【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

日本人が「イスラム国」の人質となった事件について

2015-01-21 16:57:07 | さざ波通信投稿原稿所収
日本人が「イスラム国」の人質となった事件について
櫻井智志

 私は腰痛でパソコンをひらけずにいたきのう一日、考えていた。きょうパソコンをひらき二つの情報が印象的だった。
1山下芳生氏ツイッター
2日刊ゲンダイweb「日本人拘束 安倍首相のバラマキ中東歴訪が招いた最悪事態」

1【山下芳生氏ツイッター】
山下芳生 (写真右)
@jcpyamashita

「イスラム国」を名乗る集団が日本人2人を人質に2億ドルの身代金を要求したと報じられている件について、メディアから問われて次のようにコメントしました。「テロ集団による卑劣な行為は絶対に許されない。政府として、情報の収集、事件解決のためのあらゆる努力をおこなうことを求める」

【感想】日本政府の姿勢としてどう対応すべきか明快な姿勢を貫くことを求めている。しかし、次の日刊ゲンダイの記事はもう少し掘り下げて考えていて大いに参考となった。

2【日刊ゲンダイ政治・社会面フォロワーズ】

日本人拘束 安倍首相のバラマキ中東歴訪が招いた最悪事態

2015年1月21日

 衝撃的な事態だ。日本人2人が「イスラム国」に人質として捕まり、72時間以内の殺害を予告された。
 イラクとシリアの北部一帯を支配し、残虐の限りを尽くしているイスラム国は、これまで人質に取った白人を容赦なく殺しているだけに、殺害予告は脅しじゃない。
 人質は湯川遥菜さん(42)と、フリージャーナリストの後藤健二さん(47)とみられている。イスラム国はビデオ声明で、72時間以内に2人の身代金2億ドル(約235億円)を払うように要求している。

 イスラム国が20日に流したビデオ声明は、「日本政府と国民へのメッセージ」というタイトルで、1分40秒ほどのもの。〈日本の首相へ。日本はイスラム国から8500キロも離れていながら、自発的に十字軍に参加した〉〈日本国民に告ぐ。おまえたちの政府は、イスラム国と戦うのに2億ドル支払うという愚かな決定をした。日本人の命を救うのに2億ドル支払うという賢明な判断をするよう政府に迫る時間が72時間ある〉とナイフ片手に英語で凄んでいる。
 ビデオ声明でも分かるように、今回の人質事件、安倍首相の「中東外交」が引き金になったのは明らかだ。
 16日から中東4カ国を訪問している安倍首相は、17日にカイロで行った演説で、「イスラム国の脅威を食い止めるために2億ドルを支援する」とブチ上げた。この演説がイスラム国の怒りに火をつけたのは間違いない。湯川さんは昨年8月、後藤さんは昨年10月にイスラム国に拘束された可能性が高いが、これまで殺害を予告されることはなかった。

元レバノン大使の天木直人氏がこう言う。
「イスラム国が、安倍首相の中東訪問のタイミングを狙っていたのは間違いないでしょう。しかも、首相は、イスラム国と戦うために2億ドルを支援すると表明した。彼らにとっては、飛んで火に入る夏の虫です。イスラム国は、ネットを駆使して世界中の情報を手にしている。恐らく、安倍首相が何を語るか、じっくり観察していたはず。深刻なのは、彼らは、日本の中東政策を問題にしていることです。日本は文字通り、イスラム国との戦争に巻き込まれてしまった」

 安倍首相は真っ青な顔をして「2億ドルは避難民への支援だ」と釈明していたが、もはや「イスラム国」に言い訳は通用しない。

■カネをバラまいただけの中東歴訪

 そもそも、安倍首相は、このタイミングで中東4カ国を訪問する必要があったのか。
 ちょっと考えれば、いま中東にノコノコと出掛けて、「イスラム国がもたらす脅威を食い止める」と2億ドルのカネを出すと表明すれば、イスラム国を刺激することは容易に想像がついたはずだ。

「地球儀を俯瞰する外交」を掲げる安倍首相は、これまで50カ国以上を訪問し、毎月、外遊すると心に決めているらしいが、中東に行く緊急性はまったくなかったはずである。

 実際、16日から20日まで駆け足でエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナを訪ねているが、中身のある外交はゼロだった。エジプトに430億円、ヨルダンに147億円……と、ひたすらカネを配っていただけだ。総額2900億円である。浮かれてカネをバラまき、その結果、人質事件を引き起こしているのだから、どうしようもない。

「安倍首相は中東歴訪を中止すべきでした。いま、中東諸国は“イスラム国”を相手に必死の戦いをしている。フランスではシャルリー紙に対してテロが起きたばかりです。各国の首脳は正直、安倍首相をゆっくりもてなす状況ではなかったと思う。そもそも、安倍首相は、どこまで中東外交を理解しているのか。今回、ゼネコン、銀行、商社など46社の首脳をズラズラと引き連れていったのが象徴です。トップセールスといえば聞こえはいいが、結局、安倍外交はカネ、カネ、カネ。日本人2人の人質事件は、カネにものをいわせる安倍外交の虚を突かれた格好です」(天木直人氏=前出)

 中東4カ国歴訪は、安倍首相が「どこでもいいから外遊に行きたい」と外務省をせっついて組んだ日程なのだろうが、人質事件を引き起こした責任をどう取るつもりなのか。

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【私見】
 政府の対応としては山下芳生氏の対応がふさわしいと思う。しかし、なぜこのような事態が生まれたのか、天木直人氏が発言されていることには、深い洞察が感じられる。
 安倍総理は、むやみに海外にカネをばらまく遊説外交を見直すべきだ。日本国民が福島原発下の県民をはじめ、すさまじい窮状に
おかれていることを考えると、ばらまく金をまず日本国内の内政に、しかも日本国行政から切り捨てられようとしている人々に手厚い行政に使うべきだ。

 そうとう国内で弾圧を強いられている国民ばかりか、海外のひとびとも戦後70年、憲法九条のもとに戦争と武器使用に歯止めをかけて平和をめざしてきたことに敬意を払ってきた。それが安倍総理の政治姿勢でがらがらと崩壊しつつあることが、今回の事件の背景にある。

 今後具体策として、総理がもう少し見通しと洞察をもって外交にも取り組むべきだ。事件には情報を集め慎重な見通しで対応を進めていくべきだ。福田赳夫総理の時にダッカ事件が起きた。ハイジャック犯人は刑務所に入れられているメンバーの釈放を要求した。福田総理は、「超法規的措置」として犯人に収容されていたメンバーを渡した。
 いまでも「超法規的措置」への批判は強くある。しかし、具体的に発生した問題に対応した福田赳夫政権の対応は、足元をささえる腰がすわっていた。言うことがコロコロ変わるような総理には、統治能力があるかどうか疑わしい。下手な対応をすると、安倍総理は首相の座を失うことさえある。首相と自公政権の真価が問われている。さらに安易に「イスラム国」に参加したいとか取材したいとか、物見遊山のような日本国民の国際感覚のうすっぺらさも嘆かわしい。

日本共産党が反安倍自公政権勢力のより強固な牽引車となるために 2014/5/17 櫻井智志

2015-01-18 21:00:27 | さざ波通信投稿原稿所収
日本共産党が反安倍自公政権勢力のより強固な牽引車となるために

2014/5/17 櫻井智志

 日本共産党は、「軍国主義復活めざす“安倍暴走”と対決 開拓者の精神で強大な党を」と党幹部会が躍進月間を呼びかけた。

 そのよびかけは、以下のとおりである。

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 日本共産党は15日午前、党本部で幹部会を開き、同日から7月31日までを期限として「党創立92周年・いっせい地方選挙勝利をめざす躍進月間」をよびかける決議を全会一致で採択しました。午後には、「躍進月間」成功に向け都道府県委員長会議を開き、志位和夫委員長が幹部会を代表して決議の内容を報告しました。

 決議は、安倍政権の暴走の一歩一歩が矛盾を大きく広げ、とくに解釈改憲で集団的自衛権の行使容認をたくらむなど、「海外で戦争する国」づくりへの暴走は、「あからさまな軍国主義復活への暴走」にほかならず、保守の人々も含めた国民との矛盾、世界との矛盾を激化させていると指摘。この暴走と正面から対決して奮闘する決意を表明しています。

 政党状況をみると、かつての日本軍国主義による侵略戦争が、日本共産党以外のすべての政党が「大政翼賛会」に合流して進められたように、国会の「翼賛化」ともいうべき事態が深刻になり、「自共対決」の政党地図が鮮明になっています。このなか、多くの国民が安倍政権の暴走に危機感、不安感を募らせ、そうした気持ちを託せる政党を模索していますが、これにこたえられるのは日本共産党をおいてほかにありません。決議は、情勢は党の躍進を強く求めているとし、今こそ開拓者精神を発揮し、国民の中に広く打ってでて、強く大きな党をつくろうとよびかけています。

