家権力者をしばるためのものであり、この立憲主義を大切にしている。日本国憲法の権利を侵害し、憲法改悪の動きをぜひとめたい。

3,第14回コンサートの全体像
以下に第14回平和のためのコンサートのホームページやパンフレットで伝えられている詳細を簡潔に記す。
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第14回平和のためのコンサート
http://www.biohazards.jp/index-c.htm
2013年6月15日(土)午後2時 開演(1:30開場)
会場:牛込箪笥区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩10分
料金:2,200円(全席自由) 
   第一部〜講演〜
高橋哲哉
「犠牲のシステムから平和の秩序へ―原発と基地問題を考える」
   第二部〜コンサート〜 
重唱 アンサンブルローゼ         ピアノ=野本哲雄
   村の娘(ラツァロ作曲)
   モルダウの流れ(スメタナ作曲)、
   懐かしのヴァージニア(ブランド作曲)
   オーラ・リー(プールトン作曲) その他
        ソプラノ    : 岩淵裕子  高崎邦子  高橋順子
        メゾ・ソプラノ : 水谷敦子  山田恵子
        アルト     : 芝田貞子  嶋田美佐子
アルプス音楽団 楽しいアルプスの世界にようこそ
      狩人のポルカ、クフシュタインの歌   双頭の鷲の旗の下に
      アルプホルン3重奏  雪のワルツ(クーグロッケン演奏)その他
      竹田年志:トロンボーン 栗田真帆:メゾ・ソプラノ
      藤井裕子:トランペット 浦松優子:アコーディオン  
      本間雅智:チューバ
みなさまとご一緒に 「青い空は」  小森香子詞 大西進曲 
司会:長岡幸子 
【主 催】平和のためのコンサート実行委員会
【後 援】アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマコンサート
     ストップ・ザ・バイオハザード 国立感染研究所の安全性を考える会
     バイオハザード予防市民センター
【平和のためのコンサート実行委員会連絡先】
〒162-0052 東京都新宿区戸山1−18−6 芝田貞子 
TEL&FAX:03−3209−9666 E-mail : snc66543@nifty.com
=====================================
(続く)

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【平和のためのコンサート、歴史的焦点】第18回 平和のためのコンサート(2)

2017-05-02 22:56:22 | 政治・文化・社会評論
【平和のためのコンサート、歴史的焦点】
第18回 平和のためのコンサート~芝田進午 十七回忌によせて~(2)
            
                  櫻井 智志
(承前)
----------構成----------------------
  (序) 
  (1)第18回平和のためのコンサートの概要
◎ (2)平和のためのコンサートの通史
  (3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
  (まとめ)
----------------------------------------
この項目は、かなり厖大なスペイスを割くことがあきらかとなった。
第一回から第十七回までの全ての小生の書き留めはない。それでもほぼ第八回から十七回についてなんらかの記述がある。
したがって、この項目の名称を【平和のためのコンサート、歴史的焦点】とし、執筆毎にローマ数字のⅠ、Ⅱ・・を付すことにさせていただいた。

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【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅰ】 第8~12回
「平和のためのコンサート」と芝田進午夫妻(2008〜2011)
2011/6/19

 2011年の6月11日に、12回目の「平和のためのコンサート」が行われた。早いもので、このコンサートが開始されてからもう十二年の歳月が流れた。手元に、インターネットに投稿した中で集められた範囲内だが、第八回から今回までのコンサートについての随想がある。2008年、第八回のコンサートからの書き溜めた文章を提示する。そのことを通して、このコンサートの意義を探りたい。さらに、主宰者の故芝田進午氏と、芝田氏亡き後に運営を受け継いだ声楽家でもあるご夫人の芝田貞子さんとの、持続するご努力とをたどってみたい。

