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教育基本法改正

2006-12-15 21:39:05 | Weblog
とりあえず、一言で言えば「単なるお題目」をいじるだけの自己満足。
政治がするべきは、法律による「意図」によって国を、国民を導いていくものだが、教育基本法は具体的な「政策」ではない。

まず、(こうしなさいよ)というだけのことで、人間が、流れが、動いていくのか? そんなことを思っている貧しい発想の人たちばかりしか政治家にはいないのか?
金も出さずに文言を決めたら、人が動くのか? 金でしか動かないような人種たちが、そんなことを考えているのか?


ホワイトカラー・エグゼンプションとか、企業減税とか、所得税減税の廃止とか……批判の多い政策の数々ではあるが、「一般庶民から企業に利益を移転させて、日本という国を保っていこうとする」という意図はある。あ、低金利の維持継続もそうか。
こちらとしては、たまったもんではないし、献金する企業に甘い顔をしているだけかもしれないが、とりあえずは「意図」があると思っている。

政治家が示すべきは、法律、政策によって人を動かして問題を解決していくことよ。
最近、株取引の税率を20%から10%に戻すとかで論議があったが、これにしても「貯蓄から投資へ」という「政策意図」からすれば、据え置きで当たり前。そういうために貯金保護の1000万円の上限だとか、投資信託取り扱い窓口の増加とか、さまざまな施策がなされてきたんでしょう?



さて、今回の「教育基本法」は?
イジメや未成年の暴力や凶悪犯罪。これが高所から諭してなんとかなると思っているのか? 教育基本法をイジッて「はい、やりました」では、思考停止に陥るだけで、ただ 害 でしかない。

そういえば、公共広告機構みたいなのが「イジメやめよう」とか「飲酒運転で人を殺したのよ!」とかいう醜悪なCMを流したり、大臣様が「自殺する前に考えよう」とかメッセージを発してみたり……本当に思っているのかも……
 確信犯的に「なにか努力していますよ」というパフォーマンスなら、なお悪いが。

家族制度の崩壊、地域社会の希薄化……そういった培われてきた「社会の教育環境」を壊したこと、そこで育ってきた世代の教員の増加……原因は根深く、解決は困難なもの。
大家族制への回帰が困難であるならば、それに替わる社会ネットワークを築いていく必要がある。教員に社会経験を積ませたり、経験の豊富な人員を投入する必要がある。単純に増員によって負担の軽減→余裕の労力を個々の細かいケアに振り向ける……いろいろと、やるべきことはあります。


こんなしょうもないことに大騒ぎして、お題目を論議して、反対する側も自民党と同じ土俵に乗って。
時間と金の無駄もいい加減にしろよ。バァーカ



ここでメルマガから引用転載。大前研一氏。
古代ローマ帝国の各種システムに傾倒しているワタクシですが、今の複雑な状況で必ずしも手放しで「ローマ最高」とは言えないよな……とは思っていましたが。

新しい法律を作ったら、昔の法律で矛盾する部分は全て塗りつぶされて新しい法律に従う。……だって新しい法律は、「今」に対応するために作られるものなんだから……無茶苦茶くだいて、こういう姿勢がローマ法にはあったのですが、非常にまっとうで有効な手段と思います。少なくとも、こういう↓バカげた国に比べたらね。

「最初の問題から考えよう。そもそもなぜ役人に都合のよい法律ばかりが作られるのか。それは法律を、役人(つまり内閣法制局)が作っているからだ。しかし本来、法律を作るのは立法府である国会だ。つまり役人ではなく、国会議員こそが法律を作る人間なのだ。ところが悲しむべきことに、日本の国会議員は法律が作れない。なぜ作れないのか。既存の複雑な法体系が足かせになって、新しいものを生み出すのが誠に困難だからである。

 つまり、新しい法律を作るときには、過去の法律に抵触しないようにしなくてはいけない。ところが、日本では明治時代に作られたたくさんの法律が今なお有効なのである。六法全書を開くと、半分以上が戦前に作られたものだ。それらの法律すべてに抵触しないように新しい法律を作ることは、法律の専門家ではない国会議員には無理なのだ。立案が可能なのは、その辺の事情を熟知している内閣法制局ということになってしまうのである。一応、立法府にも参議院法制局・衆議院法制局という専門部署がありはするのだが、残念ながら内閣法制局ほどの力はない。

 それでも国会議員が法案を作ろうとしたらどうなるか。残念ながら先行きは暗い。というのは、内閣法制局が「これは××の法律に抵触します」と、難癖を付けてなぜ法案としては通らないのか縦横斜めに意見を出してくるからである。

 これはわたし自身も体験している。実はわたしも1993年に「平成維新の会」を立ち上げたときに、推薦・応援した議員には新しい国作りのために必要な83法案を国会で提案してもらうことを誓約してもらった。ところが実際に彼らがこの作業に取りかかるや、あらゆる面からの抵抗が起こり、結局一つも実現しないハメに陥ってしまった。かなりの部分は所属している政党が議員立法を拒んだからであるが、それを乗り越えて法案提出まで持ち込もうとした議員には内閣法制局からのいちゃもんが待ちかまえていたのである。彼らは成立させるにはどうすればいいのか、という発想ではなく、なぜ成立は難しいのか、という議論を展開する。議員たちの力ではそれを乗り越えられなかったのである。

 日本にも80年代の米国で制定されたサンセット法のように、法律に有効期間を設けるという制度があればまだいいのだが、とわたしは思う。そうすれば、終了期間が来たら継続するかどうかを評価して、必要なものだけを継続して、時代遅れなもの、不要なものは消滅させることができる。

 しかし古い法律が網の目のように張り巡らされているために、革新的な、あるいは抜本的な法律を通すということは「ラクダが針の穴を通り抜けることよりも難しい」のである。こういう事情があるために、役人に都合のよい法律ばかりができるのである。内閣法制局は役人による役人のための立法行為を執り行っていくための伝家の宝刀なのである。」