 「躍進月間」の課題と目標は、(1)党大会決定の「3文献」の全党員読了をめざしつつ、少なくとも党費納入党員を超える党員の読了をやりとげる(2)すべての支部が、党大会決定にもとづき、「政策と計画」を具体化し、「車の両輪」の活動(国民運動と党建設の活動)に踏み出す(3)党員拡大を根幹にすえた党勢拡大を安定的前進の軌道にのせる―の3点です。

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 安倍政権が自民党現役幹部からさえも、そして国中から批判されるようないい加減な行政を強権的に進めている。それに自覚的に対して躍進をめざすことは、抵抗政党でもあり、国民的政党でもあり、労働者と勤労国民のための労働者政党である日本共産党にとって、当然の自覚的営為であると考える。

 党員の質量ともに実力をつけて、日本共産党が開拓者精神を発揮して「強く大きな党をつくる」ことには、異論どころか応援のエールを送りたい。私にとり気がかりなのは、日本共産党が今以上に、せめて1960~1980年代の国会議席や首長選挙の成果を獲得することは、現実的に政治変革の実効力を発揮するだろう。

 しかし、私は考える。日本共産党の実力が現在の勢力であっても、市民運動と連携して、大衆運動から尊敬を集め、「共産党がそう言うなら」と国内の政治団体や政党に影響力を与えるような視点は考えられないものだろうか。候補者ご本人は限界を超えた選挙運動に取り組んだ京都府と石川県の知事選挙を例にとろう。
 京都府も石川県も、相手候補は、自民公明民主などほぼ主要政党の連携だった。一方日本共産党が推薦する候補は、政党としては単独であった。この選挙で棄権者は、60%、70%台にも及ぶ。大雪の中の激戦となった東京都知事選は、46%の投票率だから、棄権者は54%前後である。日本共産党が強大になれば、投票率も増えるだろう。だが、なぜ多数の与党系政党VS日本共産党の構図の選挙で、多くの棄権者が多いのか。政策の協定もおろそかな政党の野合に、国民が幻滅感をもっている。
 私が強調したいのは、日本共産党の発言や政策が、多くの日本国民に届き、無党派民主主義の市民たちが、勝手連的に共産党を支持して、大きなうねりになぜならないのか。そこにある問題が解決されていかなければ、暴走する安倍政権の今後も続く無軌道な日本国憲法破壊政治にストップをかけるブレーキは結果として役には立たない。もしも簡潔に言うなら、それは「統一戦線をどうめざすか」という課題となろう。
 日本共産党第26回党大会決議において、明確にこう示されている。

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第3章 自民党政権の反動的暴走と対決し、新しい日本をめざす

(20)統一戦線の現状と展望について

 前大会以降の顕著な特徴は、この数年来、原発、TPP、消費税、憲法、米軍基地など、国政の根幹にかかわる問題で、一致点にもとづく共同――「一点共闘」が大きな広がりをもって発展していることにある。広大な無党派の人々、従来の保守といわれてきた人々との共同が各分野で大きく広がっている。文化人、知識人、宗教者が新たに共同に参加する動きも広がっている。これは未来ある画期的な動きである。

 この動きを発展させ、日本を変える統一戦線をつくりあげていくうえで、次の諸点に留意して奮闘する。

 ――わが党は、どの分野でも、一致点を大切にして「一点共闘」の発展のために誠実に力をつくすとともに、必要なときには縁の下の力持ちとして粘り強い努力を重ねてきた。この姿勢を今後も堅持することが何よりも大切である。

 ――同時に、どんな問題でも、根本的打開をはかろうとすれば、綱領が示した国政の民主的改革が必要になることを、太く明らかにする独自の活動に取り組むことが大切になってくる。この点で、革新懇運動が、草の根から国民の要求にもとづく多彩な共同の取り組みをすすめるとともに、自民党政治を根本から変える「三つの共同目標」(①日本の経済を国民本位に転換し、暮らしが豊かになる日本をめざす、②日本国憲法を生かし、自由と人権、民主主義が発展する日本をめざす、③日米安保条約をなくし、非核・非同盟・中立の平和な日本をめざす)を掲げて国民多数の合意をつくるために奮闘していることはきわめて重要であり、この運動が情勢にふさわしく大きく発展するよう力をそそぐ。革新懇 運動を支える自覚的な民主勢力が、広大な国民と結びつき、その活動と組織を前進させることが、強く期待される。

 ――統一戦線をつくるうえで、労働運動が果たすべき役割はきわめて大きい。この点で、連合指導部の特定政党支持路線と労資協調主義路線という二つの重大な問題点が、深刻な矛盾にぶつかり、変化が起こっていることは注目すべきである。消費税増税、原発推進、公務員賃金削減など悪政を推進した民主党に対する労働者の怒りが広がり、連合系労組で特定政党支持の締め付けがきかなくなりつつあり、民主党一党支持を正面から掲げられなくなった有力単産も生まれた。職場からナショナルセンターの違いを超えて要求にもとづく共同を強め、特定政党支持を打ち破り、労資協調主義を克服するたたかいをすすめる。労働組合への組織率が、労働者全体の18%まで落ち込んだ事態を重視し、党と階級 的・民主的労働運動が協力して、広大な未組織労働者の組織化に取り組む。労働者の要求にもとづく共同行動を発展させるうえで、全労連の果たす役割はいよいよ大きくなっており、その発展が強く期待される。

 ――日本共産党は、単独政権でなく、民主連合政府という連合政権をめざしている。その場合の連合の相手はどこから出てくるか。革新懇型の共同――日本共産党と無党派の人々との共同が、いよいよ本流になってくるだろう。同時に、いま「一点共闘」をともにたたかっている人々のなかからも連合の相手が生まれてくるだろう。

 そして、そうした動きともあいまって、政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくると、私たちは確信するものである。そのさい、私たちの連合の対象となる相手が、従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうることである。日本共産党は、社会主義・共産主義の日本を展望する党だが、当面する変革の課題は、資本主義の枠内で「二つの異常」を正し、「国民が主人公」の日本への変革をはかることにあると考えている。将来的な展望の違いがあっても、「二つの異常」を正すという当面する課題での一致がえられるならば、統一戦線をともにつくりあげることは可能であり、共同のために努力する。

 日本共産党が、あらゆる分野で国民と深く結びつき、強大な組織力をもって発展することは、新しい政治への国民的共同と統一戦線を発展させるための決定的な条件となる。そこにこそ新しい日本への扉を開く保障があることを銘記して奮闘しよう。

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 以上の叙述は、私には極めて共感を覚えるし、「一点共闘」、「縁の下の力持ちとしての粘り強い努力」、「無党派の人々との共同」、「従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流との連合であることもありうる」などの指摘に、賛意を表する。
 問題はこのような統一戦線の展望の中にあるわけではない。これほど明確な統一戦線の展望をもっている日本共産党が、なぜ支配体制と闘う国民各階層から共闘の支持を得ることがやや弱いのかということにある。
 日本の反動的政治風土は、日本的反共主義を根深くもっていることは、間違いあるまい。日本的反共風土とそれを悪用した反共デマゴギーは、解決すべきひとつの大きな課題である。しかし、日本共産党はどのようにすれば根深い日本的風土に根ざして反共風土を克服して、国民的な統一と協同の事業を成就しうるか。

 最初に紹介した「軍国主義復活を阻止する強大な共産党建設」は、「あらゆる分野で国民と深く結びつき、新しい政治への国民的共同と統一戦線を発展させること」と相俟ってこそ、ともに実現しうるのだと考える。このような2つの大きな戦略的課題をどのようにして両輪として機能させていくか。
 唯一の国民的規模の抵抗政党である日本共産党が、自らの政策を実現する上で、そのことは運動の過程において絶えず振り返りを求められていよう。そのような政治的運動こそ、日本共産党が国民から道義的政治道徳的にも尊敬を得る要点ではあるまいか。(2014年5月17日未明)

