はせ辰のスキー三昧

2016-2017シーズン長野県北信濃へ移住、スキー三昧を計画した還暦オヤジの記録・・・

上高地

2017年04月29日 | 日記

大正池から穂高を望む

焼岳
4/29
 加藤文太郎は兵庫県浜坂、半農半漁で生計を立てる家の二男に生まれた。時は昭和初期、加藤は卒業後神戸の造船所に見習い技能者として職を得、真面目な仕事ぶりで成果を挙げた。だが生来の性格で友人も無く、職場の人間関係を厭う彼が街の背後に連なる六甲の山歩きに没頭するようになり、その超人的な登行能力を開花させた。
 「孤高の人」新田次郎著、私が中学生で出会い今も愛読する山岳小説の秀作だ。登山が欧州より日本に紹介され、大学山岳部やOBが中心となって山岳会を結成し普及の一端を担ったころの話である。加藤はその性格から常に単独行であった。内面は人を思いやり謙虚なのだが、社交的な会話が出来ない、気持ちを言葉に出せない彼が精一杯の笑みを送るのだが、相手には不気味な嘲笑として受け取られてしまう。そんな加藤はその超人的な能力の故、他人に妥協しながらの山行をしなかった。
 小説の中に上高地が登場する。加藤は松本から松本電鉄島島駅を経由し沢渡から徒歩で釜トンネルを抜け厳冬期の上高地に入った。越冬しているのは現東京電力の大正池取水地係員と嘉門次小屋番くらいで、正面に屹立する穂高の峰々はちっぽけな人間の入山を拒絶するかのようだと表している。
 私は、いつか訪れたいと思い続けていた上高地に行くことにした。旧松本電鉄、現アルピコ交通社の長野~上高地直行バスに乗り松本ICから国道158号線を辿る。加藤が歩いた梓川沿いの隘路を今は大型バスが行き交う車路となり車窓の景色をぼんやり眺めている。沢渡を過ぎて渓谷は深くなり眼下の梓川は激流となった。今でも国道158号は広いとは言えない。バスの運転士は初乗務のルートらしくて、同乗する先輩からすれ違い困難ヵ所や待機地点を教わりながらも安定した走行を続けた。
小説にも登場する「釜トンネル」は上高地の関所と云われる。上高地の観光化に伴い、入山者を搬送するためには松電島島駅からバスを運行する必要があった。そこに立ちはだかったのが中の湯から産屋沢に続く釜ヶ淵の存在だった。当初から霞沢発電所の取水源である大正池に導水路建設のために掘られた「釜トンネル」があったが、元よりバスが通れるものではなく拡張を要した。地質は焼岳の溶岩が形成した硬い岩盤で掘削は困難を極めたと云う。
 何とか拡幅と天井高上げを完了したものの、車高の低い特別仕立てのバスのみが交互通行するに滞った。加えて路面の勾配は15%を越え直角に近い屈曲など、このルートを運行するバスの運転士はエリートだったという。それ以降、拡幅や延長を重ねマイカーの普及に伴い多くの車両が上高地に流入することになった。シーズン中には車列が連なり、バスの定期運航もままならなくなり当局は段階的に流入規制し、現在は通年で中の湯から一般車両の通行を禁止している。
 私が乗ったバスは新たに開通した「釜トンネル」に入った。いきなり急勾配だ、10%未満だがバスはセカンドギヤでゆっくりと登坂する。国道基準のトンネルなので相互通行可でバスの屋根が天井に当たる心配もない。続く釜上トンネル、上高地トンネルを抜け大正池に到着した。
 この大正池は文字通り大正の焼岳大噴火の際、火山性堆積物により梓川が堰き止められて誕生した。急に池になってしまった為、それまでは川沿いの木々が水没し立ち枯れたのだ。水面にカラマツやダケカンバの大木の樹皮が剥げ落ち太い枝だけが残った姿で佇む。ポスターやカレンダーの写真等で上高地のシンボリックな風景として有名だ。
 自然の力でダム湖となった大正池には一つ問題があった。それは、放って置くと大正池はいずれ消えてしまうのだ。槍ヶ岳を源流とする梓川は穂高連峰の沢から流れ込む水を束ね上高地へ下ってくるが、その時一緒に土砂を運んで来る。穂高の峰々が形成されてより数十万年か数百万年なのか、梓川は水と土砂を運び続け上高地誕生のもう一人の主役焼岳が、横尾から河童橋まで約7Kmの標高差が120m余り、約1.7%勾配という信じ難い緩流渓谷「上高地」を作った。図らずも砂防ダムとなった大正池には大量の砂が堆積する。砂はいずれ池を埋め尽くし、その印象的な景観は無くなってしまう。
 であるが、前述したが霞沢発電所は大正池の豊富な水量を利用している。現東京電力は水力発電としては第2位の発電能力を有する霞沢の水源確保のため毎年巨費を投じて大正池浚渫工事を行っているのだ。元々、自然に出来たダムから水を取り地形の落差を利用しているので人為的なダム建設の費用を要しない、その分大正池浚渫に係る費用があっても利益があり、運転コストの安さとクリーンエネルギーとしても有益だという。大正池は人間の文明に供され、人間の手によってその姿を永らえている。
梓川の河床は年々上昇しているという。梓川自らが運ぶ土砂により自らの姿を変えていくのだろうか。遠い未来には上高地帝国ホテルが砂に埋まり、河童橋は地上数十メートルのコンクリート橋になっているのだろうか。その頃には槍ヶ岳にゴンドラリフトが掛かり上高地には高速鉄道が敷かれ、松本から30分で・・・になるだろうか。
加藤文太郎は生涯で初めてパーティーを組んだ厳冬の槍北鎌尾根に消えた。「孤高の人」は今でも度々読むがどうしても最後の章を読めずに本を閉じてしまう。

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