次々に世界的規模で新たな変異種がより感染力を強め、コロナウイルスが感染している。私は、生涯の最後に「バイオサイド」の感染を危惧し、『生命を守る方法』などウイルス研究の安全性を訴えた哲学者・社会科学者芝田進午氏を想起する。いまがその予見を暮らしの中で生かすことと思う。
「いじめ」という言葉には学校教育の現場を超えている。旭川の中学生廣瀬さんとお母さんが学校や社会から被った非合理な攻撃や非人間的な学校での仕打ち。学校や市教委の側には別の言い分があろう。だが私は学校教育がもつ現在の状態は軽々しく肯定できる限度を超えている。
週刊文春オンラインが旭川のいじめと自殺を報道すると、流れは一転し、一気に世論が動いた。職場、学校、地域などの日本社会の様々な場面で、弱い立場や正論を超え、組織優先や周囲との同調強制など日本の実相の病理がはっきりしてきた。
旭川市、大津市、町田市。事態は限定されるものでなく、日本全国の視野からいじめ問題があちこちで発生しているものと思える。社会病理学のカテゴリーに入る内容だ。私には、生徒が被害者であるうえに、教職員、管理職、教委などそれぞれの全体像が「いじめのやかた」のようになっていると考える。憲法に接続する児童憲章、教育基本法が戦後の教室にともしびとなった。だがそれたは空洞化し、教育基本法は管理主義的に改訂されてしまった。
「いじめ」という言葉には学校教育の現場を超えている。旭川の中学生廣瀬さんとお母さんが学校や社会から被った非合理な攻撃や非人間的な学校での仕打ち。学校や市教委の側には別の言い分があろう。だが私は学校教育がもつ現在の状態は軽々しく肯定できる限度を超えている。
週刊文春オンラインが旭川のいじめと自殺を報道すると、流れは一転し、一気に世論が動いた。職場、学校、地域などの日本社会の様々な場面で、弱い立場や正論を超え、組織優先や周囲との同調強制など日本の実相の病理がはっきりしてきた。
旭川市、大津市、町田市。事態は限定されるものでなく、日本全国の視野からいじめ問題があちこちで発生しているものと思える。社会病理学のカテゴリーに入る内容だ。私には、生徒が被害者であるうえに、教職員、管理職、教委などそれぞれの全体像が「いじめのやかた」のようになっていると考える。憲法に接続する児童憲章、教育基本法が戦後の教室にともしびとなった。だがそれたは空洞化し、教育基本法は管理主義的に改訂されてしまった。