予研=感染研裁判闘争と「人類生存の思想」 2013/12/28 櫻井智志

2015-01-18 20:37:18 | さざ波通信投稿原稿所収
予研=感染研裁判闘争と「人類生存の思想」

2013/12/28 櫻井智志

はじめに
 週刊新潮一九九六年十月三日号は、特集として『人体実験七三一部隊幹部が設立した「ミドリ十字」の黒い歴史』を伝えている。「葦牙」第二三号で、宮地健一氏が森村誠一氏と下里正樹氏との共同研究と、しんぶん赤旗紙上での連載中止の問題を詳説されている。そこで、七三一部隊についての労作『悪魔の飽食』シリーズについても紹介されている。森村誠一という小説家とすぐれたジャーナリト下里正樹氏とがいなかったなら、あれほど七三一部隊の反人間的な実態が広く国民に知らされることもなかったろう。
 週刊新潮の誌上で、匿名の記者は、「元社長、前社長、現社長の三人が逮捕された製薬会社ミドリ十字を設立したのは、人体実験で有名な七三一部隊の元幹部たちだったし、同社の役員が帝銀事件の容疑者だったこともあり、黒い歴史が連綿と続いた会社なのだ」と批判している。十年以上も、ともすれば体制側の御用記事や反体制勢力を揶揄する記事の多い同誌であるが、宮本顕治氏の「網走の覚書」の初出は一九七〇年代の週刊新潮であった。四ページにわたるその記事では、ミドリ十字は昭和二五年に、内藤良一氏、二木秀雄氏、宮本光一氏が興した「日本ブラッド・バンク」が社名を後に変更したものである。内藤良一氏は、京都帝大医学部と陸軍軍医学校卒で、表向きの経歴はアメリカやドイツに留 学した軍医学校教官だが、実際は日本の細菌戦争研究の第一人者石井四郎軍医中将に見出され、軍医中佐として七三一部隊を切り回した人物であった。当時の内藤氏の本拠は、石井中将が作った早稲田の陸軍軍医学校内の防疫研究室で、彼がそこの事実上の指揮官だった。石井中将は満州のハルピンの関東軍防疫給水部(七三一部隊の正式名称)で、捕虜を使った人体実験を行い続けた。同時に支那派遣軍や南方派遣軍にも防疫給水部を作って細菌戦争の準備を進めた。そのアジアにまたがる防疫給水本部が早稲田の防疫研究室で、内藤氏はその秘密の本部組織の運営者を任されていた。

1  なぜ芝田進午氏は予研=感染研と闘ったのか
 芝田進午は、国立予防衛生研究所の移転強行と闘った。略称・予研は、名前を改めて国立感染症研究所(略称・感染研)となってからは。「予研=感染研」の危険なままの実験強行を差し止めする運動を展開し、裁判闘争として闘った。「予研=感染研裁判」とは以上のような経緯がある。予研は、住宅地で人口密集地、近くに早稲田大学などの文教施設もある東京都新宿区戸山に移転を強行した。当初芝田氏らは、住宅地に高度の実験施設をつくることに環境権の侵害として反対していた。書名を集め、意思を明確にし反対闘争を積み重ねてきた。機動隊を導入して、移転を強行する予研=感染研にしだいになぜそれほどまでに住民の意向を無視するのかを調べた芝田氏らの反対運動は、立地・実験差し止め 訴訟の裁判をおこし、裁判闘争を柱に長期的な闘争を続けていった。地元の住民をはじめ、早稲田大学教職員組合や大学当局、多くの知識人、労働組合、住民団体などが支援を続けている。この予研=感染研裁判原告の会の代表として、一貫して反対運動の中心に立ってきたのが、法政大学、広島大学の教授を歴任した哲学者であり、社会学者である芝田進午氏である。この運動を芝田氏とともに担った武藤徹氏(数学者、芝田氏亡き後は裁判の会会長を引き継がれた)は、『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(国立感染症研究所の安全性を考える会編著 緑風出版二〇一〇年初版)の中で「芝田進午という人」という小見出しで以下のように芝田氏の運動家としての様子を綴っている。

 予研=感染研裁判は、芝田進午なくしては考えられません。その厚い人脈が、この裁判を支えてきたからです。/予研=感染研裁判に関して言えば、「支援する会」で裁判を支え続けた浦田賢治は、芝田とともに東京唯物論研究会の再建に奔走した間柄であり、日本共産党副委員長として一貫してこの裁判にかかわってきた上田耕一郎もその一人です。/
予研の主任研究官でありながら、予研の危険性を歯に衣着せずに語った新井秀雄も、芝田の謙虚で穏和な人柄にうたれたといっています。戦う哲学者と、温顔とをつなぐものは何でしょうか。その秘密は、実は福沢諭吉の『学問のすすめ』にありました。福沢は、その中で「顔色容貌を快くして、一見、直ちに人に厭わるること無きを要す。・・・」と書いています。「以来、つとめて笑顔をたもち、ジョークを交えながら論争するようにしている。笑顔をたもつだけで、心に余裕がうまれ、頭の回転が速くなる」と芝田は書いています(『人生と思想』*櫻井注―芝田進午著青木書店一九八九年)。/残念ながら、芝田は、胆管がんのため、二〇〇一年三月一四日、地裁の判決を前に亡くなりました。奇しくも 、マルクスの命日でした。

 なぜ芝田氏は、予研=感染研と闘ったのか。大きく二つに分けて言えよう。
戦後四大公害病と呼ばれた水俣病事件、富山カドミウム汚染によるイタイイタイ病事件,新潟水俣病事件。さらに四日市公害事件(四日市喘息)など。これらの公害病に関わる裁判では、すでに健康破壊等の被害が発生した後に被害者と遺族が加害企業・政府の責任と金銭的賠償を要求する訴訟となった。芝田氏は、予防は治療と賠償にまさるものと考え、公害裁判で肝要なことは「予防の法理」であり、それこそが公害裁判の本来の在り方にほかならないと力説する。ところが、予研=感染研当局の立場は、被害が判明すれば賠償するという「賠償の法理」であった。さらにこれまでの公害裁判は、「化学災害」(ケミカル ハザード)であったが、一九七〇年代から人類は「バイオ時代」に突入し、「生物災害」(バイオハザード)の危険が警告されるようになってきた。
 生物災害を引き起こす病原体・遺伝子組み換え実験施設では組み替え微生物・生物産出毒素・DNA・寄生虫・有害昆虫などを保管・培養・実験しているので、バイオ施設が生物災害の源泉になる危険性が高い。バイオテクノロジーによって、未知の病原微生物が出現する可能性があり、その被害の範囲は、地域にとどまらず、全国民、全人類に拡大する危険がある。病原体と生物災害の間の因果性を論証することは、化学物質と化学災害 間の因果性に比べてはるかに困難である。それゆえ、生物災害に人類ができることは「予防の原則」を徹底させることである。
 感染研が強制移転した新宿区戸山は、感染研の周囲は住宅や学園、公共施設ばかりである。諸外国では、このような実験施設は周囲がきわめて人家とは離れた距離や空間を設定して建設・設置されている。まさに住民にとって、毎日が危険にさらされ続けている状態である。しかも感染研の周囲の住民のがん罹患率は高いことも立証されている。このような環境上重大な問題をはらむ予研=感染研に芝田氏らが裁判闘争にたちあがったのは理にかなっていると言えよう。

 もうひとつ重大な問題があきらかになった。
反対闘争を通じて、予研=感染研の体質そのものに七三一部隊との関連があることが徐々に明らかになっていった。七三一部隊の生き残り幹部が、歴代の予研の管理職を務めていた。敗戦は、日本の天皇制そのものの護持と引き替えに重要な国家主権に属する事柄をアメリカ占領軍GHQに引き渡した。そのひとつは、石井七三一部隊の生体実験に基づく化学兵器の重要機密と石井部隊そのものの存在の隠蔽である。また、広島や長崎に落とされた核兵器による被曝者をなんら治療行為を施さずに観察分類の対象としてモルモット扱いしたアメリカ軍ABCCの実態調査も、被曝治療のためではなく、落下した核兵器の成果を効果的に核戦略に利用するために使われた。ABCCの日本側組織が、予研であったの だ。予研=感染研反対運動によって、戦前の軍事機密が、アメリカ軍の庇護のもとに歴史の水面下で維持され続け、ついに日本帝国主義的復活の現段階において、暴露された。

2  バイオハザードとの闘争
 先に紹介した武藤徹氏は、芝田氏が予研=感染研裁判闘争に関わって、『生命を守る方法』(晩聲社一九八八年)『論争生物災害を防ぐ方法』(晩聲社一九八九年)『バイオ裁判』(晩聲社一九九三年)『バイオハザード裁判』(緑風出版二〇〇一年)を精力的に執筆したことを紹介されている。武藤氏によれば、総ページ数は一六四五ページにのぼる。芝田氏がご逝去されてからも、一緒に裁判闘争を闘った方々は、東京高裁、最高裁と上告し長期にわたる裁判闘争を闘い続けた。さらに芝田氏亡き後も先ほど紹介させていただいた『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(緑風出版二〇一〇年全三〇五ページ)を刊行されている。執筆者のお名前を掲載させていただくと、鈴木武仁 、伊東一郎、武藤徹、島田修一、川本幸立、新井秀雄、本田孝義、長島功、本庄重男の九名の皆様方である。

