goo blog サービス終了のお知らせ 

ブログ版「泥鰌の研究室」

 信州飯田周辺の方言(飯田弁)を発信しながら、日本語について考えていきます。

「日本語語源辞典」  堀井令以知 編

2005-01-06 | お薦め!この1冊
 語源をさぐることは、昔からあった。それは、人間が言語にたいして抱く好奇心のあらわれであった。ただ、語源をたずねる方法が確かでなく、拙劣であった。そのために、多くの人の共感を得ることがむずかしかった。時には、語源学への不信を招き、一種の道楽、ないしは言葉遊びのように考えられがちであった。
 語源論ほど水掛論になりやすいものはない。
 一方の人がこうだと言えば、他方の人がそうではないと言えるぐらいに、語源がわからなくなっている場合が少なくない。わかりそうな場合でも、誰もが納得して承認できる申し合わせが、語源論には不足していたのである。
(本書 解説「語源について」の冒頭から引用)

 日常使われる言葉を中心に2290語を収め、独断的な語源解説や外国語による安易なこじつけをせず、語源の正確でないものは独断を避け語源説を紹介する。言語学者による本格的な語源辞典である。
 福沢武一先生から、ただ一回限り直接、先生のお宅で指導を受けたとき、「ことばの成り立ちにまで迫って追求する」ことを強く求められたことを思い出す。「父祖が生活の中から生み出した知恵がことばである」と先生は説かれた。
 方言にも語源がある。古語から方言となって、今もなお伝えられるものもある。本書を通じて、ことばの成立過程に思いをはせるのもまた楽しい。

東京堂出版 2,000円(税別)



「日本語は年速一キロで動く」 井上史雄著

2004-12-27 | お薦め!この1冊
「違かった」「ウザい」などの若者ことばは、東京に逆流した方言だった。綿密な全国調査で明かす図版満載の日本語論。

白ゆり本花堂 リリー店長のお薦め文
方言に興味のある人にはおもしろい1冊だと思います。「言葉の移動速度=1キロ/時」という平均値を出すに至った綿密な全国調査には脱帽です…。あなたの地域の方言が日本の流行ことばの語源かもしれませんね☆
(セブンアンドワイ(旧イーエスブック)書評から引用)

著者 井上史雄/著
出版社 講談社
価格 735円(税込)

「方言は絶滅するのか」 真田信治著

2004-12-24 | お薦め!この1冊

めっちゃ、まったり、しんどい…今や全国化した関西弁だが、一方で絶滅の危機に瀕した表現も数多い。本書では、沖縄、北陸、韓国などをフィールドに、現地語が日本語の共通語を取り込みながらいかに変容していったかを考察。地域の風土・文化というフィルターを通して、方言は形を変えていくものだ、と著者は指摘する。方言に固執するのではなく、地域性・個人の心性に適った「自分のことば」を身につける。ことばの豊かな感性を取り戻すための一冊。
(セブンアンドワイ(旧イーエスブック)の紹介文より)

出版社名 : PHP研究所
価格 : 693円(税込)

サブタイトル「自分のことばを失った日本人」、果たしてこのサブタイトルが意味するところは何か。ぜひこの目で読んで、その意味をつきとめていただきたいと思う。

「生きている日本の方言」 佐藤亮一著

2004-12-18 | お薦め!この1冊
日本人の心のふるさとである方言は,日本語に新たな活力をあたえるエネルギー源。本書は,共通語とのちがい,方言の起源や発祥の由来にふれて,そのぬくもりと豊かな表現の世界を紹介しながら,方言の面白さをわかりやすく語る。
本書を読んでいると、方言は「民衆の想像力から生まれたことばの世界」であることを発見できる。かつて福沢武一が「方言は父祖が生活の中から編み出した」と言ったことばを彷彿させる一冊と言えよう。

新日本出版社
判型:4-6判 / 190 ページ
定価 1,995円 (本体 1,900円)

「北信方言記」 福沢武一著

2004-12-17 | お薦め!この1冊
福沢方言学の集大成というべき一冊。
福沢は、平成15年5月に逝ったが、平成13年10月に本書をまとめた。福沢が教鞭をとった屋代高校の教え子たちが、福沢逝去後に奔走し、本書の刊行に至った。
福沢の語源への探求には鬼気迫るものがある。本書を通じて、真の学問のあり方を垣間見ることができよう。

ほおずき書籍 A5版 232ページ 1,995円(税込み)

福沢は、本書の序で次のように述べている。

 方言を集めるだけでは学問でない。面白がって眺めているだけでもならない。一語々々の本義を把握しなければならない。その際、一番大事なのは比較だ。遠近の資料が不可欠だ。・・・・(中略)・・・・何もかも不足がないはずなのに、ないものがある。それは何か?日本語に欠けていることが自明でありながら、放置されているもの、もはやそれは言うまでもないはずだ、-語源への探索欠如だ。探索する意欲の欠如だ。その必要性を理解していない。そのことを私はとっくに警告した。・・・・(中略)・・・・。
 事の重要さに改めて身震いする。北信方言の考察が進むにつれて、欠如は救いがたいことが明確になってきたからだ。日本語は、方言も共通語も、根無しかずら同然である。この現状が今後も続くばかりだ。
 哀れな予言と共に私は間もなくお陀仏である。・・・・(後略)・・・・。

福沢の逝去後、こうして福沢の声を聞くことになるとは思いのほかであった。あの温厚な福沢の顔が懐かしく思い出される。
この序に記された福沢のことばを、これから方言研究を続ける者への遺言として受け止めて、改めて方言について考えていきたい。

福沢武一先生のご冥福を重ねて祈るばかりである。