一  今も生きる芝田進午氏の平和希求の思想

 「週刊金曜日」誌の市民運動案内板に五行の短い案内があった。
会場は、東京都・牛込箪笥区民ホール。「平和のためのコンサート 芝田進午七回忌によせて」。このコンサートは毎年行われて今年が第八回となる。関係者の間では、チケットの普及の様子を危ぶ時期もあったようであるが、会場はぎっしりと埋まっていた。昨年よりもはるかに多かった。コンサートは、東京で一九九五年まで十年間続いたノーモア・ヒロシマ・コンサートを継承する第一部と多彩な音楽家が演奏した第二部から編成されていた。
 わけてもチェルノブイリ原発事故で一九八六年に被曝したウクライナ生まれのパンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんが第二部に特別出演された。このことは、アメリカの原発もロシア・旧ソ連の原発も共に、「人類絶滅装置体系」としての核兵器の巨大な問題の存在を思想史的に位置づけた芝田進午氏が、「人類生存のための哲学」の構築を晩年に訴え続けた趣旨にとてもふさわしい出演であった。音楽的にも素晴しかった。
 ヒロシマに落とされた原爆が、世界的規模の核時代の始まりであり、そのような時代において人間はいかに生きいかに立ち向かうか。そのことを洞察して、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを始めたのが、平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんだった。
 私にとり、今回話された二人の講演にとても得るものが多かった。音楽家の木下そんきさんは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主宰した芝田さんが、論理の帰結に誠実であった生きる姿勢を讃えた。戦前に、大学の講壇哲学に所属して、社会的実践に踏み出すか否かを迷っていた古在由重氏は、親友の吉野源三郎氏と真剣に討論した結果、自らが正しいと論理的に判断した結果には、いかなる困難があっても、その労苦に耐えて一歩踏み出すべきだ、という助言を取り入れた。戦前の激動を生き抜いた両氏とまったく同じ生きる姿勢を、芝田進午氏は戦後に生きて活躍された実践的知識人として貫かれた。
 弁護士の島田修一さんは、「憲法第九条を守る意味」について述べられた。 戦後に制定された日本国憲法は、三つの国家像として平和国家、福祉国家、人権国家の論理を内包している。それに対して改憲勢力の中枢の自民党憲法改定案の示す国家像は、戦争国家、福祉切り捨て国家、人権抑圧・制御国家である。
 この対比は、十五年戦争に至る時代と戦後の憲法制定前後の時代との対比に照応している。当時、人間の尊厳をかけて多くの若者たちが立ち上がっていた。
 現代の日本は、心がぼろぼろにされ、個々人がバラバラにされているけれども、全国に広がる九条の会などのように、人間の尊厳をかけた若者や人々達がいることも私たちの実態であることを強調された。コンサートを鑑賞して私は島田さんが引用した言葉、「戦争は人の心の中につくられるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」が深く心に響いていた。ユネスコの宣言にも採用されたこの言葉は、あの平和哲学者カントの言葉でもある。
 芝田進午氏は、晩年に実践的唯物論哲学の原則は堅持しつつも、人類存続のための平和の哲学構想を抱いていた。先生のご逝去からわずか数年にして、これだけ急速な短期間に日本が軍拡国家となりはてようとは。死者に魂があるかどうかは無神論者の私には自信がないけれども、死者の平和への深い祈りを、決して無にしてはならない。さもなくば、日本国家ならびに日本民族は永久の地獄へと沈んでゆくことであろう。死者の遺志を現在に生かすには、どのような方途が残されているか。
 まだまだ私たちは死者の声に耳を傾けなければなるまい。そうしていつか、本当に死者の霊を弔うことができるとしたら、それは日本が世界に誇るべき戦力放棄の平和国家となった独立の日においてはない。