 芝田氏は、予研=感染研との闘争によって、「戦後のわが国では、安全性の科学そのものが確立されてこなかった」ことを痛感したと述べている。このことは、芝田氏が亡くなられてかなり経つ二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災とそれに伴って発生した福島第一原発事故をめぐる菅・野田民主党政権、安倍自公政権の対応。原発に関わる専門機関などの対応しきれていない対応ぶりを見ていると、芝田氏の「安全性の科学」の問題は、高木仁三郎氏や武谷三男氏ら科学者が戦後訴えてきたのにもかかわらず、政府や専門機関によって充分に取り組まれてこなかったことの問題性を浮き彫りにしている。芝田氏は、武谷三男氏の『安全性の考え方』(岩波新書)を推奨している。執筆に先立つ三十年ほ ど前に当時の公害反対闘争の教訓を踏まえて書かれたもので、その内容は高く評価されると芝田氏は述べている。

 芝田氏は、新しい病原菌が相次いで出ていることに危機感を覚えていた。戦前の指定伝染病だった猩紅熱が、抗生物質が効くので対応がゆるやかになっていた。ところが最近劇症の溶血連鎖球菌というバクテリアに変質したものが出てきている。「溶連菌感染症」という疾病が子どもたちに広がり、ひどい場合は死亡にいたるケースもある。大腸菌のO―157菌という新たな細菌が出現している。B型肝炎も普通のものと遺伝子が一つだけ違う劇症のものが出現している。病院内感染症をひきおこすMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)も全国どこの病院でも大問題となっている。こういう病原体がなぜ出てくるのか。抗生物質によるもの、変異を起こさせる物質によるもの、遺伝子組み換えによるも の、原因はいくつか考えられるが、よくわかっていない。
 芝田氏は、生物災害を研究すると同時に予研そのものを研究してきた。予研は七三一部隊に協力していた医学者を多数集めて、しかも米軍の命令でできたものであり、その隠れた目的は、ABCCへの協力のほかに、もうひとつ米軍監視下で七三一部隊の研究を継続することであった。芝田氏らは文献的にも予研の初期の年報からチェックし続けた。相模原にあった米軍四〇六部隊がアメリカのフォートデトリックにある生物兵器の研究センターの支部でアジアにおける出張部隊と考えられている。その指揮監督のために一九六〇年代の中頃までやってきたことも明らかにされている。
 そのような体質の医学者が多数集められたことによって、日本の戦後の予防接種行政、予防衛生行政は非常に歪められたものとなった。
 芝田進午氏の研究は、芝田氏ひとりにとどまらない。裁判闘争における予研=感染研裁判原告の会、予研=感染研裁判弁護団、予研=感染研裁判を支援する会が裁判闘争に取り組んできたし、バイオハザード予防市民センター、国立感染症研究所の安全性を考える会など時期的に名称が重複するものもあるが、これらの団体は日本の生物災害の解明に向けて、長期にわたって継続的系統的実践的に、バイエハザードとの闘争に貢献されてきた。

3 人類生存のための哲学
 芝田進午氏の最後の遺著『実践的唯物論への道  人類生存の哲学を求めて』(青木書店二〇〇一年)は、三階徹氏・平川俊彦氏・平田哲男氏の三人の知識人が、芝田先生と対話をかわし、それを書き留めながらまとめた貴重な遺作である。その最終章の最終節は、『21 「人類生存のための哲学」の提唱』と名付けられている。芝田進午氏が構想していた領域を私の主観で歪めないために、小見出しを列挙させていただく。小見出しごとに若干のコメントをつけることとした。ナンバリングは私が便宜的に付けた。行数明示はどこに重点が置かれているかの参考になればと思ってのことである。

・① 百科全書の思想  七十五行
 芝田にとって、戦前の唯物論研究会を組織した戸坂潤は、尊敬する先達であった。戦前の『唯物論全書』の復刻版三〇巻を編集して出し、各巻の解題を集め、『唯物論全書と現代』を芝田、鈴木正、祖父江昭二の共編で出し、自らは序論に「百科全書思想の人類史的意義」を書いた。ソ連が解体する以前の一九九〇年だった。芝田は、ソ連型唯物論には、自然論、自然史の思想、実践的唯物論、労働論、疎外論、そして人間論・人格論・個人論、大工業論、科学革命論、技術革命論、民主主義論、人権論、先進国革命論、世界革命論等々の豊富な遺産が無視されてきたという。さらに、マルクスの出版の自由論や民族自決論に反する理論と実際をソ連がおこなってきたともいう。ただし、芝田はソ連をすべて否 定はしていない。ソ連の歴史的形成と存在は世界の、とくに発展途上国の変革に影響を及ぼしたかポジィテイブな面を評価すべきとしつつ、問題点を冷静に把握する必要を述べている。芝田は戸坂の「唯物論研究」「唯物論全書」「三笠全書」などの百科全書の思想的展開に感銘する。モレリ、ベール、ベーコン、ロック、ライプニッツ、ディドロ、ダランベール、ヘーゲル、サン=シモン、マルクス、エンゲルスに連なる系譜は、人類はキリスト教のために細分状態に陥れられるが、十八世紀は人類を細分と個別から抜け出させて総合し集中した世紀である。十八世紀は百科全書の時代である。エンゲルスのこの言葉を芝田は的確に把握した。戸坂潤は第一に自然史的な世界観、第二に実践的唯物論、第三に諸科学 がひとつの科学として位置づけている。芝田は戸坂の貢献を意義づけ、核時代、バイオの時代、環境危機の時代にはますます百科全書の思想でなければ、人類の生存はかちとれない、こう芝田はむすぶ。
「今日、論壇・学界ではマルクス主義は出番が少ないけれども、あらためて自信をもって大いに普及してゆく必要があるのではないかと思っています。その意味で戸坂のこの仕事を継承してゆく必要があります」。
・② 自身の「人間性と人格の形成」 五十九行
・③ 研究組織での経験について 三十三行
・④ 唯物論研究の現状と課題 六十四行
・⑤ 学会組織とのかかわり 十九行
・⑥ 闘争が趣味 八行
・⑦ 海外での出版 十二行
・⑧ 時代認識の転換 百五十五行

 芝田にとって、時代認識の転換を迫られたことは、五度あった。
一度目  一九六七年にベトナムに行ってアメリカ帝国主義をはじめとする帝国主義がこんなにも残虐なものかと、身にしみて認識したこと。
二度目  一九七〇年から二年間、東ドイツに留学し、いわゆる社会主義陣営が西側に追いつき追い越すことは不可能だと認識したこと。
三度目  芝田氏にとつて、重要な時代認識の変化は一九七七年に広島で開かれたNGOのヒロシマ・ナガサキの原爆の実相と後遺症のシンポジウムに出て、バーバラ・レイノルズさんに出会ったこと。彼女はHIBAKUSYA・ヒバクシャと表現し、国際的に通用させなければいけないと述べた。そこにいた別のNGOの中心的な人物の一人が「原爆投下のとき私は数百キロのところにいたが、私もHIBAKUSYAだ」と述べた。
四度目  一九八七年に重要な転機があった。バイオ・テクノロジーの問題、予研との闘争である。
五度目  一九八九年の東ドイツの崩壊、一九九一年のソ連の崩壊がどういう時代なのか、たしかに新しい時代になったということ。

 これらの五点を踏まえると、芝田は、帝国主義の残虐さに幻想をもっていない。さらに東ドイツなどの様子を見て、社会主義国の問題点をはっきりと認識していた。さらに核廃絶の問題において、社会主義か資本主義かではなく「核時代」という歴史認識において、社会主義も資本主義の国家ともに核廃絶の共同のテーブルにつく時代と認識していた。さらにバイオテクノロジーの問題は、新たな困難な課題を人類に突きつけており、事実の課題として人類は解決のための知恵を尽くさなければならないと主張している。また東欧やソ連の崩壊を事実として私たちの課題として引き受ける主体の決意をこめている。

結びに
 芝田進午における「予研=感染研」裁判闘争は、バイオハザードの闘争であった。同時に芝田にとって、何回かの時代認識の転換を認識する中で、自らの実践的唯物論哲学をさらに発展させる必要に迫られた。
 芝田は、「核時代」という歴史認識を最大の特質と考えていた。さらに「科学=技術革命」の一環としての「情報社会論」や予研=感染研と闘うバイオハザードの闘いについても、今までのソ連型哲学では解決し得ないことを見抜き、日本の戦前からの戸坂潤らの唯物論研究会の百科全書的思想や実践的唯物論哲学の発展を心がけてきた。
 芝田は実践的唯物論哲学も「核時代」認識も、実践のなかでより精緻なものとして実質的に深めていった。
 その過程で、社会主義か資本主義か、唯物論か観念論かという問題の立て方の不毛を新たな地平に発展せた。それが、「人類生存の哲学への希求」である。ベトナム戦争のアメリカによる北爆攻撃に抗議して焼身自死をとげたアリス=ハーズは敬虔なクェーカー教徒だった。核廃絶に取り組む闘いの中でも、感染研裁判でも新井秀雄さんのような敬虔なクリスチャンが国立感染症研究所の主任研究員という要職にありながら、自らに注ぐ不利益や処分に耐えて、人類のためにならないこととして毅然と告発した。唯物論者か観念論者かというふうな裁断ではなく、神を信ずるものもそうでないものも、核時代におけるバイオハザードに闘うためには、まさに<人類生存の思想>を最大の課題として、芝田は到達 していった。



