土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

ゆめにミる

2018-02-22 23:57:59 | 日記
にゃーにゃーにゃー、で本日「猫の日」で、猫に掛けまして。

猫(好き)繋がりで(と言っても百閒氏はノラとクルツが好きというだけらしいが)、「愛猫が居なくなって泣き暮らした御仁」という気の毒だけどもちょっと笑ってしまうエピソードの持ち主、位は知っていたというか、それ位しか知らなかった内田百閒。(仕入れ先「作家の猫」平凡社)

一昨年の、一、二月頃に新聞に載っていた「東京日記」の紹介に、ざわつく・予感めいたものが有って即、岩波文庫(版)を購入。
当時忙しかったのでよく覚えていないのだけれども、最初の「白猫」をさらっと読んだ後「東京日記」の冒頭に目を通したところ「これは!」と。時間の有る時に改めてと、一旦保留。
(「これは!」については「大不遜!」という事で伏せ、避けます)
満を持して(?)5/9に改めて読むも、またまた「これは!」と。して、「やはりここは、先ずは『冥途』」と順を追って読むべきと、中断して次の日早速「冥途・旅順入城式(岩波文庫)」を購入。
それ以降、著書を買い漁る(懐具合と相談して)日々に突入。

「ちくま日本文学 001 内田百閒」の巻末に寄稿された赤瀬川原平氏(ここでも!トマソン繋がり)は、どちらかというと随筆の方に心酔されたよう(?)ですが、自分は小説の方に心酔。
「白子」の冒頭「私は誰とも議論をしたのではないのに」で「(自分も)有る」と笑い、終局で、その意外性に目を開く。
「東京日記」その一、その七(他も)、「大宴会」は何度読んでも飽きない。

2016年にして初読ですが。情景描写、夢を見たまま感興のままに書いた……夢に見たまま観察・観照(そこでの)感興のままに書き進められている感じで、情景・状況描写が続く……

時が少しでも重なり、住まいも近隣で、見ている場所にも馴染みが有る自分には、書いてある景色が容易に目に浮かび、そこ(文章)に入り込める。

誤解を恐れずに言えば、自分の興味は、景色、情景、場所空間・状景状況に有って、人間は付け足しで、書きたいのは感覚(感興)かなと思っていたので、それを書いたものが有った(いい)んだという事が嬉しかった。

ずれた、市ヶ谷、須田町、丸の内……

さて、もう時間が、という事で。
「100万回生きたねこ」の佐野洋子さんが「季刊銀花」で「本当は世界で私だけが内田百閒好きならいいなと思ってる。」(出典「KAWADE夢ムック・内田百閒」)とおっしゃってますが、これが全ての百閒病罹患者の思いではなかろうかと甚だ思う、夢に……今日「猫の日」に寄せて。



余談:おかしな「タイトル」は既出の私が引いた辻占煎餅の文言から(種明かし)。
2016/02/12 茶菓
https://blog.goo.ne.jp/doteneco-cm/e/8aee1693ab0d33d4eaa4c01c2450a158

※関連記事:2016/05/09 59・59
http://blog.goo.ne.jp/doteneco-cm/e/53b6368fb7cd363cfee3cfc33d78fa45