土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

2016年5月3日(火)憲法記念日

2016-05-03 12:43:01 | 日記
前置き。
「ロング・グッドバイ(NHK)」、「わたしを離さないで(TBS)」。
奇しくも、この二作は外国文学・小説を、原作の舞台を日本に置き換えたテレビドラマでしたが。暗喩を超えた、スタッフの気概を感じる作品でした。
(前から取り上げたかったのですが)書く機を逸していたので、入れておきます。



主権在民(国民主権)。
基本的人権。

日本国憲法第3章 国民の権利及び義務
第13条(個人の尊重等)
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。



 自民党(改憲)草案
全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

「現行の第十三条の個人というところを人というふうに草案では呼び変えられたことについては、何か意味があるんでしょうか。総理にお伺いします。」に対し「さしたる意味はない……」。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/190/0014/19003020014007.pdf


「個人として」と「人として」は明確に違います。
「個人」は各人、一人という事です。単一、意味としてそれ以上には割れない言葉であって、そこに別の意味を加える事は出来ません。
「人」は人間(種)という意味とは別に、概念的、観念や認識に作用される言葉です。時代、或いは特定の人物・団体、時の政権の価値観でいかようにも捉えられる(解釈)、意図的な操作がが可能な言葉です。
「人として」は確固たる定義が無い、危険な表現になります。

「人」の部分を「女性(として。男性として)」に置き換えてみればよく解ります。
「女性」(という概念。及び権利)が、時代や性別の違い、価値観に依ってどう扱われてきたか、変わったかを見れば、何故「人として」という表現が間違いであるか解って頂けるのではないでしょうか。


これは、人権を制限する為の改憲(案)です。



※リンク。
憲法条文・重要文書「日本国憲法の誕生」国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html

日本国憲法改正草案PDF形式(自民党)
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf



7/9 追記:申し訳有りません。間違えて(不本意な)リンクを貼ってしまっていたので、削除・修正させて頂きました。


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