二 2008年、今年も「平和のためのコンサート」がやってくる

 ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主催し、核時代における人類生存の哲学を探究した芝田進午さん。芝田さんが胆管ガンで志なかばでご逝去されてからも、この平和のためのコンサートは、夫人の芝田貞子さんを中心とするコンサート実行委員会によってずっと絶えることなく続いてきた。
 今年も六月十四日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。第一部と第二部に分かれ、一部はコンサート、二部は作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの講演。
 第一部では、声楽家でもある芝田貞子さんもメンバーのアンサンブル・ローゼによる童謡やサウンドオブミュージックの重唱。信田恭子さんのヴァイオリン独奏。島筒英夫さんによるピアノと語りの二重奏。島筒さんご自身の作曲で、「ちいちゃんのかげおくり」「かさじぞう」。最後は会場全員によるシングアウトで「翼をください」。
 第二部では、週刊金曜日でも小説を連載中の梁石日さんが、「在日コリアンの現在」を講演なさる。梁さんは、1936年に大阪府で生まれた。『血と骨』で第11回山本周五郎賞を受賞、百万部突破のベストセラーとなった。他に『夜を賭けて』『Z』『断層海流』『族譜の果て』『子宮の中の子守歌』『闇の子供たち』など。近著に『カオス』がある。
 一時半会場、二時開演。会場の牛込箪笥(たんす)区民ホールは、都営地下鉄大江戸線で牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分。東京メトロ東西線なら神楽坂駅2番出口徒歩10分。全席自由で2200円。主催は、「平和のためのコンサート実行委員会」。後援は、アンサンブルローゼ、ノーモアヒロシマコンサート、ストップザバイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、新井秀雄さんを支える会、バイオハザード予防市民センターの諸団体が広く支えている。

三 芝田進午氏の遺志を継ぐコンサート(2009年)

 6月20日に平和のためのコンサートが開催される。会場は新宿区の牛込箪笥区民ホールである。詳細はさざ波通信伝言欄に投稿して掲載していただいたので、重複は避けたい。
 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶の声明を出した。それよりもはやく数十年前に、法政大学、広島大学などを歴任した社会学、哲学教授の芝田進午さんは、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」を東京と広島で別個に十年間以上も開催してきた。このコンサートに取り組んだ芝田さんご夫妻は、国立予防衛生研究所(現在は国立感染症研究所と改名)が新宿区戸山に強行移転して、住民の住宅や大学などが密集する住宅街で実験を強行し続けてからは、ずっと実験差し止め裁判闘争に地元住民の原告代表として闘い続けた。
 道半ばにして、第一審の判決がおりる頃に、わずか二か月前に、胆管がんによって芝田さんは、周囲の悲嘆の中で御逝去された。まだ七十才を超えたばかりの悲報であった。
 芝田さんの志を次ぐひとびとは、「平和のためのコンサート」を開催し続けた。今年はちょうど祈念すべき第10回となった。
 核兵器廃絶も、人類にとって緊急の課題である。同時に生物兵器実験など生化学の分野における実験によって、今まで自然界になかった生物が安全性を無視して世界各国で繰り広げられたなら、自然の生物連鎖や自然界の調和はとんでもない事態に至る。芝田さんが生物化学災害としてバイオハザードの危機的事態を懸念して、最後は最高裁にまで及ぶの国家権力を問う裁判闘争に、今までのすべての研究課題を棚上げして取り組み続けた事実
 このことは、東京地裁判決前に芝田さんがなくなり、その後の最高裁において敗訴し、その数年後の現代、思わぬ被害となって現実のものとなった。
 メキシコから始まった豚ウイルスによるインフルエンザの世界的流行は、自然界からおきたインフルエンザではなく、さまざまな憶測を呼んでいる。ひとつだけ確実なことは、核兵器によるジェノサイドにとどまらず、バイオハザードによる重大な被害が現実のものとして国境を越えて、世界中の民衆にとって重要な克服課題となったことである。
 「平和」がいまこそ改めて問われている。今回の記念的コンサートでは、原爆資料館を統括する広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんが、日本語で記念講演をしてくださる。
 私は、芝田進午さんが御逝去されてからも、この平和のためのコンサートを聴きづけてきた。それは、このコンサートが、聴く者に大きな感動をもたらしてくれるからである。さらに、芝田さんが訴え続けた「人類生存のための哲学と文化」について改めて自らの問いとして考えさせられる、祈りに似た沈黙の言葉にふれるからでもある。

