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パクス・アメリカーナとパクス・ローマ

2004-11-03 09:37:54 | 読書日記(映画)
乱暴にまとめれば「強硬・拒絶」と「寛容・融合」か。アメリカは余裕がなさすぎ。
現代に一強国となり、世界中に影響を及ぼすアメリカ、紀元前に地中海に一大帝国を築き上げたローマ……ですが、さてその実態の違いとは……。

まず最初に塩野七生著『ローマ人の物語』の影響度99%、ほぼ受け売りであることをお断りしておきます。現在刊行中の文庫でさえ、1/3も読み進んでいないにもかかわらず、ですが。
氏は相当ローマに心酔しており、私がその内容をほぼ全面支持しているため、少なからず贔屓、美化はあるかと……


《キリスト教以前》であったローマの時代。戦争に「正義と悪」の観念は希薄であった。ある地点、時点、事情で利害がぶつかりあって、戦争が起こるわけだが、その結果は《正義は勝つ》といった捉え方はされず、もちろん《戦犯》などという概念もなかった。勝った方がその分だけ要求を通せる、それだけのことである。
特にローマにおいては、自軍の将が負けたとしても、負けた責任、詰め腹を切らされるなどということはなく、後に選挙で選ばれれば、再び将軍となることもできた。また、敵の捕虜も、自軍の捕虜との交換される他は金銭で返されることが多かった。

また、敗戦国に対する扱いは、そう高くない賠償金(分割)を求める他、住民の市民権をそのまま認め、都市の自治権もそのまま、ということが大半。むしろインフラ(道路や下水道)を整備する「ローマ化」は住人にとって生活の向上というメリットをもたらした。
戦備を減らせさたりはするものの、「同盟国」として取り込んだ結果、ある種ローマの被保護国となっているため、その国が別の国に攻められた場合は助けにきてくれる、という関係になっていた。
喩えるならば、ガキ大将の子分になったから、他のやつにイジメられたら、泣きついて助けてもらえる。だからといって小遣いを巻き上げられるわけではない、といったところか。

翻って現代のアメリカは? 第二次世界大戦後、当事者国で行われた《東京裁判》でのA級戦犯などの存在、最近のフセインに対する追及、扱い方。そして、戦争相手国(敗戦国)に対する扱い。
同じように喩え話にすると……アメリカを「ガキ大将」と呼ぶには《ビジネス》が先立ち過ぎている気がする。が……正義面が好きで「お前たちを守ってやるから」が口癖のガキ大将。でも、助けてもらったら必ず例を要求される。それに普段から奢ってくれるどころか駄菓子屋での飲食も子分持ちが多い……

いやだよ、こんな親分。


アメリカの場合の「正義」は国民を引っ張っていくための方便。実際は後ろ盾の産業界に後ろから突付かれて、もっと冷静冷徹に動いていると見えますね。
別にローマが、相手のことだけを考えて上のような処置をしたわけではないとは思います。自分ところの都合上、相手を属国にするより同盟国にした方が良い(軍事負担をある程度求める)といった事情はあったでしょう。
しかしながら、馬鹿正直に殺されることがわかっていながら捕虜として戻っていくエピソードなどなど、誇り、支配者の義務感、いわばノブレス・オブリージを思わせる数々の話からは、ローマの人々に「潔さ」「誇り」といった美点が見られるのですよ。

僕がよく批判に使う言葉ですが。「美しくない」、アメリカのやり方は「美しくない」と思います。
相手の家には土足で入り込みつつ、自分の様式ばかり持ち込み、相手に親しもうとはしない。固い殻に閉じこもったまま…
その影響力が世界を覆っているというのは、あまり歓迎できることではありませんね。


余談ですが、もう少ししたらNHKスペシャルで、ローマ帝国の話があります。楽しみにしています。
[鈴太@しなやかな猛獣のように]