急速に反動化を強める安倍自公政権にどう対応すべきか 2014/5/4 櫻井智志

2015-01-18 20:34:32 | さざ波通信投稿原稿所収
急速に反動化を強める安倍自公政権にどう対応すべきか

2014/5/4 櫻井智志

 憲法制定から半世紀以上たった。定着していた平和憲法が、安倍自公政権によって相次いで変質化させられようとしている。公明党は自民党の暴走を制止するかのような言動を表明し、それに期待をもったことも私にはあったが、とんでもない。すべての反動立法と選挙で、公明党が一度として自民党と対立した候補を立てたこともなければ、土壇場で制止したこともない。公明党・創価学会とは、平和や福祉の装いで国民の目くらまし効果を発揮する補完勢力でしかない。

 日刊ゲンダイは、このようなニュースを憲法記念日に伝えた。

===========================  細川護煕・小泉純一郎の元首相コンビが進める「社団法人・自然エネルギー推進会議」が、GW明けの7日に発足する。当日はフォーラムの形で細川と小泉が挨拶するほか、発起人に名を連ねる著名人のパネルディスカッションが予定されている。その後は全国で“脱原発”のタウンミーティングを企画しているというが、注目されるのは何と言っても「選挙」だ。「地方選挙や国政選挙で独自候補や野党などと連携した統一候補を立てて勝利し、それをきっかけに野党を再編して安倍自民に対抗する勢力をつくっていくのが最大の目標です」(細川周辺)
 まず手始めに取りかかるのが11月の福島県知事選。福島第1原発のお膝元だけに、原発政策を巡って全国注視の選挙となる。ここに推進会議として候補を擁立する計画で、すでに情報収集に入っているという。来年4月の統一地方選でも、知事や市町村長らの首長選挙で独自か統一候補の擁立を図るが、その勝利のウルトラCが小沢一郎生活の党代表との連携だ。
「細川さんは小沢ブレーンの平野貞夫元参議院議員とずっと連絡を取り合ってきた。推進会議ができたら、小沢さんと会って選挙の話をしようと日程を調整しています」(前出の細川周辺)
■情勢や人間関係もすべて把握
 生活の党は「原発ゼロ」だから連携は自然だが、なぜ小沢なのかには、別の理由があるらしい。
「前回の統一選の準備が始まった4年前は、小沢さんは民主党幹事長だったので、全国の首長選挙の細かな情勢や人間関係などをすべて把握しているのです。“小沢選挙”では、独自の世論調査などで選挙の膨大なデータを集めても、やたら公表するのではなく必要な人にだけ見せて<数字がこうだからもっと頑張れ>とやる。表に出していないから誰もそんなデータがあることすら知らないが、今もそのデータを手元に持っている。それで、細川・小泉コンビが選挙を制するため、小沢さんと連携したいということです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)
 小沢も最近会った「生活」の議員に、「今年中に必ず大きな動きがある。自分は何でもやる」と話したという。“一強”と浮かれている間に、安倍自民は地方から崩されることになる。
============================
 小泉改革の酷さと細川金権疑惑とから言うと、それほど期待はできない。しかし、安倍自公政権のあまりの超特急の暴走は、まだ小泉・細川のほうが・・・という気持ちになる。小澤一郎氏に私は民主党時代に期待していた。金権政治家と言われても、ダーティな鳩と佐高信氏が評価していたこともよく覚えている。
小澤氏が期待されながら、未来の党、生活の党とじり貧な選挙結果を見てきたせいか、次の選挙でも期待はしていない。それでも、安倍政権に比べれば、保守反動勢力の中で、日本維新の会やみんなの党、結いの党と比べると、これらの保守勢力は今までにその限界がためされ済みである。どうなるかは、日本共産党と市民運動勢力を最も期待しているけれど、福島県知事選、沖縄県知事選との関わりで、東京都知事選、京都府知事選で小泉・細川、小沢一郎諸氏の効果は薄かった。今回はどうか。反安倍勢力を分断する結果にしかならないというケースもある。政治力学はそうとう実態を見据えないと、あいまいな楽観はできない。

 東京都知事選で細川氏と闘った宇都宮健児氏は、都知事選後にも政治運動を続けている。宇都宮氏の護憲と平和を基調とする弁護士としての信念を堅持している。しかし、都知事選の結果は、安倍総理に大きく自信をつけさせ、それ以降の憲法の空洞化、武器や原発の輸出、国民の生活権の破壊政策など目に余る暴走政治は、世界中の懸念を増加させている。政治にもしもという仮定はあり得ないが、都知事選で細川氏が勝利しても桝添要一氏の都政とあまり変わらぬ結果であったかもしれないけれど、安倍総理に与えた打撃はそうとうなものであったろう。自民党町村派の先輩が小泉氏である。安倍総理は、マスコミに脱原発のアピールを一切封じ込もうとした。細川候補を徹底してつぶすために、マスコ ミを駆使した。新聞、週刊誌、テレビと安倍総理が怖れたのは、宇都宮都政の実現よりも、細川都知事実現を徹底して封じ込もうとした。そして細川氏は宇都宮氏にも下の順位だった。けれどもあれだけ牽制しつくしても、細川氏は宇都宮氏とほぼ同じ90万票台に達した。

 安倍政権の集団的自衛権の暴走を阻止する上で、小泉・細川、小沢三氏がなんらかの現実的な対策をもち、彼らが日本共産党など左翼政党や市民運動と提携する道はあるのか?ずばり言えばないだろう。両者とも提携など眼中にあるまい。よく共産党が統一一本化しないと非難されるが、細川氏らもそのような姿勢は皆無なのが実態である。

 このまま行くと、かりに小泉・細川・小沢三氏の提携で統一した候補を立てて、福島県知事選や沖縄県知事選を戦うことはあっても、市民運動、社共政党らとも提携しなければ、おそらく自公政権の押す候補に勝つことはできない。

 沖縄市長選挙では、保守系の無所属新人で前自民党県議の桑江朝千夫氏=自民、公明推薦、そうぞう、民主、維新支持=が革新・中道系の無所属新人で前副市長の島袋芳敬氏=社民、共産、社大、生活推薦=に2189票差を付けて当選した。鹿児島県知事選では、金子 万寿夫氏自民(公明推薦)が打越明司氏 無所属(民主、日本維新、結い、生活の党推薦)を破り当選した。日本共産党の三島照氏は、山本太郎氏が代表の新党ひとりひとりの有川美子氏にも当選ランクひとつ下の第四位であった。

 このような事実を見ると、小泉・細川・小沢の三氏が提携しても、自公候補、共産党候補と三極化して、結局は自公系候補が福島で勝つことがありうると予想される。深刻なのはじりじりと革新勢力を保守勢力が侵食し続けている沖縄県の知事選である。小泉・細川・小沢三氏が提携して候補者を出すなら、生活の党は、革新勢力にはつかない。自公、革新系、小泉・細川・小沢系候補の三極化でやはり自公政権候補の優位さが出てこよう。

 問題はこのような構図にならないで、選挙が活性化して安倍政権系候補に「ノー!!」と結果的にも示すことのできる選挙の構図である。
安倍政権勢力に対して有効な対応策を構築して闘う。そのためには、国民的な闘いのうねりが形成されなければ、実現は難しい。当面、安倍暴走政治に数々の護憲や反原発などの集会で、在野勢力はよく努力している。その願いを現実政治に生かすための海図をいかに描いていくのか。大きく問われている。

国民へ強制された「単眼」の認識様式 2014/6/7

2015-01-10 20:54:04 | さざ波通信投稿原稿所収
国民へ強制された「単眼」の認識様式

2014/6/7 櫻井智志

 安倍政権は、情けない一期目の惨状とは段違いの状態である。抵抗し国民的構想をもつ日本共産党や社会民主党、緑の党などの野党は、国会では少数派である。「ゆ」党のいわゆる野党は、強大な自民党の前で内部抗争や離散集合を繰り返し、国民的支持を得ている政党などない。
 安倍自公政権の横暴ぶりに国民は広く怒りや無力感を感じているが、その怒りや反発は届いていく回路が切断している。なぜこのような状態が生じているのか。私は、安倍自公政権が国民に対して、発生している政治的社会的惨状を、国民が事実を正しく認識することを阻む弊害を意図的計画的に招くような「仕掛け」を巧妙に設定しているという仮説をもっている。