 四 よみがえる芝田進午さんの反核平和文化の闘い (2010年)

 哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことはその独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手であり、なおかつ損失でもあった。
 しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践は明確に跡を継承するかたがたがいる。
 ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
 そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
 私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせたいと思い、記してきた。
 だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけではない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のための哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。  私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観者のひとりである。
 だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解放された人格をひしひしと感じた。 芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当されよう。同様の趣旨のことを、氏を直接知る多くの良心的知識人や実践家がおっしゃるのを聞いた。
 今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、このコンサートの意義を伝えようと考えている。
 毎回コンサートの前の第一部は講演がなされてきた。今年は、お二人の朗読とともに詩人橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。

五 福島原発事故の情勢下での2011年「平和のためのコンサート」開催

 哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今からさかのぼること30年前後に、著作『核時代Ⅰ思想と展望』『核時代Ⅱ文化と芸術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によって殺され冒?された人々としての被爆者、「核によってつくられた日の暴力」によって殺され冒?された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶとして、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な具体的展望を示された。
 それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。今日驚くことは、もし東日本大震災なみの地震が、現在国立感染研究所が立地している新宿区戸山の土地に影響を与える地震規模だった場合に、福島原発事故に匹敵するほどの実験用微生物細菌類は、実験施設の枠組みから飛び出し漏れ出して、周囲の住宅街や施設、学園等をはじめ恐るべきバイオハザード(微生物被害)によるバイオサイド(生化学細菌等による人類自然への壊滅的破壊被害)をひきおこしたであろう。
 芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。 その先駆的予見は実に見事な展望と闘争であった。
 道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
 しかし、ノーモア・ヒバクシャとノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田さんの死後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコンサート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
 毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
 ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
 毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコンサートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志を継承するたいせつな集いともなっている。
 今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。
◆  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆
 6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を用意して立ち見客に提供するほどの満員の盛況だった。私は毎年見てきたが、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと記憶している。
 若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっているように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿も拝見した。
 例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」というタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談をなされた。もともとの講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士となり、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子になった。
 さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活躍が目立った。またほかの音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグループの合唱も心地よかった。
 充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言をお願いして会場をあとにした。

 むすびにかえて

 東日本大震災を経て、日本政府菅直人民主党連立政権がいかに危機的事態に無力であるかを露呈した。芝田ご夫妻の取り組みは、大地震と国立感染症研究所との大規模な危険性を改めて照らし出した。さらに、福島原発は、福島県内どころか東京都周辺からの汚泥からの高い放射能物質の数値の結果や東京都から以南の遠く静岡県の農作物に及ぶまで、まさに日本全国的規模の「ヒバクシャ」としての日本国民・居住民族・外国人への被害を浮き彫りにした。核兵器廃絶をよびかけ、生物細菌実験施設の住宅街における高度の危険性をよびかけた芝田進午氏の先見の明と、芝田氏を支え続けて今も継承している貞子夫人の意義深い継承の実践は、今日誠に輝かしい意義ある光を放ってやまない。 (続く2017/05/02)

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第18回 平和のためのコンサート ~芝田進午 十七回忌によせて~(1)

2017-05-02 19:25:38 | 政治・文化・社会評論
第18回 平和のためのコンサート 〜芝田進午 十七回忌によせて〜(1)
            
                  櫻井 智志
(承前)
----------構成----------------------
 (序)
◎(1)第18回平和のためのコンサートの概要
 (2)平和のためのコンサートの通史
 (3)芝田進午氏がもしも現在生きていらっしゃったら
 (まとめ)


