虎(黄にゃんこ)と馬と猫

競馬とタイガースと時たまねこのお話

ハリポタ裏

2008-03-28 14:45:50 | 読書日記(映画)
読んでいて似ていると思ったのは「醜いアヒルの子」

白いアヒルのひなの中に薄汚れたひなが一羽混じっていたけれど
実はもっと美しい白鳥のひなだったのです

親を亡くして親戚の家でみじめな生活を強いられる男の子がいましたが
実は(ふつうの人間より)素晴らしい魔法使いだったのです



どちらも理不尽に虐げられる場面を最初に置くことで
虐げる存在に対しての反感を呼び起こしてストーリーに正当性を与えるが
突き詰めて考えると「出自が全て」という筋立てになる


特に映画の場合は色々な場面が切り落とされているうちに
素晴らしい両親の子供であることから
多大な引き立てを受けてトントン拍子
こんな側面が強くなってしまっている

もちろん、反対勢力はいるのだが
「二世」に開かれたルートの方がはるかに広い

原作だと「自分には本当は魔法の才能なんかなくて、家に帰されてしまうかも」
などといった葛藤が多少は描かれているが、そういうところがないから
原作にしても、魔法の発現までに少し苦労があってもいいかな? と思ったが。
ハッキリ言って「天才児現る」


ノブレス・オブリージ
才能や能力に当然与えられる試練を乗り越えて、出自にふさわしく成長していく話…と読めばいいのかな?
しかし…やっぱり引っ掛かる

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