 端的に言うと、国民は社会的認識を偏頗で歪んだステロタイプの社会認識しかもてないようにされている。そのような仕掛けは、安倍自公政権が主体であり、国民全体が仕掛けられた客体である。
 その仕掛けは、「柔らかい弾圧と巧妙な政策」によって形成されている。外国特派員が本国に知らせたニュースが、政府を経由して日本国内で流布しているニュースとは全く異なることがある。戦後に進歩派と目された朝日新聞や毎日新聞でさえ、報道されるニュースは、政府の公報と変わらないような性質のニュースが見受けられる。産経や日経、読売などの全国紙は、さらにひどい場合がある。各社の社説や論調は、とくにひどい。原発報道、TPP、集団的自衛権、憲法改定問題など社会の岐路を示すような展望が、国民の社会的認識を深めたり高めたりするよりも、一定の決まり切ったような政府見解の二番煎じ三番煎じとなっている。

 さらに安倍自公政権は、NHKのような公的要素を孕む報道機関に、誰もが知っている会長や経営委員の人事の安倍総理独特の独断専行強行をすすめてきた。安倍総理に選任されたNHKの会長や経営委員が、いかに社会的常識から逸脱して世間で問題となっても、国民の声は無視してそのまま知らぬ顔ですませている。  安倍政権は、沖縄県の良心的な報道を続けている琉球新報や沖縄タイムスの本社にいきなり報道が偏っているから是正すべきだという弾圧的介入をおこなった。まさに安倍自公政権とは、報道機関を籠絡と懐柔、弾圧と恐喝めいた対応で世論誘導を行い続けている。

 国民は、政府が言うことだから、と半分は懐疑をもっても、半分は信じ込もうとする。人間にとって、不安と失意に晒され続けていることは、ナチスの時代に『夜と霧』を執筆してドイツ・ナチズムのアウシュヴイッツ収容所的社会を告発した精神科医E・フランクルが描いた実態に明らかである。日本でも、戦時中に戦争を批判したり愚痴ったりすると、憲兵や特高はおろか「向こう三軒隣組」が監視機能を果たして「お上」に告げ口しあう卑劣な日本社会に落ちていった。そしてこれがただごとでないのは、現在の日本社会が、不安と失意にさらされている日本国民に、物事を「複眼」で多元的に判断する自立心と自主性とを奪いさり、上から単一的な「正解」の価値を注入されないとなにか落ち着か ず、社会的事象を単眼で見ることに落ち着きと安心感とを得るように変質してきたことである。

 そのような日本社会の変質は、容易に戦前型軍国主義管理社会に親和性をもつ。東京都知事選に自民党よりもさらに反動型の候補者が石原慎太郎氏の支援で、そうとうな都民の支持率を獲得した。東京都では、石原慎太郎都政の実現以来、都立高校の教職員が卒業式で「君が代」を歌い「日の丸」に敬礼しないで着席している教職員を相次いで弾圧し、処分を下していった。中には懲戒処分を受けた教職員さえいた。そのような管理社会を都立高校に現出させたのは、石原都知事に任命された東京都教育委員会の判断に基づくものであった。石原氏は戦前、戦時中の天皇制軍国主義をよしとするものなのか?つい最近、私は石原慎太郎に関する記事をインターネットで読み、驚いた。本評論の文脈で以下に 転載するしだいである。

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石原慎太郎、衝撃発言「皇室は日本の役に立たない」「皇居にお辞儀するのはバカ」

 「負けたのにヘラヘラ『楽しかった』はありえない」「メダルをかじるな」、そして「君が代は聴くのでなく直立不動で歌え」。
 2月23日に閉幕したソチ五輪に関連して、「明治天皇の玄孫」として話題の右派論客である慶應義塾大学講師・竹田恒泰氏が、日本選手に対して上記のコメントをTwitterに投稿して物議を醸したが、スポーツの国際大会では出場選手に対して、しばしば国家への忠誠を強要するようなプレッシャーがかけられることがある。
 中でも厳しいのは試合前や表彰式での「国歌斉唱」のチェックで、元サッカー日本代表の中田英寿氏のように「国歌を歌っていない」として右翼から街宣や抗議を受けたケースも少なくない。
 そんな中、意外な人物が「国歌なんて歌わない」と堂々と宣言して一部で話題になっている。
 政治家でありながら中韓に対してネトウヨ顔負けのヘイトスピーチ的発言を繰り返し、東京都知事時代には尖閣諸島の買収を宣言して領土問題再燃のきっかけをつくった人物。日本維新の会共同代表・石原慎太郎氏である。
●石原氏「国歌は歌わない」
「文學界」(文藝春秋/3月号)に「石原慎太郎『芥川賞と私のパラドクシカルな関係』」と題されたインタビューが掲載されているのだが、そこで石原氏は「皇室について、どのようにお考えですか」と聞かれ、次のような発言をしているのだ。
「いや、皇室にはあまり興味はないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときにはね、僕は自分の文句で歌うんです。『わがひのもとは』って歌うの」
 つまり、石原氏は国歌を歌わないばかりか、仕方なく歌う場合には歌詞を「君が代は(天皇の世は)」ではなく「わがひのもとは(私の日本は)」と歌詞を変えてしまうというのだ。
 代表的な右派論客が堂々と天皇をないがしろにするような発言をしていることに驚かれる読者もいるかもしれないが、石原氏がもともと反天皇制的なスタンスを取っていることは一部では知られていた。今から約50年前、天皇一家の処刑シーンを描いた深沢七郎の小説『風流夢譚』をめぐって、右翼団体構成員が版元の中央公論社の社長夫人と家政婦を死傷させる事件が起きているが、事件の直前に石原氏はこの小説について、こんなコメントを寄せている。
「とても面白かった。皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも立たなかった。そういう皇室に対するフラストレーションを我々庶民は持っている」(「週刊文春」<文藝春秋/1960年12月12日号>)
●国歌斉唱時の起立義務付けをしながら、自分は斉唱拒否
 先に紹介した「文學界」インタビューでも、石原氏は戦時中、父親から「天皇陛下がいるから皇居に向かって頭を下げろ」と言われた際、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。バカじゃないか、と思ったね」と語っている。
 もちろん思想信条は自由だし、最近は反韓反中がメインで天皇に対しては否定的という右派論客も少なくない。だが、石原氏は都知事時代、都立高教員に国歌斉唱時の起立を強制し、不起立の教師を次々に処分していたのではなかったか。また、日本維新の会の共同代表で石原氏のパートナー・橋下徹氏も大阪府知事だった11年、国歌斉唱時に教職員の起立を義務付けた、いわゆる「君が代条例」を大阪府で成立させている。

 一方で国民に愛国心を強制しながら、自分は平気で「国歌が嫌い」と斉唱を拒否するというのは、いくらなんでもご都合主義がすぎるのではないか。
(文=エンジョウトオルさん)
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 石原氏のご都合主義は、この日本社会の支配階級に属するひとびとの無責任さといい加減さを物語っている。民衆を統治するためには、無理難題も道理に合わない言動も平気でとる。少なくとも、私は石原慎太郎氏、森喜朗氏、麻生太郎氏などの歴代の総理や代議士よりも、いまの天皇ご夫妻のほうがどれほど民主主義者に近いと考えている。

 いま日本社会は、国民を単一の価値観に誘導し、安倍自公政権の価値観のままに「教化」する道に羊のようにいざなわれている。そのことを見破り批判し論破するような国民は、陰湿な政権下で徹底した監視と統制のコントロール下に置かれている。そのことが、毎回の重要な国政選挙や首長選挙で厖大な棄権者を出している原因である。国民は無関心なのではない。政府の驚くべき統制と弾圧策のもとで、おびえ失望の中にいる。そこから一部は、自民党よりも反動的な政治的潮流に身を投じたり賛同したりする動きとなっている。単眼的価値観育成には、マスコミとともに教育制度が有効なものとして悪用されている。東北大学教育学部長や宮城瀬教育大学学長を務めた教育哲学者林竹二氏は、『教育 亡国』を表して嘆くとともに、自らの全国授業行脚を通して、真の教育は東京の名門小学校での授業でなく、湊川工高定時制や沖縄県小学校にこそ営まれていたと授業記録を出版された。

 マスコミと教育機関を通じて、日本をファッショ化してていこうとする日本亡国派に対して、広範な国民の真実と勇気の持続する営みが、歴史上の現代日本に強く求められている。すでに遅い。しかし遅すぎても、尻尾を巻くよりも立ち向かうことこそ、亡国派に対する抵抗のあかしとなる。次の世代への継承として。

「分裂体質」と「統一体質」~東京都知事選をめぐる論争にわだかまること~

2015-01-08 21:55:06 | さざ波通信投稿原稿所収
「分裂体質」と「統一体質」~東京都知事選をめぐる論争にわだかまること~

2014/3/21 櫻井智志

 宇都宮健児氏を支持する意見も批判する意見も、両方ともいまひとつすっきりとしない。それが何なのかをずうっと考えている。
 私が高校・大学生の頃に、美濃部亮吉氏が大内兵衛氏を黒幕として、社会党と共産党と市民団体とが統一協定を結び「明るい革新都政をつくる会」を結成した。そして大学経済学部教授の経験のある美濃部氏が立候補して、画期的な革新都政を実現した。やはり都知事選を考えるときに、ここが原点となるだろう。