(1)第18回平和のためのコンサートの概要
 (この(1)は、「平和のためのコンサート」パンフレットに沿ってお伝えします。)





“平和のためのコンサート”開催によせて

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 第18回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。

 世界中で不寛容の嵐が吹いています。アメリカでは分断を煽るトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも排外主義を掲げる政党が勢力を伸ばしています。日本では、戦争法を作り、共謀罪の制定を目指し、憲法改悪を狙う安倍内閣が長期政権を築いています。日々、暗いニュースに接していると、落ち込むばかりですが、私たちに出来ること、やらなければならないことも多くあるので、落ち込んでばかりではいられません。

 今年の平和のためのコンサートは「芝田進午十七回忌によせて」とさせていただきました。厳しい局面でも、常に笑顔を絶やさず、真っ直ぐ前を見つめておられた芝田進午先生が生きておられたら、平和を諦めてはいけないと、優しく励ましてくださったことでしょう。

 第一部では、元広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんに講演をお願いしました。「核−禁止と平和への道−」と題してお話いただきます。

 ぜひ、周りの方々、とりわけ若い人たちにも声をかけていただき、平和のためのコンサートに足を運んでいただきますよう、お願い申し上げます。
              2017年(核時代72年)
              平和のためのコンサート実行委員会
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2017年6月10日(土) 午後1:30開演(午後1:00開場)
料金 ¥2,200(全席自由)

会場:牛込箪笥(うしごめ たんす)区民ホール
都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口 徒歩0分
東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口 徒歩0分

主催  平和のためのコンサート実行委員会
後援  アンサンブル・ローゼ  ノーモア・ヒロシマ・コンサート
    ストップ・ザ・バイオハザード国立感染症研究所の安全性を考える会
    バイオハザード予防市民センター
お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田
 
①第18回平和のためのコンサート〜芝田進午 十七回忌によせて〜

第一部 講演 スティーブン・リーパー(Steven Leeper)
       「核禁止と平和への道」
スティーブン・リーパーさん(Steven Leeper)のこと:
 1947年米国生まれ。
 翻訳家、平和運動家を経て2002年平和市長会議米国代表。  
 2003年(公財)広島平和文化センター専門委員、2007年米国人として初 めて同センター理事長に就任(〜2013年)。
 全米における原爆展開催、核兵器廃絶を目指す「2020ビジョンキャンペーン」など広島から世界に向けて核兵器廃絶を訴えてきた。
 現在広島県に「平和文化村」を開設。「豊かさを問う交流の場」として持続可能な平和を実践するモデルを国際社会に示そうと活動中。
 広島女学院大学、長崎大学客員教授。
       
第二部 コンサート
【重唱】   アンサンブル・ローゼ(ピアノ:末廣和史)
        〜イギリス地方のメロディ〜
       ♪スコットランドの釣鐘草  スコットランド民謡
       ♪埴生の宿         H.ビショップ作曲
       ♪ロンドン橋        イギリス童謡
       ♪春の日の花と輝く     アイルランド民謡
       ソプラノ:池田孝子 斎藤みどり 高橋順子 渡辺裕子
       メゾ・ソプラノ  :芝田貞子 高邦子
       アルト      :嶋田美佐子
【マリンバ独奏】水野与旨久(ピアノ:水野喜子)
       ♪チャルダス
       ♪ただ憧れを知るものぞ
       「ラテン名曲」より
       ♪マリア・エレナ  ♪エル・クンパンチェロ
【テノール独唱】狭間 壮(ピアノ:はざま ゆか)
       ♪無縁坂   ♪リリー・マルレーン
       ♪一本の鉛筆 ♪死んだ男の残したものは  他
【会場の皆様とご一緒に〜シング・アウト】
       ♪「青い空は」小森香子 作詞/大西 進 作曲
司会     長岡 幸子

-----------《続く》-----------------------------------------
写真:牛込箪笥区民ホールコンサート会場アクセス略図

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