 あれから時代も世情も変わった。
 宇都宮健児氏の選挙陣営にいれば、宇都宮氏の政策や行動のすべてに共感し納得させられることが多い。無償で選挙活動を支え続けた市民の尽力は画期的である。それを吸収しつづけた宇都宮氏を支持することはきわめて自然なことだろう。
 細川護煕氏と彼を支えた小泉純一郎氏。脱原発を政策と掲げた二人は、首長選挙というよりは、国会議員選挙に立候補する雰囲気がある。宇都宮氏の脱原発と細川氏の脱原発とでは、政策としての位置づけも価値観も異なっていた。保守政権を担ってきた首相が、在任当時に推進ないしは認可し続けてきた原発政策が、とんでもない実体であることに気付いた細川氏の念慮は、転回的なものがあっただろう。日本国民を滅亡の淵に追いやってはならない。その決心が都知事選立候補へと連なっている。よく国民から出る批判に、細川氏や小泉氏の過去の総理在任中のあきらかに国民無視の政策の酷さを告発する厳しさが秘められている。国民がその当時に我慢していた批判が鬱積して吹き出すことを、細川陣 営は過小評価していたのかも知れない。さらに細川・小泉在任中にも、同時代に的確な批判を行い続けてきた日本共産党などの政党や市民運動からも、とても反原発一本化できる相手ではないとの思いが感じられた。

 同時に、細川氏を徹底的に批判したのは、安倍自公与党だった。安倍政権は、選挙期間中にNHKなどのテレビで反原発の報道を徹底して押さえ込んだ。安倍首相は、祖父岸信介父親安倍晋太郎といった血統を継いだとは言っても、自民党派閥にあっては、小泉氏よりも弟分というか下位に位置していた。小泉氏が反原発を主張しはじめて、政権を継続できぬかも知れぬという危機感に駆られた。細川都知事で小泉氏が参謀では、安倍晋三は首相を交代させられる現実性があった。結果を見ると、なんのこはない、細川氏は宇都宮氏よりも低く三位じゃないか、という声が多かった。あの投票結果は、安倍自公政権が徹底的に報道のコントロールや組織総動員したことの結果の数字である。46%という投票 率で都民をけなすひともいるが、あの大雪のなかでお年寄りや障がいをもったかたが投票所まで行くことを考慮したら、その中の46%は決して都民以外が考えるよりは低くはない。同日に埼玉県の都市で市長選もあったが、そちらは20%台であったと後で知った。

 宇都宮健児陣営は、あきらかに一回目の出馬と異なった。一期目に中途挫折感があったであろう宇都宮氏は、積極的に選挙に取り組んだ。大雪の日の街頭フィナーレも、他の候補者が屋内で済ませたのと異なり、吹雪が顔に吹き付けても毅然とした風貌には視聴者を感動させるものがあった。さらに在日の辛淑玉さんが宇都宮氏との出会いと感銘とを受けて応援した演説は、宇都宮氏に強く支持を集めた。緑の党の若手三宅洋平さんが日本共産党の吉良よし子さんや無所属の山本太郎さんと一緒に参院選を東京で闘い、宇都宮さんを支持したことも、広く若者たちに広がっていった。ヒップホップ音楽のメッカで最終日の八時以降十二時直前まで政治に無関心な層との交流もよかった。
 さらに、宇都宮氏 は「東京レボリューション東京デモクラシイ」と名付けた。選挙後に総括文書を広く提案し意見を求めて、さらに市民集会を大規模な会場でおこない、都知事選後も盛り上がりを民主主義運動として続ける意向を明確にした。

 こういった一連の概観を見てくると、宇都宮氏の選挙戦はまっとうなものであったと思うし、選挙後の総括のしかたも日本共産党がかなりあいまいな印象的観念的なケースを批判されるのとは様相が異なる。宇都宮健児はなにかするのじゃないか?という期待を感じさせる。現実に京都府にとび四月六日の京都府知事選の候補者尾崎望氏を激励している。
 だが、反原発運動の側面から見ると、都知事選はどうであったろうか。
 日本共産党や宇都宮健児氏らの側では、細川護煕氏出馬と反原発運動の発展との関連において、どのような把握をされたであろうか。
 事実の経過として、福島原発が起きてから、すぐに官邸前に立ち再稼働反対要請行動に出た市民運動の数十人の皆さんがいらっしゃった。その年と次の年の内に代々木公園と明治公園で数万人の反原発集会を開いた。こちらは中心にいた有名人はさらに広がっていき、大江健三郎、鎌田慧、落合惠子、澤地久枝、佐高信、本多勝一、宇都宮健児、瀬戸内寂聴などの諸氏である。さらに河合弘之、海渡雄一氏らの弁護士が事務局をつとめた。

 ここで読者の皆さんに考えてほしい。まだ世間では混乱が続いている時に反原発運動をリードした鎌田氏、澤地氏、瀬戸内氏、河合氏らが、反原発候補一本化が実現しないとわかった段階で、なぜ細川氏支援に回ったのかを。彼らの認識は、原発事故が起きてまもなく立ち上がるほどものごとが見えている人々である。河合弁護士は『世界』2014年4月号で「対談 河合弘之×海渡雄一 都知事選後の脱原発運動をめぐって」で語っている。細川陣営に入っても、選対事務局にはほとんど立ち入れなかったことを。そして、河合氏も海渡氏も、それぞれふたたび反原発運動に一緒に取り組んでいる。
 実際の気持ちはつらいこともあったろうに、運動の再統一に難なく取り組んだ河合氏と海渡氏の姿は、日本の民衆運動が「統一体質」「分裂体質」(故人・作家思想家出版人・小宮山量平氏の著作中の言葉)のどちらになりやすいかを改めて考えさせられる。革命と前衛の伝統をもつ日本共産党は、どちらかといえば、「分裂体質」と小宮山氏が表現した側面があった。軍国主義体制を着々と進める安倍首相に対して、かなりの相違はあっても共闘して自公推薦の桝添候補と闘うことはではきなかったろうか。二人がそれぞれ立候補するのは当たり前で、一本化を無理強いすることはない。そうではなくて、「反原発政策」について細川氏と宇都宮氏が対話するくらいのこともできなかったろうか。細川氏は 一度権力を上り詰めて、宇都宮氏のように柔軟な姿勢をとれない欠陥をもっている。細川氏待ちでなく、宇都宮氏の側から、反原発を対話することもできないくらいお互いが交流できずに、安倍=桝添体制を打破などできるわけがない。

 雑誌『創』四月号で雨宮処凛さんが連載『ドキュメント雨宮☆革命』で「いろいろありすぎた都知事選」を執筆している。

そしてもうひとつ強調したいのは、「多様な意見」を認め合い、自分と違う考え方の人を安易にディスったり排除したりしない、ということは、「民主主義の基本であるということだ。(中略)「競争に勝たないと生き抜けない」「成長か、それとも死か」を突きつけ、自殺者を生み出し、人を過労死に追い込み、脱落したり人を貧困にたたき落とすような新自由主義批判をしているのに、「勝ち負け」や「競争」に過剰に熱くなるなんて本末転倒というのか、どうも性に合わないのだ。ということで、やっと終わった都知事選。投票前日から一週間後には、「脱原発DEMO」も開催され、駆けつけた。今、「敵」はさらに強大になって私たちの前に立ちはだかっている。やっぱ゛、仲間割れし てる場合じゃないようである。
 この雨宮さんの言葉に、日本に新たに芽生えた反原発市民運動が、「統一体質」に根ざすことが私には感じられる。そうして、細川護煕氏の出馬にエールを送った鎌田慧氏や澤地久枝さんたちは、政治における統一体質の問題を見抜いていたから、保革問わずに「原発」の人類生存の危機の前の危機感をバネとしてできることがあるんじゃないかと期待したのだろう。その期待が幻想であったか、権力によってつぶされた期待だったか、その把握まで一本に統制する必要はない。

民主党の位相と全国の地方選挙

2015-01-08 21:52:04 | さざ波通信投稿原稿所収
民主党の位相と全国の地方選挙

2014/9/10 櫻井智志

 孫崎享氏は、自らのブロマガで「民主党は、国民期待の受け皿になれるのか」と題して以下のように述べている。

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 今、国民は幾つかの重要政策で安倍首相の政策とは逆を望んでいる。
1:原発の再稼働は望まない
2:集団的自衛権には反対である、
3:消費税アップには反対である(どこまで反対か不明であるがその他)
4:TPP参加問題
5:沖縄での普天間基地の辺野古移転問題がある。
 野党として、こんなに戦いやすい時期はない。争点は明確だ。安倍政権と対峙すれば国民の大多数の支持を得られる。
 では民主党はそれが出来るか。出来ない。
1の脱原発をみてみよう。
 東京都知事選挙で細川候補と宇都宮候補は脱原発を掲げた。桝添氏は原発推進派とみられていた。この中。真っ先に桝添氏を支持したのが連合東京である。私は地方で講演することがある。労働組合関係の人々にも会う。何故労組が脱原発を鮮明に出来ないのかと問うと出来ないという。労働組合の最近の動きで特徴的なのは、電力会社の労働組合が、労組団体の主要ポストを次々に獲得しているという。電気企業関係労組もどちらかというと原発支持が多い。労働組合が全体として脱原発になれないから民主党も脱原発の路線を出せないという。
 集団的自衛権を見よう。民主党内には前原氏や長島氏のように米国との協力を強く主張するグループがいる。彼らの力が強いのは、普天間基地の辺野古移転の時の動きを見ればよい。彼らがいる限り、安全保障で対米自立はない。TPPも同じ構図だ。
 私はある時、労働組合系のリベラル派に聞いた。「何故リベラルな人が民主党を脱して、独自の路線を行えないのですか」。
彼の答えはこうだ。
 小選挙区制がある。戦いは厳しい。いわゆるリベラルと言われる候補者で、連合の支援なくして、自民党議員に勝てる人はほとんどいない。脱連合ができない。脱連合が出来なければ脱民主党も出来ない。

残念ながら、民主党が受け皿になるのはほど遠い。
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 私はこう考える。

 民主党はいざという全国各地の地方選挙で、自公と一緒に各地の首長選で圧勝している。いざ進歩派風なことは言うが、実際に自公に一貫して対峙し続ける政党ではない。
 一説に、小沢一郎氏を民主党が招き、反安倍で一致できる勢力を糾合することで安倍政権を打倒できるという見解がある。以前の私なら、それは統一戦線に近いと思い賛成したかも知れない。しかし、今の民主党はだめだ。国民は「何を言うか」ではなく「何をするか」で政治家を見ている。今から思えば結果的には自分の売名行為で反拉致問題キャンペーンに力を注ぎ、やがて政党を渡り歩き国政選挙に何度目かに当選した政治家がいる。今は一体何をしているか。その場その場で思いつきで人気を獲得しても、誠意ある地道な一貫した行為の持続が政治家ならば、市民運動のアドバルーンと政治家の倫理とは複雑な関わりをもちそれを十分に体得した政治家を望む。菅直人や辻元清美など市民運動から政 治家になった政治家に展望を期待したい。
 本来なら、心を広くもち多くの良心ある政治家を認める取り組みを支持したい。だが、安倍自公政権は、選挙の結果さえ、民意を無視して、官房長官が「とっくに終わったことだ」とは・・・・安倍政権とは自公両党よりも、「安倍晋三」熱狂支持独裁政権でしかない。
 民主党についていくのでなく、民主党のまとも派が民主党を割っても、無所属で反安倍派の全国的な共闘に入ってくるかたちしかない。私は、沖縄県の統一地方選挙を見ていて、厳しい中で闘い続ける沖縄県民と連帯できない本土の政治家と政党は、やはり統一戦線を形成できないと思った。むしろ自民党沖縄県連の中から自民党本部の弾圧をはねのけて、沖縄民主主義戦線に結集する自民党員の動きに本当に驚かされ、感銘を受けた。
 政治には汚れた駆け引きや側面があるという。政局は流動的でも、多数の戦死と侵略戦争が終わり、戦後民主化の焼け跡闇市の空に飢餓と貧乏のなかで国民がこれからに垣間見たものは、今の安倍自公政権の政治施策が日々破壊している「積極的平和破壊主義」政治の窮状ではない。

新聞社テレビ局を恫喝する安倍総理の飴と鞭

2015-01-08 21:49:46 | さざ波通信投稿原稿所収
新聞社テレビ局を恫喝する安倍総理の飴と鞭

2014/12/7 櫻井智志

 2014年12月6日の東京新聞『こちら特報部』は、自民党が「公正中立な報道」を求める文書を在京各局につきつけた事実を丁寧に報道している。

 「安倍首相のメディアコントロール」は凄まじい。首相の動静を見ると、テレビ局や全国紙のトップとの会食、ゴルフが頻繁に登場する。その一方で、自民党は2013年参院選の最中、TBSの報道番組「NEWS23」の内容が公正さを欠いたとして同局への党幹部の出演を一時拒否した。私はこの番組を見ている。司会者は各党に公平に発言時間を正確に分配し、総理だからといって恣意的独断的な発言には、その旨を伝えたが内容では公正であり、自民党の対応は尋常を逸している。自民党のいう「公正さ」とは、自民党優先であることを意味している。

 こうしたアメとムチの使い分けが続き、ボディブローのようにじわじわと効いて、テレビ局の衆院選報道は安倍首相の思うがままに操作されてきた。

 自民党は衆院解散前日の11月20日付で「選挙時期における報道の公正中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書を在京のキー局の編成局長と報道局長あてに出した。出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者などの選定が一方に偏ることがないよう要求している。公共放送のNHKは、従来から政権寄りと批判されてきた。民報も総務省の放送免許を5年ごとに更新しなければならず、政権与党=安倍自公政権の圧力にさらされている。国民は、報道機関の姿勢を批判するとともに、安倍自公政権がこのように日常的に放送に介入していることを忘れてはならない。

 テレビ朝日が11月29日、衆院選をテーマに放送した討論番組「朝まで生テレビ」は、テレビ局が安倍政権の恫喝で萎縮した事例と言えよう。評論家の荻上チキ氏らの出演が放送直前に中止され、番組のパネリストは政治家だけとなった。あるテレビ局関係者はこう明かす。「出演中止は、報道局幹部の判断と聞いている。政治家以外の人間が入ると議論がコントロールでくなくなり、不規則発言が出てしまう恐れがある。そのリスクを避けたいために出演を中止した」。

 萎縮とも受け取れる現象はこれだけではない。安倍首相が名付けた「アベノミクス解散」に追随するかのように、争点を経済政策に絞ろうとする意図が見え隠れする。集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法など、世論の反対が根強いテーマは後回しにされている。元日本テレビディレクターの水島宏明法政大教授(メディア論)は「前回の2012衆院選では、朝の情報番組も特集を組み、放送界で最も栄誉があるとされるギャラクシー賞の月間賞に選ばれていた。今回は目立つ番組はあまりない。テレビの選挙報道は不調だ」と嘆く。

 放送ジャーナリストの小田桐誠氏は「自民党の文書は、制作現場に陰に陽に影響している。スタッフの萎縮につながっている」と危ぶむ。いま、自公与党に圧倒的な国民の投票が噂され、期日前投票でも必ず出口調査員がついていて、その情報自体が国民コントロールと与党政党への終盤戦戦略に使われていることが容易に予想される。しかし、自公圧勝はテレビ局への恫喝と放送免許更新の可否をちらつかせられたテレビ局も「見えない」被害者なのだ。

 しんぶん赤旗や動画を使った共産党テレビなど、独自の報道機関をもつことが、日本共産党の好調につながっている。生活の党や社民党などの護憲リベラルが精細を欠いているのは、テレビ局など報道機関がほとんどその主張をとりあっかっていないことと無縁できない。マスコミに短時間のワンフレーズスポットを垂れ流し続けている自民党や公明党は、うわべだけの印象であまり自らが思考するよりは「みんなとおなじ」ことに重きをおく有権者の多数に影響を与え続けている。

 私たちは有権者を、日本国民を卑下したり見下すこと以上に、今まで見てきたように、いかに報道機関が安倍自公政権から統制されているかに目を向けるべきだ。安倍首相は消費税を国民の判断にゆだねたと詭弁を弄しているが、本音は違うだろう。閣僚の相次ぐ辞任やスキャンダルで政権維持が危なくなった自民党は、すべてチャラにして集団的自衛権、原発再稼働、秘密保護法などを「すべて」通す強権政治の復活を目論んでいる。そのためのテレビ局統制だが、自公与党政権の統制は、朝日などの新聞各社、インターネットの政治的規制などにも及んでいる。

 国民の無関心や自公与党への投票を、国民の無知と嘆く前に、これだけ安倍自公政権は報道機関を無残なほどに統制している事実を知るべきだ。野党で共産党支持者と野党統一支持派で泥試合の非難の応酬をすることは、安倍大仏の手のひらで踊る孫悟空野党のようなものだ。
 わかりやすく言おう。
戦時中の報道統制や大政翼賛会を懸念するかたがたは、「いま」が大政翼賛会報道としてミスリードする安倍自公政権によって、戦時報道体制そのものに入っていることと再認識した上で、政治認識すべきだ。12月10日から実施されている秘密保護法は、別名平成版治安維持法である。安倍政権に批判する者はことごとく公安警察のブラック・リストに掲載されていると自覚して間違いない。総選挙で自公与党に投票するとは、そのような隠された意味があると言えよう。